学院ネクロマンサ- 作:オリーブの実
この班⋯⋯不安すぎる
アザミナ王国郊外。
新たに発見された遺跡──第3958号大墳墓の前には、学外学修へ参加する生徒たちが集められていた。
地表に露出しているのは、半ば土砂に埋もれた巨大な石造りの門だけ。その奥には地下へ続く暗い階段が口を開け、冷気と黴臭い空気を絶え間なく吐き出している。
「この俺が、何故こんな黴臭い場所に……」
「『英雄』の冒険譚、その第一章ですね!!!」
「そこまで大仰なものではないと思いますが……」
集められた生徒たちは、これから足を踏み入れる遺跡を前にしても、思い思いに雑談を交わしていた。
「確か、竜大戦時代のだっけ?」
「歴史あんま興味ないから知らね」
「俺はゾロスターさんと同じ班がいいな」
「いや、コンスタンティア先輩をはじめとした三年生で固めた班にぶち込まれるって話だから、無理だと思うぞ」
「猛獣か何かか?」
「ほぼ同義だろ」
「いやぁ〜、去年が懐かしいですな〜」
「お前のせいで大変な目に遭ったの、まだ恨んでるからな」
「血統と特異は、ほとんど不参加か」
「まあ、まだ例の襲撃犯が捕まってないからな。あちらとしては、極力学院から出たくないだろ」
「むしろ、この状況で参加してる連中の方が奇特だよな」
「特異は、まあ……風理とは別方向で自由だからな」
「必修なのに、自由の一言で欠席が許されるのか?」
「許されてはいないだろ。来てないだけで」
「それ、駄目じゃん」
ざわめきが収まる気配はない。
生徒たちの前に立った引率講師は、手元の資料を閉じると、呆れたように一同を見回した。
「……そろそろ説明を始めてもいいか?」
返事はまばらだった。
講師は、それを了承と解釈することにした。
「では、今回の学外学修について、改めて概要を説明する」
ざわついていた生徒たちの声が、次第に静まっていく。
「今回、新たに発見されたこの第3958号大墳墓を調査し、太古の魔法や
講師はそこで一度言葉を切り、背後にそびえる石門へ視線を向けた。
「だが、完全ではない。未確認の魔法生物や罠、
生徒たちの間に、僅かな緊張が走る。
「諸君らはあらかじめ指定された班ごとに分かれ、現在確認されている49か所の入口から、それぞれ遺跡内部へ進入してもらう。各班は、引率役を務める2、3年生二名と、1年生二名の計四名で構成される」
講師は資料を開き直し、各班の名簿へ目を落とした。
「内部では、構造の記録、残存する術式の確認、
講師は名簿から顔を上げ、生徒たちを見回した。
「過去には、発見された遺物《レリック》を不用意に持ち帰ったことで、重大な魔法事故が引き起こされた例もある。そのときは、確か……」
記憶を探るように、僅かに視線を上へ向ける。
「街が一つ消失した」
生徒たちの間から、ざわめきが消えた。
「…………」
「…………」
「先生」
「なんだ」
「それを『重大な事故』の一言で済ませていいんですか?」
「歴史書では、そう分類されている」
「歴史書の感覚おかしくないですか?」
「歴史など、だいたいそんなものだろう。さて、話はここまでだ。これより、班組を発表する」
*
「第29班」
名簿を手にした講師が、淡々と四人の名を読み上げる。
「特異学科、サリエリ・ヴァーナレク。
土廻学科、エウロペ・アマテル。
戦技学科、ニル・イポメア。
同じく戦技学科、カメリア・アリッサム」
講師は名簿から顔を上げた。
「以上、四名」
「えー。私、サリーと同じ班がいいなー」
「私も、イアソルさんと同じ班が良いのですが」
少し離れた場所から、ソレイユと白藍の髪の少女が、不満そうに声を上げた。
「駄目だ。シキシアには地上へ残り、緊急時の伝令役を務めてもらう」
講師は白藍の髪の少女──カメリア・アリッサムへ視線を向ける。
「というか、アリッサム。君はもう3年生なのだから、少しは後輩の模範となるような振る舞いをだな……」
「恋はいつでも全力なんですよ?」
「意味が分からん」
講師は何かを言いかけ、結局諦めたように口を閉じた。
気を取り直すように咳払いを一つすると、今度はソレイユへ向き直る。
「それと、ゾロスター。この一か月で、我々教員は一つ学んだことがある」
「なに?」
「お前たちは、一緒にすると碌なことにならないということだ」
「そんなことないよ」
「模擬戦場を二度も破壊しておいて、よく言えるな」
「二度目は、ほとんど壊してないよ」
「壊した量の話はしていない」
ソレイユは頬を膨らませ、サリエリへ視線を向けた。
「サリーも何か言ってよ」
「別に、誰とでもいい」
「薄情!」
「遺跡の中で会えるかもしれない」
「本当?」
「入口は49か所ある。内部で繋がっていれば」
「よし、探しに行くね!」
「やめろ」
講師の声が低くなる。
「班を離れるな。指定された経路を外れるな。他班との合流を目的に、遺跡内を徘徊するな。特にゾロスター、お前は絶対にヴァーナレクを探しに行くな」
「まだ何もしてないのに!」
「するつもりだっただろ」
「…………」
「黙るな。図星だろう」
ソレイユは視線を逸らした。
講師は深々と溜息を吐き、名簿へ目を戻す。
「なお、両名は入口も正反対の位置に割り振ってある」
「そこまでする?」
「そこまでする」
「信用ないなぁ」
「お前たちが焼いたんだよ。その信用を」
そう言って、講師は深く溜息を吐いた。
それは新たに発見された墳墓よりも、よほど深い溜息だった。
*
「あわわ……すごい人と同じ班になっちゃった……。先輩たちは、ヴァーナレクさんのことを『循環を穢す冒涜者』とか言ってたけど……」
口に出してから、しまったと思った。本人がそれほど離れていない場所にいるのに、こんなことを言ってよかったのだろうか。
幸い、ヴァーナレクさんはこちらを見ていない。
ほっと胸を撫で下ろしながら、私は土廻科の先輩たちから聞かされた話を思い返した。
曰く、自然の摂理に反する要注意人物。
曰く、循環へ痰唾を吐きかけた痴れ者。
曰く、死者を循環へ還さず、己の手元へ縛りつける不届き者。
他にも色々と言っていた気がするけれど、どれも似たような内容だった。
要するに、土廻科の先輩たちは、サリエリ・ヴァーナレクという少女をとても嫌っている。
というより──怖がっている。
先輩たちは怒った顔で彼女を罵っていたけれど、その声には、嫌悪以上に怯えのようなものが混じっていた。
その気持ちは、少し分かる。
死んだものは土へ還り、やがて新たな命を育む。それが、私たち土廻科の教わる循環だ。
死者を蘇らせ、魂をこの世へ縛りつける死霊術は、その流れを途中でせき止める行為に見える。
だから、先輩たちが怒る理由も分からなくはない。でも実際にヴァーナレクさん本人を前にすると、噂ほど恐ろしい人には見えなかった。
私は恐る恐る、同じ班になった少女へ視線を向ける。
腰まで届く白銀の髪。
深い青色の瞳。
小柄で、表情も乏しく、一見しただけなら私より年下にすら見える。
これまで、死霊術師というものを見たことはない。けれど、勝手にもっと恐ろしい姿を想像していた。
全身を黒い外套で覆っているとか、骸骨の杖を持っているとか、常に不気味な笑みを浮かべているとか。そういう、いかにも悪い死霊術師らしい姿。
けれど実際のヴァーナレクさんは、ただ静かに立っているだけだった。とても、先輩たちが口を揃えて罵るような恐ろしい人物には見えない。
ただし、その足元から伸びる影の中で、何かが蠢いていることを除けば。
「…………」
今、骨みたいなものが見えた気がする。
白くて、細長くて、指のようなものが。
影の縁から少しだけ現れて、すぐに引っ込んだ。
見間違いであってほしい。でも、見間違いではなかった場合、確認する勇気はない。
「ん……安心、するといい。カメリア先輩は、すごい。だから、大丈夫」
隣に立つイポメア先輩が、途切れ途切れの言葉で私を宥めてくれる。
優しい人なのだと思う。
私が怯えているのを察して、声をかけてくれたのだから。ただ残念ながら、その言葉だけでは何一つ安心できなかった。
「あの、私、アリッサム先輩がどうすごい人なのか、知らないです……学部が違うので……」
私の言葉を聞いたイポメア先輩は、しばらく沈黙した。
何と説明すればよいのか、真剣に考えてくれているらしい。
やがて、小さく頷いた。
「カメリア先輩は……すごく、すごい。だから、大丈夫」
「あの、全然分かりません」
「…………つまり、すごい」
駄目だ。この人、説明がものすごく下手だ。
でも、本人はこれで十分伝わったと思っているらしく、どこか満足そうに頷いている。
私には、アリッサム先輩がすごいということ以外、何一つ伝わっていない。
「まったく。恋はいつでも全速全壊だというのに、先生方は本当にもう」
振り返ると、件のアリッサム先輩が、どこか不満そうな顔でこちらへ歩いてきていた。
「おや、お二方。何をそんな真剣な面持ちで話し込んでいらっしゃるので? まだ遺跡に入ってすらいないのに、その調子ではこの先もちませんよ」
「……カメリア先輩の、すごさを、教えてた」
一ミリも伝わりませんでしたけどね。
口には出さず、心の中だけで付け加える。
「そうですか。ちなみに、どのようなことを話されたので?」
「先輩が、すごく、すごいこと」
「……聞いた私が馬鹿でしたね。あなたの言語は、人類には早すぎるということを失念していました」
アリッサム先輩は、小さく溜息を吐いた。
私には説明が下手なだけに見えたけれど、彼女に言わせれば、人類の方が追いついていないらしい⋯⋯多分、ただの皮肉だろうな。
アリッサム先輩は気を取り直すように手を叩いた。
「さて、雑談はここまでにしておきましょう。ええと、アマテルさん」
「は、はい」
急に名前を呼ばれ、声が上擦る。まだ自己紹介もしていないのに、名前を覚えられていた。
三年生ともなると、事前に班員の名前くらい確認しておくものなのだろう。
「あそこで乳繰り合っているヴァーナレクさんを、呼んできてもらってもよろしいですか?」
「わ、分かりました」
乳繰り合っている。
言われた方向へ目を向けてみる。
ヴァーナレクさんは、先ほど同じ班にしてほしいと騒いでいた赤髪の少女と向かい合っていた。
遠目では何をしているのか分からない。
けれど、呼びに行かなければならないらしい。
できれば、もう少し心の準備が欲しかった。
「さて、ニルさん。私たちは簡単な打ち合わせを……する必要はありませんね。どうせ、話しても覚えられないでしょう?」
「うん」
「……少しは反論してほしいのですが。あなた、そんなので単位は大丈夫なんですか?」
「真っ赤、っ赤」
「駄目じゃねーですか」
背後から聞こえてきた会話に、足が止まりそうになる。
この班、本当に大丈夫なのかな……。
早くも帰りたくなってきた。
まだ遺跡に入ってすらいないけれど。
不安を募らせながら、私はヴァーナレクさんのもとへ向かった。
近づくにつれ、二人が何をしているのかが分かってくる。
ヴァーナレクさんと赤髪の少女は、互いの頬を指で摘まみ、左右へ引っ張り合っていた……あれを、乳繰り合っていると言うのだろうか?
少なくとも、私の知っている意味とは違う気がする⋯⋯。
「……あの」
声をかけてみたけれど、二人は頬を引っ張り合ったまま、こちらを見なかった。
「ひゃひー、ほっへひゃなひへ」
「ソルこそ、離して」
「ひゃひーひゃら、ひゃひーほひゃんひゃへひへ!」
「何を言ってるか分からない」
それは多分、お互い様だと思う。
そもそも、どうしてこんなことになったのだろう。
喧嘩なのか、遊んでいるのかすら分からない。
「あ、あのっ!」
今度は少しだけ声を張った。
ようやく二人の視線が、同時に私へ向く。
濁りのない金色の瞳と、底の見えない深い青の瞳。
「ひっ……」
危うく声が漏れそうになり、慌てて飲み込んだ。
二人とも、見た目だけなら私とそう変わらない女の子。なのに、同時に見つめられただけで、背筋が勝手に伸びてしまう。
赤髪の少女──ソレイユ・ゾロスターさんも、学院では特級の危険人物として噂になっている。
入学初日にヴァーナレクさんと模擬戦をして、模擬戦場を丸々1つ吹き飛ばしただとか、色々な武勇伝? を有している。
先ほど、先生方が二人を別々の入口へ割り振った理由も、それらしい。
「アリッサム先輩が、そろそろ集まるようにと……」
「分かった」
ヴァーナレクさんは、あっさりとゾロスターさんの頬から手を離す。解放された頬が、ぷるん、と元の形へ戻った。
「サリー、痛い」
「ソルも引っ張った」
「私はちょっとしか引っ張ってないよ」
「私も、ちょっと」
「⋯⋯まあいいや。じゃあ、行ってくる」
「うん。中で会おうね」
「会わないように、入口を分けられてるけど」
「頑張れば会えるよ!」
「頑張るな、と思われてると思いますけど……」
思わず口を挟んでしまった。
言ってから、余計なことを言ったかもしれないと後悔する。
ゾロスターさんが、初めて私を見た。
「誰?」
「ひゃいっ!?」
声が裏返った。
恥ずかしい。
今すぐ土の中へ埋まりたい。
「同じ班の、エウロペ・アマテルさん」
ヴァーナレクさんが、代わりに答えてくれた。
名前を覚えられていた。まだ自己紹介もしていないはずなのに。
先ほどアリッサム先輩にも名前を呼ばれたけれど、あちらは引率役だから事前に確認していたのだろうが⋯⋯ヴァーナレクさんは、いつ私の名前を知ったのだろうか? 謎だ。
「へえ。サリーと同じ班なんだ」
ゾロスターさんは、私の頭から爪先までをじっと眺める。
値踏みされているようで、落ち着かない。
服装に何か変なところがないか、急に気になってきた。
「サリーのこと、よろしくね」
「は、はい。こちらこそ……?」
こちらこそ、と返してよかったのだろうか。
私は誰に何をよろしくされ、何をよろしく返したのだろう。
「危ない目に遭ったら、サリーの後ろに隠れるといいよ。大抵のものなら、多分どうにかしてくれるから」
「大抵じゃないものが出たら?」
ヴァーナレクさんが尋ねる。
「え? ん〜私を呼ぶ?」
「遺跡の中で、どうやって……?」
「大声で?」
聞こえるわけがない。
49個も入口があり、内部は複雑に入り組んでいると説明されていた。
声が届く距離にいる可能性の方が低い。そう思ったけれど、ゾロスターさんなら、本当に聞きつけてしまいそうな気もする。
そして、最短経路を進むために、遺跡の壁を焼き破りながら現れそうだ。
その場合、助かったと言っていいのだろうか? 蒸し焼きになってる気しかしないよ⋯⋯。
「ソル。行くよ」
「うん。またね、サリー」
「またね」
ゾロスターさんは大きく手を振ると、自分の班が集まっている方へ駆けていった。
その背中を見送り、私は小さく息を吐く。
緊張した。何か恐ろしいことをされたわけではない。むしろ、普通に話しかけられただけ。
それなのに、身体へ入っていた力が一気に抜けた。
「仲が良いんですね」
「うん。友達……だから」
ヴァーナレクさんは、ほんの少しだけ間を置いて、照れたように答えた。
友達。
先ほどまで頬を引っ張り合っていた光景を、友達同士の普通の触れ合いと考えてよいのかは分からない。でも、その言葉を口にしたヴァーナレクさんの横顔は、ほんの少しだけ柔らかく見えた。
「ねえ」
「は、はい」
「怖い?」
不意に尋ねられ、心臓が跳ねた。
「な、何がですか?」
「私」
「…………」
答えられなかった。
やはり、私が怖がっていたことには気づかれていたらしい。
正直に怖いと言えば、怒られるかもしれない。
死霊術師に怒られたら、どうなるのだろうか。
殺されるとは思わないけれど、影の中にいた何かを見せられるかもしれない。だからといって、怖くないと嘘をつくこともできなかった。
あの深い青色の瞳を見ていると、下手な嘘など全て見透かされそうな気がする。
「その……少しだけ」
結局、正直に答えた。
言った直後、全身が強張る。
「そう」
ヴァーナレクさんは怒りもせず、ただ頷いた。
責めるでもなく、悲しむでもなく、私の答えをそのまま受け取ったように見えた。
「慣れるといい」
「慣れられるものなんですか?」
「努力次第?」
あっ私の努力が前提なんだ⋯⋯。
でも、怒られなかった。それだけで、先ほどまでより少しだけ呼吸がしやすくなった気がした。
*
「遅かったですね」
私たちが戻ると、アリッサム先輩が腰へ手を当てて待っていた。
「申し訳ありません。乳繰り合いが長引いていたようで」
「乳繰り合ってない。頬を、引っ張り合っていただけ」
「世間一般では、それを乳繰り合いとは呼ばないでしょうね」
では、どうして最初にそう表現したのだろう。
聞いてみたい気もするけれど、聞かない方がよい気もする。
「まあ、全員揃ったのでよしとしましょう。では改めて、自己紹介といきましょうか」
アリッサム先輩が、私たち三人を順番に見回した。
「私は第29班の引率を任されました、戦技学科3年、カメリア・アリッサムと申します。これからのクッソ長い道中、よろしくお願いしますね」
丁寧な挨拶の中へ、突然「クッソ」が入り込んだ。
この人は、上品なのか下品なのかよく分からないな。
「……同じく、戦技学科2年。ニル・イポメア。引率を、任されてる……よろしく」
イポメア先輩は相変わらず、言葉を一つずつ探すように話す。
「特異学科1年、サリエリ・ヴァーナレク。よろしく」
ヴァーナレクさんの挨拶は、短かった。
そして、三人の視線が一斉に私へ集まる。
分かっていたのに、身体が固まった。
「え、ええっと……土廻学科1年、エウロペ・アマテルです。よ、よろしくお願いします」
緊張で少し噛んだ。
顔が熱くなる。
けれど、誰も気にした様子はなかった。
イポメア先輩など、もう自己紹介を終えたことさえ忘れていそうな顔をしている。
「はい。これで自己紹介は終わりですね」
アリッサム先輩は満足そうに頷いた。
「それでは、遺跡に入ってからの話をしましょうか。遺跡内部では私が先頭を、そしてニルさんが最後尾を担当します。アマテルさんとヴァーナレクさんは、その間ですね」
よかった。
少なくとも、私は先頭でも最後尾でもない。
前後を先輩たちに守られる位置だ。
「私が先頭の方がいい」
安心しかけた直後、ヴァーナレクさんが手を挙げた。
「理由を伺っても?」
「罠があっても、私なら大丈夫だから」
あまりにも平然とした口調。自慢しているわけでも、強がっているわけでもない。
雨に濡れても困らないから傘はいらない、とでも言うように、自分が罠に掛かっても問題ないことを告げた。
噂で聞いてはいた。
ヴァーナレクさんは、怪我をしてもすぐに治るらしいと。でも、本人の口から聞くと、急に現実味を帯びる。
「なるほど⋯⋯」
アリッサム先輩は少し考えたあと、微笑んだ。
「却下です♡」
「どうして?」
「私の任務は、あなたがた一年生の引率ですので」
「私は大丈夫」
「貴女が大丈夫かどうかは関係ないのですよ」
アリッサム先輩は、穏やかな口調のまま言い切った。
「私はそう命じられた。ならば、それを遂行する責務があるのです」
その言葉には、迷いも気負いもなかった。
ただ、自分に与えられた役目を、当然のように果たそうとしている。
背筋は真っ直ぐに伸び、周囲を見る目にも隙がない。先ほどまで恋だの乳繰り合いだのと言っていた人と、同じ人物には思えなかった。
もしかすると、イポメア先輩の言っていた「すごい」とは、こういうことなのかもしれない。
「それに……」
アリッサム先輩は一転して頬を緩め、ぐっと拳を握り締めた。
「ここで引率をパァーフェクトにこなせば、イアソルさんも私に惚れ直すこと間違いなし! こりゃ一丁、やったるしかねーでしょうよ!」
前言撤回。
この人のこと、やっぱりよく分からない。
「惚れ直すってことは、今も惚れてるの?」
ヴァーナレクさんが、もっともな疑問を口にする。
「……まだ私のものにはなっていませんが、いつか必ずなるので無問題ですね!」
それは「惚れ直す」とは言わないのではないだろうか。
「先輩は、これでも騎士団の幹部候補、だったから……すごく、すごい」
「ニルさん、昔の職場の話をするの、やめてもらえません? あそこ、まぁーじでしつこいんですよねぇ。例えるなら、フライパンにこびり着いた油汚れみたいな感じですね。しかも未だに戻って来いってうるせーですし」
アリッサム先輩は、心底うんざりしたように肩を竦めた。
「私は愛に生きると、ちゃんと言ったんですけどねぇ」
元騎士団員。それも、幹部候補。あまりにさらりと明かされた事実に、私は思わずアリッサム先輩の横顔を見つめた。
騎士団といえば、王国を守る精鋭たちだ。それも幹部候補ともなれば、きっと将来を約束された立場だったはず。
そんなものを捨てて、学院へ入ったのかこの人⋯⋯。
「騎士団より、そのイアソルって人の方が、大事なの?」
ヴァーナレクさんが尋ねる。
「無論ですね。比べるべくもありません」
アリッサム先輩は、一瞬の迷いもなく答えた。
「地位も名誉も将来も、愛の前では全てが塵芥に等しいですからね!」
「すごい」
私は、思わず呟いていた。本当にすごい。
私なら、そんな決断はきっとできない。
地位も名誉も将来も捨てて、たった一人を追いかける。
その覚悟だけは、本物なのだと思った。
「でしょう?」
アリッサム先輩が、得意げに胸を張る。
「多分、褒めてない」
「そんなことはありませんよ。今のは間違いなく称賛です」
「違う、と思う……よ?」
「ニルさんは黙っていてくださいな」
騎士団を辞めてまで追いかける恋。それだけを聞けば、とても情熱的で素敵な話に思える……肝心のイアソルさんが、どう思っているのかを考えなければ、であるが。
*
「第29班、準備完了しました」
アリッサム先輩が、入口を管理する先生へ報告した。
先ほどまでの砕けた態度は消え、声にも姿勢にも隙がない。やはり、真面目にしていれば、本当に格好いい人なのだ。惜しいなぁ。
「うむ。よろしい」
先生は私たち四人を見回したあと、背後に開いた遺跡の入口へ目を向けた。
巨大な石造りの門。
その先には、地下へ続く暗い階段が口を開けている。
さっきまでは班員のことで頭がいっぱいだったけれど、いざ入口の前に立つと、急に遺跡そのものが怖くなってきた。
「遺跡内部は複雑に入り組んでいる。先遣隊による調査で、おおよその構造は判明しており、それを基に作成した地図も全員に配布した」
私は腰の鞄へ手を触れた。
中には、先ほど渡された地図が入っている。
なくしていない。きちんと入っている。
分かっているのに、もう一度確認せずにはいられなかった。
先生は一度言葉を切り、再び私たちへ視線を戻す。
「だが、それでも未探査の領域は多く残されている。くれぐれも指定された経路を外れ、未探査領域へ踏み込むことのないように」
「承知しました」
アリッサム先輩が即座に答える。
「また、地上にはシキシアと講師が常時待機している。異変が起きた場合は、程度を問わず、ただちに連絡を入れろ」
「はい」
「……分かった」
先輩たちは、迷いなく答えた。
私も同じように答えようとしたけれど、先生は先に、私とヴァーナレクさんへ視線を移した。
「お前たちも、シキシアの魔法への接続方法は教わっているな? マーキングも済んでいるはずだ」
「「はい」」
先ほど、地上に残るというシキシア先輩に、魔法の印を施してもらった。
目には見えないけれど、意識を集中すると、頭の奥に細い糸のような感覚がある。それを辿れば、離れた場所にいるシキシア先輩と会話できるらしい。
「ただ念じればいい。それだけでシキシアと会話できる。異常を感じたら、自分たちだけで解決しようとせず、すぐに連絡しろ」
「分かった」
「は、はい!」
少し遅れて、私も返事をした。
異常を感じたら、すぐに連絡する。
未探査領域には入らない。
隊列を崩さない。
何度も頭の中で繰り返す。忘れないよう、何度も、何度も。
「よし。それでは、第29班。調査を開始せよ」
「第29班、出発します」
アリッサム先輩は踵を返すと、地下へ続く階段の前に立った。
遺跡の奥から吹き上がってくる冷たい空気が、頬を撫でる。
湿った土と黴。
それから、何か古いものが腐ったような匂い。
息を吸うたび、冷たい空気が胸の奥へ沈んでいく。
「では皆さん、参りましょうか」
そう言って、アリッサム先輩は暗闇の中へ足を踏み入れた。
私はその後ろへ続こうとして、足が動かなかった。階段を数段下りただけで、地上の光は急速に遠ざかっていく。
一度入れば、簡単には戻れない。
そんな気がした。
大丈夫。
アリッサム先輩は、元騎士団の幹部候補。
イポメア先輩だって、説明は下手で成績も悪いけど、戦技学科の2年生だ。
ヴァーナレクさんは少し怖いけれど、今のところ私へ何もしていない。
それどころか、ゾロスターさんは危険な目に遭ったら彼女の後ろへ隠れろと言っていた。
きっと大丈夫。
多分、大丈夫。
「アマテルさん」
「ひゃいっ!」
暗闇の中から、ヴァーナレクさんに呼ばれた。
「置いていくよ」
気づけば、アリッサム先輩は既に数段先まで下りている。その後ろには、ヴァーナレクさん。イポメア先輩は、最後尾を務めるためか、私が下りるのを黙って待っていた。
「い、今行きます!」
私は慌てて階段へ足を踏み出した。
背後には、まだ明るい地上がある。けれど、一段下りるたび、その光は少しずつ細く、遠くなっていく。そして前方には、何も見えない暗闇。その奥で何が待っているのか、私にはまだ分からない。
こうして、私たち第29班の遺跡調査が始まった。
登場人物
エウロペ・アマテル
属性魔法の1角、土属性を扱う。土廻科所属。1年。
栗色の長髪を後ろに纏める、萌葱色の瞳の少女。
人懐っこく、愛嬌ある性格。
土廻科の癒しと密かに呼ばれている。
ニル・イポメア
虹霓魔法 加速を扱う才女で、戦闘科所属。2年。
短い水色の髪に、琥珀色の瞳の少女。
真面目で実直な性格。バカ。
カメリア・アリッサム
属性魔法の一角、水属性を扱う。戦闘科。3年。
短い白藍の髪に、濃い琥珀色の瞳を持つ少女。
素直な性格と真っ直ぐな心。カメリアを言い表すなら、これがもっとも正確だろう。
元々は騎士団──王宮魔道騎士団に所属していたが、ある人物を追って、学院に入学した。
本人の弁では、「あなたに会うために、今私はここにいるんです」 とのこと。
用語
第3958号大墳墓
アザミナ王国内に点在する遺跡群の一つ。その中でも、特に規模の大きい大墳墓である。
先遣隊の調査によれば、内部にはかつて「沈黙」と呼ばれた、とある司祭が埋葬されているらしい。
現在では失われた魔法によって作られた魔道具。半永久的に水が湧き続ける水瓶のような生活用品から、街一つを消し飛ばすほどの兵器まで、その性能と危険性は千差万別である。