学院ネクロマンサ- 作:オリーブの実
第3958号大墳墓──浅層
遺跡へ足を踏み入れてから、早くも一時間が経過していた。
私たちの前に延々と続いているのは、代わり映えのしない石造りの通路。
途中、二手に分かれた分岐路や、崩落によって先へ進めなくなった道はいくつかあった。けれど、それ以外には特に目立ったものもなく、同じような石壁と石床ばかりが続いている。
初めのうちは、壁の染み一つ、物音一つにも怯えていた。けれど、一時間も似たような景色を見せられ続ければ、さすがに緊張も恐怖も長続きしない。
今ではそれらよりも、退屈の方が勝り始めていた。
「まだ、歩くんですか……?」
思わず漏れた私の声が、長い通路の奥へ反響していく。
「地図によれば、そろそろ広間へ到着するはずですよ」
先頭を歩くアリッサム先輩が、手にした地図へ視線を落とした。
「もっとも、この『そろそろ』がどれほど信用できるのかは分かりませんが」
「先遣隊の地図なのに?」
「遺跡の地図というものは、得てしてそのようなものです。曲がり角を一つ見落としただけで、現在地が分からなくなりますからね」
「今、どこにいるの?」
ヴァーナレクさんが尋ねる。
「…………」
アリッサム先輩の足が止まった。
「先輩?」
「大丈夫です。完璧に把握しています」
「間が、怪しい……」
「ニルさんは黙っていてくださいな。そもそも、地図の読み方自体怪しいじゃないですか」
「むっ⋯⋯心外」
大丈夫なのだろうか。いや、大丈夫であってもらわないと困る。
もし迷っているのなら、私たちはこの代わり映えのしない通路を、さらに何時間も歩くことになるのだから。
私は周囲の石壁へ目を向ける。
前後左右どこを見ても、石。石。石。
先ほどから、何度も同じ場所を通っているような気さえしてくる。
「一応、確認しますけど……私たち、同じところをぐるぐる回っていたりしませんよね?」
「その可能性はありません」
アリッサム先輩は即答した。
「目印を残していますので」
「目印?」
先輩が、少し後ろの壁を指さす。そこには小さく、鋭い刃物で刻まれたらしい文字があった。
──イアソルさん、愛しています。
「…………」
「ほら。この通路には、まだ一度も刻んでいません」
「目印に私情を持ち込まないでくださいよ」
「愛ほど強く記憶へ残る目印もありませんよ?」
そういう問題ではないと思うが……しかも、もし遺跡の壁へ勝手に文字を刻んではいけなかった場合、学外学修が終わったあとに叱られるのではないだろうか?
「⋯⋯文字は流石にまずいと思う」
ヴァーナレクさんも同じことを思ったらしい。
「まさか! むしろ愛の言葉が刻まれたのですから、ますます価値が増したと見るべきですが」
「怒られる、と思う……」
「皆さん、先ほどから随分と否定的ですね?」
肯定できる要素が見当たらない。
そんなことを話しながら、私たちは再び通路を進んでいく。
やがて、先頭を歩いていたアリッサム先輩が足を止めた。
「着きましたね」
狭い通路が不意に途切れ、目の前に広い石室が現れた。
思わず、私は足を止める。
つい先ほどまで進んでいた通路は、大人が二、三人横に並べば窮屈になるほどの幅しかなかった。なのに、その先に広がっていたのは、まるで別世界のような空間だった。
「……広い」
気づけば、そんな声が漏れていた。
石室の中央には、床から天井まで届く太い柱が五本、等間隔に並んでいる。その表面には細かな文様が刻まれており、長い年月を経ているはずなのに、不思議と崩れた様子はない。そして、その柱の上部には、今なお淡い光を放ち続ける魔照灯が据えられていた。
青白いような、金色のような、何とも言えない静かな光。それが石室全体をぼんやりと照らし出し、陰影を濃く浮かび上がらせている。
少なくとも、ここでは携帯灯は必要なさそうだな。そう思った次の瞬間、私は別のことに気を取られた。
高い。とにかく、天井が高い。
思わず首が痛くなるくらい上を見上げて、私は息を呑んだ。
天井一面に、巨大な生き物たちの精巧なレリーフが彫り込まれていたからだ。
二対の脚を持つ、鯨のような生物。 翼を大きく広げた、巨大な鳥のような生物。 とぐろを巻く、巨大な蛇のような生物。 波のうねりと一体化したような、巨大な魚のような生物。 そして、それらを睥睨するように刻まれた、竜のような生物。
どれもただ大きいだけではない。 鱗の一枚一枚、羽毛の流れ、牙の鋭さに至るまで、驚くほど細かく彫り込まれている。今にも石の天井から抜け出して、こちらを見下ろしてきそうなほど生々しい。
私は、ごくりと喉を鳴らす。綺麗だ、と思った。 そして同時に、少しだけ怖い、とも思った。古い遺跡の中だというのに、ここだけ空気が違う。 静かなのに、まるで誰かに見られているみたいで、胸の奥がそわそわする。
「わぁ……」
自分でも情けないくらい小さな声しか出なかった。
「
アリッサム先輩が、一体ずつ確かめるように天井へ視線を巡らせる。
「御伽噺に出てくる魔獣……ですよね?」
「そうですね。確か、
「絶滅したと思ってました」
「実際、ほとんど絶滅したようなものですよ? 発見された個体も、片方は既に死んでいましたし……まあ、なぜかその死骸はロスト⋯⋯消えてしたんですけど」
「死骸が、消えた?」
「ええ。巨大な魔獣の死骸が忽然と。世の中、不思議なこともあるものですねぇ……」
そこでアリッサム先輩は、なぜかヴァーナレクさんへ視線を向けた。
「ねー、不思議ですよねぇ。ヴァーナレクさん?」
「…………不思議」
長い。返事をするまでの間が、ものすごく長かった。
というか、不思議で済ませていい話なのだろうか?
「そんでもう片方は、見つかって早々、アガベル家がブチ殺しに行きましたし」
「ブチ殺し……」
御伽噺の中でしか知らなかった存在への説明として、あまりにも情緒がなかった。
私の中では、竜も陸鯨も、遠い昔に世界を闊歩していた伝説の魔獣だ。なのにそれが、「死んでいた」「ブチ殺された」の二言で片付けられてしまうと、なんだか夢を壊されたような気分になる。
「アガベル家って、あのアガベル家ですよね?」
「他にどのアガベル家があるんです?」
「いや、その……竜を見つけて、わざわざ殺しに行く家って、本当にあるんだなって……」
「いますよ。あそこはそういう家ですので」
どういう家なんだろう。聞かない方がいい気がした。
「しっかし、この時代の遺跡は、どこもかしこも似たような意匠を好みますねえ。流行りだったのでしょうか? ⋯⋯まあ、ここまで見事なものは、私も初めて見ましたが」
アリッサム先輩が、感心したように天井を見上げる。
「五体……いる」
イポメア先輩が、柱を指でなぞるように視線を動かしながら呟いた。
「対応、してる、かも」
五本の柱と、五種の生き物。 言われてみれば、確かにただの偶然とは思えなかった。
「……あの、何か意味があるんでしょうか」
私がそう尋ねると、先輩たちは少し考えるように視線を交わした。
「さあ?」
最初に答えたのは、アリッサム先輩だった。
「分かりません!」
ものすごく堂々と言い切られてしまった。
「雰囲気で喋ってませんか……?」
「雰囲気は大事ですよ、アマテルさん。たとえば、そこら辺の公園でプロポーズされるのと、景色の綺麗な丘でプロポーズされるのとでは、後者の方が嬉しいでしょう?」
「それは、そうかもしれませんけど……」
なんだか納得してはいけないような気もする。
「まあ、私はイアソルさんにされるなら、どこでもウェルカムなんですが」
「じゃあ、雰囲気関係ないじゃないですか」
「私の場合は、相手そのものが最高の雰囲気を作ってくれるので」
「そういうものなんですか……?」
「そういうものです」
ものすごく自信満々に言い切られた。
たぶん違う。でも、この人に恋愛の話で勝てる気もしなかった。というか、勝てなくて良い⋯⋯勝ってしまったら、色々終わりな気がする……。
「でも、記録の価値はある」
今度はヴァーナレクさんが口を開いた。
彼女は既に石室の中央あたりまで進み、天井のレリーフをじっと観察している。その横顔はいつも通り無表情に近いのに、ほんの少しだけ目の色が変わったように見えた。興味を持っているのだと、何となく分かる。
「造形に統一性がある。偶然じゃない」
「じゃあ、やっぱり何か意味が……?」
「ある、と思う。でも、何を意味しているかまでは分からない」
そこで言い切らないあたりが、少し意外だった。 もっと何でも知っている人なのかと思っていたけれど、分からないことは分からないと言うらしい。
「壁面、柱、天井。全部、記録しておいた方がいい」
「おお、優等生的な発言ですね」
アリッサム先輩がわざとらしく拍手する。
「ヴァーナレクさん、偉い偉い」
「当然のことを言っただけ」
「褒められて伸びるタイプではなさそうですね」
そんなやり取りを横で聞きながら、私はもう一度、天井を見上げた。
そう思って見上げると、先ほどまでただ綺麗だと思っていたレリーフが、少し違って見えた。
どうして、この五体なのだろう?どうして、これほど精巧に刻まれているのだろう?そして、何千年も前に造られたはずのこの石室で、どうして今なお魔照灯が灯り続けているのだろう?
「…………」
考え始めると、急に落ち着かなくなってきた。
広くて、明るくて、綺麗な場所。それだけならよかった。でも、ここは観光地でも、美術館でもない。何千年も前の死者を葬った、墓の中なのだ。
私は無意識に、荷物を抱える腕へ少しだけ力を込めた。
「アマテルさん」
「は、はいっ」
びくりと肩を揺らすと、アリッサム先輩が少し呆れた顔でこちらを見ていた。
「そこまで怯えなくても大丈夫ですよ。まだ何も出てませんから」
「まだ、って言い方やめてください……」
「では、何か出る前にさっさと調べてしまいましょうか」
そう言って、アリッサム先輩は石室の内部を見回す。
「ニルさんは後方警戒。ヴァーナレクさんは気になるものがあれば報告。勝手に触らないこと。アマテルさんは私と一緒に、柱と壁面の記録をお願いします⋯⋯それらが終わりましたら、少し休憩しましょうか」
「はい」
「わかった」
「……うん」
返事をしながら、私はもう一度だけ深呼吸した。
怖い。 でも、それと同じくらい、少しだけわくわくもしている。
さっきまでの長くて代わり映えのしない通路より、ずっと遺跡らしい。 ようやく、本当に遺跡探査が始まったのかもしれない。
──そう思っていた、そのときだった。
「⋯⋯ん」
イポメア先輩が、何かに気づいたような声を上げる。
直後、銀の光が視界を横切った。
「ギィッ──」
短い断末魔が石室に響く。
「ひっ……!」
慌てて声のした方を振り向くと、柱の陰に一匹のネズミが転がっていた。ただし、普通のネズミではない。
小型犬ほどもある巨体。その頭を、床から斜めに突き出した剣が、完全に刺し貫いている。手足が二、三度痙攣したあと、ネズミは動かなくなった。
まったく反応できなかった。先輩が剣を投擲したことすら、剣がネズミを貫いたあとでようやく分かったくらいだ。それくらい、イポメア先輩の動きは速かった。
やっぱり、この班の先輩たちはすごい人ばかりなのかもしれない。
「ナイスですよ、ニルさん。しかし⋯⋯道中では見かけなかったので、てっきりいないものだと思っていましたが……このクソネズミ、本当どこにでも湧きますねぇ」
「私の家にも、よく出た……」
イポメア先輩が、どこか懐かしむように呟く。
「こいつらが湧くような家って、廃墟かなんかですか」
「スラムの、バラック」
「ほぼ同義ですねぇ」
さらりと重い話が出てきた。いったい、どう反応すればいいのだろう……。
「バーグラー……」
ヴァーナレクさんが、剣に刺さった巨体を見つめながら呟いた。
それが、この巨大ネズミの名前だった。名前だけなら、少し格好いいけれど、実物は毛の抜け落ちた大きなネズミでしかなく、口元から伸びた黄色い牙も、太く長い尻尾も、見れば見るほど気持ちが悪い。
「一匹だけでしょうか……?」
そう尋ねながら、私は周囲の柱の陰へ視線を巡らせる。
今まで静かだった石室が、急にいくつもの気配を隠しているように思えてきた。
「バーグラーは、群れで動く」
ヴァーナレクさんが答える。
「えっ」
その言葉を待っていたかのように、石室のあちこちから、爪が石床を引っ掻く音が響き始めた。
かり。
かり、かり。
柱の陰から、暗い通路の奥から、天井近くに開いた細い亀裂から。
赤い目が、一つ、二つと闇の中に浮かび上がる。
私は、そっとアリッサム先輩の背後へ移動した。
「んー⋯⋯20匹くらいですかね?」
「いや、30……もう少し、いるかも」
イポメア先輩が、石室のあちこちへ視線を巡らせながら数える。
「それ、最初に言ってほしかったです……」
「今、分かったから」
確かにそうなのだろうけれど、安心はできない。
退屈していた少し前の自分を、私は心の底から殴りたくなった。
「面倒くさいですねぇ。ちゃっちゃと終わらせましょう」
そう吐き捨てると、アリッサム先輩は片手を軽く掲げた。
「我が氷、汝を貫く矛となる──『氷槍』 特別版です♡ たぁっぷり喰らって、とく逝んでくださいな」
ぞっとするほど甘い声とともに、蒼白い魔力が石室を駆け巡る。
次の瞬間、アリッサム先輩の周囲に、鋭く尖った氷の槍が次々と形作られた。
十本、二十本。いや、それ以上。
淡い光を反射して輝く無数の穂先が、宙に浮かんだまま一斉に向きを変える。その照準は、一つの例外もなく、柱の陰や壁際から姿を現したバーグラーたちへ向けられていた。
「わぁ……」
綺麗だと思った。まるで、空中に咲いた氷の花みたいだった。
もっとも、その花びらの一枚一枚が、巨大ネズミを容易く貫ける凶器なのだけれど。
「それでは──斉射」
アリッサム先輩が、掲げていた指を振り下ろす。
無数の氷槍が、甲高い音を立てて放たれる。
バーグラーたちが一斉に逃げ出すが、もう遅い。
氷槍は石室を縦横無尽に飛び交い、柱の隙間へ逃げ込んだ個体も、壁を駆け上がろうとした個体も、正確に頭や胴体を刺し貫いていく。
断末魔が重なる。肉を穿つ鈍い音と、氷が石床へ突き立つ硬質な音が、広い石室の中で何度も反響する。
私は思わず目を閉じかけた。でも、閉じる前に終わっていた。
「はい、おしまい」
アリッサム先輩が軽く手を払う。
石室に再び静寂が戻った。床には何十匹ものバーグラーが転がり、そのすべてが氷の槍によって急所を貫かれている。こちらへ近づけた個体は、一匹もいなかった。
「すごい……」
思わず、声が漏れる。
イポメア先輩の、アリッサム先輩がすごく、すごい人だという説明がようやく実感できた気がする。
「でしょう?」
先輩は得意げに髪を掻き上げた。
「今の私、さぞ華麗だったでしょうねぇ。イアソルさんにも見せて差し上げたかったです」
その実感は、早くも少し揺らいだが。
「ところで、ヴァーナレクさんは何をなさっているので? そんなぼけ~と突っ立って」
「魂を捕まえてる」
「そんな虫取りみたいな感覚で捕まえるものではないのでは?」
「何かに使えるかもしれないから……」
ヴァーナレクさんがそう言った瞬間、床に転がっていたバーグラーの死骸が、一斉に身を起こした。
「ひゃあっ!?」
思わず、アリッサム先輩の背後へ飛び退く。
頭や胴体を氷槍で貫かれ、つい先ほどまで完全に絶命していたはずの巨大ネズミたち。それらが四肢をぎこちなく動かし、次々と立ち上がっていく。
傷口から血が滴っていたり、頭に氷の杭を突き立てたままの個体までいる。
それでも、痛がる様子はない。赤く濁った瞳には、もう生き物らしい光など残っていなかった。
それらは列をなして、次々とヴァーナレクさんの影の中に飛び込んでゆく。
「捕まえた魂を、死骸へ戻したんですか?」
「そう」
ヴァーナレクさんが指を動かす。それに合わせ、バーグラーたちが一斉にこちらを向いた。
何十対もの濁った目に見つめられ、全身の毛が逆立つ。
「魂を隷属させて、元の肉体に縛り付けた」
「そうすると、どうなるので?」
「魂が主体になる。肉体は、それに従うだけ」
ヴァーナレクさんは、頭を氷槍に貫かれた一匹へ手を向ける。すると、突き刺さっていた氷が音を立てて砕け、その破片が石床へ散らばった。ぽっかりと開いた傷口から血と何か白いものが覗いていたけれど、バーグラーは何事もなかったように立ち続けていた。
「肉体が損傷しても、魂に刻まれた形は変わらない。だから、少し魔力を回せば──」
傷口から、黒い糸のようなものが伸びる。それは裂けた肉を縫い合わせ、砕けた骨を引き寄せ、空いた穴を内側から埋めていき、ほんの数秒後には、頭を貫かれていた痕跡さえ消えていた。
「こうして、元の形に戻せる」
ヴァーナレクさんにとっては、それで十分なのだろう。
便利だから使う。ただそれだけ。死んだものを動かすことにも、魂を縛り付けることにも、迷いも罪悪感もない。
恐ろしいのは、死んだバーグラーが再び立ち上がったことだけではない。ヴァーナレクさんが、それを何でもないことのように説明していることだった。
先輩たちが彼女を『循環を穢す冒涜者』と呼んでいた理由を、これ以上ないほど分かりやすい形で見せつけられている気がした。
「それで、クソネズミ軍団を何に使うおつもりで?」
「⋯⋯⋯⋯偵察とか? 最悪、『終葬』の弾に出来る。魂が小さいから、威力はそれなりだけど⋯⋯とりあえず、あって困るものでは無い」
「その『とりあえず持っておく』の対象に、魂を入れないでもらえます?」
「そういう魔法だから、仕方ない。手持ちの魂魄がない死霊術師なんて、只人とそこまで変わらない」
「そりゃそうなんですがねぇ」
それでも、少し荷物が増える程度の感覚で、死者の魂を持ち歩かないでほしい。鞄の中へ予備の携帯灯を入れておくのとは、わけが違うのだから。
少なくとも、私の中では。
「まあこんな話はどうでも良いんですよ。さっさと記録と休憩を取って、先に進みましょう。なんせ、まだまだ先は長いんですからね!」
◇◇◇
天井のレリーフや柱の文様を記録している最中、ふと気になったことを、アリッサム先輩へ尋ねてみた。
「そういえば先輩、以前にも遺跡へ入ったことがあるようなことを言っていましたけど、騎士団ではそういう仕事をされていたんですか?」
「できれば昔の職場の話はしたくないのですが……まあ、いいでしょう」
アリッサム先輩は、記録用紙へ何かを書き込みながら答える。
「私は第四部隊に配属されていましてね。正式な部隊名は、『遊撃隊』でしたが⋯⋯実態に即していたのは、やはり通称の『鏖殺部隊』の方でしょうか」
「おうさつ……?」
「皆殺し、という意味です」
聞かなければよかったかもしれない。
「王国に仇なす連中を、たとえ地の果てまで逃げようとも追い詰め、一人残らず殺し尽くす。そういう部隊でしたかね」
先輩は今日の天気でも話すような軽い口調で言ったけれど、その言葉の中身は、少しも軽くない。
盗賊や魔物を討伐する騎士団なら、私にも想像できる。でも、逃げた相手を地の果てまで追い、一人残らず殺す部隊。それは、私の知っている騎士という言葉からは、ずいぶん遠いものに思えた。
「……それで、遺跡にも?」
「ええ。反政府組織やら、よく分からない邪教集団やら、盗賊やらは、なぜかこういう薄暗い遺跡や洞くつなんかを根城にしたがりますからね。そういう連中の駆除のために、何度か潜らされました」
アリッサム先輩は、先ほどバーグラーの潜んでいた暗がりへ目を向ける。
「やはり、ああいう連中とネズミは似るものなのでしょうか? どちらも性根が腐っていて、薄汚いですし」
そう言って、先輩はくすりと笑った。
「駆除……」
「ああ掃討でも殲滅でも、お好きな言葉でどうぞ。やることは大して変わりませんので」
やっぱり、この人は元騎士団の幹部候補なのだと思い知らされる。
今までの言動から、どうしても忘れそうになるけれど……。
「怖く、なかったんですか?」
「怖かったですよ?」
意外なほどあっさりと、先輩は認めた。
「暗いし、狭いし、罠はあるし、魔獣は湧くし。おまけに追い詰められた人間は、そこらの魔獣よりよほど何をするか分かりませんからね」
そこまで聞いて、少しだけ安心する。
どうやら、アリッサム先輩のような人でも、怖いものは怖いらしい。
「まあ、最初に入口で火を焚いて、煙を送り込んでやるので、大抵の連中はそれで死んでいましたけど。潜るのはその後。生き残りを狩る時くらいでしたかね」
先輩は、こともなげにそう付け足しす。
安心したのは間違いだったかぁ。
「というかそもそも、怖い怖くないで職務放棄なんかできるわきゃないんですけどね! 命令違反は懲罰もの、悪けりゃ懲罰部隊送りですし」
急に声を張り上げたアリッサム先輩は、何故か少し誇らしげだった。
怖くても任務を遂行する。言葉だけなら、とても立派な騎士の心構えに聞こえる……その任務の遂行方法が、入口から煙を送り込んで中にいる人たちをまとめて燻し殺すことでさえなければ。
「逃げてきた人は、どうしたの?」
ヴァーナレクさんが尋ねる。
「斬りましたね」
「降伏した人は?」
「情報を吐かせたあと、斬りましたね」
「降伏したのに?」
「関係ありませんね。そもそも、それまで散々好き勝手をしてきたのです。ようやく自分の番が回ってきた。ただ、それだけでしょう」
アリッサム先輩は、記録用紙へ視線を落としたまま答えた。
「『その者が当然受けるべきものを与えること』──というやつです」
悪びれている様子はない。
かといって、楽しそうでもなかった。ただ、任務の手順を説明しているだけ。
入口から煙を送り込み、生き残って逃げてきた者を斬る。降伏した者からは情報を聞き出し、それから斬る。
そこには、怒りも憎しみも必要ないらしい。
「⋯⋯その割には、やり方がかなり過激ですね」
「命令が、皆殺しだったから?」
ヴァーナレクさんが続ける。
「当然でしょう」
ヴァーナレクさんの問いに、アリッサム先輩は顔を上げた。
「私たちに命じられていたのは、敵対組織の完全な殲滅です。それ以外のことは、何も命じられていません」
「降伏した人を、捕虜として扱えとも?」
「一度も。殲滅対象から除外しろとも言われていません」
アリッサム先輩は、何でもないことのように頷いた。
「その方が、ほら。後腐れがないでしょう? 色々と」
その言葉は、冷たいというより、ひどく乾いていた。
皆殺しにしてしまえば、確かに後腐れはない。
理屈だけなら、私にも分かってしまう。分かってしまうからこそ、怖かった。
そこに自分の気持ちを挟む余地など、最初からないらしい。それが騎士というものなのだろうか?それとも、アリッサム先輩のいた第四部隊が、そういう場所だっただけなのだろうか?
私には分からない。
「ん⋯⋯難しい話は、終わった? 終わったなら、こっちを手伝ってほしい」
イポメア先輩が、そう言いながらこちらへ歩いてくる。
その手には、天井のレリーフを写したらしい記録用紙が握られていたのだが……そこに描かれているものを見た瞬間、私は言葉を失う。
なんというか、とても前衛的であった。
胴体らしき歪な楕円から、太さも長さもばらばらな線が何本も生えている。頭と思しき部分には、牙なのか角なのか分からない突起が並び、その背中には、翼らしき何かが左右でまったく違う形に広がっていた。
天井の彫刻と見比べて、ようやく竜を描いたものだと分かる……いや、正確には、かろうじて竜だと推測できるナニカだった。
「⋯⋯ニルさん。あなた、将来は画家になれますよ」
「別に、目指してない」
「皮肉です」
アリッサム先輩が、深々と溜息を吐いた。
◇◇◇
第3958号大墳墓 沈黙の寝所──最深層
地の底とは思えないほど、その空間は明るかった。
天井は遥か高く、岩盤に走る無数の亀裂から、青白い光が滲み出している。陽光に似てはいたが、ここまで地上の光が届くはずはない。光源らしいものはどこにも見当たらず、ただ薄い靄に満ちた空洞そのものが、ぼんやりと発光しているようだった。
左右の岩壁からは、幾筋もの水が滝となって流れ落ちている。けれど、不思議なほど音がしない。水は確かに落ち、岩を濡らし、床を穿っている。それなのに、本来あるはずの轟音も、水滴の弾ける音も、耳へ届く前にどこかへ吸い込まれてしまう。
静かだった。静かすぎた。まるで、この場所では音を立てることそのものが許されていないかのように。
広大な空洞の中央には、岩を切り出して造られた幾段もの高台がある。崩れかけた石段と、自然の岩肌をそのまま利用した石組みとが複雑に入り交じり、神殿とも祭壇ともつかない形を成している。
そして、その最上段に──何かがいた。
その何かは祭壇の上に跪き、両手を組み祈っている。
静かに。ただ、静かに、祈りを捧げ続けている。
今は、まだ。
用語
バーグラー
大型のネズミのような魔獣。洞窟や下水道、遺跡、偶に家屋などに生息し、病気を媒介することもある。嫌われ者。
巨大な海蛇といった様相の魔獣。
『滄蛇』が討たれてからは徐々にその個体数を減らしてゆき、現在では片手の指の数で足りる程しか世界に現存していないとされる。
4枚羽の猛禽類といった様相の魔獣。
『黒翼』が討たれてからは徐々にその個体数を減らしてゆき、現在では片手の指の数で足りる程しか世界に現存していないとされる。
島ほどもある巨大な魚といった様相の魔獣。
『灰魚』が姿を消してからは徐々にその個体数を減らしてゆき、現在では片手の指の数で足りる程しか世界に現存していないとされる。
竜
寿命がなく、外的要因でのみ死亡する生物。
古くは世界の支配者とも呼ばれ、その圧倒的な力から神として崇拝されることさえあった。
竜は他の生物と異なり、世代を遡れば遡るほど強くなる。その為、子世代よりも親世代の方が遥かに強いという特徴を持つ。故に、古い時代に生きた竜ほど、文字通り規格外の存在となる。
率先して竜狩りを行なっていたアガベル家の報告によれば、最後に確認された竜は「ちょっと強くて大きなトカゲ」程度の存在にまで衰えてしまっていたという。