男女比崩壊社会で黒髪ツンツンお嬢様のペットになった俺、激烈に甘やかされる。 作:二見猟太郎
休日の昼過ぎのことである。
ご主人様は出不精なので用事がない限り外に出ようとはしない。今日もふたりの定位置となったソファーで、コーヒーを飲みながらまったりしていた。俺にしなだれかかる紗和はシャーロックホームズの映画を見ている。もちろん、かの名探偵も、名前は同じでありながら女性だった。
「ポチはどんなトリックが隠されていると思う?」
推理ものを鑑賞していても、ただ映像と物語を追うばかりで頭を使ったことがない俺は、そんなことを尋ねられて困り果てた。終盤に探偵が教えてくれるんだし考える必要ないじゃん。
適当に答える。
「ロウソクに紐を括り付けておいたら、そのうちロウが溶けて長さが短くなるじゃないですか、そうなると紐が抜けるので、時間差で扉を閉めて密室にできると思います」
「溶けたロウと紐が残るわよ」
「……くーんっ!」
「あら、いきなり甘えだして。誤魔化してるのね」
ご主人様の首に顔をうずめて鼻をこすりつける。くすぐったそうにしながら彼女は笑った。そのままの流れで耳にキスしたり、おでこにチューしたりしていると「いまは映画を観てるから後でね」と注意されてしまった。
大人しくソファーに座る。
紗和の手が俺の手を掴んで指を絡めた。
ふいに、インターホンが鳴る。
ご主人様がめんどくさそうに眉をしかめた。
「俺見てきましょうか?」
「お願いできる? 今日は休暇のはずだけど、瀬名さんなら教えてちょうだい。それ以外なら無視しましょう。配達物もないはずだから、アポのない訪問なんてどうでもいいはずよ」
インターホンのカメラ映像を見る。
そこには瀬名陽毬がいた。
一応こいつも瀬名さんではあるな。
娘だし。
「ご主人様、陽毬でした」
「……陽毬? 珍しいわね。どうしたのかしら」
ご主人様が映画を停止する。
こちらへ来て前髪を整える陽毬を見た。
「なんか約束したんですか?」
「いえ。してないわ。……とりあえず話してみましょうか」
通話ボタンを押す。
「どうかしたの、陽毬」
『あ、紗和。約束まだかなって思って聞きに来た』
「約束?」
『文芸部に入る代わりにポチを貸してくれるって言ったじゃん。忘れたの?』
「……そういえばそうだったわね」
ご主人様が白々しい顔をして淡白に答えた。たぶん覚えていたけど陽毬が何も言ってこないから放置していたんだろう。
陽毬が元気な声で言う。
『今から貸してよ。今日休みだし、あたし遊びに行く用事もないし。ママも友達と出かけてひとりで寂しいから』
「……」
『あれ、紗和〜、聞こえてる〜? お〜い!』
「……聞こえてるわ。少し待ってて」
通話を切る。
ご主人様が不機嫌そうな顔をこちらへ向けた。
「約束だもの、仕方がないわね。……ポチとゆっくりしていたかったけど我慢するわ。陽毬の隙をついて逃げたりしちゃダメよ。あの子バカだから心配だわ」
「逃げませんよ。安心してください」
「ほんとよ。約束なんだからね」
「わん」
紗和がリードを引いて俺をかがませる。頭を抱きしめてつむじの匂いを吸い込んだ。離れるときに顔を覗きこんで来たので、隙をついてキスをする。彼女は呆れたように笑った。
「それじゃあ行きましょうか。困ったことがあればわたしのところへ帰ってきてね。となりの部屋なんだから迷うことはないはずよ」
「わん」
玄関へ行く。
扉を開く。
陽毬が手持ち無沙汰を紛らわせようと手に持った文庫本を開いてフラフラしていた。文字を読んで眠りそうになっているらしい。棚から借りてきて数日経つはずだが、十ページほどしか進んでいないようだ。読書の才能がなさすぎる。
「陽毬、しゃんとして」
「ああ、ごめん紗和。この本眠くて」
「……あなたは漫画からはじめたほうが良さほうね」
「あー、たしかに! あたし漫画もあんまり読まないから。絵があるほうが分かりやすいよね! おすすめの漫画ある?」
「わたし漫画はあまり読まないの。今度、文芸部のみんなに訊いてみればいいじゃない。小谷内さんとかよく週刊漫画雑誌を読んでいるから詳しいんじゃないかしら」
「ほーん、おけー。今度聞いてみる!」
おもむろに手を差し出す陽毬。
ご主人様は苦々しい顔をして俺のリードを渡した。はじめてのおつかいをする子どもに言い聞かせるみたく、紗和はギャルに忠告する。
「勝手に外に連れ出さないこと。リードを離さないこと。困ったとこがあればわたしのところへすぐ来ること。ポチが嫌がることはしないこと。わかった?」
「うん、任せて! チューとかしていい?」
「構わないわよ。ポチが嫌がったら休ませてあげるのよ」
「うん!」
ええ!?
ぼく、ギャルとキスしちゃうんですか!?
これはワクワクしてきたな!
しかし俺は努めて冷静にご主人様を見つめる。離れ離れになるのにしっぽ振って喜んだら悲しませてしまうだろうし、むしろできるだけ切なげな表情を浮かべた。
紗和が俺の頬を撫でる。
「不安なの? 大丈夫よ、ポチ。陽毬はバカだけど乱暴者じゃないわ。……わたしに何かあったとき、ほかの人に預かってもらうこともあるだろうし、その練習だと思って頑張りなさい」
「……くぅん」
甘えて抱きつくとご主人様は愛おしそうに眉尻を下げた。よしよしと頭を撫で、頬にキスを落として離れていく。
「陽毬、ちゃんと見てあげてね」
「はーい。ほらポチ、いくよー」
リードをぐいぐい引っ張られる。
俺は揺れるギャルのケツを追いかけた。
突然ギャルが立ちどまる。
振り返り紗和のもとへ戻った。
「紗和、メッセアプリの連絡先教えて」
「……なぜ?」
「ポチのことで連絡したいとき困るから」
「……電話番号知ってるでしょ?」
「メッセのほうがはやいじゃん」
「ショートメッセージでもいいじゃない」
「あんまり使ったことないからやだ!」
「……はあ、わかったわ」
ご主人様がしぶしぶスマホを取り出す。
ギャルはご満悦だ。
鼻の穴がぷっくら膨らんでいる。
「それじゃあ、ポチを返すときに連絡するねー」
「ええ、よろしく」
「ポチ〜、いこ〜」
さきほどよりも軽快な足取りのギャルに連れられていく。