水と歩むグルメ旅行 作:美しいと思ったんだ
ヨークシンシティに存在するとある店。店員も客も質のいい衣服で着飾っている高級レストランでは、全ての人々が一つのテーブルを視界の端に捉えながら息を潜めていた。
「ここ美味いなぁ」
皆の視線の先にいるのは、白髪に空色の瞳をしている少年。服はレストランの雰囲気に似合わない安っぽい服装で、携帯を片手に最高級ステーキを食べている。
そんな少年の前に居る──いや
「ティフォンはどう思う?」
少年にティフォンと呼ばれた水は、器用に身体を伸ばして◎のジェスチャーを行った。その様子を見ていた厨房の料理人は、早鐘のように鼓動する心臓が収まっていくのを感じつつ、額に流れる汗を拭いながらホッと一息を付く。
「じゃあここはお気に入りね」
ティフォンはもう一度◎を形作った。よほど気に入ったのだろう、少年へと何かを訴えるように動きを止める。
「いやぁ、俺も食べてみたいけれど金が無いよ」
瞬間、周囲の人々の背筋を悍ましい寒気が走った。まるで空腹の猛獣の前に放り出されたような、自身の心臓を鷲掴みにされているような、そんな感覚。
「だからダメだって。そういうのは悪い人だけにしないとまた凍らされちゃうよ?」
少年の言葉と共にティフォンの身体が震え始め、周囲の人々を襲っていた寒気は影も形も無くなった。
「そんなに怖かったんだな……」
震える水で◎を作り、震えた身体を隠すように机と椅子の影へと隠れてしまった。
「まあ俺がいる限り大丈夫だよ。さ、隠れてないでそろそろ帰ろ」
少年が立ち上がるとティフォンは丸くなり、小動物のようにぷるぷると震えながら彼の肩へと乗っかった。
「そんなに震えなくても大丈夫だって」
彼はそう言いながら、会計のためにレジの前へと歩き始める。そのことに気が付いた店員は瞬時に目配せをしあい、何かに負けた男性店員が少しだけ肩を落としながらレジへと入った。
「お会計56000ジェニーになります」
「はい。……これで」
プロとしてなのか、一切の動揺も震えも見せずに笑顔で対応する店員に、その場にいる人々は心の中で拍手を送る。なにせ少年の肩には得体のしれない水があるのだから。
そんな周囲の反応を気にしていないのか気が付いていないのか、少年は服装に似合わない質のいい財布からお金を取り出して受け皿へと乗せる。店員は素早く会計を済ませると、お釣りを皿の上へと丁寧に乗せた。
「本日はお越しいただき、誠にありがとうございました」
店員はお手本として教科書に載るべきだろう美しいお辞儀を披露する。
「いえ、こちらこそありがとうございました。今度はちゃんと予約してから来ます」
それに対し、少年も拙いながらもお辞儀をして感謝を示した。ティフォンも真似ているのか、心なしか丸っこい水の身体がお辞儀をしているように見える。
店員は背を向けて出入口へと歩き始めた小さな背中へと、ついいつもと同じ定型句を口に出してしまう。
「またのお越しをお待ちしております」
その場にいる全ての人々の顔が引きつった。口にした店員さえも。
****
少年は月明りの照らす街の中を歩きながら、震える丸いティフォンを手のひらの上に乗せる。
「……ティフォン、大丈夫だから落ち着いて。ここにティフォンを凍らせたやつはいないからさ」
『わわわわわわからららなないないないだろろ!』
脳内へと何かが送り込まれてくる感覚と共に、男性とも女性とも取れない中世的な声が脳内で響いてきた。声はとても震えており、相当ビビっていることが分かる。
「いや、ティフォンを凍らせて消滅させれる生物がこの大陸にいるのなら、既に人間は滅んでるよ」
『た、確かに……!』
「それにもしいたとしても、俺たちならもう負けないよ。そもそもティフォンにはもう効かないでしょ?」
『そ、そうだよ! あんにゃろうの氷なんてもう効かないんだ! 勝った! 勝ったよレディス! アハハハハハ!!』
ティフォンの笑い声が脳内で響いてきて、少年──レディスも釣られて笑みを浮かべる。
震えは止まったみたいだけれど、またいずれこんな感じに震えるんだろうなぁ。このやり取りも何回やったか分かんないし。
「そんじゃ、まずは金を稼ごうか。次の飯のために」
未来の震えるティフォンの事は置いておいて。それよりも大事なのは飯だ。そのためには金が必要だが、店へ入る前に襲ってきた黒服の財布の中身を確認すると、残りは数千ジェニー程度しかない。入っていた6万ジェニーはさっき使ったから当然だが。
『さっきの店の料理を制覇するまではあそこに行くからな!』
「もちろん。俺も全部食べてみたいしね」
店の料理を想像したのか、機嫌よさげに歌を歌い始めるティフォンを肩に乗せて、レディスは空に光る丸い月を見上げる。
前世とほとんど変わらない月。だが世界の様相は明らかに違っていた。
(まさか超能力がある世界とはなぁ)
ティフォン曰く、生物は等しく美味しいエネルギーが湧き出ており、そのエネルギーを利用して様々な超能力じみた現象を引き起こせるらしい。実際に自分でもできたし、同じように超能力としか説明できない現象を引き起こす人物もいた。
さらにティフォンが元居た場所にはティフォンの同族やティフォンを凍らせれる化け物の跋扈する地域があって、そこにある食材は全てとてつもなく美味いらしい。
(めちゃくちゃ美味い米っぽいのもあるらしいし、俺もいつか行ってみたいなぁ)
そんな米を炊いて食ったらどれだけ美味いのか。肉も美味しいらしいから、それで丼物、チャーハン、はたまたカレーを作れば……!
(絶対に行くぞ、ティフォンにの言う美味しいだらけの楽園に)
『ふんふんふーん♪ ……ん? どうしたの?』
レディスは肩にいるティフォンへ視線を移す。ティフォンは肩の上で機嫌よさげにぽよぽよと動きながら、何の曲か分からないが鼻歌をしていた。鼻は無いけれど。
「……いや、どうやってお金を稼ごうかと思ってさ」
『悪いのから貰おうよ! ……ほら、あれとかどう?』
ティフォンが細長い水で指したのは、どこからどう見てもただの一般人。悪事なんて一度もしたことありませんよって感じの顔つきをした中肉中背の男性だった。ただ超能力が使える人のように美味しいエネルギーが身体から湧いているのが見える。
「あれかぁ。なんか悪そうなの?」
『人を食べてるよ! 同族を食べるのは悪いことでしょ?』
「あー、そういう感じね」
見た目では分からないが、どうやら食人をしているやべェ奴らしい。この手の判断をティフォンが間違えたことはないので、食べているというのは本当だろう。
『あっ、どっか行っちゃうよ!』
相談している間に食人鬼(仮)が動き出した。ティフォンに急かされて、気配を消すように心を落ち着かせながら尾行し始める。
『ご飯ー! 待てー!』
「あんまり美味しくなさそうだけど……?」
『食べてみなきゃ分からないよ?』
「……腹は壊さないようにね」
『腹? なにそれ?』
****
尾行してから数分が経った頃、食人鬼(仮)は周囲をきょろきょろと見回してから一つの家屋の中へと入っていった。
鍵を使って扉を開けていたので、恐らく食人鬼の家なのだろう。
もしくは
考えても分からないので、とりあえず家の中へ入ることにする。
「うわくさっ」
木製の扉を開けた瞬間、暗い廊下の奥から濃厚な死臭がブワッと外へと噴き出してきた。それが人間なのか他の生物なのかは分からないが、普通なら死臭漂う家で過ごそうとは思わないはずなのであいつは間違いなくクロだ。だが1つ疑問に思うことがある。
「……この匂いが扉を開けるまで出てこなかったのか」
身体に付着したという感じの臭いでは無かった。間違いなく臭いの大本がこの家の中にあるはず。なのにもかかわらず、周囲の家屋は警察に通報をしていなさそうだし、自分たちですら扉を開けるまでは臭いに気が付かなかった。
(密封されてる? 家が? さすがにあり得ないだろ)
もし密封されているとしたら、少し換気をミスったら窒息死ってことになる。そんな家に住みたいとは思わないだろう。ならば。
(超能力か。家から臭いを出さないようにする、または密封する能力か?)
それならば臭いが一切外へ漏れださない理由にも説明がつく。だとしたら少し面倒だ。
(この手の超能力の効果が"外部に臭いを漏らさない"だけなわけがない。絶対に何かある)
だとしたらなんだろう? そう考えながら試しに家の中へと足を踏み入れると、バタンッ! と勢いよく背後の扉が独りでに閉まった。同時に暗かった廊下の電気が手前から奥へと順番に付いていく。
明かりに照らされた家の中は、普通の一般的な家屋と言った内装だ。手前の左右には二つの扉があり、その少し先には右に階段と反対側に扉が見える。
「あー、そういう感じか」
状況を把握していると、閉じていたはずの右側の扉がキィと音を立てながらほんの少しだけ開いた。まるで最初はここに入りなさいと言っているかのように。
「ホラゲーだな、これ」
『ホラゲー?』
「ゲームだよ。お化けとか幽霊のいる場所から脱出するゲーム」
『ふーん』
これがあいつの超能力なのだろう。試しに背後の扉を確かめるが開きそうな様子はない。無理やりやれば開きそうではあるが、破壊した際に何が起きるか分からないのでやらない方が良いだろう。
(出入口が閉まって代わりに扉が一つ空いたってことは、これに沿っていけば脱出できるのかな?)
できることならば真っ当に脱出するべきだろう。ただ念のため力づくでの脱出も考えておかなければ。そう思ってティフォンに視線を移すと、いつの間にか壁に張り付いていた。壁が徐々に溶けているので食べているのだろう。
「ティフォン、それ美味しい?」
『びみょー!』
「微妙、か」
ティフォンの味の好みからして、家屋に使われるような木材は好きじゃないはず。なのにもかかわらず"微妙"ということは、好物の不思議エネルギーが少しだけ流れているのか?
「ティフォン、最悪はこの家を全部食べたりできる?」
『やだ!』
「だよねぇ」
そりゃあ家サイズの微妙な味の物を食べつくすのは嫌だろうな。となると正規の方法で脱出するしかないか。無理やり脱出しようとしたら死ぬ可能性もあるっちゃあるし。
「それじゃあ一緒に謎解きゲームでもしよっか」
レディスはティフォンに呼びかけてから、まずは入ってくださいと言わんばかりに少し開いている扉へと近づいていく。
(さて、できれば金目の物があればいいんだけれど。悪人からなら奪っても心は痛まないし)