スクラップ・ララバイ - Cyberpunk2077 作:imamo
五月に入ったばかりだというのに、出来すぎの熱だった。砂漠はもう、夏の稽古を始めていた。
昼の熱が、いちばん高いところにいた。
自動弁が閉じたまま死んだせいで、ポンプの吐いた圧は行き場を失って、配管の中で暴れていた。継ぎ手が一つ噴いて外れ、濡れた土がたちまち蒸気の匂いを立てる。五月初めの砂漠は、水を撒いた先から乾かしていく。
一族総出の配管仕事になった。ミッチはポンプ側で元の圧を絞り、エミリーは桶の列を仕切り、パナムは貯水塔の下で配管を担いで走った。テディは配管の束を肩に担いで走り、キャシディは子どもらを暴れる配管から遠ざける役をやっていた。年寄りの仕事じゃないと本人が言い、年寄りにしかできない目配りだった。
ソウルは動かなかった。動かないで、全部を見ていた。水の行き先を決める人間は、手を濡らすより先に、目を配る仕事がある。騒ぎの真ん中で、ソウルの声だけが、残りを数字にしていった。飲み水が、人数かける四日。調理と洗いで一日半。あの人の緊急時は、いつも算数から始まる。算数の答えが出るまでは、ポンプを止めるかどうかも決めない。
桶の列は、貯水塔の陰から試験区画の縁まで、緩い弧を描いていた。エミリーの声が拍を取る。回せ。持って。戻し。水を張った桶は、重さで喋る。受け手が一拍遅れると、縁から今日の何口分かが零れて、砂が即座に飲んだ。零した子は謝らない。謝る息で、次の桶を受ける。列の速さは、いちばん遅い手に合わせて決まっていた。速さより、続くことを取る速さだった。
「貯水塔の元弁を、手で締める」ミッチが叫んだ。「圧を上から殺す。ユキ、上れるか」
「上る」
その前に、やることがあった。あたしは肩の袋の遮蔽箱に、口早に言った。
「スキッピー。センサーが要る。どこの圧がいちばん危ないか、上から見ながら教えてほしい」
『確認する』箱の中の声は、落ち着いていた。『使うのは、光学測距と、無線受信だけ。送信は切ったまま。……この範囲で、いい?』
「いい。停める時は、あんたが停めて」
『了解。停止の判断は、僕が持つ』
第五夜と同じ接続で、第五夜と正反対の手順だった。命令じゃない。あいつが範囲を出して、あたしが要る分だけ受け取る。決めるのに、十秒もかからなかった。十秒を惜しんで、あたしは一月前、全部をこじらせた。
*
貯水塔は、濡れて、熱かった。
風車の骨組みを伝って、塔の横の梯子に取り付く。噴いた水を浴びた鉄は、掌の下で滑って、日の当たる面は火傷しそうに熱い。濡れた靴底で一段ずつ確かめながら、あたしは天辺の元弁に取り付いた。
高さは、怖くなかった。落ちる危険は、銃声と違う棚に入っている。仕事の危険は、手順で薄められる。手順の効かない危険だけが、あたしの膝を落とす。
ハンドルは、固かった。半回転で腕が悲鳴を上げた。
『USER、北の継ぎ手』肩の袋から、スキッピーの声が飛ぶ。『振動の周期が短くなってる。あと二分で、あそこも噴く。……先に四分の一だけ戻して。全閉はまだ駄目、下でパナムが管を抱えてる』
「四分の一、了解」
見えない場所で高まる圧を、あいつは振動の変化から読む。あたしの腕が、それを弁に伝える。北の継ぎ手が噴く前に、ミッチが下で圧を逃がした。
『それと、USER。右手のグリップ、握り込みすぎ。振動で測距がぶれる』
「……直した」
『読み、安定。ありがとう』
道具に指摘されて、道具の側が礼を言う。どっちがどっちだか分からない仕事だった。分からないままで、ちゃんと回っていた。
二人と一挺で、配管一系統ぶんの目と手が回る。役に立つところを見せたかった、なんて一月前の欲が、恥ずかしくなる速さだった。役に立つかどうかは、見せるものじゃない。回るかどうかだ。
地上では、キャロルがもっと厄介なことをやっていた。
「遠隔の停止命令はね、外の回線につなぎに来るんだよ」端末を叩きながら、キャロルが吐き捨てた。「つなぎに行かせない。先月キャッシュした気象の型と、手動の配管で回す。企業のサーバに、お伺いは立てない」
言いながら、キャロルは制御器の背面カバーを開けて、外部回線の線を、ニッパーで物理的に切り落とした。
「線ごと切るのが、いちばん確実な暗号だよ」
切られた線の先は、それでも丁寧に巻かれて、部品箱に仕舞われた。切ったものも、いつか戻す日の形で。うちの流儀は、怒っている時でも変わらない。
スキッピーの測る圧と、キャロルの手元の型と、家族の手。三つを繋いで、灌漑系を、遠隔停止の手の届かない形に組み替えていった。
*
全部は、救えなかった。
貯水の残りを見て、ソウルが線を引いた。
「飲み水と、調理と、洗いの分を先に取る。残りで賄える列だけ生かす。東の三列は——諦める。水を、人に残す。それでいい」
誰も言い返さなかった。言い返せる数字じゃなかった。
エミリーが一度だけ、東を見た。あの子の受け持ちの列は、西の生き残りに入っていた。安堵と後ろめたさが、同じ顔の上で場所を取り合っていた。誰も、その顔を責めなかった。全員が、同じ顔をどこかに持っていた。
あたしは塔の上から、東の三列が午後の熱の中で萎れていくのを見ていた。奇跡は起きなかった。企業のライセンスは、悪役の指図なんかなしで、期限どおりに切れて、期限どおりに苗を枯らした。あたしたちにできたのは、被害をどこで止めるかを、自分たちで決めることだけだった。
夕方、水が細く、でも確かに、生き残った列を巡り始めた。
西の列の根元に最初の水が届いた時、肩の袋で、聞き慣れた達成の音が鳴りかけた。
『タスク完了——』
音は、途中で切れた。
『……今のは、場違いだった。取り消します。完了じゃない。三列、枯れてる』
あたしは弁のハンドルに手を置いたまま、少しだけ黙った。場違いを場違いと分かる機械に、かける言葉の在庫が、すぐには見つからなかった。
「……救えた列の水音は、聞いててもいいよ」
『うん。それは、聞いてる』
水音は、夜まで細く続いた。生き残った列の分だけの音だった。あいつはそれを数えて、今日の帳簿を付け直していた。完了じゃない数え方を、あいつは今日、一つ覚えた。
夜、残った通常の備蓄で、簡素な温食が作られた。豆と、保存肉と、焦げた平焼き。器を配ったのはエミリーだった。あたしの番で、あの子は一度だけ口を開きかけて、やめた。
「東の三列は、あんたのせいじゃない」あたしは先に言った。「あんたの列が生きてるのも、あんたのせいじゃない。水の行き先は、水の量が決めた」
「……分かってる」エミリーは次の器を、隣の子に渡した。「分かってるのと、平気なのは、別だけど」
あの子の帳簿は、あの子が付ける。
あたしは東の三列に背を向けて座って、最後まで食べた。うまかった。うまくていいのかは、考えなかった。考えても、明日の仕事は減らない。
スキッピーのスピーカーは、皿の中身を読み上げなかった。約束は、生きていた。
代わりに、あいつは一つだけ訊いた。
『それ、うまい?』
「うまい。今日のは、特に」
『今日の豆と、昨日の豆は、同じ豆だよ』
「同じ豆でも、今日の身体が違う」
『……記録します。味は、身体とセットの数字』
セットの数字。悪くない整理だった。
*
食後、あたしは枯れた列の端に立った。
萎れた苗の根元の札には、企業のロゴと、ライセンスの管理番号が印字されていた。生きている列の札にも、同じ印がある。
『USER』肩の袋から、スキッピーが静かに言った。『あの苗にも、企業の印がついてた。僕のフレームにも、ついてる。保守の署名。所有者の欄。……僕らは、同じ?』
「植物とあんたが同じかは、分からない」あたしは札から目を離さなかった。「でも、企業が印をつけたものが、遠くから勝手に止められる。そこは、同じだ」
『じゃあ、僕も、いつか』
「させない」
言ってから、その言葉の軽さに、自分で気づいた。今日、あたしたちは三列を守れなかった。守る、はあたし一人の口から出せる重さの言葉じゃない。
「……あたし一人じゃ、無理だ」言い直した。「だから、家族で守る。あんたの停止の鍵は、あんたが持つ。それを取り上げようとする手が来たら、みんなで払う。それなら、言える」
『家族で』スキッピーは、その言葉を一度だけ転がした。『記録します。空欄の隣に』
その夜、匿名の一件が、また届いた。
差出人の欄には、前と同じ、終わったはずの回収案件の日付。今度は文字じゃなく、短い音声ファイルだった。
一度は、独りで聞きかけた。端末を耳に近づけて、再生の一歩手前で、指が止まった。この形には、覚えがある。あたしが一月続けて、全部をこじらせた形だ。
あたしは端末を持ったまま、遮蔽箱の前に座り直した。二人で聞いた。隠し事の帳簿は、もう増やさないと決めていた。
再生すると、スキッピーの声が流れた。
いや——違う。スキッピーの声に、よく似た何かだった。鼻歌の崩れも、砂の噛みもない。継ぎ目のない、綺麗な発音の。
『戻っておいで』
それだけ言って、ファイルは終わった。
遮蔽箱の中で、あたしのスキッピーは、長いこと何も言わなかった。
『……今の、僕の声だ』やっと、あいつは言った。『でも、僕は、言ってない』
「うん」
『あっちに、いるの? 僕の、綺麗なほうが』
あたしは、持っていない答えを、持っているふりで返すのを、やめると決めていた。
「分からない」あたしは言った。「でも、確かめる。二人で」