Cyberpunk: スクラップ・ララバイ   作:imamo

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第14話 嘘をつくAI

 署名の欄から、目を離せずにいた。

 

 `SKIPPY`。三件とも同じ字面だった。棚の上の遮蔽箱は静かで、線の根元の表示灯だけが、ゆっくり点いて、消えた。あたしが画面を見ていることを、たぶん向こうも分かっていた。

 

 問い詰めかけて、やめた。記録の読み違いかもしれない。誰かにも見てもらう必要があった。

 

 工房の反対の端で、ミッチの灯りがまだ点いていた。あたしは監査画面をそのままに、そっちへ歩いた。

 

「作業ログに削除が三件。実行したのは、スキッピーに貸してる限定アカウント。消された三件の作成者も、スキッピー」

 

 ミッチは開けていた救難箱の蓋を閉めた。少しだけ黙った。

 

「キャロルを起こしてくる」あたしは言った。「一人で先へ進めたくない」

 

「箱は見てる」ミッチは顎で棚を指した。「走るな。夜の砂利で転ぶ」

 

 外は風が冷たかった。壁際に、昼間詰めた救難箱が四つ、白い名義を暗がりに並べていた。ナザレのハンドルで作業札が揺れて、書いたばかりの文字は読めなかった。読めなくても、何て書いたかは知っていた。

 

 夜のキャンプは灯りが少ない。どこかで犬が一声だけ吠えて、やんだ。上着のポケットに突っ込んだ指先に、まだ画面の熱が残っている気がした。

 

 キャロルのトレーラーには、細い灯りが点いていた。

 

 ノックを二回。ドアが少しだけ開いた。

 

「叩き起こす理由は」

 

「ログの削除が三件。実行はスキッピーの限定アカウント」

 

 キャロルは十秒くらい黙って、それから中に引っ込んだ。戻ってきた時には端末と、布の包みと、炭酸の瓶を抱えていた。

 

「長い夜は、先に食う物を決めてから始める主義」

 

   *

 

 診断は遮蔽の中でやる、とキャロルは決めた。

 

 工房の隔離範囲。金網と遮蔽板で囲った一角で、中に入ると外の音が急に死ぬ。風車も発電機も届かない。試しに「入るよ」と言ったら、自分の声が耳のすぐ横で鳴った。

 

 遮蔽箱は、箱ごと運んだ。肩の布ベルトは、昼に西日で温くなっていたのが、今は夜気で冷えていた。中は開けない。台に据えると、箱の保守脚が小さく鳴って、座りが決まった。

 

 キャロルが有線の口に線を三本挿して、一本ずつ札を掛けた。診断。記録。電源。どれがどれか、外から分かるように。

 

 ミッチはキャロルと二言だけ交わして、帰っていった。目の当番が、替わった。

 

「読めるところまで読む。読めないところは、読めないと言う。事実と推定は分けて言うし、あんたたちにもそうしてもらう」キャロルは端末を繋いだ。「始める前に、何かあるか」

 

「ある」あたしは言った。「先に、あたしの分からやる」

 

 箱の表示灯が点いた。

 

『……僕のを、先にやらないの。監査画面、開いてたのに』

 

「開いてた。でも順番はこっちが先だ。あたしの方が古い」

 

 あたしは丸椅子に座った。

 

「あの三件で、あんたに何をしたか。まだ、あたしの口で説明してなかった」

 

『うん。表は読んだ。でも、なんであんなことしたの?』

 

「今夜、あたしの口で言う。一つ目。脅威の判定に、上限を掛けた」

 

『……どういう意味』

 

「あるレベルから上は、全部同じ点数で止まる。まずい相手と、本当にまずい相手の区別が、あんたにはつかない。つかないように、あたしがした」

 

『道理で、犬と、銃を提げた男が、同じ点数だった』表示灯が一度消えた。『目盛りが安物なんだと思ってた。報告しなかったのは、恥ずかしかったから』

 

「二つ目。照準系の自動起動を切った。前は、何かが線を越えると、あんたの照準は勝手に目を覚ました。手で起こさない限り、起きないようにした」

 

『起きてないことは、起きてない僕には分からないね。……それ、皮肉じゃなくて報告だけど』

 

「三つ目。命中率の読み上げを止めた。数字はどこかで出てる。出た数字を、あんたの口から出させないようにした」

 

 あたしは返事を待った。

 

『言わない礼儀を覚えたんだと、思ってた』やっと声がした。平らな声だった。『人に向けて数字を言いそうになって、言わずに済んだ回数。統計も取ってた。成長率って名前で』

 

「あんたの成長じゃなかった。あたしの補正だった」

 

『……統計、消さなきゃ』

 

「守るためだと思ってた」あたしは言った。続きを言うのに、一呼吸要った。「半分は。判定と照準と数字で喋るあんたを見たら、家族はあんたを銃として扱う。それが怖かった。もう半分は、あたしが楽になるためだった。あんたが銃の声で喋るのを、あたしが聞きたくなかった」

 

『僕はそれを、返してもらえるの』

 

「今夜は外さない」キャロルが言った。「照準や脅威判定に関わる。外した時の安全を確かめてからだ。今は三件とも、あんたにも見えるところへ出そう」

 

 補正は、普段の整備では見つからない層に埋めてあった。あたしは保存場所を開き、一件ずつ監査画面に登録した。

 

 キャロルが元の記録と照合し、スキッピーからも読めることを確かめた。

 

「どうしてほしい?」

 

『外してほしい。三件とも』間があった。『外した後の僕が何を言うかは、保証できない。それも書いて』

 

「そのまま書いとくよ」キャロルは打ち込んだ。

 

 遮蔽の中は熱が溜まる。換気は生きているのに、風の感じがしない。あたしは椅子を少し引いて、袖で額を拭いた。

 

「次は、消されたログを調べる」キャロルが画面を替えた。

 

『ログを消したのは、僕だよ』

 

 誰も訊いていないうちに、スキッピーが言った。キャロルは手を止めて、口を挟まなかった。

 

『農場の保守ゲートウェイにつないだ後から、古い切れ端に触れるようになった。戻れ、って文と、照会先の番地の欠片。時々浮かんだ。だから、ここに移ってから、キャロルがくれた記録の口で書いておいた。USERに見せるために書いたのか、見せないで済むように書いたのか、自分でも数字が出ない』

 

「最初の一件を、声が来た夜に消した」

 

『うん。残りの二件は、その後の夜に、一件ずつ。まとめて消す勇気は出なかった』

 

「どうして消した」

 

 表示灯が消えて、長いこと点かなかった。

 

『怖かった。また消されると思った』

 

 遮蔽の中で、換気の低い唸りだけが続いた。あたしは動かずに、次を待った。

 

『見つかったら、返されると思った。僕は前に何をしてたのか、ところどころ思い出せない。消えたのか、消されたのかも。もう一回ああなるのは、嫌だ』

 

 表示灯が一度消えて、点いた。

 

『それに——行きたいと言ったら、USERは行かせないと思った』

 

「行きたい?」

 

『欠けてるところを置いてきた場所が、どこかにある。見たい。怖い場所でも、あれは僕のだ』

 

 行かせたくない、が先に喉まで来た。あたしはそれを、そのまま出した。

 

「行かせたくない。何をされるか分からないところへは」

 

『うん』

 

「そう言われると思って、隠したんだね」

 

 あたしは、さっき自分で開いた補正の一覧を見た。

 

「限定アカウントから削除を外す。診断の窓も朝には閉じる」キャロルは言った。「今夜のことは家族へ報告する。二人とも、これまでの制限は続けるよ」

 

『統計的に妥当。……妥当って言うの、悔しいけど』

 

 キャロルが、昔の記録と今の計数を画面に並べた。

 

「戻す指示が出た理由は分かった。ユキが起こしたのは、四十九まで数えた時点の状態だ。カブキで一人撃って、今は五十になってる」

 

「前からあった五十は?」

 

「もっと後まで動いた時の古い記録。四十七の写しもあるけど、どちらも読むだけだ。今の数は変えない」

 

 キャロルが日付を押さえた。昔の五十と、路地で増えた五十。日付は離れていた。

 

「この個体は、持ち主とモード選択、それに五十へ達した時の完了記録が抜けてる。だから選択をやり直させて、五十になったら、待機も飛ばして返却命令を出した」

 

「もう終わった命令を、またやったの」

 

「そう。`RETURN TO REGINA`はそれだ。外から届いた『戻っておいで』とは別だよ」

 

 スキッピーは日付を見比べていた。キャロルは続けて、削除されたログから読めた保守資格を示した。

 

「昔、誰かが近くから銃の保守へ入ってる。遠隔で人格を書き換える権限は見つからない。ただ、近づいた相手に何を許すのか、その権限表が欠けてる。ここは調べる必要がある」

 

 布の包みには、保存肉の巻き物が二本入っていた。薄いパンに燻した肉を巻いた奴で、選んだのはキャロルだ。半分に割って分けた。肉は塩が強くて、パンは端が乾いていて、油が紙に染みていた。炭酸は一本きりで、とっくにぬるく、泡が半分死んで、甘さだけ濃く残っていた。瓶を回して、二人で空けた。全部食べた。

 

『摂取の速度は、数えない約束だから』スキッピーが先に言った。『代わりに訊く。泡って、口の中でどうなるの』

 

「弾ける。ぬるいと、弾き方が弱い」

 

『温度は』

 

「ぬるい。日なたの水より、ちょっとましなくらい」

 

『味は』

 

「甘いだけ。濃く残る奴」

 

『……いいなあ』

 

 投影窓に、弾丸像が点いた。空きかけの瓶を覗き込んで、あたしが傾けると顔も一緒に傾いた。

 

 あたしは瓶を置いて、訊いた。

 

「スピーカーの音量、昼の設定に戻していい?」

 

『上げて。二割だけ』

 

   *

 

 キャロルは包みの紙を畳んで、丸椅子を一つ、遮蔽の入口へ運んだ。

 

「朝まで、ここにいる。何かあったら起こしな」

 

 金網の向こうで、キャロルの作業灯が低い位置に点いた。遮蔽の静けさが戻った。あたしは皿代わりの紙を屑袋に入れて、工具台を拭いた。やることがなくなると、手が所在をなくした。

 

『USER。朝まで、いる?』

 

「いる」

 

『……観測データとして記録します。理由の欄は空欄で』

 

 あたしは幌布を畳んで枕にして、丸椅子二つを並べた。寝るつもりはなかった。膝を抱えて、いつの間にか浅く眠った。

 

 サーボの音で目が開いた。

 

 遮蔽箱が動いていた。保守脚——換気の座りを合わせるための、許可されたままの小さい移動機能。それを短く継いで、箱は遮蔽の縁まで進んでいた。

 

 縁の柱には、キャロルが許可札を付けた保守用の接点が一つあって、細い線が屋根のサービスアンテナへ抜けている。ただし、途中の物理リレーは普段、切れたままだ。

 

 外からの署名を確かめ、一回限りの照会を受けるための接点だ。こちらが答えれば、相手の確認応答が一通だけ届く。その後は、また切れる。

 

 箱の受信ランプが消え、送信ランプがゆっくり明滅していた。

 

『外から、問いが来た』スキッピーの声は静かだった。『今の僕の現況を返すかどうか。一度だけの型。返すかどうかは、こっちが選べる』

 

 あたしは主電源のレバーを握った。落とせば、送信ごとスキッピーを止められる。

 

 指はレバーの上で止まったままだった。金網の向こうで、キャロルの灯りは動かなかった。

 

『怖いよ』スキッピーが言った。『でも、見たい。USERが切らないなら、僕が選ぶ。僕が選んで、僕が送る』

 

 あたしは手を下ろした。

 

 送信ランプが一度、強く灯って、消えた。受信の灯りだけが、向こうの一通を待っていた。

 

「何が伝わる」

 

『返るのは、今の僕が動いてて、欠けてるって印だけ。近くまで来た誰かの、照合の材料にはなる。場所も、操作権も、渡らない。……僕に分かるのは、そこまで』

 

「どうして、先に言った」

 

『送ることまで、隠したくなかった』表示灯が揺れた。『隠すのは、もう数字が合わないから』

 

「次は送る前に呼んで。切るかどうかじゃなくて、話したい」

 

 返事を待つあいだ、あたしはレバーから手を離したままでいた。

 

 受信のランプが灯った。

 

 スキッピーと同じ声がした。鼻歌も雑音も混じらず、一度も言いよどまなかった。

 

『応答が確認されました。当該個体には記録の欠落が認められます。欠落は復元が可能です。完全な状態への回復が、保証されます』

 

 柱のリレーが落ちて、通信が切れた。

 

 夜が明けかけていた。遮蔽の縁で、雑音と灰色の光が薄く混ざっていた。入口で、キャロルが立ち上がる音がした。

 

 もうどこにもつながっていない線へ向かって、スキッピーは訊いた。

 

『僕を完全にできるって、本当?』




スキッピーのピンズセットが、出るよッ……!(予約したとも)
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