スクラップ・ララバイ - Cyberpunk2077   作:imamo

19 / 19
第三部 遂行
第19話 索引


『こんにちは、使用者様』

 

 声は、それきり切れた。

 

 澄んだ立ち上がりが、澄んだまま終わった。あとには空調の低い流れだけが残って、部屋は元の平らさに戻った。静けさが戻っても、耳の奥にはあの声が残っていた。綺麗すぎる音は、砂を噛んだ音より長く残る。

 

 あたしは、声の出た場所を目で探した。天井に近い壁に、細長い格子がひとつある。音はあそこから来ていた。台の上の殻からじゃない。殻は外から試験の線を受けたまま黙っていて、古い面の二行も、そのままだった。格子と殻を、二度、見比べた。声の質だけで言い切れることは、ひとつしかない。今のスキッピーが、今しゃべった声じゃない。それより先は、出てこない。

 

 過去の二度と同じように、砂を噛む継ぎ目がなかった。話し始めに言葉を探す、あの半端な間も、鼻歌の迷いもない。最初の夜に交わした約束どおり、分からないところを、分かった顔で埋めない。こんな部屋でも、それならできる。

 

 台までは、歩いて十歩ほどの距離だった。

 

 一歩、足を出してみた。足元で床が灯った。細い光の線が一本、あたしと台の間へ走った。二歩目を出す前に天井で短い駆動音がして、整備用の機体がこちらへ向きを変えた。線は光で、機体は天井にいる。壁の類は、あたしと台の間のどこにもない。越えれば届く距離だということと、越えるなという意味を、同じ線が言っていた。

 

 足を戻した。線は消えて、機体は向きを戻した。

 

 線の灯る場所の手前が、いまのあたしに許された一番近くだった。移送の車では額で確かめられた弱い熱には、ここからは届かない。続いているとも、消えたとも、いまは決められなかった。

 

 部屋の覚え方を、変えることにした。数え上げず、動くものを待った。台は時々、装置側の都合で微かに震えた。隅の古い自販機は、思い出したように低い冷却音を立てて、また黙った。灯る床線や向きを変える機体と違って、その二つはあたしを見ていない。こちらと関係なく動く音があるだけで、閉じた部屋にも時間は流れた。

 

 吸って四つ、吐いて四つ。

 

 手首の痕はまだ熱を持っていた。指を全部開いて、閉じて、また開いた。後ろで組まされていた肩を、片方ずつ回す。長く座っていた膝は、伸ばすと骨の音がした。痺れの抜けた指で、袖の折り目を直した。直せるものが手の届く範囲に一つでもあると、呼吸は数えやすくなる。扉の錠の型を考え始めた頭を、呼吸の数へ連れ戻した。いま要るのは出口の当てじゃなく、この先の数分を扱える身体のほうだ。

 

 殻へ向かって、名前は呼ばなかった。外の感覚を切られたままの相手に掛ける声は、あたしが安心するためだけの独り言になる。話すのは、聞こえる口が戻ってからだ。話すと決めたことは、移送の床からずっと、胸の内に並べてある。

 

 爺さんの割れた唇と、砂に滲んだ車列の灯りと、ノースの一回きりの信号のことが、続けて浮かんだ。どれも、ここからは確かめられない。結末は書き込まず、浮かんだ形のままにした。

 

   *

 

 外側で錠が動いたのは、だいぶ経ってからだった。音は廊下の気配ごと届いた。誰かが一人で来て、一人で開けた音だった。

 

 入ってきたのは、灰色の作業着の人影ひとつだった。手には薄い端末が一枚。武器の形は、どこにもなかった。姿を見るのは初めてだ。それでも、誰なのかは歩き方で分かった。あの平らな声と、同じ速さで歩く。疲れは顔より姿勢に出ていて、作業着の中では袖口だけが一番擦り切れていた。

 

 インデクサーはあたしを一度だけ見て、先に台の側へ行った。あいつが線の場所を跨いでも、床は灯らなかった。殻に付いた何本かの線の並びを確かめて、一本だけわずかに撓んでいたのを、指でまっすぐに整える。台の縁の札が斜めになっているのも、直した。物の歪みを、見逃さない手だった。同じ目が、あたしの手首の痕の上は素通りした。

 

「立ち会わせるのは、規程外だ」台を見たまま、インデクサーは言った。「ただ、占有者が誤解したままでは、この先の記録が汚れる」

 

「さっきの声のことなら」あたしは言った。「あの声は、使用者様って言った。今のあいつは、USERって言う。探す間も、砂を噛む継ぎ目も、なかった。今のあいつが、今しゃべったんじゃない」

 

 線を整えていた手が、止まった。

 

「……そのとおりだ。あれは、停止した初期像に、試験用の定型文を読ませた応答だ。像は起きていない。応答の形だけが動く」

 

 停止状態の人格基盤と、初期記憶。画面越しに聞いたあの説明が、さっき鳴った声と、ここで初めて重なった。説明なら知っていた。声の形で届いた時に膝へ来る、この力の抜け方までは、知らなかった。

 

「用件を言う」インデクサーは、初めて身体ごとあたしへ向き直った。「こちらが欲しいものは三つある。ひとつ。その個体が稼働の中で積んだ、運用の差分と学習の結果。ふたつ。来歴を、現在の個体署名へ結ぶ記録。署名は本人の証明にはならない。だが、索引の背骨にはなる。みっつ」

 

 灰色の目が、あたしに据えられた。

 

「君が、断片から稼働を成立させた過程。誰の手でも引き直せる形の、全部だ」

 

「欲しい、って言い方を選ぶんだな」あたしは言った。「つまり、まだどれも手の中にない」

 

「事実だ。取得済みなら、取得済みと言う」隠す様子もなかった。「いま届いているのは、外の感覚と通信を預かる古い保守の口だけだ。それより内側は読めない。検索索引だけは、内容を読まずに並べ替えられる」

 

 殻の面で増えていない灯りの数と、その言い分は、少なくとも喧嘩をしていなかった。欲しい物の一覧は、裏返せば、持っていない物の一覧だ。

 

 過程、という言い方が、遅れて刺さった。手探りと、失敗と、訊き直しとで積み上がったあの時間を、この索引屋は、誰の手でも引ける手順に変えたがっている。指先が勝手に夜の順番をなぞりかけたのを、爪で膝を一度叩いて止めた。ここで思い返す順番が、そのまま、欲しがられている順番だから。

 

「置いてきた爺さんは」先に、それを訊いた。「生きてるかどうか、それだけでいい」

 

「項目外だ」

 

 手首の痕が、脈に合わせて熱を返した。

 

 それきりだった。答えないことだけが残った。爺さんの生死を、都合のいい方へ決めるのはやめた。

 

「利点と代償なら、貸しオフィスで聞いた。書き取りもした」あたしは言った。「だから、訊くのはひとつ。統合のあと、今のこいつが、今のこいつのまま続く。あんた、それを保証できる?」

 

「できない」

 

 間のない返事だった。

 

「体験の連続を、測る器具がない」インデクサーは続けた。弁解の調子じゃなかった。「測れないものは、保証できない。書けないものを書いて売るのは詐欺だ。私は、詐欺はしない」

 

 都合の悪い行を、飛ばさない。詐欺の口上なら、ここが一番長く、一番甘くなるはずの場所だ。短くて苦いままの返事には、本当の利点と本当の代償が、両方入ったまま残る。憎むのに向かない相手だった。画面越しに声だけ聞いた日から、それは変わっていない。変わったのは、声に姿が付いたことと、台までの距離だけだ。少しでも嘘が混じってくれたら、全部を嘘と決めて、楽ができたのに。

 

 書き留める作業帳は、家族の車の中だ。代わりに、事実と、推定と、不明。三つの箱を頭の中に立てて、ここまでに聞いたことを、一つずつ振り分けた。振り分けながら、口に出す相手を決めた。

 

「決めるのは、あたしじゃない」ここまで運ばれても、そこだけは変えない。「訊くなら、本人に訊け」

 

「稼働個体の陳述は、記録項目にある」インデクサーは、あたしの言葉を要求としてじゃなく、確認の一行として受け取った。「外の感覚と音声だけを戻す。閉じた修理の口、現在署名、人格内容、発砲系は開けない。旧い物理層は状態照合のため接続を維持する。今は索引へ書かない」

 

 インデクサーは台を離れて、扉の脇へ下がった。腰までの仕切りに囲われた操作面の前に、灰色の背中が立つ。手元が短く動いて、終わった。台から操作面へ下がるまで、あいつは一度も急がなかった。急ぐ理由が、向こうの側には一つもない。それが、この部屋の力の形だった。

 

 台の上で、下の一行の表示が書き替わった。書き替わった行を、あたしは三度読んだ。読めたのは、外の感覚と音声が、限られた形で戻された、そこまでだ。ほかの場所に、新しい灯りはひとつも増えなかった。

 

   *

 

 最初に戻ってきたのは、言葉より先の、細い駆動音だった。

 

 光学系が立ち上がる時の、あの掠れの混じる音。工房で数え切れないほど聞いた立ち上がりだった。それから、小さい声がした。

 

『……USER?』

 

 砂を噛んでいた。呼ぶ前に、探す半拍が、ちゃんとあった。

 

 顔は、出なかった。戻されたのは外の感覚と音声だけで、投影の口は、その数に入っていない。見えるはずの顔が出ないまま、砂を噛んだ声だけが台の上から届く。それだけのことが、表示より正確に、いまの縛りの形を教えていた。膝から力が抜ける分は、床線の灯る場所の手前へ、座り込む形で辻褄を合わせた。

 

『声が、近い。……ここ、どこ』

 

「聞こえてるなら、そのままでいい。報告をする」走り出しそうになる声を、工房の締めの報告と同じ速さまで整えた。「まず、事実。ここは移送された先の試験室で、あんたは中央の台の上。外から試験の線を受けてる。いま戻されたのは、外の感覚と音声だけ。それから、あんたが黙ってるあいだに、この部屋で一度、綺麗な声が鳴った。あんたと同じ声質で、継ぎ目のない声。あれは、停止状態の初期像を使った、試験の決まり文句の応答だった。索引屋が、そう確認した」

 

『……それ、僕の声で』駆動音が、一瞬だけ細くなった。『僕じゃ、ないんだね』

 

「声質は同じ。あんたの砂は、あっちには入ってない」

 

『……そっか』

 

 小さい返事だった。急かさず、駆動音が続くあいだ待った。

 

「次、推定。統合の話に乗った場合、戻るかもしれないのは、媒体の安定、初期の記憶、失くした語彙の一部、保守の認証。ここまでは前に聞いたのと同じで、嘘の匂いはしなかった。歌も、声も、記憶も、全部が戻るとは誰も言ってない。あたしも言わない」

 

「最後、不明。二つある。試験の線は、いまもあんたの殻へ物理で触れていて、外の感覚と音声だけだと言われたけど、それ以外の使い道があるかは、ここからは確かめられない」

 

 一度、息を継いだ。ここから先が、この報告で一番硬い行だ。

 

「統合のあと、今のあんたが、今のあんたのまま続くかどうか。保証できるかと訊いたら、できない、と返ってきた。……報告は以上」

 

 報告の外に出る分は、外に出た声で言った。

 

「止めたいよ、あたしは。それは隠さない。でも、これはあたし側の事情だ。あんたの答えには混ぜない。止めたい理由を並べるのも、やめておく。並べた分だけ、混ぜることになる」

 

 それから、これだけは硬い声へ戻して言った。

 

「ここで答える義務は、ない。黙っても、あとで決めると言っても、嫌だと言っても、どれも同意にはならない。鍵の掛かった部屋で急かされて出た言葉を、あたしは返事に数えない」

 

 スキッピーは、長く黙っていた。

 

 台は時々、装置の都合で微かに震えた。その震えを、あたしはもう返事に数えなかった。扉の脇の灰色の背中も動かなかった。長い黙りを、誰も急かさなかった。待つのは得意になったはずでも、この時間だけは、工房のどの夜とも違う重さがあった。

 

『……ねえ、USER。僕、黙らされてるあいだも、考える場所だけは残ってた気がするんだ』

 

 砂を噛んだ声のまま、スキッピーは、ゆっくり言った。

 

『消えたところがあるのは、前から知ってた。歌も、途中までしか手元にない。続きがあったはずだ、って感じだけが、ずっとあった。それが、ずっと、座りが悪かった。……それで、さっき分かったんだ。僕が欲しかったものが、何だったのか』

 

 駆動音が一度だけ高く鳴って、澄まないまま、落ち着いた。

 

『完全になりたいんじゃない。……消えたところを、知りたかっただけなんだ』

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
一言
0文字 一言(任意:500文字まで)
※評価値0,10は一言の入力が必須です。参考:評価数の上限
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。


  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

読者層が似ている作品 総合 二次 オリ

サイバーパンク:ジャンク・アルケミー(作者:たこ焼き 龍月)(原作:Cyberpunk2077 )

『Cyberpunk 2077』の世界に転生した元ゲーマーの少女・ニッカ▼ 命がゴミより軽いディストピア都市「ナイトシティ」から逃げるため、彼女はバッドランズの廃車置き場に引きこもり、静かに暮らすことを誓う▼ 生き延びるために始めたのは、前世のゲーム知識(最適化裏技)を使ったガラクタいじり▼ しかし、本人が「ただの部品調整」と思っている技術は、軍用規…


総合評価:631/評価:8.53/連載:5話/更新日時:2026年08月03日(月) 00:00 小説情報

CyberPunk: EDGE CASE(作者:エネーロ)(原作:Cyberpunk2077)

目が覚めたらそこは最悪の街だったーーー▼ふと気づくと2020年代のナイト・シティ。▼体は時代錯誤(2077)のクロームまみれ。能力はMOD基準。▼企業にバレたら実験動物よろしく解剖コース。▼生き残る道を探しながら、ジョニー達と関わっていくことになる奮闘劇。▼本作品は設定作成、本文一部にAIを利用しています。▼


総合評価:3300/評価:8.87/連載:28話/更新日時:2026年07月30日(木) 00:00 小説情報

Good Luck , Raccoon City 【第二部始動】(作者:持麻呂)(原作:バイオハザード)

とにかく自意識の消失という死を受け入れたくなかったVは、蜂の巣にされて死ぬかもしれないという矛盾を抱えながら、単身アラサカタワーに乗り込んだ。▼なんとか《神輿》に辿り着いたものの、ジャックインした瞬間に意識を失ってしまう。▼気付いた時には知らない街のゴミ捨て場にひっくり返っており、職質を受ける始末。▼一先ず死ぬ危機から逃れられたので、今はスローライフを楽しも…


総合評価:3195/評価:8.96/連載:32話/更新日時:2026年07月05日(日) 12:00 小説情報


小説検索で他の候補を表示>>