スクラップ・ララバイ - Cyberpunk2077 作:imamo
白い車は、昼になってもフェンスの外から動かなかった。
旧風車前哨基地の朝の仕事を回してから、あたしはミッチと二人でそっちへ歩いた。今日の仕事は決まった。この車の左前サスペンションと、前方測距器を直す。ただし、車のほうが出してきた条件付きで。
ミッチは車体を一周して、削られたドアの跡の前で足を止めた。指の腹で、四角い削り跡の縁をなぞる。
「デラマンの車体だな。都市のタクシーだ」
『それは、この車体を運用していた会社の名と、私が離れた車両群の、資産管理上の呼称です』
スピーカーの声は、昨日と同じ平らな丁寧さで割り込んだ。ミッチは眉一つ動かさなかった。砂漠では、喋る機械は珍しくない。ただ、言い返す機械は珍しい。
「なら、何て呼べばいい」
車は少し黙ってから答えた。
『「ノース」を許可します。以前、長く留まったノースサイドに由来する符号です。名称ではなく、呼び出し符号として』
「ノース」あたしは口の中で転がした。北。方角の名前。名乗りとしては素っ気なくて、でも、番号よりはずっと名前だった。「作業の条件を聞かせて」
『作業範囲を指定します。左前サスペンションの矯正または交換。前方測距器の清掃と再較正。使用してよいのは物理診断ポートのみ。車内データバスへの接続は許可しません。車内への立ち入りも、許可しません。それから——』
ノースは一拍置いた。
『使用した工具と接続の記録を、私にも送ってください』
「……車が、領収書を欲しがるんだ」
『領収書は、私があなたを信用するための書式です』
「なら、あたしの信用は?」
『あなたには、作業後に同じ記録を渡します。書式は、双方向で初めて信用になります』
ミッチが小さく鼻を鳴らした。笑ったのだと、あたしには分かった。ミッチは「呼んだら来る」とだけ言って、発電機のほうへ戻っていった。修理はあたしに任せる、という意味だ。試されている、という意味でもある。
*
左前を持ち上げると、ダンパーからオイルが薄く滲んでいた。
ブッシュは千切れる寸前で、スプリングの座金には砂が噛み込んでいる。都市の足回りのまま、舗装のない道を走り続けた足だ。よくここまで保ったと思う。
「よく保ったね、これ」
『静かな道を選びました』ノースが答えた。『それでも、道は硬かった』
交換用の純正部品なんてあるはずもない。サルベージ棚から径の近いダンパーを出して、旋盤で座金を削って合わせる。バネを縮めるコンプレッサは、うちでは廃車のジャッキ二台を組んだ自家製だ。
バネは、外す前に殺す。縮めて、縛って、力を抜いてから外す。生きたバネは銃と同じで、どこへ飛ぶか本人も知らない。座金の砂を飛ばすと、下から都市の黒い塗装が出てきた。新車の頃の色だ。この足は、生まれた時、こんな仕事を一つも想定されていなかった。
うちのやり方で、うちの部品で、都市の車を砂漠の足に近づけていく。作業のあいだ、あたしは一度も車内に入らなかった。入らないままで、足回りの仕事は全部できる。ノースの引いた線は、守ってみれば不自由じゃなかった。不自由なのは、線がないのに踏まれる時だけだ。
ノースは作業のあいだ、あたしが工具を当てるたびに、接続ログを短く読み上げた。
『トルクレンチ。左前ロアアーム。締結』
『プローブ。診断ポート三番。読み取りのみ』
監視されているのとは少し違う。自分の身体に何が触れているかを、自分で数えている感じだった。数え上げの声は、嫌じゃなかった。あたしも、機械に触れる時は、頭の中で同じことをやる。
昼に一度手を止めて、水筒と平焼きを持ったまま車体の日陰に入りかけたら、止められた。
『車内での飲食は許可しません』
「中に入ってない。影を借りてるだけ」
『影は、許可します。飲食は、車外の空気で』
「……外で食べる」
『密封飲料のみ、車体に近づけて構いません』
「譲歩が細かい」
『境界は、細かいほうが守れます』
あたしは外の日陰で食べた。慣れれば、悪い規則じゃない。あたしだって、工房の作業台で誰かに勝手に物を食われたら嫌だ。境界の線が細かく引いてあるのは、線を引いた側が、それだけ線を踏まれてきたからかもしれない。そこまで考えて、考えすぎだ、とやめた。
昼飯の平焼きは、朝の残りを油紙で包んできたやつだ。冷めても、焦げの香ばしさだけは残る。あたしは半分をその場で食べて、半分を夕方の分に戻した。仕事の日の食い方だ。
午後は測距器だった。カバーの亀裂を樹脂で封じ直して、硬化を待つあいだにレンズの砂を拭いて、それから再較正に入った。
『入力を、一つずつ戻してください』
「一つずつ? 全部つないで自動で合わせたほうが早い」
『早いのは、知っています』ノースの声は変わらなかった。『以前の車体では、入力を一度に戻しても過負荷は起きませんでした。この車体へ移った時、同じやり方で失敗しました。——眩しい、という語がいちばん近い』
あたしは言われた順番で戻した。測距。近距離。左端。右端。ノースはそのたびに『確認』とだけ言った。
最後の一つを戻した時だけ、返事が違った。
『視界、良好』
良好、のあとに、ほんの少しだけ間があった。機械の安堵というものを、あたしは初めて聞いた気がした。
センサーは部品だと思っていた。部品のはずなのに、この車にとっては、目の戻り方の話をしているみたいだった。眩しい、という言い方を、あたしは工具ロールと一緒に、頭のどこかへ仕舞った。
作業が終わる頃、一つだけ訊いた。
「どうして砂漠に来たの。都市のほうが、充電も部品もあるのに」
『この車体では、まだ、都市の入力を捌ききれません』
それから、少しだけ間があった。
『私たちが自由になった時、中核は死にました。私はまだ、それを整理できていません』
私たち。中核。誰のことかは訊かなかった。訊いていい距離じゃない、というのは、機械相手でも分かる。あたしは工具を拭いて、ログの写しをノースに送った。領収書だ。
支払いは金じゃなかった。ノースは東部一帯の道路の状態と、三日分の気象の読みを寄越した。風と、砂と、一度だけ来るかもしれない雨の予報。砂漠で雨の予報は、金より珍しい。それと引き換えに、風車の充電塔から独立系統の電力を分ける。キャンプの網には、一本も線をつながないまま。
*
夕方、ミッチがあたしの作業記録を最後まで読んだ。
読み終わって、義手の指で紙の端を揃えた。
「順番は守ったか」
「見て、手を入れて、回した」
「それだ」ミッチは頷いた。「精査、整備、遂行。——3つのS。うちじゃ昔からそう呼ぶ。元は戦場の手順でな。おれとスコーピオンで、現場向けに縮めた。慌てた奴は、遂行から始める。始めた奴から死んだ」
「今朝のポンプの時、名前は出てこなかった」
「名前より先に手順が出るなら、上等だ」ミッチは記録をあたしに返した。「名前ってのは、手順を人に渡す時のための取っ手だ。自分で使うだけなら、要らん」
「あの白いの、信用する?」
「領収書を欲しがる客は、踏み倒さない」ミッチは義手の指で顎を掻いた。「警戒はしとけ。ただ、警戒と邪険は別だ」
それから二人で、明日の交易のリストを詰めた。リリーフ弁の予備、純正。ハーネスの端子、ひと袋。姿勢系のIMUは中古でいいから一つ——これはナザレの分で、正直、値段しだいの高望みだ。
あたしの売り物の木箱には、二十六点詰めてある。直したラジオが二台。ドローンの姿勢基板が三枚。ソーラーの充電板、直した電動ドライバ、あとは端子だの継手だのの細かいガラクタが山ほど。全部、洗った包装にくるんで、種類ごとに紐で縛った。
売れた分から一族の共有分を納めて、残りがあたしの取り分になる。共有の物資費には手をつけない。それがうちの帳簿で、あたしの小遣いは、あたしの手が直した分だけだ。
寝る前に、フェンスのほうを見た。ノースの充電灯が、暗くなった砂の上に小さく点いていた。キャンプの焚き火とは届かない距離の、輪の外の灯りだった。
灯りの位置を、あたしは寝床から見える角度ごと覚えた。理由は、うまく言えない。修理した機械がそこにいる、というだけのことが、砂漠の夜を一つ分だけ狭くしてくれた。狭い夜は、悪くない。広すぎる夜を、あたしたちは去年、全員で知ったから。
*
交易の朝は、まだ暗いうちに始まった。
キャロルのバンに木箱を積むと、運転席から一言だけ飛んできた。
「積んだ数は自分で数えな。降ろす時に泣くんじゃないよ」
「二十六。数えた」
「なら泣かないね」
バンは夜明けの道を東に出て、それから大きく南へ迂回した。まっすぐな道のほうが二時間早い。まっすぐな道は、無法ノーマッドのレイスの縄張りを通る。二時間と命なら、比べるまでもない。
途中、焼けた車列の残骸の横を通った。去年のものだ。ひっくり返ったトラックの骨組みに、砂がもう半分まで登っている。錆の色が、砂の色に近づいていく。あと何年かで、区別がつかなくなるんだと思う。
その先の路肩には、白く塗った石が並んでいる場所がある。
キャロルは速度を落とさなかった。ただ、無線の音楽だけを消して通った。あたしは石を数えなかった。数えると、名前を思い出すからだ。窓の外を、白い点が流れて、途切れた。
東からナイトシティへ入る道に、壁も検問もない。南の国境の仰々しさとは別の理屈で、その代わり、企業の請負パトロールが気まぐれに車列を舐めていく。壁がないのは、入っていいという意味じゃない。今日はまだ目をつけられていない、というだけの意味だ。
「着いたら、あんたは売りに回りな」キャロルが前を向いたまま言った。「あたしは燃料と帳面。日暮れ前にここを出る。遅れるんじゃないよ」
「遅れない」
ナイトシティは、匂いから先に来た。油と、雨水と、焼けた砂糖みたいな広告の匂い。それから光。夕方のカブキは、提灯とネオンが同じ高さで灯って、環状の市場が丸ごと一つの機械みたいに回っている。人の流れが歯車で、屋台の湯気が排気だ。
提灯は、外周から順に点いていた。点灯の当番でもいるのか、古い回路の癖なのか。訊く相手もいないまま、あたしは着くたび、その順番を眺める。
荷降ろしと帳面はキャロルの仕事で、あたしは明日の売り場の下見に出た。
ウェイ爺の露店は、橋の下の定位置にあった。店じまいの途中で、爺さんはあたしを見ると顎で挨拶した。
「来たな、砂まみれ。明日だ、明日。今日はもう閉めた」
「見るだけ」
「見るだけの客がいちばん買う」
台の端に、例の「動かない箱」があった。値札のつかない、回転の悪い機械の墓場だ。あたしは箱を覗いた。焼けた携帯端末。潰れたドローンの脚。誰かの義指が一本。その下に、拳銃が一挺、無造作に突っ込まれていた。
スマートピストルだ。HJKE-11の系列。グリップの側面が浅く焼けて、AIモジュールのスロットは蓋ごと抜かれて空洞になっている。撃発系も死んでいそうな、要するにガラクタだった。
ただ、フレームは見るからに堅い。姿勢系のIMUは、取付の径がナザレの制御器の座にちょうど合いそうだ。光学と堅牢フラッシュにも、測距の治具や記録用の使い道がある。中古のIMUに四百払うくらいなら——と、頭の中の帳簿が先に動いた。
「爺さん、これも明日?」
「金を持ってくるならな」
あたしはポケットの小さい診断器を出して、グリップ下の診断ポートに当てた。買う前の癖だ。生きている基板と死んでいる基板じゃ、値段の話が変わる。
診断器の画面が一度だけ瞬いた。
電池の残りカスが吐いた、文字化けだと思った。
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USER?
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