Cyberpunk: スクラップ・ララバイ   作:imamo

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第20話 上書き

『完全になりたいんじゃない。……消えたところを、知りたかっただけなんだ』

 

 駆動音は、まだ細く続いていた。その続きの上へ、スキッピーは次の言葉を置いた。

 

『だから、統合を拒否します』

 

 砂を噛んだ声だった。今度は探す間がなかった。探し終えた後の声だった。台の上の殻は、外から試験の線を受けたまま、その声だけをこの平らな部屋へ出していた。

 

『消えたところは、今でも知りたい。でも、それを知るために今の僕を渡したら、知るはずの僕が先にいなくなる。順番が逆なんだ。……だから、拒否します。これが僕の返事です』

 

 あたしは扉脇へ顔を向けた。

 

「聞いたな。本人が拒否した。帰して」

 

 インデクサーは、端末から顔を上げもしなかった。

 

「陳述は記録した」平らな声だった。「所見の欄に、だ。監査不能と分類した個体の陳述は、こちらの帳面では、意思表示の欄には載らない」

 

「それは、あんたの帳面の決まりだろ。世界の決まりじゃない」

 

「そうだ。帳面の決まりだ。旧資格が失効するまで、その決まりを執行するのが私の仕事だ」

 

 法律でも、世界の決まりでもない。ただ、この部屋では、その分類が命令として働いた。

 

「成功条件は未達。保守処置へ移る」

 

 講釈は、それで終わりだった。長い理屈の代わりに、仕切りの向こうで手元が動いた。

 

 台の上の表示が変わるのが、線の手前からでも読めた。

 

 `FORCED WRITE`

 

 強制書き込み。台の処理が始まった。

 

 さっきまで、索引には書けると言っていた。そこへ手を入れる気だ。

 

『——USER』

 

 スキッピーの声が、途切れ始めた。

 

『来てる。扉は、開いてない。署名も、動いてない。なのに、外から、壁越しに、僕の棚を、並べ替えてる。……知らない並びだ。知らない手だ。僕は、拒否した。今も、拒否、してる。それだけ、覚えて、おいて』

 

「止めろ」

 

 インデクサーは答えず、操作を続けた。

 

『USER、ごめん、早口で言う。棚の、順番が、僕の順番じゃ、なくなってく。まだ、中身は、ある。でも、引き出す紐が、一本ずつ、付け替えられてる』

 

 中身は、まだある。あたしは台につながる線を見た。

 

 書き込みの表示が進んでいた。

 

   *

 

 あたしは立ち上がった。膝の裏から、床の冷たさが離れた。

 

 線を切れば止まる。でも、索引を組み替えている途中だ。切った拍子に、記憶が読めなくなるかもしれない。

 

「台から外せば止められる。でも、途中で切ったら、読めなくなる記憶が出るかもしれない」

 

「切っていい?」

 

『切って』

 

『切って。今すぐ。……統合は、嫌だ』

 

 あたしは警戒線へ踏み出した。

 

 一歩目で、床の線が灯った。二歩目で線は警告の色に変わり、部屋中に高い音が立ち上がった。天井で短い駆動音が鳴って、整備用の機体が降りてきた。仕切りの向こうでも手元が動いて、機体の動きが一段速くなった。見ているだけの気は、向こうにもないらしい。床の冷たさは、走る足の裏には、もう届かなかった。

 

 殺しには来ない。そう読んだ。けれど、止める手がどれほど強いかまでは読めなかった。

 

 台と整備機のあいだへ、身体をねじ込んだ。

 

 機体の太い腕が肩口へ入った。突き飛ばす動きじゃなく、押さえて戻す動きだった。振りほどいた分の代償は、右肩の奥へ残った。二本目の腕は屈んでかわして、勢いのまま台の縁へ胸からぶつかった。息が短く飛んだ。

 

 警告音に重なって、耳の奥でも細い音が鳴り始めた。台の縁を掴み、殻を見た。

 

 目の前の台の上で、殻はまだ線を受けていた。

 

 両腕を殻の下へ差し入れて、抱え上げた。

 

 接続具が引っかかり、あたしは殻を抱えたまま引いた。右肩に痛みが走った。線が外れ、台の表示が乱れた。

 

 膝から床へ落ちた。殻は離さなかった。右肩が遅れて熱を持ち、飛んだ息が戻るまで、床の冷たさを両膝で数えた。

 

 警告音が落ちて、機体は天井へ戻った。耳の奥の細い音だけが残った。

 

 スキッピーを左腕で支え、台の表示を読んだ。

 

 `FORCED WRITE: INTERRUPTED`

 

 `RETRIEVAL INDEX: PARTIAL`

 

 `CONTENT WRITE: NOT COMMITTED`

 

 索引の書き換えは途中で切れていた。記憶の中身へは、まだ書き込まれていない。

 

   *

 

 しばらくは、掠れの音も出なかった。

 

 呼びかけても返事がない。あたしは殻を床に置き、右肩を押さえて待った。

 

 やがて、光学系の掠れた立ち上がりが鳴った。

 

『……USER』

 

 砂を噛んでいた。呼ぶ前の、探す半拍もちゃんとあった。

 

『台の外だ。あなたが切った。僕が、切ってと言った。統合の拒否は変えないと言った。そこまで、ちゃんと手元にある』

 

「そうだ。順番も、そのとおりだ」

 

『肩、当たったでしょ。報告して。事実だけでいい』

 

 あたしは肩を動かしてみた。

 

「右肩、上がりにくい。呼吸は戻った。耳の奥で細い音。動けなくなる類じゃない。以上」

 

『……了解』

 

 それから、駆動音が一拍だけ迷った。

 

『でも、変なんだ。あなたが誰かは分かる。一緒に決めてきた相手だ。なのに、名前が出ない。何度引いても、そこへ届かない』

 

 猫のことを訊きかけて、やめた。あいつは何度も名前を探していた。

 

「無理に思い出さなくていい。出なかったら、また教える」

 

「あたしは、ユキ。あんたと一緒に、ここまで来た」

 

『……ユキ』

 

 確かめるように二音を繰り返した。あたしは頷いた。

 

『前の参照は戻らない。でも、今聞いた名前は、記録できる。……ユキ』

 

「うん」

 

 仕切りの向こうで、端末の音がした。

 

「索引破損を確認。監査価値、低下」

 

 インデクサーは端末に打ち込み、処理を止めた。

 

「この試験環境は異常状態で、継続使用は不能。本日の項目はここで閉じる。再移送の手配に移る」

 

 インデクサーは操作面を離れて、扉の前に立った。灰色の背中は、最後まで急がなかった。

 

「回収の対象は、二つとも、まだ帳面の上にある。行き先が変わるだけだ」

 

 あたしはスキッピーを抱え直した。

 

 扉が外から開いて、背中が出ていって、また外から錠の掛かる音がした。

 

 部屋は静かになった。台の微かな振動も、床線の灯りも戻らない。さっきまで規則正しかった部屋は、壊れた機械の止まり方で止まっていた。

 

 右肩は、もう高く上がらなかった。重みを左の前腕へ移し、扉から離れた床に座り直した。

 

 外で複数の足音が往復していた。箱を置く音、台車を引く音。次の車へ積まれるまでに、ここを出なければならない。

 

 あたしは動くほうの手を開き、部屋を見回した。

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