スクラップ・ララバイ - Cyberpunk2077 作:imamo
錠は、外から開いた。
あたしは膝の上の重みを抱え直して、開いていく扉をそのまま見ていた。開け方を考える必要は、最初からなかった。この部屋の錠は、掛けた側が開ける。試験が壊れて、部屋ごと用済みになったからだ。耳の奥では、まだ細い音が鳴り続けていた。
入ってきたのは、灰色の作業着じゃなかった。砂と油の匂いを連れた、交換の夜の連中——雇われたレイスだった。三人。銃は提げていたが、銃口はどれも床を向いていた。
先頭の男が、あたしの腕の中の殻へ顎をしゃくった。
「置け。こっちで運ぶ」
「断る」
言った拍子に、右肩の奥が鳴った。抱え直しただけでこれだ。男は半歩詰めて、それから、殻の形とあたしの持ち方を交互に見た。取っ手のない、継ぎ接ぎの旧式の殻だ。持ち慣れないやつが掴めば、まず滑る。
後ろの一人が、面倒くさそうに言った。
「やめとけ。落として割れたら、残金が消えるぞ」
その一言で片が付いた。先頭の男は舌打ちして下がった。
「お前が抱えてろ。落としたら、お前の落ち度だ」
再拘束用の帯を持った男が寄ったが、先頭が止めた。
「その肩で後ろ手にしたら、落とす。車まで本人に持たせろ」
立ち上がる前に、あたしは一つだけ置いていくことにした。
「中身、割れてるよ」誰へでもなく言った。「索引が割れたって、あんたらの雇い主が自分の帳面に書いてた。割れ物を満額の顔で運ぶ前に、残金の条項だけ、読み直したら」
男たちは何も返さなかった。返さない沈黙の中で、視線が一度だけ、互いの間を泳いだ。種はそれでいい。育てるのは、あたしの仕事じゃない。
あたしは右肩を使わない手順を頭の中で一度だけ組んだ。左の前腕に重みの芯を乗せる。殻の腹を脇へ引き付ける。息を吐きながら、膝で立つ。右肩は、上げなければ刺さらない。上げれば、視界の端が白くなる。だから上げない。機敏さは、この部屋へ置いていくことにした。歩幅を半分にして、あたしは通路へ出た。
『ユキ』
殻から、囁きの音量で、砂を噛んだ声がした。
『外の感覚、少しだけ通ってる。足音が、四。車が、三。……数えられるのは、そこまで』
「十分」あたしも声を落とした。「読める分だけでいい」
通路のどこかで、自販機の冷却が低く唸っていた。その先の搬出区画で、低い車輪の音の正体に追いついた。台車の上に、硬い箱がひとつ。角の丸い金属のケースで、継ぎ目という継ぎ目に封印の帯が渡され、札が二枚下がっていた。さっき扉越しに聞いた、硬い箱を置く音。あれはこれだったのだ。中身の見当は、札を読むまでもなくついた。あの綺麗な声の出どころ。停止したままの初期の像を収めた、試験の媒体。ケースは静かだった。声も、灯りも、漏れていなかった。停まっているものは、箱の中でも停まっている。それだけのことを確かめるのに、あたしの目は妙に長く掛かった。
ケースの脇には、インデクサーが立っていた。
「積め。封印には触れるな」
台車ごと、先に停まっていた一台の荷室へ収まった。固定の締まる音が二度。インデクサーは荷室の縁に手を置いて、運転席へ、条文を読む声で言った。
「戻り先は、旧契約に残った唯一の現物受渡地点——交換に使った古い処理施設。試験環境を失った以上、回収対象は二つとも、そこで再保管する」
交換に使った、古い処理施設。この遮蔽の建物とは別の、あの夜の場所だ。水槽の側に残された爺が、まだいる場所。あたしはその言い方を、そのまま頭に刻んだ。
インデクサーは、出がけに一度だけあたしを見た。睨むのでも惜しむのでもない、在庫を数える目だった。
「言っておく。対象は、代替の利かない稀少媒体だ。破壊も、分解も、部品取りも、契約の条項で禁じてある。破れば、残金は全額消える。移送中の破損は双方の損だ。……丁寧にな」
インデクサーは助手席へ乗った。扉が閉まり、ケースを積んだ車両が先に出ていった。ゲートは開いたままだった。次が続けて出る段取りだから、閉じる理由がないのだ。
搬出区画には、風が通っていた。砂の匂いのする、外の風だった。外はまだ暗く、空の際だけがわずかに薄い。捕まってから初めて吸う外の空気が、こんな隙間風なのに、肺のほうが勝手に深くなった。
*
あたしたちを載せる二台目は、一台目に間を空けず続く段取りで、荷室も運転席も開き、エンジンも掛かっていた。運転者は貨物用の保安ロックだけを入れ、無線へ寄った。
先頭の男が、無線の送話口を掴んで、先に出た車両を呼んでいた。
「確認だ。対象は壊れてるんだろう。索引だか何だかが割れたって、あんたが自分で記録してた。その状態で納めて、残金は満額出るのか」
スピーカー越しの返事には、温度がなかった。
『回収対象は二つとも実在し、占有下にある。支払い条件は対象の引き渡しであって、内部状態の評価は別の条項だ。条項を読め』
「条項を読め、じゃねえよ」男の声が一段低くなった。「前にもそう言われて、期限だ検分だで三割削られた組を知ってる。物が割れてるなら割れてると先に言え。割れ物の相場は割れ物の相場だ」
『契約は変更されていない』
「変更されてないかどうか、こっちで読み合わせるまで積み込みは止めだ。……おい、全員こっちへ」
最後の一言は無線じゃなく、その場の声だった。荷室の扉を押さえていた男が手を離した。運転席の男が、エンジンを切らないまま降りた。三つの背中が無線を囲んで、一つの塊になった。誰も契約書なんて持っていない。読み合わせなんて始まらない。始まらない口論ほど、長引く。
開いた荷室の扉が、その塊と運転席のあいだに、一枚だけ壁を作っていた。
開いた荷室。開いた運転席。回りっぱなしのエンジン。開いたままのゲート。
全部、向こうが開けたものだった。あたしの手で開けたものは、一つもない。ただ、あの読み合わせだけは、あたしが置いてきた種だった。壊れた試験と、出るかどうか分からない残金と、役割を分けた分だけ持ち場に穴の開く分業。綻びは向こう持ちで、火を点けたのはこっちだ。使える時間はきっと短い。
『ユキ』殻が囁いた。『運転席、空いた』
「見えてる」
考えたのは、息をひとつ吐く間だけだった。この体では、走れない。歩幅は半分のまま、ただ迷わずに歩いた。一歩ごとに左腕の殻が重くなり、右肩が釣り合いを取ろうとしては、そのたびに奥から熱を返した。
運転席の扉から、殻を先に——放り込むのは論外だ。あたしは殻を胸に抱えたまま尻から乗り込んで、腿の上を滑らせるように助手席へ移した。座面の窪みに殻の腹を沈めて、左手で一度だけ揺する。動かない。それでいい。
座席は男の脚に合わせたままだったが、足はペダルに届いた。届いたから、踏んだ。
動かなかった。計器の隅で、黄色い錠の印が点滅していた。運転者が離れた間の、貨物用の保安ロック。降りた男が、癖で入れていったやつだ。頭のどこかが冷えて、勝手に棚を開けた。この年式の箱車には、火災や電装断で車体が搬出路を塞いだ時に、保安ロックだけを機械的に逃がす非常解除がある。運転席の下、整備で何度も触ったシートヒンジ脇のレバーだ。あたしは殻を腿で押さえたまま、左腕を膝の下へ差し込んで、手探りで、埃を被ったレバーを起こした。錠の印が消えるまで、四秒。今夜でいちばん長い四秒だった。
踏み直した。今度は、車体が動いた。
動き出してから、後ろで最初の声が上がった。二番目の声は「撃つな」だった。「撃つな、対象が乗ってる! 金が飛ぶぞ!」——あたしたちを守る理屈が、よりによって敵の勘定から出た。ゲートの柱が横を流れ、遮蔽の建物が、開いた口をこっちへ向けたまま小さくなった。
越えた。
殻が、短い音の階段を駆け上がらせた。
『達成! この調子です、ユキ!』
場違いで、うるさくて、音量の設定を間違えた達成ジングルだった。あたしは笑いそうになった口を、笑わせたままにしておいた。ただし、これで何かが戻ったとは数えない。記憶の証拠でも、本人の判子でもない。今のあいつが、今この瞬間に鳴らしたくて鳴らした音。数えるなら、そこまでだ。
「音量、下げな」
『下げます。……八パーセントだけ』
移動路は、ゲートを出てすぐに二つへ割れていた。均された広い道と、送電塔の列に沿って崩れかけた細い道。
「爺のところへ行く」と、あたしは言いかけた。古い処理施設。ケースとインデクサーが向かった先。水槽の側の爺。この細い道を辿れば、方角は——
『却下していい?』殻が先に言った。『単独、負傷、丸腰。着いても、爺さんごと捕まって終わる。助けに行くのは、数が増えてから』
……そうだった。一人で行かない。それは交換の夜の前に、焚き火の輪の全員で決めたことだ。あたしは頷いて、自分の案を落とした。
『なら、代わりに。灯りを消して、送電塔沿いの細い道へ——』
「却下」今度はあたしが先に言った。「あの手の道は路肩が流れてる。跳ねればあんたが天井に当たる。横転したら、二人まとめて終わりだ」
『……受け入れます』
残ったのは、広くて、均されて、追う側から丸見えの道だった。いちばん逃げ甲斐のない道が、いちばん害の少ない道。あたしはヘッドライトも消さずに、そこへ車体を乗せた。
バックミラーの奥で、残っていた一台の前照灯が二つ、ゲートを抜けた。同じ連中だ。口論を畳んで、仕事に戻ったらしい。距離は測らなかった。測って縮むものじゃない。あたしにできるのは、向こうが開けたこの道を、開いているうちに使い切ることだけだった。
段差のたびに、殻が座面の窪みで小さく浮いた。あたしはそのたび左手を伸ばして腹を押さえた。右腕は脇を締めて、肘から先でハンドルを保つ。右肩は、上げない。
行き先は決めてある。キャロルが用意していた、はぐれた時の合流の段取り。その地点まで、この道は続いている。
*
変化は、耳から来た。
最初はただの雑音だと思った。それが、走るほどに層を持ち始めた。遠い搬送波の唸り。途切れ途切れの、誰かのビーコン。街の方角から漏れてくる、帯域の混み合う気配。遮蔽の中の静けさは、壁の性能だった。外の静けさは、音でできていた。耳の奥の細い音は、その層の一番内側で、まだ鳴っていた。ハンドルの下ではエンジンの振動が細かく続いて、床から座席へ、座席から右肩の奥まで規則正しく届いた。痛みと振動の区別が、だんだん付かなくなった。
『ユキ。報告』殻の声が、少しだけ張った。『外へ話す口が通った。修理の口は閉じたまま。……それと、ノースへの一回も、残ってる』
「うん。聞いた」
あたしはアクセルを緩めなかった。緩めない代わりに、確認だけは二人でやった。許可じゃない。工房の締めと同じやり方だ。
「一回きりだ。送れば消える。届かなくても、戻らない」
『送れば、一回を使う。届くかは、別。渡るのは、一点と一方向だけ』今度は、探す間がなかった。『僕が送るかを決めて、その後は、ノースが決める。——送る』
「聞いた」
それ以上は、何も足さなかった。エンジンの振動だけが、規則正しく続いた。
工具箱は、家族の車に置いてきた。手袋もない。挟むものも、締めるものも、一本もない。それでも、ここまでを運んだものはあった。向こうが勝手に開けた扉。隣で危ない案を却下してくれる声。一回きりの、小さい信号。手が届いて、仕事が進むなら——形がどうであれ、それは全部、工具だ。
送るところは、見えなかった。音もしなかった。ただ、助手席の殻の面に、小さい表示が順に積まれていくのが、目の端に映っただけだ。あたしは前を見た。道は開いたままで、鏡の奥の灯りはまだ二つで、合流の地点までは遠かった。届け、とは思わなかった。それは待つやつの祈りで、あたしは走るほうを選んだ。停まらない。着くまで、停まらない。
殻の面で、三行が灯った。
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