『——ユキ。二度目だ。短くいく』
キャロルの声は、最初の通信より少しだけ太くなっていた。距離が縮んだ分、砂の帯域に通る幅が増えたらしい。
「聞こえてる。前方、灯り二つ。北寄りから」
『それがうちの先行車だ。パナムが乗ってる。今から前照灯を二度落とさせる。数えろ』
白の奥で、二つの暈が揃って消えた。間を置いて、戻る。もう一度消えて、戻った。
「二度。確認した」
『物理確認、済み。先行があんたを合流地点で停める。先行の後ろに主車列がいるが、灯りは絞ってある。見えなくていい。停まるまで、線から降りるな』
「後ろの一台は」
『見えてる。ミッチが上を飛ばしてる。あんたの仕事は、停まるところまで走ることだけだ』
回線は前より太いまま、前と同じ素っ気なさで切れた。あたしはハンドルの上の指を、一本ずつ握り直した。前の二灯は、もう「たぶん家族」じゃなくなっていた。
『USER。後ろの車が詰めてきた』
「前だけ見て運転する。後ろは頼む」
『任せて。まだ接触する距離じゃない』
先行車は白の中でゆっくり大きくなり、あたしの進路へ斜めに寄ってきた。前へ入り、少しずつ速度を落としていく。合わせて、あたしも落とした。踏み込みも急な減速もない、長い長い減速だった。窪地の縁の、風が畝で割れる場所で、先行車は停まり、あたしも停まった。
エンジンを切ると、耳鳴りが急に大きく聞こえた。
運転席の窓を、拳が二度叩いた。パナムだった。ゴーグルを上げて、あたしの顔を確かめて、それから車内をひと回り見て、殻の上で目を止めた。
「よく停まった」開けた窓から、風と一緒に声が入ってきた。「そのまま座ってな。あんたは今、荷物を抱えて歩いていい身体じゃない」
バックミラーの中で、追跡車が向きを変えた。家族の車列を避けるように、二つの灯りが遠ざかっていった。
主車列は、灯りを絞ったまま、白の中から一台ずつ現れた。先行車の二灯とは別の、低く抑えた灯りの列。ソウル。ミッチ。キャロル。キャシディ。降りてきた人影は、それぞれ違う場所へ散った。
キャシディが車列の外へ回り、追跡車の去った方向に銃を向けた。
「まず飲め。話は後だ」
ミッチだった。押し付けられたのは水筒で、撃てとも、報告しろとも言われる前に、それだった。
一口目は、味がしなかった。喉が水を思い出すのに二口かかって、三口目の途中で、あたしは自分で止めた。
「……まだ飲める。でも、後にする」
「それでいい」ミッチは水筒を受け取って、代わりに固い包みを開いた。落花生を糖蜜で固めた携行食。帰り道の分として、家族の車に残っていたやつだ。「一口ずつだ。急ぐな」
端を齧って、噛んで、飲み込んだ。甘さが乾いた喉の奥に貼り付いて、ゆっくり剥がれて落ちていった。二口目で、自分の手が少し震えているのに気づいた。残りは、ミッチが包み直して自分の胸元へ戻した。
「肩は」
「上がらない。耳も鳴ってる。……走れて、喋れる」
「まず動かせるか確かめる。この砂の中じゃ、きちんとした処置はできん」ミッチは服の上から、肩の周りを調べた。
ミッチと二人で殻を、蓋を開けた箱の支持へ戻した。箱は閉じ込める物ではなく、今は台としてだけ使う。
『音は通ってる』殻から、砂を噛んだ声がした。『揺れも、さっきより丸い。……ここなら、大丈夫』
奪ってきた移送車は、そこへ置いていくことになった。キャロルが車体の位置だけを記録して、鍵にも、配線にも、荷室にも触らなかった。
ソウルは、輪の真ん中で短く言った。
「続ける。爺さんを拾いに、交換に使った古い処理施設へ戻る。道はうちが知ってる。仕事は今までのままだ。ユキとスキッピーは、回収だけを考えろ」
「分かった」ようやく爺さんを助けに行ける。あたしはパナムの車へ移った。
*
車列は、交換の時に決めていた帰り道を逆に走った。
あたしはパナムの車の後席で、遮蔽箱の縁に左手を掛けていた。窓の外が薄明るくなり、砂の向こうに地面の起伏が見え始めた。
箱は防振部品の上で揺れていた。あたしも背を預け、少し身体を休めた。
『観測、共有する』スキッピーの声が、車列の通信へ細く乗った。『さっきの一台。並走じゃない。離れる向きに見えて、方角は……古い処理施設へ向かってる。速度は一定。急いでない。それと、この先の窪地は砂が深い。前の車の轍が、二度沈んでる』
『受けた。車列へ流す』キャロルの声が返った。
「連中、前金しか受け取ってない」パナムがハンドルを握ったまま言った。「娘は逃げた、試験は壊れた、って聞かされた後だ。残りの金が本当に出るのか、雇い主に確かめたくもなるだろうさ」
爺さんのいる施設へ、あの連中も向かっている。あたしは窓の外を見た。
深い砂に入ると、先行車が停まって轍を選び直した。後ろの車も速度を落とし、同じ跡を踏んで進んだ。
上ではミッチのドローンが、車列の頭から尾までをゆっくり往復して、白の中に羽音だけを残していた。キャロルの回線は細く開いたままで、時々、名前と短い数字が流れ、一言の返事で全員の位置が揃った。
ソウルの声は滅多に乗らなかった。乗るときは、停まるか、進むか、どちらかだけだった。先行が停まって道を選ぶ間、キャシディの車だけが列から半歩外へ膨らんで停まり、走り出すと黙って列へ戻った。
あたしは水筒をもう一度受け取って、二口だけ飲んだ。今度は味がした。鉄臭くて、ぬるくて、ちゃんと水だった。携行食の甘さはまだ奥歯の裏に残っていて、身体はその甘さを、思ったより素直に燃やしているらしかった。眠気が一度だけ来て、揺れの底へ落ちる前に、箱の縁を握って戻った。
「寝ていいんだよ」パナムが鏡越しに言った。
「着いたとき、起きられる自信がない」
「なら、寝な。着く前に起こしてやるから」
あたしは頷き、少しだけ目を閉じた。
*
古い処理施設は、匂いから先に戻ってきた。
錆と、古い燃料と、澱んだ水の匂い。風が配管の隙間で細く鳴って、砂がタンクの腹を叩く、あの夜と同じ音がした。車列は燃料設備から距離を取った外周で停まり、灯りを全部落とした。
停まってからも、家族は急がなかった。パナムは先に降りて、後続の間隔をひと回りして直させた。ミッチはドローンを一度低く呼び戻し、砂を吸った機体を膝の上で確かめてから、また上げた。キャロルは回線を囁きの幅まで絞った。
キャシディは車列と施設の間の、闇のいちばん濃いところへ、音もなく立った。ソウルはまだ、何も命じなかった。
水槽の縁に、爺はいた。
椅子に縛られたまま、頭を垂れていた。車列が停まると、その頭が上がった。生きている。
腰を浮かせたあたしの前で、ソウルが手を上げた。
「まだだ」ソウルが低く言った。「数を見ろ」
施設の中の人影は、二種類に割れていた。
インデクサーを囲む護衛たち。足元には、封印ケースが置かれていた。
反対には、あの追跡車が停まっていた。降りたレイスたちは護衛へ背を向けず、間隔を空けて立っていた。
風の切れ目で、声が届いた。
「——前金は受けた。仕事もした。娘は逃げた。銃も、殻ごと逃げた。試験は失敗して、検索の索引まで欠けたと聞いた。それでも成功の残金は出るのか。出るなら、いつだ」
「成功条件は未達。期限は残っている」インデクサーの声は、試験室で聞いたのと同じ平坦さだった。「契約分類上、支払い事由はまだ発生していない。条件が満たされた時点で執行される」
「されれば、の話ばかりだ」
短い命令の声が飛んで、人影のいくつかが、指定されたはずの位置から外れた。戻れ、という声に、動かない背中が増えた。口論と、立ち位置の変化。まだ、それだけだった。いつまで持つのかは、誰にも読めなかった。
「射線は保て」ソウルがキャシディへ言い、キャシディは黙って頷いた。銃口は、爺と燃料設備を背負う向きには、一度も置かれなかった。
あたしとスキッピーの仕事は、回収だった。あたしは車の陰から、爺までの道を一本ずつ引いては、消した。どの線も、灰色の人影の前を横切った。数えても、まだ、なかった。
『USER』
殻の中から、囁きの音量で声がした。砂を噛んだ、今の声だった。
『見えてる。爺も、家族も、あの数も。……僕は今、数えることしかできない』
「その数えで、ここまで来た」
『うん。……うん。でも、ここから先は』
声は震えなかった。震えないまま、乾いていった。
『昔の僕には、二つしかなかった。非致死と、致死。切り替えれば、僕は、それになれた。今の僕が選んで作ったものは、全部——ここでは、間に合わない気がするんだ』
「スキッピー」
『USER。今だけでいい。僕を、殺せる僕に戻して』