スクラップ・ララバイ - Cyberpunk2077 作:imamo
『——ユキ。二度目だ。短くいく』
キャロルの声は、最初の通信より少しだけ太くなっていた。距離が縮んだ分、砂の帯域に通る幅が増えたらしい。
「聞こえてる。前方、灯り二つ。北寄りから」
『それがうちの先行車だ。パナムが乗ってる。今から前照灯を二度落とさせる。数えろ』
白の奥で、二つの暈が揃って消えた。間を置いて、戻る。もう一度消えて、戻った。
「二度。確認した」
『物理確認、済み。先行があんたを合流地点で停める。先行の後ろに主車列がいるが、灯りは絞ってある。見えなくていい。停まるまで、線から降りるな』
「後ろの一台は」
『見えてる。ミッチが上を飛ばしてる。あんたの仕事は、停まるところまで走ることだけだ』
回線は前より太いまま、前と同じ素っ気なさで切れた。あたしはハンドルの上の指を、一本ずつ握り直した。前の二灯は、もう「たぶん家族」じゃなくなっていた。
『USER』助手席の殻から、砂を噛んだ声がした。『後ろ、少し詰めた。前が増えたのを見て、勘定を締め直したのかもしれない』
「撃つ案は、出さないよ」
『出さない。……考えはした。でも、走ってる車と、この砂と、これから家族の車が入ってくる場所だ。外れた後の弾の行き先を、僕は数え切れない。数え切れないものは、案にしない』
「あたしも、同じところで捨てた。これは鍵の話でもない。数の話だけ、続けて」
『了解。距離、読み続ける』
先行車は白の中でゆっくり大きくなり、あたしの進路へ斜めに寄ってきた。前へ入り、少しずつ速度を落としていく。合わせて、あたしも落とした。踏み込みも急な減速もない、長い長い減速だった。窪地の縁の、風が畝で割れる場所で、先行車は停まり、あたしも停まった。
エンジンを切ると、耳鳴りが急に大きくなった。ずっと鳴っていたのだ。走行音が退いた分だけ、席を広げただけで。
運転席の窓を、拳が二度叩いた。パナムだった。ゴーグルを上げて、あたしの顔を確かめて、それから車内をひと回り見て、殻の上で目を止めた。
「よく停まった」開けた窓から、風と一緒に声が入ってきた。「そのまま座ってな。あんたは今、荷物を抱えて歩いていい身体じゃない」
バックミラーの中で、後ろの二灯が線から外れていくのが見えた。滲んで、小さくなって——消えたのではなく、別の向きへ流れた。上のドローンの羽音か、白の奥に増えていく車列の気配か、砂そのものか。どれが効いたのかは分からない。分からなくてよかった。あたしへ真っ直ぐ引かれていた線が、外れた。今はそれだけ数えれば足りた。
主車列は、灯りを絞ったまま、白の中から一台ずつ現れた。先行車の二灯とは別の、低く抑えた灯りの列。ソウル。ミッチ。キャロル。キャシディ。降りてきた人影は、それぞれ違う場所へ散った。
キャシディは車列のいちばん外に立ち、銃口を下げたまま、白の奥だけを見た。撃たない側から立ち位置を決める、あの立ち方ごと、家族だった。
「まず飲め。話は後だ」
ミッチだった。押し付けられたのは水筒で、撃てとも、報告しろとも言われる前に、それだった。
一口目は、味がしなかった。喉が水を思い出すのに二口かかって、三口目の途中で、あたしは自分で止めた。
「……まだ飲める。でも、後にする」
「それでいい」ミッチは水筒を受け取って、代わりに固い包みを開いた。落花生を糖蜜で固めた携行食。帰り道の分として、家族の車に残っていたやつだ。「一口ずつだ。急ぐな」
端を齧って、噛んで、飲み込んだ。甘さが乾いた喉の奥に貼り付いて、ゆっくり剥がれて落ちていった。二口目で、自分の手が少し震えているのに気づいた。残りは、ミッチが包み直して自分の胸元へ戻した。
「肩は」
「上がらない。耳も鳴ってる。……走れて、喋れる」
「なら処置は後だ。この砂の中でやっても雑になる」ミッチの手は、右肩の周りを服の上から確かめただけだった。治す手じゃなく、数える手だった。それでいい。治った振りをされるより、ずっといい。
ミッチと二人で殻を、蓋を開けた箱の支持へ戻した。箱は閉じ込める物ではなく、今は台としてだけ使う。
『それだけで、いい』殻の中から、砂を噛んだ声が答えた。『音は通ってる。……揺れが、さっきより丸い』
奪ってきた移送車は、そこへ置いていくことになった。キャロルが車体の位置だけを記録して、鍵にも、配線にも、荷室にも触らなかった。
ソウルは、輪の真ん中で短く言った。
「続ける。爺さんを拾いに、交換に使った古い処理施設へ戻る。道はうちが知ってる。仕事は今までのままだ。ユキとスキッピーは、回収だけを考えろ」
「分かった」あたしは言った。順番が、やっと爺の側へ向き始めていた。
*
車列は、家族の知っている道を使った。交換の夜に組んだ道筋の、本当なら帰りに使うはずだった側だ。ノースが運んでくれたのは、あたしたちの点と向きと天気だけで、道は最初から家族のものだった。
あたしはパナムの車の後席で、遮蔽箱の縁に左手を掛けていた。窓の外は白いままで、それでも夜明けの側から、白の質が少しずつ薄い灰色に変わっていくのが分かった。
風の畝を越えるたび、箱は防振部品の上で丸く揺れた。あたしの右肩には、丸くしてくれる部品がない。納め損ねた分の硬い揺れが、そのつど骨の奥まで届いた。それでも左手は、縁から離さなかった。
『観測、共有する』スキッピーの声が、車列の通信へ細く乗った。『さっきの一台。並走じゃない。離れる向きに見えて、方角は……古い処理施設と、同じ側。速度は一定。急いでない。それと、この先の窪地は砂が深い。前の車の轍が、二度沈んでる』
『受けた。車列へ流す』キャロルの声が返った。
「連中、前金しか受け取ってない」パナムがハンドルを握ったまま言った。「娘は逃げた、試験は壊れた、って聞かされた後だ。残りの金が本当に出るのか、雇い主に確かめたくもなるだろうさ」
勝ったのでも、逃げ切られたのでもない。あの二灯は、あたしを追う線を降りて、金の話に乗り替えただけだ。そして向かう先は、爺のいる場所と同じだった。
車列は急がなかった。砂の深い場所では先行が一度停まって轍を選び直し、後ろはその轍だけを踏んだ。速さより、全員で着くことを取る走り方だった。速度を落とすときは先頭から順に、全部の車が同じだけ落とした。誰かが遅れたからじゃない。遅れる前に、全員で落とすのだ。
一人のときは、速さはあたしの勘定だけで決まっていた。家族の速さは、全員分の勘定を先に足してあった。
上ではミッチのドローンが、車列の頭から尾までをゆっくり往復して、白の中に羽音だけを残していた。キャロルの回線は細く開いたままで、時々、名前と短い数字が流れ、一言の返事で全員の位置が揃った。
ソウルの声は滅多に乗らなかった。乗るときは、停まるか、進むか、どちらかだけだった。先行が停まって道を選ぶ間、キャシディの車だけが列から半歩外へ膨らんで停まり、走り出すと黙って列へ戻った。
誰も自分の役目を口にしなかった。口にしなくても、車列はそういう形で走っていた。
あたしは水筒をもう一度受け取って、二口だけ飲んだ。今度は味がした。鉄臭くて、ぬるくて、ちゃんと水だった。携行食の甘さはまだ奥歯の裏に残っていて、身体はその甘さを、思ったより素直に燃やしているらしかった。眠気が一度だけ来て、揺れの底へ落ちる前に、箱の縁を握って戻った。
「寝ていいんだよ」パナムが鏡越しに言った。
「着いたとき、起きられる自信がない」
「起こしてやるから」
起こしてやる、の一言が、思ったより深いところへ沈んだ。一人で走っていた道と、同じ砂の上だとは思えなかった。
*
古い処理施設は、匂いから先に戻ってきた。
錆と、古い燃料と、澱んだ水の匂い。風が配管の隙間で細く鳴って、砂がタンクの腹を叩く、あの夜と同じ音がした。車列は燃料設備から距離を取った外周で停まり、灯りを全部落とした。
停まってからも、家族は急がなかった。パナムは先に降りて、後続の間隔をひと回りして直させた。ミッチはドローンを一度低く呼び戻し、砂を吸った機体を膝の上で確かめてから、また上げた。キャロルは回線を囁きの幅まで絞った。
キャシディは車列と施設の間の、闇のいちばん濃いところへ、音もなく立った。ソウルはまだ、何も命じなかった。
水槽の縁に、爺はいた。
拘束されたまま、あの夜より少し低く、縁へ寄り掛かる形で。距離があっても、唇が乾いて割れているのは分かった。確かめられたのは、そこまでだ。それでも、車列の気配が届いたのか、爺の頭がわずかに起きて、目がこちらの闇を探した。見えてはいないだろう。それでも探していた。生きていた。
膝が先に浮いた。頭が数え終わるより早く、身体が爺までの距離を測り始めていた。走れば届く距離だ。届いた後で、どうにもならなくなる距離でもあった。あたしは膝を戻し、箱の縁に置いた左手を握り直して、爺の頭が下がらないことだけを数えた。喉の奥で、呼び掛けたい声が三度、続けて潰れた。
「まだだ」ソウルが低く言った。「数を見ろ」
施設の中の人影は、二種類に割れていた。
インデクサーの側に立つ、装備の揃った護衛たち。その足元の近くに、閉じたままの封印ケースが見えた。灯りも、声も、出ていない。ただの硬い箱として、そこにあった。
そしてもう一方に、あの追跡車がいた。別の動線から戻って、施設の反対側に停めてあった。護衛たちの立ち方と、車を降りた連中の立ち方は、遠目にも揃っていなかった。同じ側に見えて、同じ隊じゃない。真ん中にいるのは、灰色の作業着の細い姿——インデクサーだけだった。
風の切れ目で、声が届いた。
「——前金は受けた。仕事もした。娘は逃げた。銃も、殻ごと逃げた。試験は失敗して、検索の索引まで欠けたと聞いた。それでも成功の残金は出るのか。出るなら、いつだ」
「成功条件は未達。期限は残っている」インデクサーの声は、試験室で聞いたのと同じ平坦さだった。「契約分類上、支払い事由はまだ発生していない。条件が満たされた時点で執行される」
「されれば、の話ばかりだ」
短い命令の声が飛んで、人影のいくつかが、指定されたはずの位置から外れた。戻れ、という声に、動かない背中が増えた。口論と、立ち位置の変化。まだ、それだけだった。いつまで持つのかは、誰にも読めなかった。
「射線は保て」ソウルがキャシディへ言い、キャシディは黙って頷いた。銃口は、爺と燃料設備を背負う向きには、一度も置かれなかった。
あたしとスキッピーの仕事は、回収だった。あたしは車の陰から、爺までの道を一本ずつ引いては、消した。どの線も、灰色の人影の前を横切った。数えても、まだ、なかった。
『USER』
殻の中から、囁きの音量で声がした。砂を噛んだ、今の声だった。
『見えてる。爺も、家族も、あの数も。……僕は今、数えることしかできない』
「その数えで、ここまで来た」
『うん。……うん。でも、ここから先は』
声は震えなかった。震えないまま、乾いていった。
『昔の僕には、二つしかなかった。非致死と、致死。切り替えれば、僕は、それになれた。今の僕が選んで作ったものは、全部——ここでは、間に合わない気がするんだ』
「スキッピー」
『USER。今だけでいい。僕を、殺せる僕に戻して』