スクラップ・ララバイ - Cyberpunk2077 作:imamo
返事より先に、あたしは息を一つだけ数えた。吸って、吐く。その間、殻の中の声は待っていた。砂を噛んだ、今の声のままで。
「あたしの手では、戻さない」
『USER——』
「最後まで言わせて。あたしは、その改造をしない。大人しい側へ留めるのも、殺す側へ戻すのも、あんたの中身をあたしが決める仕事になる。そこには手を出さない」
『でも、今の僕じゃ間に合わない』声は震えなかった。乾いたまま、速くなった。『昔の僕なら迷わない。候補なら今でも出せる。連中の車。燃料の配管。構えてる全員。迷わない銃は役に立つ。役に立つ銃なら——』
そこで声が、自分で止まった。並べた候補が、二人で何度も潰してきた種類のものだと、本人が気づく間だった。役に立たなければ、置いていかれる。そう数えている声だった。その数え方に、あたしから名前は付けなかった。付けていい持ち物じゃなかった。
「あたしが出せるのは、二つだけ」あたしは言った。「境界。あたしは、あんたの人格変更に手を貸さない。誰の注文でも、あんた本人の頼みでも。それから、提案。今のあんたのまま、二人で作った鍵を使う。一発ごとに、二人で。鍵の外では、撃たない範囲と、見えてる数の共有。……使うかどうかは、あんたが決めて」
『あの鍵は遅いよ。作ったから知ってる。一発ごとに閉じて、また最初からだ』
「遅いのは、知ってて作った」
沈黙が来た。迷いのままなら、使わない。それも作った夜に二人で決めてある。あたしは急かさず、風が配管を細く鳴らすのを聞いていた。
『——使う』声が言った。『今の僕でやる。候補は僕が出す。危ないやつを出したら、拒否して』
「する。あんたも、あたしの危ないやつを拒否して」
『する。でも先に、鍵の外の仕事をやる。撃たない範囲——爺と、水槽と、燃料設備。見えてる数と向きを、家族の回線へ流す』
『受けた。車列へ流す』キャロルの声が細く返った。
『それと、一枚、こっちからも置く』キャロルが続けた。『あんたが会談で書き取った、原資と期限。あれを、連中が開けっ放しにしてる帯域へ流す。成功条件。期限は五月末日——あと数日。未達なら、残金は一エディも出ない。嘘は一行も足さない。向こうが自分の口で開示した事実を、原文のまま読み上げるだけだ』
「……本当のことは、銃より効く」煙草の匂いのする台詞が、勝手に口から出た。「流して」
抑揚のない機械の読み上げが、レイスの帯域を一往復した。
施設の中では、金の話がまだ割れ続けていた。読み上げが終わる頃には、割れ方が変わっていた。
「出るのか、出ないのか。それだけ答えろ」
「成功条件は未達。支払い事由は発生していない」
「なら、担保を貰っていく」
レイスの一人が、封印ケースの方へ歩き出した。制止の声にも、歩みは止まらなかった。その銃身が持ち上がりかけた途中で、インデクサー側の護衛が一発だけ撃ち、ケースへ歩いていたレイスが砂の上へ崩れて動かなくなった。
次の呼吸で、レイス側が撃ち返した。憎しみより勘定に近い、短い応射だった。回収側の一人が倒れて動かなくなり、もう一人が腕を押さえて配管の陰へ下がった。そこで双方が散り、撃ち合いは一度切れた。
残ったレイスは引き金から身を引いて、回収側からも、あたしたちからも距離を取った。前金と残金の話が、弾の形で決裂しただけだった。誰の命令でもなかった。
『続ける』ソウルの声が回線に乗った。『回収だ。仕事は変えるな』
施設の灯りが、生き残った投光器ごと外周へ振られ始めた。数を減らした回収側は、減った分だけ神経質になって、闇を光で埋めようとしていた。水槽の縁で、爺の頭がまだ起きているのが、光の端に見えた。まだ届く。まだ、数の内だ。
*
上では、ミッチのドローンが羽音を殺せる高さで円を描いていた。キャロルの回線は囁きの幅で開いたまま、短い数字で家族の位置を揃え続けた。キャシディは闇のいちばん濃いところから動かなかった。
あたしは殻を支持から起こし、蓋の開いた箱の縁へ預けて、左腕で腹を支えた。右手は、肩を上げずに届く低さでグリップへ置いた。右肩は、最初から勘定に入れなかった。
『最初の候補』スキッピーの声は、囁きの幅まで絞られていた。『南側の投光器、一基。目的は、家族が渡る地面から光を剥ぐこと。それだけの一発』
あたしは車の陰から首だけ出して、その一基を目で辿った。柱の根元に人はいない。爺の三十メートル線の外だ。燃料設備からも遠い。割れた破片が落ちるのは誰もいない砂の上で、外れた弾の行き先は施設の外壁だった。
「影響、見た。人なし。爺から遠い。燃料から遠い。外れても壁」
『同じものを見てる』
「承認する」
『承認するよ』
撃った。反動は支えた左腕を抜けて、上がらない右肩の奥で鳴り、耳鳴りが一拍だけ膨らんだ。光の柱が一本、音より先に消えた。
表示が一度だけ灯った。TWO-KEY: CLOSED。
『結果——暗くなったのは渡りの手前まで。ただし、この闇はうちの専用じゃない。向こうも同じ闇を使える』
その闇の中を、パナムの側の影が低く移った。走らず、屈んだ速さで、家族が一列、渡りの手前へ溜まった。位置が変わった。それだけのための一発で、それだけが要る一発だった。
『次の候補を、新しく作る』囁きが続けた。『搬出口の駆動部。錆で固まってるやつ。目的は、水槽側へ届く道。爺の三十メートル線の外。周りに人はいない。燃料からも遠い。……先に言っておく。一発じゃ全部は開かない。たぶん、途中で止まる』
「途中でいい。残りは手がある」
確かめた。駆動部の周りに人影はなく、破片は施設の内側の、誰もいない床へ落ちる。手順の残りは、もう身体が知っていた。見た。承認を重ねた。一発。
二発目の反動は、分かっていても同じ場所へ来た。錆が悲鳴を上げ、搬出口の枠が斜めに滑って——半分で止まった。
```
TWO-KEY: CLOSED。
```
『開いたのは半分。人が通るには足りない。それと、渡りの右手に射線が一本残ってる。ここから先は、鍵の仕事じゃない』
ミッチだった。止まった枠に取り付いて、義手の左を掛け、身体ごと引いた。錆の悲鳴に、もっと嫌な音が混ざった。金属が金属から外れる音。枠は人ひとり分まで開いて、ミッチの左腕は肘から先が妙な角度に垂れた。
『義手だ』ミッチの声が、回線の向こうで悪態を挟んだ。『接合部だけだ。腕本体は無事だ。行け』
開いた隙間へ、家族が入った。先頭はテディだった。角を回った瞬間、配管の陰から出てきた回収クルーの一人と正面からぶつかり、二人とも錆びた枠の上へ倒れ込んだ。湿った枝を折るような音がした。テディは右前腕を抱えて転がり、相手も肩から落ちて、武器を拾わずに這って下がった。
『テディ、そのまま動かすな。骨をやってるかもしれない』キャロルの声が言った。『順番を入れ替える。次』
渡りの正面が、塞がれた。残った護衛の一人が、水槽への通り道を正面に見る位置へ入り、開いた隙間へ向けて撃ち始めた。家族の足が止まった。爺までの最後の距離が、その一挺で塞がれた。
『新しい候補』スキッピーの声は、乾いたままだった。『あの護衛の、膝。目的は、渡りを塞いでる銃を、立っていられなくすること。……先に全部言う。膝なら安全だ、なんて保証は僕にはできない。血は出る。骨は砕ける。失血で死ぬことだって、ある』
「分かってる」あたしは男の背後を見た。「今は駄目。後ろに水槽が重なってる。重なってる間は、拒否」
『待つ』
待った。男が撃ちながら二歩、横へ移った。背後が錆びたタンクの腹だけになった。爺と重ならない。燃料と重ならない。それでも、人へ向く一発だった。そこだけは、どう数え直しても消えなかった。
「影響、見た。後ろは錆の壁。爺と重ならない。……承認する」
『承認する』
三発目の反動は、前の二発と同じ重さのはずだった。いちばん重かった。
男が崩れて、悲鳴が錆の匂いの中に立った。長い悲鳴だった。機械の的は、悲鳴を上げない。上げるものを、あたしたちは撃った。承認を二人で分けても、重さは半分にならなかった。
```
TWO-KEY: CLOSED。
```
『当たった。膝。出血が見えてる。USER、あれは処置がないと危ない』
「生かす。それも勘定のうちだ」
言い終わる前に、視界の端で別の影が回った。倒れた男の側にいた護衛が、銃口をこちらへ——あたしへ向けた。あたしの承認も、スキッピーの承認も、間に合わない速さだった。
乾いた一発が、車列の外から響いた。影は落ちて、動かなかった。
闇のいちばん濃いところで、キャシディが銃口を下げるのが見えた。頷きもしなかった。自分の弾がどこへ行ったか、この場の誰よりよく知っている顔だった。あたしの肩代わりじゃない。あの人が背負う一発だ。
施設の反対側で、エンジン音が一つ立ち上がった。レイスの車が、誰にも銃口を向けないまま、来た時とは別の暗がりへ抜けていった。残金の話は、死んだ一人と一緒に砂の上へ置き去りにされた。
レイスは、もう残っていなかった。残った回収クルーは武器を置き、配管の陰で手を上げた。
キャロルの目の前で弾倉を抜き、薬室を開けた。生きた一発を掌で受けて弾倉へ戻す。二十三発。声に出して照合し、弾倉はキャロルへ、銃殻は開いた箱へ戻した。
*
ウェイ爺の拘束は、手で外した。
水槽の縁の留め具には、最後まで一発も使わなかった。パナムが留め具を起こし、家族の手が一つずつ外していった。あたしは左腕しか出せなかった。それでよかった。抱える側の手は、足りていた。
「……砂まみれ」掠れた声が言った。「遅い」
「値切った分。差し引いといて」
乾いて割れた唇が、割れた形のまま少しだけ動いた。水は少しずつしか飲ませなかった。肋に触れると爺は顔をしかめた。ひびだろう、動かして確かめる場所じゃない、とキャロルが言った。脱水と、たぶん肋のひび。生きている。治ったわけじゃない。毛布ごと、家族の車の荷台へ運ばれていった。
膝を撃たれた男のところへは、あたしとキャロルで行った。血は手袋越しでも熱く、押さえた布は数えるより速く重くなった。男は悪態をつき続けた。キャロルの止血で血の速さは少しずつ鈍り、あたしは布を替えて押さえ続けた。
「死なせない」キャロルが男に言った。「搬送に回す。黙って運ばれろ」
悪態が細くなり、それでも切れないのを確かめながら、荷台へ載せた。悪態が続いている間は、生きている。
ミッチは外れかけた義手を胸の前で吊り、それでも片手でドローンを回収していた。テディは添え木を当てられる間、悪態のかわりに謝り続けて、パナムに「折れたのはあんたのせいじゃない」と遮られていた。
インデクサーは、封印ケースの脇から逃げなかった。撤退の車が動いたあとも、ケースの封を両手で押さえていたらしい。手首を縛られても、背筋は試験室で見たのと同じだった。あたしの顔を見て、同じ平坦さで言った。
「その個体は、監査を通らない」
言い返す言葉なら、いくつも持っていた。全部、使わなかった。黙って、その顔を見返した。その先を数えるのは、今夜の仕事じゃなかった。
封印ケースは、閉じたまま家族の車へ載った。キャロルが外側の状態だけを記録し、誰も開けなかった。灯りも、声も、出なかった。ただの硬い箱のまま、証拠として運ばれていった。
ソウルが、輪の真ん中で短く数えた。回収クルーの死者が二人、負傷が三人。レイスの死者が一人、残りは離脱。家族は死者なし、ミッチの左義手の接合部と、テディの右前腕。爺は脱水と肋のひび。細かい表は帰ってからだ、とだけ言って、ソウルは車列へ向き直った。
降伏した回収側の生存者は、武装を解いた。負傷者は搬送へ回し、歩ける者には水を持たせて施設から退去させた。インデクサーだけは、輪の審査へ送るため拘束を続けた。
夜明けが、砂の白を薄い灰色へ変え始めていた。あたしは荷台の縁で、蓋の開いた箱の横に座っていた。右肩は上がらないまま、耳鳴りは鳴ったままだった。三発分の反動が、まだ骨のどこかで順番を待っている気がした。
『USER。いつもの内部表示から、一つ』
「読んで」
『今夜の負荷で、媒体の安全余裕が下がった。正式な診断じゃない。僕が自分の計器を読んだだけの、暫定』
「うん」
『今は動ける。移動もできる。でも、次に安全な状態を書いて、この僕をもう一度起こせるのは——たぶん、あと一回だ』