スクラップ・ララバイ - Cyberpunk2077 作:imamo
勝った、とは、誰も言わなかった。
数える、とソウルは言った。あの夜明けから数日が経ち、暦は六月へ入っていた。旧回収契約の期限だった2078年5月31日は、誰の手も借りず、通り過ぎるだけで自分の仕事を済ませた。あたしは損害表のいちばん上に、まずその日付を書いた。日付だけは、勝ちにも負けにも色を付けずに確定してくれる。
書くのは、炭にした。細く削った一本と、予備が一本。インクと違って、炭の字は、消しても跡が残る。この表には、そのほうが合っていた。
治療区画は、朝のうちがいちばん静かだった。あたしは記録作業台へキャロルの治療記録を運び、包帯の交換記録、搬送先から届いた返答、弾薬の照合票を並べて、一行ずつ表へ移した。
奥の寝台から、時々、噛み殺した咳が届いた。肋のひびを庇う、爺の咳の形だ。咳が止むのを待って、続きを書いた。
『撃った弾は三発。投光器、搬出口の駆動部、膝。全部、鍵の記録と数が合ってる』スキッピーが遮蔽箱の有線の口から言った。砂を噛んだ、いつもの声だった。
「合ってる」あたしは照合票に印を付けた。「三発。行き先も書く」
武器庫の帳面も、最初の三十発から合わせた。カブキで三。TWO-KEYの試験で一。今夜、三。残り二十三。現場でキャロルと照合した数に合う。弾倉は武器庫へ返した。
カブキの三発には、あの夜の搬送記録へ遅れて付いた返答も添えた。太腿を撃った男は、脚の手術を終えて、生きている。それ以上は教えられない、と診療所の認証が付いていた。
『……緑色は、やっぱり血を消さないね』
「うん。消さない」
撃った。止血した。搬送した。生きている。四つを同じ行に並べた。最後の一つがあっても、前の三つは消えない。
雇い主は、不明、と書いた。値段を一度も見ない三人が誰の指示で動いていたのか、事実として書ける字は今もない。推定の欄にだけ、回収、と一語置いた。
回収クルーは、死者二。一人は、あたしへ銃口を向けて、キャシディに撃たれた護衛。もう一人は、離反したレイス側の反撃を受けて倒れた一人。撃ったのはレイスだ。射手の欄は書き替えなかった。書き替えたくなる欄だから、いちばん先に埋めた。
負傷は三。レイスの応射で腕をやられた一人。ウェイ爺の救出線でテディと正面からぶつかった一人。それから、膝。
膝の男については、搬送先から短い返答が届いていた。受け入れ、処置、生存。キャロルが自分の記録と突き合わせた。圧迫材を替えた回数、血が鈍るまでの時間、荷台へ載せた時刻。全部合っていた。
「生きてる」キャロルが言った。「搬送先が今朝、そう返してきた」
あたしは、撃った、と、止血して運んだ、を、同じ男の欄に並べて書いた。撃った、の最初の一字の途中で、炭の先が折れた。力の入れどころは、隠しても字に出る。折れた先を指で払って、握りを浅くして、残りを書いた。
無力化一、とは書かなかった。あれは数じゃなかった。膝で、血で、荷台の上でも切れない悪態だった。撃った責任と、生かした責任は、同じ紙の上に並べておく。
レイスは死者一。撃ったのはインデクサー側の護衛で、残りは離脱したまま戻らない。家族は死者なし。新しい負傷は、ミッチとテディの二人だけ。
あたしの右肩と耳鳴りは、この欄には入れなかった。試験室からの持ち越しで、新しくないからだ。消えてもいないけど。包帯を結ぶたび、肩の奥の同じ場所が軋み、耳の奥では細い音が鳴り続けていた。治るのと、慣れるのは別で、今のところ進んでいるのは慣れる方だけだ。
ウェイ爺は、治療区画の奥の寝台にいた。脱水は水の日数で薄まりつつあったけど、肋のひびは息をするたびに勘定を取り立てた。起き上がる時は寝台の柵を頼り、笑いは途中で止める。
「損害表かい」爺は掠れた声で言った。「おれは生きてる。それだけ先に書いとけ」
「書いた。いちばん上の、日付の次に」
昼、炊事の鍋から人数分の温食が配られた。豆と保存肉の煮込みに、焦げ目の付いた平焼き。配って回ったのはエミリーで、あたしの器には、豆が多めに入っていた。三月の朝と、同じ盛りだった。
あたしはポケットの小瓶から、炎の絵が六つ並んだやつを一滴だけ落として、一口目でむせた。
「毎回むせてるよね」
「毎回うまいんだよ」
エミリーは声を上げて笑って、次の器を配りに行った。宴じゃない。乾杯もない。生き延びた身体を、普通の運転へ戻すための飯だった。
ミッチは左義手を胸の前で吊っていた。接合部の交換部品はおよそ二週間待ちで、それまで左は飾りだった。テディは右前腕の添え木ごと三角巾で吊って、左手のスプーンを持て余していた。
「切ってくれ」ミッチが皿を寄越した。「頼むのは飯だけだ。ネジは頼まん」
「ネジは頼まれても回せない。単独の工房権、まだ止まってる」
「知ってる。だから飯だけだ」
あたしは保存肉を一口の幅に切り、平焼きを手で千切れる大きさに裂いた。テディの分も同じにした。テディは礼を言いかけて、パナムに「食え。冷める」と遮られた。ウェイ爺の分は治療区画へ運ばれて、爺は半分起きた姿勢のまま、肋の許す速さで食った。
自分の分は、温かいうちに食べ切った。豆は煮え過ぎで、平焼きは端が苦かった。うまかった。食べ終えると、ミッチの器とテディの器を集めて、自分の器と一緒に洗い場へ運んだ。三枚を砂で粗く擦り、配給の枠内の少ない水で流し、布で拭いて、棚の同じ段へ戻した。器が棚板に触れる硬い音は、損害表のどの行よりも、済んだ、という音がした。
*
ウェイ爺の欄は、二行に分けた。
身体は、助かった。店は、失われた。橋下の定位置、店の在庫、通いの仕入れ先との顔。まとめて一行にすると、助かった、の一語が残り全部を食ってしまう。だから別々の行にした。
「肋が塞がるまでは、ジャパンタウンの姪の家に厄介になる」爺は言った。「そのあとは、屋台のリヤカーからやり直しだ。歳を考えろと言うやつには、考えた結果だと答える」
「爺さん」あたしは言った。「爺さんを攫ったのは、あたしとあの銃を追ってた線だ。爺さんを載せたのは、あたしだ」
「載ったのは、おれが混合ロットを調べずに仕入れたからでもある」爺は割れた唇で笑いかけて、肋のせいで途中でやめた。「借金が溜まると、目利きが痩せる。あれはおれの勘定だ。全部お前が背負ったら、おれは何も払わずに済む。損害表ってのは、そんなに都合のいい紙じゃないだろう」
あたしは、あたしの行を書き、爺の行も書いた。どっちも消さなかった。
農場の東三列は、枯れたままだった。勝っても苗は起きない。枯れた株を抜き、土を篩にかけて残りの列へ回すかどうかは、まだ家族で決めていない。ソウルとパナムは、残った水の割り振りと、次の交易へ出せる分の組み直しを、升目の上でやり直していた。あたしは数字を読み上げる係だった。立会いのある仕事だから、まだあたしに残っている仕事だった。
共有工房の壁際には、スコーピオン名義の救難箱が四つ、並んだままだった。あたしは一箱ずつ、封の帯と期限の札を確かめた。水の缶が四本。止血材。ヒューズ。シール材。落花生と糖蜜の携行食が四本。四箱とも同じで、欠けはなかった。
損失の出た月だ。この四箱を一般在庫へ戻せば、水と交易の升目は少しだけ楽になる。誰も言い出さなかったから、あたしが先に表へ書いた。救難箱四、別枠、維持。一般在庫へは戻さない。墓標じゃない。余り物でもない。道で止まった誰かが、片手でも必要な物へ届くように、止血材をいちばん上へ詰めた、街道の安全設備だ。
期限の札を差し戻し、封の帯を締め直した。キャロルが台車を引き、あたしは左手で箱の向きを取って、四つとも壁際の同じ場所へ戻した。
ノアへの返し物は、布の上でやった。ロージーの防振の座と、留め金具。救出の移動支持にだけ使った借り物で、ナザレには一度も付けていない。刷毛で砂を払い、金具の溝を針金で浚って、元の布へ包み直した。
ノアは荷台の陰で受け取り、包みを開いて、部品を一つずつ確かめた。
「壊してない」あたしは言った。「直してもいない。借りた形のままだ」
「返った」ノアは短く言った。それは領収であって、承認じゃなかった。ナザレの札はWORK HALTED / CONSENT PENDINGのまま。キーは共有鍵盤のフック07のまま。ノアもあたしも、その札には触れなかった。続きの話は、返却とは別の日の、別の仕事だ。
あたしの単独工房権と単独交易権も、止まったままだった。スキッピーを取り戻しても、一族を交換と銃撃の夜へ巻き込んだことは消えない、とソウルは言った。片方で片方を払えるなら、帳面は最初から要らない。立会いのある仕事は残る。追放じゃない。ただ、行が別なだけだ。
*
契約の後始末は、短い通話が一本と、転送記録が一束。それで終わった。誰も企業のシステムに手を入れなかった。入れる必要がなかった。期限が、勝手に仕事をした。
レジーナからの転送記録を、損害表の照合欄に貼った。あの銃殻が辿ってきた、流通の記録だ。返却通知。手動受取待ち。未回収。保管期限。委託処分。横流し。カブキ。前からある連なりの末尾に、今回の一行が加わった。銃殻も、現在人格の差分も、契約先へは渡らなかった——成功条件の不成立。
レジーナが確かめたのはそこまでで、エスクローには指一本触れていない。触れる権限もなければ、触れる理由もない。
```
CONTRACT: EXPIRED
SUCCESS CONDITIONS: NOT MET
SUCCESS PAYMENT: NOT RELEASED
LEGACY RECOVERY CREDENTIAL: EXPIRED
```
四行とも、期限と不成立の行だった。誰かが剥ぎ取った行は一つもない。レイスへ渡った前金は、渡ったまま戻らない。動かないのは成功残金だけで、それはもう、誰の払いにもならない。
通話の一本は、ダコタからだった。
『レイスの残金を、バッドランズ側で仲介する気はない。うちの口は閉じた。それだけだ』
仲介口が一つ、静かに閉じた。それ以上のことは何も起きなかった。新しい買い手の話も、別契約の噂も、転送記録のどこにもなかった。
そこまで書いて、一度、手を止めた。炭で黒くなった指を、開いて、閉じる。紙の上の仕事でも、右肩は同じ場所から軋んだ。どこかで発電機が息継ぎをして、低い唸りに戻った。表の外にも、回っている音があった。
封印ケースは、保管棚の証拠札の下にあった。キャロルが外側の封と記録を照合し、あたしは立ち会って番号を読み上げた。封は交換の夜のまま。灯りも、声も、なし。開けない。電源も入れない。中の停止像をどうするかは、今日の帳面には載っていない欄だった。
インデクサーは、輪が決めた区画で生存拘束のままだった。監督はキャシディとパナムが交替で持ち、七日ごとに輪で審査する。審査は二回まで。二回目で、条件付きの追放か、どこかへの引き渡しかを必ず決め、決まった条件は本人にも読み上げる。期限のない拘束を、うちの帳面には作らない。
損害表の名前の欄は、空欄にはしなかった。事実と、推定と、不明を分けるのが、あたしの帳面だ。
```
提示名: MARA VENN
本人確認: 未了
資格: 未検証
委託元: 不明
```
一度だけ表示された文字列は、提示された事実として書く。それが本名かどうかは、あたしには書けない。書けないことは、書かない。……あの言い方を、あたしはもう知っている。
期限切れは、向こうの側でも仕事をしていた。回収の資格は失効。残余の予算は消滅。委託元——どこの誰であれ——へ帰る道の値段は、あの夜からずっと上がり続けている。拘束の区画であの背筋がそれをどう数えているのかは、あたしの帳面の外だった。
ノース宛の礼状は、途中まで書きかけてあった。
家族の受信口に、返信不能の一方向パケットが一つ届いていた。返信経路の欄は、最初から潰してあった。中身は手順書じゃなかった。古い、生のログだった。ノースがいつか、自分の全部のセンサーを一度に繋ぎ戻した時の。
```
SENSOR RESTORE: ALL CHANNELS
INPUT: SATURATED
ROLLBACK: FAILED
EMERGENCY STOP: TRIGGERED
```
四行で終わっていた。推奨の行も、正解の行も、ナザレの手順も付いていなかった。全部の感覚を一度に戻したら、溢れて、巻き戻しに失敗して、緊急停止で終わった。分かるのは、それだけだ。それだけを、傷跡の形のまま、切り取らずに寄越した。
あの白い中継の夜、ノースは自分の車体署名と現在区画を晒して、退出中、の表示を最後に残していた。この一方向パケットは、その続きの先から届いた。退出は、もう終わっている。返信経路が潰してあるのは、そう読めという意味だ。現在位置も、時刻も、次の行先も、どこにも書かれていない。別れの通信はなく、返す先もない。
礼状は、送る前に宛先を失った。あたしは書きかけの下書きを消して、損害表の隅に一行だけ書いた。受領一件。返信、不能。
損害表の最後の欄だけが、夜まで空いていた。
共有工房の灯りを絞った頃、有線の口からスキッピーが言った。
『USER。最後の欄を埋めよう。暫定の見積りのままだと、この帳面は閉まらない』
「いいの」
『僕の口だ。僕が開ける。……キャロル、いる?』
「いる」キャロルが作業台の向かいへ座った。「外部接続は全部切る。有線の読み取りだけ。書き込みはしない」
キャロルが外への口を一つずつ落とし、有線だけを残した。スキッピーが、限定診断口を自分で開いた。あたしは手を出さなかった。出したくなる手は、膝の上で組んでおいた。読み取りだけの診断が、有線の先で静かに走った。書き込みなし。再起動なし。結果は、三行だった。
```
CONTINUOUS OPERATION: AVAILABLE
CALENDAR FAILURE DATE: UNKNOWN
SAFE STATE WRITE / RESTART: 1 REMAINING
```
『閉じる』スキッピーが言い、診断口が内側から閉じた。キャロルが有線の口と権限の表を照合して、閉鎖確認、と記録した。
『読むよ』声は、砂を噛んだいつもの声のままだった。『一行目。僕は、今は普通に動ける。移動もできる。二行目。暦の上でいつ壊れるかは、分からない。明日かもしれないし、ずっと先かもしれない。これは誰にも読めない。三行目——』
「安全に書いて、もう一度起こせるのは、あと一回」
『そう。使えばゼロ。使わなければ、一回のまま。……今夜は、使わない』
「今夜は、使わない」あたしは繰り返した。約束というより、帳面の記載事項だった。三つは別々の行だ。動けること。いつかは誰にも読めないこと。残りが一回であること。混ぜて読めば余命宣告に化けるし、分けて読めば、まだ仕事の書き方ができる。
あたしは三行を、損害表の最後へそのまま写した。表示の上では、一行目と二行目は、読み終わると普通の光へ戻った。三行目だけが、戻らなかった。
```
SAFE STATE WRITE / RESTART: 1 REMAINING。
```
その一行だけが、灯りを絞った工房の中で、赤く、点滅し続けていた。