何度か試走を重ね、ミッチと一緒の仕事に出る許可が下りた。出発の日の夜明け前、炊事場ではもう鉄板が鳴っていた。
「起きたか」キャロルが、顔も上げずに言った。「座れ。あと三十秒で焼ける」
薄く延ばした生地で、保存野菜と合成チーズ風のペーストを包んで焼いた、巻き物だった。今日の仕事へ出る人数ぶんだけ、鉄板の端に並んでいる。皿に載った一本は、持つと指が少し熱いくらいで、噛むと生地の焦げの香りのあとから、野菜の塩気と、ペーストの粉っぽい酸味が来た。生地の裏には、鉄板の焼き筋がまっすぐに付いている。キャロルの焼くものは、いつも裏が几帳面だ。
「うまい」
「焦げは計算のうちだ」キャロルは言った。「あたしは井戸の便で出る。夕方には戻る。票の戻しを忘れるな」
白湯を飲みながら、端まで食べた。皿と椀を洗って棚へ戻し、腹に温かさが残っているうちに、上着を羽織った。手袋を尻のポケットへ突っ込む。
食っているあいだに、キャンプも起き始めていた。発電機の唸りが上がり、誰かが幌の砂を落とし、水場で桶が鳴った。
今日の仕事は三号風車のポンプ点検と、街道への救難箱の設置。共同作業票にミッチとあたし、ナザレの名前が並んでいた。
予定を声に出すと、炊事場からキャロルの「聞いた」が返った。
鍵盤のフック`07`から鍵を取り、持ち出し時刻を書いた。夕方には、鍵も作業票もここへ戻す。
タイヤと灯火を見て、ブレーキと駆動補助の停止を試した。
右グリップも緩んでいない。内側から先に減った跡が、掌に馴染んだ。
『おはよう、USER』スキッピーの声が、スピーカーから出た。『夜のあいだの異常、なし。音、視界、傾き、車輪、過不足なし。今日の票、僕も読んだ。ポンプの点検と、箱の設置。撃つ仕事は、載ってない』
「ない。今日は、数える仕事だけだ」
『いい並びだ』
水とグリス、点検用の部品をミッチのトラックへ積んだ。救難箱も一つ。四箱詰めたうちの最初の一箱で、蓋には`SCORPION`と書いてある。
スキッピーが、箱の梱包票を順に読んだ。
『水の缶、四。止血材。ヒューズ。シール材。落花生と糖蜜の携行食、四。……USER、これは、いい数だ』
「どういう数えかた?」
『誰かが、もう一日動くための数。撃った相手を数えるのとは、桁の使い方が違う』
「今日は、その桁で頼む」
ミッチが荷台の縁へ両手を掛けて、箱を短く揺すった。動かないのを見てから、今度は票を左右の手で挟んで持ち、積載の欄へ印を入れた。「積みは、いい」とだけ言う。
待っていた部品が届き、ミッチの左義手は直っていた。箱の揺れを止めた左手を見てから、あたしは荷台の扉を閉めた。
出がけに、共有の受信口へ、気象が一件だけ届いていた。発信元の欄は空。本文は一行きり。今日の風は、東から。そっけない書式に、一瞬だけ見覚えが掠めた。返す宛先は、その一行のどこにもない。あたしは写しを畳んで、票の裏へ挟んだ。
自分の水筒と昼の携行食は、胴の鞄へ入れた。
出発の場所まで、ナザレは押して歩いた。まだ匂いの残る作業用の黄色が、夜明けの薄い明るさを、どの車体より先に拾った。
農場の脇を通ると、東の三列が見えた。外された配管の先に、枯れた茎が立っていた。あたしはその横を、ナザレを押して歩いた。
その途中で、試射の区画から一発だけ、銃声がした。
肩が跳ね、ハンドルを押す手が止まった。朝の点検射だと分かっても、身体はすぐに動かなかった。息を三つ数え、また押し始めた。前を行くミッチが、少し歩調を落とした。
スコーピオンが死んで、一年になる。出発場所に着いたところで、あたしはミッチの横へ並んだ。
「今日は、最後尾を走るよ」
「ああ」
「出るかどうかは、走り出す時に決めていい」ミッチは言った。
「乗る」あたしは言った。
*
並んだのは、その朝の仕事へ出る数台だけだった。井戸の便の車。牧柵の見回りの車。ミッチのトラック。最後尾にナザレ。仕事着の車列だ。
先頭寄りに、車一台ぶんの間が空いていた。スコーピオンが走っていた位置だ。あたしとスキッピーは最後尾で、経路の確認を受け持った。
出発の線で、走行計の`000000`を確かめた。まだ何も数えていない、六つのゼロだ。
最初の一マイルは、危険の通報以外、誰も無線を使わなかった。エンジンの音。砂が外装に当たる音。東からの風。遠くで、風車の軋む音。誰も速度を上げず、誰も振り返らなかった。
先頭の車が段差を越え、空いた一台ぶんを挟んで、次の車が同じように揺れた。
一マイルの境で、ミッチが一度だけ、ホーンを鳴らした。
同じ境で、走行計が`000001`へ、一つだけ進んだ。殺した数を数える表示は、どこにも点いていない。空いていた車間が、静かに閉じた。
井戸の車と牧柵の車が分かれていき、街道の待避帯に、ミッチのトラックとあたしたちだけが停まった。箱は二人で降ろした。ミッチが両手で重さを受け持ち、あたしは左手を底へ添えて、揺れと向きを見た。街道から見える標柱の根元へ据えると、ミッチが胸ポケットから炭を出して、`SCORPION`の名義の下へ、二行を書き足した。
```
TAKE WHAT KEEPS YOU MOVING
NO DEBT
```
あんたを動かし続けるものを持っていけ。借りは、なし。ミッチは書き終えた蓋を、街道から読める向きにした。
帽子のつばへ指を当てて、ミッチはトラックへ戻った。
*
置いたら、行く。共同作業票には、三号風車のポンプ点検が残っている。あたしはナザレの前輪を、三号風車の方角へ向けた。
三号風車までの道は、途中から固い路盤に変わる。ミッチのトラックが先で、砂の上へ轍を二本引いていく。窪みの手前でブレーキ灯が二度点いて、運転席の窓から手が出て、右を指した。
『窪み。右へ寄れ』通信は、それだけだった。
「了解」
ペグの上へ軽く立ち、膝で振動を逃がしながら、轍の右へ寄った。路盤の継ぎ目を踏むたび、細かい手応えがハンドルへ返る。スキッピーの補正も入った。試走の時ほど揺り返さず、車体がまっすぐ戻った。
下り気味の直線で、あたしは一度、自分の手だけでブレーキを掛けた。決めてある確認だ。人間の手が先に効くこと。効いた。
『確認。制動は人間優先。記録した』
それで、朝の点呼の残りが終わった。
東からの風だと、トラックの砂埃は道の左へ流れる。あたしは右の轍を選んで、埃の薄い側を走った。追い風は楽だが、油断すると速度が勝手に乗る。手首をわずかに戻して、決めた速度の中へ収め直した。
『USER。路盤の継ぎ目、この先も同じ間隔で来る。数えようか』
「数えて、どうするの」
『どうもしない。間隔が分かると、補正の支度が楽になる。それと、……少し、楽しい』
「なら数えて」
『七つ目』しばらくして、『八つ目』
丘を越える途中、北へ行く水運びのトレーラーとすれ違った。運転台の男が指を二本立て、ミッチが同じ挨拶を返した。あたしも真似た。
継ぎ目の拍と、エンジンの拍が、しばらく別々に鳴っていた。その二つの間へ、スキッピーが、音を三つ置いた。
高さの違う短い音が、三つ。あの鼻歌とは違った。車輪が次の継ぎ目を踏むと、もう一つ鳴った。
「今の、よかった」
『記録はした。でも、再生はしないでおく。ああいうのは、鳴る時に鳴るやつだから』それから、こいつは続けた。『それより、USER。この走行計、マイルしか数えない。でも僕は、継ぎ目も、風車の回転も、箱の中の缶も数えられる。数えるものを選べるのは、いいね』
「答えの残り半分、見つかりそう?」
『候補が増えてる。急がない』
三号風車が、朝の光の中で回っているのが見えてきた。羽根の影が道まで長く伸びて、回るたび、明るい帯が路面を順番に通っていく。
『よく回ってる』スキッピーが言った。『でも、回ってることと、健康なことは別だ。汲み上げの数字は、風のぶんを差し引いて読む』
「そのために行くんだ」
着いたら軸受の音を聴き、パッキンと基礎のボルトを見る。それから汲み上げ量を測る。ミッチに票を持ってもらい、スキッピーと数字を確かめる予定だ。
工具巻きの留めを、肘で確かめた。聴診棒も予備のパッキンも積んである。
ミッチのトラックが、風車の影へ入って速度を落とした。低いポンプ小屋の屋根が見えた。
『着いたら最初に、僕が振動の基準を取る。三十秒、エンジンを切って静かにして』
「分かった。静かに、ね」
『USERの呼吸は、差し引かない。あれは、基準のうち』
東からの風。走行計の`000001`。回っている三号風車。風の後ろへ流れて消えた、三つの音。あたしはアクセルをわずかに開けて、トラックの轍の間へ戻った。
スピーカーの奥で、息を吸うみたいな、短い間があった。
『一マイル。次は、ユキ?』
「三号風車」
『その後は?』
「走ってから、決める」