スクラップ・ララバイ - Cyberpunk2077 作:imamo
交易の前の晩、あたしはサルベージ小屋の灯りを一つだけ点けて、切ったはずの線をつなぎ直した。
撃発アクチュエータの電源線。第四夜に外して、コネクタごと小箱に仕舞った二本だ。外したものは、いつか戻す日の形で保管する。ただの修理屋の癖で、戻す日が来るとは思っていなかった。来てほしくなかった、のほうが正確かもしれない。
絶縁テープを解くと、糊が端子の金の上に薄く残った。あたしはそれを溶剤で拭って、布で乾かした。その夜、死んでいた撃発系を、銃として動くところまで直した。それから接いだ。丁寧にやれる場所はそこまでで、つなぐという判断そのものは、どれだけ手をかけても丁寧にはならなかった。
弾倉と三十発は、武器庫のテントで借りた。夜の武器庫は油と防錆剤の匂いがして、預かり品の銃が布を掛けられて棚に並んでいた。眠っている道具ばかりの中で、起きているのは帳面番のランプだけだった。整備待ちの棚から状態のいい弾倉を一本と、弾薬を三十発、正規の帳面に書いて。理由の欄には「道中の護身」と書いた。帳面番のテディは欄を一瞥して、何も言わずに判を押した。嘘じゃない。全部でもない。
帳面の一つ上の欄にはパナムの名前があって、その上にはキャシディの名前があった。護身の欄に嘘を書かない人たちの列に、あたしの半分の嘘が並んだ。判の音は軽かった。軽い音ほど、あとまで残る。
小屋に戻って、弾を込めた。一発ずつ、バネの重さが指先に増えていく。三十発。数えるのが好きなあいつに、いちばん数えさせたくない数字を、あたしの指が数えながら込めていく。込め終わった弾倉は銃には差さず、バッグの別の仕切りに立てた。差すのは要る時だ。要る時なんか、来なければいい。
仕切りの布越しに、弾倉の角がバッグの外から触って分かった。すぐ分かる位置に入れたのは、ほかでもないあたしだった。
『……撃てる僕に、戻すんだ?』
スキッピーの声は、いつもより一段静かだった。
「保険。使わない保険」
『使わない保険。記録します』それから、いつもの調子が半分だけ戻った。『大丈夫、USER。保険は僕の得意分野! ……たぶん』
『保険の統計を言ってもいい?』
「言うな」
『了解。……言いたかっただけ』
言いたかっただけ、を言える程度には、あいつはいつも通りだった。あたしはバッグに止血帯を二本足した。護身ってのは弾のことじゃないぞ——荷造りのたびに聞かされる、ミッチの口癖だ。弾と、止血帯と、ウェイ爺の「来るな」と、ワトソンから来た四件のスキャン。全部を詰めて、蓋を閉めた。
家族には、何も言わなかった。言えば銃の話になる。銃の話になれば、全部の話になる。全部の話をする勇気だけが、バッグのどの仕切りにも入っていなかった。
夜明け前、キャロルのバンは定刻に出た。窓から見えるキャンプは、まだ半分眠っていた。ミッチのトレーラーの窓に灯りが一つあって、あたしは見なかったふりをした。見れば、降りて話したくなる。話せば、この荷物ごと預けたくなる。バンは、風車の影を三つ数える速さで、家族から離れていった。
*
ウェイ爺の露店は、消えていた。
四月の市場は三月と同じ顔で回っていた。同じ湯気、同じネオン、同じ雑踏。その中で、橋の下のあの一角だけが、抜けた歯みたいに暗かった。台の脚の跡が四つ、油染みの中に残っている。商売道具ごと綺麗に引き払われていて、夜逃げの跡というには整いすぎていた。誰かが片付けた跡だ。片付けた誰かは几帳面で、急いでいなかった。
バッグの網目の内側では、スキッピーの光学が起きていた。出る前に二人で決めた取り決めだ。見るだけ。喋るのはあたしが独りの時だけ。撃つ話はしない。三つ目がいちばん怪しいことは、二人とも口にしなかった。
隣で乾物を売るおばさんが、あたしを見て手招きした。声が低かった。
「魏さんなら、十日ほど前から見てないよ。その少し前に、男が三人来た。買い物もしないで、先月の混合ロットはどこへ流れたって、そればっかり」
「……どんな男たち」
「市場の人間じゃないね。値段を一度も見ないんだ。歩き方が綺麗すぎる」
「爺さん、いなくなる前に何か言ってた?」
「あんたが頼んだ予備の弁、仕入れに行くってさ。それっきり」おばさんは声をさらに落とした。「仕入れ先で何かあったんだろうって、みんな言ってる。みんな、それ以上は言わない。それとあんた——砂まみれの小娘のことも、訊いてたよ。気をつけな」
礼を言って離れた。心臓が歩幅より速くなっていた。
市場は、あたしの心臓に構わず朝の仕事をしていた。氷を割る音。値札を書き直す筆の音。巻き上げシャッターの開く音。世界がいつも通りであるほど、いつも通りでないものの輪郭が、はっきりしていった。
向かいの麺屋にも訊いてみたけれど、麺屋は鍋から顔を上げなかった。聞こえなかったんじゃない。聞こえない側を選んだ目だった。市場の恐さは、銃より先に、ああいう沈黙で来る。
いつもの道順を、身体が勝手になぞろうとした。二秒遅れの前まで来て、決済の画面を出して、あたしはボタンを選べなかった。味の一覧が、ただの色の並びに見えた。筐体はいつも通りだった。冷却ファンの軸ぶれも、取り出し口の縁の欠けも先月のまま。変わったのはあたしの側だ。機械は正直で、揺れるのはいつも、人間の都合のほうだった。
『新商品が二種、入荷しています』網目の奥でスキッピーが小声で言った。『……買わないの?』
「今日は、いい」
画面を閉じて歩き出した。楽しみは、楽しめる日のためにとっておくものだ。
環状の南の出口へ向かう途中、リトルチャイナへ続く通りの奥に、トムズの看板のネオンが見えた。バーガーの形の灯り。いつもなら、帰りに寄る店。足が半歩そっちへ向いて、あたしは戻した。今のあたしの後ろには、たぶん目がついている。行きつけってのは、悪い客を連れ込んだ分だけ、行きつけじゃなくなる。
ネオンに背を向けるのは、思ったより力の要る仕事だった。歩きながら、代わりに数を数えた。手すりのボルト。屋台の脚。吊るされた提灯。数は床板だ。あいつに教わったのか、あたしが教えたのか、もう分からなくなっている癖だった。
*
最初に猫を見たのは、環状の北側だった。
右耳の欠けた砂色。屋台の脚の間で、後ろ足の付け根を舐めていた。あたしは目の端で確かめて通り過ぎた。生きた獣は、こんな日でも少しだけ床板になる。毛づくろいの舌の動きまで、妙にゆっくり見えた。過覚醒の目は、要らないものほどよく映す。
二度目に見たのは、十五分後だった。
同じ猫が、同じ屋台の脚の間で、同じところを舐めていた。
足が止まりかけて、あたしは無理やり歩幅に戻した。
違う。猫は動いていない。動いているのは、あたしだ。進んでいるつもりで、あたしは環をぐるりと一周させられている。思い返せば、看板の並びも二度目だった。壁の落書きも——青い魚の絵。一周目はただの落書きだった。二周目の青い魚は、道標になった。角ごとに人の流れが不自然に詰まって、あたしの進路だけが、緩く内側へ曲げられていた。羊の追い方だ。犬は吠えない。ただ、行ける道を減らす。
思い込みかもしれなかった。だから、確かめた。次の角を、わざと流れに逆らって外側へ折れてみる。三歩で、前から来る人の壁がゆっくり厚くなった。荷車が一台、狙ったみたいに道を塞ぐ。誰も、あたしを見ていない。見ていないのに、道だけが閉じる。
思い込みじゃ、なかった。
『USER』スキッピーの声から冗談が抜けた。『時計方向で報告する。十時の方向、灰色の上着が二人、視認三回目。四時に一人。距離、三十と五十。それと、心拍が上がってる。市場が楽しい? ……違うね。冗談の在庫が、切れそうだ』
「数えてて。あいつらの位置だけ」
『それと、提案が一つ。走る前に、靴紐』
見ると、右の紐が緩んでいた。屋台の陰にしゃがんで結び直す。銃のくせに、いい目をしている。いい目が今日は、褒め言葉にならなかった。
結び目は二重にした。走る先も決まっていないのに、足だけが先に支度を済ませた。
歩きながら、頭の別の場所で勘定が回った。奴らはどうやって、あたしに辿り着いた? 魔法の電波なんかじゃない。帳簿だ。処分された誰かの在庫の記録。混合ロットの売り先。ウェイ爺の端末に残った取引の時刻。野良回線に残った、整備図面の検索の履歴。そして、月に一度、同じ日の同じ場所に停まるキャロルのバン。全部つなげば、砂まみれの小娘が浮かぶ。浮かばないほうがおかしい。
なら、バンには戻れない。戻れば、キャロルごと帳簿に載る。
キャロルは日暮れ前に出ると言っていた。あたしが戻らなければ待つ。待てば、キャロルも見られる。あたしは市場の使い走りの子に小銭を握らせて、伝言だけ先に投げた。先に出て。あたしは別口で帰る。嘘の下書きみたいな文面だった。子どもは小銭を握って人混みに消えた。あの足の速さだけが、今日この市場で、あたしの側にある速さだった。
人の流れを二つ横切って、外周へ抜ける裏道に入った。振り切るなら、人混みより路地だ。ノーマッドの足は、遮蔽の多い地形で生きる。頭のどこかで、去年の襲撃の夜の走り方が勝手に再生されかけて、あたしは再生を途中で止めた。あの夜の続きまでは、要らない。
頭の中の地図では、この路地は隣の通りへ抜けている。
地図が、古かった。
*
路地の先は、新しい鉄板とコンテナで塞がれていた。溶接の焼け色が、まだ青い。
振り返ると、入口の逆光に人影が二つ、ゆっくり立ち止まるところだった。三人目の足音が、コンテナの向こうで聞こえた。囲いは、最初からここに用意してあった。
精査。鉄板の高さ、二メートル半。足場なし。コンテナの隙間は肩幅の半分。壁の上には有刺線。出口は、入ってきた口だけ。叫んでも、誰も来ない。ここの人混みは銃の気配に敏感で、敏感だから、来ない。
『経路、消失』スキッピーが言った。『USER、下がって。壁を背に。……来るよ』
灰色の上着が、急がずに近づいてくる。急ぐ必要がないと知っている歩き方だった。三人の間隔は教科書どおりに開いていて、つまり、教科書を持っている連中だった。先頭の一人が、歩きながら手袋を直した。作業の前の仕草だ。あたしを、作業だと思っている。
作業なら手順があるはずで、手順があるなら崩せるはずだった。あたしは壁に背中を付けて、呼吸を三つ数えた。三つでは、何も思いつかなかった。四つ目の途中で、考えるのをやめた。考えて出る答えの棚は、もう全部開けた。
バッグの中で、何かが起き上がる気配がした。
切ったはずの回路の、もっと深い場所からだ。あたしが緩めた坂の、さらに下の層。あたしが手を入れた重みの表なんか素通りして、工場で焼かれた反射が、埃を払って直接立ち上がる。
『戦闘プロトコル、復帰』
スキッピーの声に、聞いたことのない層が重なった。明るくて、平らで、どこか遠い。あたしの知っているあいつの上に、知らない時代のあいつが透けた。
『USER——』一瞬だけ、いつもの声が割れ目から顔を出した。『ごめん、僕の古い層が、勝手に——』
声は、また遠くへ沈んだ。
『所有者情報、未確定。"使用者様"を暫定登録。開始前に、操作モードの選択が必要です』
「……何の」
『操作モードを、次の二つから選択してください』
路地の入口で、灰色の上着が足を止めた。
『第一モード、子犬を愛する平和主義者。第二モード、冷酷な殺戮者』
お気に入り・しおりが一件増えるたびに小躍りしています。
みなさまありがとうございます。