スクラップ・ララバイ - Cyberpunk2077 作:imamo
「平和主義者」
あたしは吐きそうになりながら言った。選んだというより、口が先にそっちへ倒れた。冷酷な殺戮者、なんて言葉は喉が通らない。通らなかった言葉の残りが、答えになった。
『選択モード、子犬を愛する平和主義者。下半身を優先します』スキッピーの声の遠い層が、ほんの少しだけ、いつものあいつに近づいた。『大丈夫、USER。脚だけ。誰も死なせない』
誰も死なせない。あたしはその言葉を信じたかった。信じる以外の持ち札が、もうなかった。
灰色の上着が距離を詰めた。右手が、上着の内側へ。
時間が変な伸び方をした。先頭の男の靴の砂。二人目の肩の高さ。壁のグラフィティの赤。要らない細部ばかりが順番に鮮明になって、考える場所が頭から手に移った。手をバッグの中へ滑らせ、別の仕切りから弾倉を抜いて、銃に差した。そのままグリップを握り、バッグごと銃を持ち上げて、壁を背に、腕を伸ばした。布越しの照準なんて無茶だ。無茶のはずだった。スマートガンには、関係なかった。網目の奥で見て、照準解を出すのはあいつだ。撃つと決めて引き金を引くのはあたしで、あいつが時機を合わせられるのは、あたしが引いているあいだだけだ。
三点射。
銃口が布の中で跳ねて、手首の骨まで震えが抜けた。音が耳の中を白く塗り潰す。焦げた樹脂の匂い。膝が落ちかけて、壁が背中を支えた。銃声は、破裂音の棚に入らなかった。もっと近い、あたし自身の音だった。自分の手から出た音には、隠れる場所がない。
見る、と口が動いた。整える。撃つのは——もう終わっている。
薬莢が三つ、バッグの底で澄んだ音を立てた。場違いに、綺麗な音だった。
先頭の男が脚を抱えて崩れた。バッグの網目の奥で、UIが緑色に光る。
```
TARGET: NEUTRALIZED
```
緑の字は綺麗だった。丸みのある、優しい書体だった。
男の太腿からは、綺麗じゃない色が、コンクリートの継ぎ目に沿って広がっていた。
二人目が下がった。三人目はコンテナの陰から出てこなかった。追ってこない。あたしが撃ち返すと思っている。それでいい。撃ち返す気なんか、最初からなかった。
路地に市場の音が戻ってくるまで、長い数秒があった。売り声。決済の電子音。誰かの笑い声。三点射のぶんだけ空いた穴を、街の音が何事もなく埋めていった。
撃っているあいだ、スキッピーが歌っていた。
三音の、崩れた鼻歌。人の脚を撃ち抜くあいだ、あいつは作業の時と同じ調子で鳴っていた。
そのことが、緑色の字より深いところで、あたしを揺らした。歌いながら撃つ機械を、あたしは自分の手で温め直して、名前で呼んで、夜食の隣に置いてきた。その全部が間違いだったとは、思えなかった。思えないことが、いちばん怖かった。
*
あたしは倒れた男に駆け寄った。
逃げるより先に、膝が地面についていた。頭で決めたんじゃない。ポンプが破裂したら潜るのと同じ場所から、身体が動いた。
『USER、待って、安全確認が——』
スキッピーの声は半分しか耳に入らなかった。男の手は銃じゃなく、傷を掴んでいた。それで十分だった。
太腿の内側。噴くように出ている。拍と同じ周期で。動脈だ。緑色の「無力化」の下で、この人は普通に死ぬ。
止血の講習は、十四の年から毎年受けている。砂漠の家族の必修科目だ。膝をつく位置。傷より心臓に近い側。締める強さは、痛がらせて正解。頭の中でキャロルの講習の声が再生されて、手がそれを追いかけた。バッグの止血帯——ミッチの口癖ごと詰めてきた二本のうちの一本を、脚の付け根に回す。巻いて、締める。血で指が滑る。拭って、もう一度。ロッドを回すと、男が呻いた。
「——何なんだ、お前」男の声は、痛みの下で本気で混乱していた。「撃っといて、止血までするのか」
「両方できないと、うちでは食っていけない」
止血帯の下で、噴く色が滲む色に変わった。あたしは端末で、近くの無人搬送を一台呼んだ。呼び出しに五エディ。つながるまでの案内音声にも、たぶん課金されている。助けを呼ぶのにも金を取る街で、あたしは自分が撃った相手の搬送代を払っていた。笑う余裕は、なかった。
搬送車が来るまでの三分、あたしは男の脈を見ていた。逃げる時間を、それに使った。
使えたのは、バッグの網目の奥で、あいつが起きていたからだ。
『十時と四時、二名。後退中。照準解は保持。……撃たないよ。保持だけ』
保持だけ。撃ち返せる銃が起きている——それだけのことが、路地の入口の二人を、それ以上進ませなかった。
「……なんで」男が、白い顔で繰り返した。「撃ったのに」
「撃ったからだよ」
答えになっていない答えだった。それ以上の言葉を、あたしは持っていなかった。
搬送車は白い箱型の無人車で、側面に料金表と、笑顔の看護師の絵があった。絵の看護師は、雨にも銃にも汚れない場所から笑っていた。男を載せて、行き先の診療所の名前を控える。あとで、生きているかどうか確かめるためだ。撃った数は、確かめないと、ただの緑色の字になる。
二人目と三人目は、もう路地にいなかった。あたしを追うより、転がった仲間と噂の始末を選んだんだと思う。
逃げる前に、銃を安全な形へ戻した。弾倉を抜き、薬室を開ける。生きた一発を掌で受け、弾倉へ戻した。二十七発。弾倉は銃と別の仕切りへ入れ、薬室が空なのを指と目で確かめた。
路地を出て、裏の給水栓で手を洗った。水は細くて、なかなか落ちなかった。工具袋の隅から、エンジンの油用の爪ブラシを出して、いつもの油と同じ手順で擦った。同じ手順にしか、手が動かなかった。それでも爪の間に、血と焦げた樹脂の匂いが残った。腹の底が食べ物を拒んでいた。あたしは自販機で水と糖の粒だけ買って、胃に落とした。バーガーもピザも、今日は喉を通らない。好物は、こういう日には効かない。効かせちゃいけない。効かせたら、こういう日のたびに、好物が一つずつ駄目になっていく。
壁に手をついて、指を開いて、閉じた。震えは関節の奥に引っ込んでいた。引っ込んだだけで、いなくなってはいない。順番は知っている。今夜、寝る前に、もう一度出てくる。
スキッピーは、しばらく黙っていた。あいつの沈黙は、長さがそのまま重さだ。
『……USER。僕、歌ってた』
「うん」
『脚だけ、だったのに。あの人、たぶん、危なかった』
「危なかった。あんたのせいじゃない。引いたのは、あたしだ」
『緑色は、嘘なの?』
「本当のことも、ある」あたしは水をもう一口飲んだ。「無力化は、した。でも緑色は、血を消さない」
『……表示の仕様に、血の欄がない』
「うん」
『空欄だ』スキッピーは小さく言った。『埋めなくていい空欄と、埋めなきゃいけない空欄が、あるんだね。……あの人の血の欄は、どっち』
「埋める。あとで、生きてるかどうかって形で」
『じゃあ、診療所の名前は、僕が覚えておく』少しだけ、声に張りが戻った。『それは、僕にできる係だ』
*
バッグの中で、何かが二度、点滅した。
閉じた店のシャッターの窪みにしゃがんで、診断器を当てる。撃った反動か、戦闘プロトコルの復帰のせいか、深いところの古い回路が、もう一つ動いたらしい。壊れた地図の破れ目で、四十九と読めていた数字が、書き換わっていた。
```
[FTL MAP B / ACTIVE]
CURRENT INCAPACITATED COUNT: 50
RETURN DIRECTIVE: ARMED
```
五十。
さっきの一人で、五十。
あの単位のなかった数字は、これを数えていた。そして今日、あたしが一つ進めた。四十九人の知らない誰かの列のいちばん後ろに、太腿を押さえたあの男が並んだ。列の長さを、あたしはまだ、あいつに教えていない。教える日は来る。来させる。ただし、今日じゃない。今日のあいつには、五十の意味より先に、五十の恐さが刺さっている。恐さの手当てが先だ。手当ての順番なら、あたしの得意分野だった。
『……USER』スキッピーの声が、遠い層に触れかけて、戻った。『変な命令が起きてる。「レジーナに返せ」って。レジーナって、誰? 僕、その名前を知らない。知らないのに、身体が知ってる。喉の奥が、その名前の形をしてる』
「あたしも知らない」
『じゃあ、行けば分かる?』
あたしは、血の乾きかけた手を見た。
ここで銃を捨てるのは簡単だ。ゴミの山なら選び放題の街で、捨てて、バンに戻って、何もなかった顔で家に帰ればいい。それがたぶん、いちばん賢い。
でも、五十まで数えて、自分が何を数えたのかも、命令の宛先も思い出せないでいる機械を、路地の血だまりの横に置いていくことは、できなかった。賢さの帳簿には載らない理由だ。載らない帳簿を、あたしはもう一冊、持ってしまっていた。
『USER』スキッピーが、静かに言った。『行かなくても、いいんだよ。僕をここに置いていくのも……選択肢に、入れておいて』
「入れない」
『どうして』
「あんたが今、それを言ったからだよ」
レジーナの名前の出所は、訊いて回るまでもなかった。市場でレジーナといえば、答えは一つしか返らない。カブキのヤイバ・タワー。ワトソン一帯の仕事を仕切る、元メディアのフィクサー。子供でも知っている名前を、あたしの銃だけが知らなかった。
夕方の環状市場を、あたしは今度は、自分の足取りで歩いた。追われていない歩き方を思い出すのに、二百歩かかった。二百歩のあいだに、市場は何事もなかった顔に戻っていた。路地の血には、もう誰かが砂を掛けたはずだ。この街の路地は、忘れるのが仕事だ。忘れない係は、あたしとあいつで足りる。
ヤイバ・タワーは、市場のどこからでも見えた。近づくほど屋台の音が薄れて、代わりに空調の低い音が増えていく。音の入れ替わりで縄張りの境目が分かる街だった。
*
ヤイバ・タワーの上階は、市場と別の星だった。
床が静かで、空気に油の匂いがなくて、待合の椅子は座り方の分からない柔らかさだった。壁には、ワトソンの古い報道写真が額に入って並んでいた。メディア時代の戦利品だと思う。写真の中の街は今より若くて、今と同じくらい、嘘つきの顔をしていた。
砂まみれの上着と、袖口の乾いた血が、この階では騒音みたいに浮いた。受付の男はあたしを二度見て、二度目で通した。フィクサーの客は身なりで測れないと、知っている顔だった。
オフィスの奥で、革張りの椅子の女が、火のついていない煙草を指の間で回していた。窓の外に、カブキの環が見えた。さっきまであたしが追い回されていた市場が、この高さからだと、ただの綺麗な光の輪だった。高さってのは、嘘の一種だ。
部屋に入ると、煙草の匂いより先に、紙の匂いがした。この階でいちばん高価なのはたぶん情報で、その次が紙だった。
「座りな」レジーナ・ジョーンズは、向かいの椅子を顎で示した。「立ってると、話が長くなる」
あたしは座って、台の上に、布ごと銃を置いた。バッグは膝に抱えたままにした。レジーナはそれを見て、何も言わなかった。言わないことで、見たと伝える人だった。
「怪我は」
「あたしのじゃない」
「なお悪いね」煙草を回す手は、止まらなかった。「自分の血なら、話は病院で済む」
病院で済まない話を持ち込む客を、この人は何百人も座らせてきたんだと思う。椅子の革の擦れ方が、それを言っていた。
レジーナの目が動いた。銃へ。空のAIスロットへ。それから、袖口の染みへ。最後に、あたしの顔へ。目の順番で、この人が何の商売で生きてきたか、分かる気がした。
「あんた、それをどこで」
「市場のジャンク箱で。二十エディ」
レジーナは銃を持ち上げて、空洞のスロットを覗き込んだ。長い爪の先が、抜かれた蓋の縁を、一度だけ叩いた。
「二十エディ」低く笑った。笑いに、可笑しさはなかった。笑いの残りが消えるまで三秒あって、その三秒のあいだに、この人の中で何かの帳簿が繰られて、どこかの頁で止まった。
「嬢ちゃん。あんたが二十で買ったそれはね」
銃が、台に戻る。
「それは、空だったはずよ」