Cyberpunk: スクラップ・ララバイ   作:imamo

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第二部 整備
第9話 以前の所有者


話の続きの前に、レジーナは一度だけ、あたしを部屋の外へ出した。

 

「五分やる。顔を洗って、頭の並びを直しといで。ここから先は、聞き逃していい話じゃない」

 

 キャロルへ、短い一件を送った。銃のフレームのシリアルと、あの夜、農場のゲートウェイにつないだ時刻。言い訳を全部削ったら、それだけが残った。送信の印が付くのを見てから、あたしは廊下に出た。

 

 化粧室の鏡の中の顔は、思ったより普通だった。袖口の血の染みだけが乾いて固くなって、腕を曲げるたび、布がそこだけ遅れてついてきた。あたしは顔を洗って、濡れた頬をタオルで拭いた。

 

 廊下の突き当たりに、自販機が一台あった。

 

 高層階向けの、静かで新しい型。決済から排出まで、たぶん一秒もかからないやつだ。あたしはその前に立って、買いもしないのに、筐体を一周した。メーカー。冷却の吸気口。サービスパネルのネジの向き。見慣れたネジの頭を確かめていると、少し息が楽になった。

 

 水を一本買い、キャップを開けずに握っていた。

 

 部屋に戻ると、レジーナは同じ姿勢で、火のついていない煙草を回していた。

 

「気は済んだかい」

 

「……済んでない。けど、聞ける」

 

「なら、座りな」

 

   *

 

 来歴は、煙草一本分の長さだった。

 

「これはね、スキッピーって名前がついてる」レジーナは、やっと煙草に火を点けた。「もともとの持ち主はダニッシュ。酒に溺れる前は、腕のいいテッキーだった男だよ。あたしはそれを、ポーカーで巻き上げた」

 

「……その人、今は」

 

「知らないね」煙が、短く切れた。「知ってたとしても、教える筋の話じゃない。人の落ち目は、商品じゃないんでね」

 

『ポーカー』バッグの中で、スキッピーが小さく言った。『知らない遊びだ。知らないのに、札の擦れる音を、知ってる』

 

 レジーナの眉が、一度だけ動いた。

 

『ダニッシュ』

 

 バッグの中で、スキッピーが小さく反復した。

 

『……知らない。なのに、口が勝手に、その名前を言うんだ』

 

 レジーナの目が、バッグへ動いた。動いて、それから、ゆっくり戻った。驚きを見せないようにした顔は、驚いた顔より雄弁だった。

 

「喋るのかい」

 

「……喋る」

 

 あたしはバッグを開けて、スピーカーを出した。

 

「なるほどね」レジーナは煙を細く吐いた。「話が、思ったより厄介だ」

 

 巻き上げた銃は、その後盗まれた。盗まれた銃はビスタ・デル・レイの路地に転がって、そこで、去年名を上げた傭兵が拾った。名前は言わなかった。あたしも訊かなかった。訊いていい名前と、訊かないでおく名前の区別くらい、この街の外の人間にもつく。

 

「その傭兵が、五十人分の何かを通り抜けて、こいつをあたしに返しに来た」レジーナは灰を落とした。「義理堅い話さ。この街で、拾った銃をわざわざ返しに来る人間なんて、一年に一人いるかどうかだ」

 

 言い方の底に、薄く、敬意の色があった。名前を言わないのは、たぶんその敬意の続きだった。

 

「返してもらったあたしは、中身を抜いた」

 

「……抜いた」

 

「なんで抜いたの」あたしは訊いた。「あんた、サイバーサイコを殺さず治療に回す人だって、市場じゃ聞いた。壊れた頭を助ける人が、なんで、銃の頭は抜くの」

 

 レジーナは、すぐには答えなかった。煙草が一度、指の間で止まった。

 

「人間のサイコにはね、戻る先の暮らしがある。仕事も、家族も、失敗の前の顔もだ」声は、いつもより一段だけ低かった。「人格を持った銃に、戻る先はどこだい。持ち主の手の中かい。……人格を持った銃なんてね、嬢ちゃん、どっちに転んでも厄介の種なんだよ。撃てば人格が痛む。撃たなきゃ銃として捨てられる。あたしはあの時、どっちも見たくなかった。それだけさ」

 

「本人には、訊いた?」

 

 沈黙が、答えだった。長い沈黙のあと、レジーナは灰を落とした。

 

「訊かなかったよ。あの時は、ただのアルゴリズムだと片づけた。……そう片づけたかった、のほうが正しいね」

 

 灰皿の中で、灰が崩れた。

 

「抜いた人格は、元の持ち主、ダニッシュの筋へ売り戻した。それで案件は終わった。終わったはずだった」

 

 レジーナは、台の上の銃を顎で指した。

 

「抜け殻は、うちの受け取り口に置いといた。あの傭兵が、いつか取りに来ると思ってさ。来なかった。理由は知らない。知りたくもない。取りに来ない預かり物は、期限が切れれば委託処分に回る。処分屋が横に流す。死体漁りのスカヴが拾った物と混ざって——」

 

「——混合ロットで、うちの爺さんが掴んだ」

 

「そういうことだ」

 

 あたしは膝の上で指を組んだ。レジーナの言った「五十」が引っかかっていた。

 

「一つ、確かめたい」あたしは言った。「こいつの中に、四十七と四十九って数字の写しがあった。今日、五十になった。……あんたの言う、傭兵が通り抜けた五十人と、この数字は、同じ列の話?」

 

「さあね」レジーナは肩をすくめた。「人格の中身までは、抜いた側にも見えないんだよ。見えてたら、あたしはそもそも抜いてない」

 

 スキッピーも黙っていた。

 

「なら、こいつは」あたしは訊いた。「抜け殻に、何が残ってたの」

 

「それを、あたしが知りたいね」レジーナは身を乗り出した。「中身は売った。売った先には、抜いた人格の元のかたちが、停止したまま保管されてるはずだ。……でも、あんたのそれが喋るなら、話は別だ」

 

 煙草の先が、あたしを指した。

 

「ダニッシュが持っているのは、抜いた時点の型。あんたのそれは、抜き残しの断片を、あんたが継いで動かしたもんだ。同じ製品の、別の個体。あたしの命令も、たぶん、そっちには通らない」

 

「……試してみる?」

 

 あたしが言うと、レジーナは面白がる顔を一瞬だけして、それから台の銃に向かって、フィクサーの声で言った。

 

「スキッピー。所有者権限、レジーナ・ジョーンズ。応答」

 

 沈黙。

 

 布越しに、演算箱の駆動音が一つ分の間を置いて、スキッピーは、あたしにだけ聞こえる音量で言った。

 

『……知らない人だ。でも、名前だけは言える。変な感じ』

 

「ほらね」レジーナは肩をすくめた。「あたしの声は、もう鍵じゃない」

 

 台の上で、`RETURN TO REGINA` の文字は、もう点滅していなかった。

 

 命令の宛先が目の前に座っているのに、命令は届かない。あたしが継いだ継ぎ目が、宛先ごと書き換えていた。それが何を意味するのか、この時のあたしは、まだ半分しか分かっていなかった。

 

   *

 

 キャロルからの通信は、その途中で入った。

 

 声が、硬かった。

 

「ユキ。あんた、市場で何した」

 

「……あとで、全部話す」

 

「先に一つだけ言う」通信の向こうで、記録を繰る音がした。「あんたが送ってきた時刻とシリアルで、うちの保存キューを浚った。先月の農場のバッチ送信に、余計な握手が一件、相乗りしてた。うちの中継から、外へ出てる」

 

 目を閉じた。あの夜の、二一四キロバイト。定期送信だと読んで、閉じた画面。

 

「あたしのせいだ」

 

「原因は、あんた一人じゃないよ」キャロルの声が、少しだけ低くなった。「消し方の雑な誰かと、探し方のしつこい誰かがいる。……でも、一月黙ってたのは、あんたのせいだ。それは、あんたの分だ」

 

「うん」

 

「弁は、買えたのかい」

 

 不意打ちだった。あたしは一拍遅れて、答えた。

 

「……買えた。純正の」

 

「なら、直しに帰っといで」キャロルの声は、それだけ言う時、少しだけ柔らかかった。「帰ってこい。家族会議だ」

 

 通信が切れた。切れた後の静けさの中で、レジーナが煙草を消した。

 

「フィクサーの勘で言うとね」灰皿の縁で、白い先が折れた。「あんたを追ってる連中の欲しいものは、銃でも、あんたでもない。そいつの中身を元のかたちに戻して、欠品のない一式にしたいのさ。断片も、認証の鍵も、ぜんぶ揃えてね」

 

「……一式にして、どうするの」

 

「揃った一式は、売れる」レジーナは立ち上がった。「欠けたままなら、責任だけが残る。未処理の案件を抱えたままじゃ、金にならない」

 

 あたしも立った。台の上の銃を、布ごと持ち上げる。レジーナは、それを止めなかった。止めない代わりに、机の端末を二度叩いて、画面をこちらへ回した。

 

「所有権は、放棄しといてやる。ほら、今ので書類も飛ばした。今の持ち主は、あんただ」

 

 画面の放棄証書には、フレームのシリアルと、あたしの知らない法律の言葉が並んでいた。いちばん下の署名の欄だけが、もう埋まっていた。

 

「……いいの」

 

「よかないよ。でもね、嬢ちゃん」フィクサーは、笑っていなかった。「五十まで数えた銃を止血帯と一緒に持ち歩く小娘から、あたしが取り立てられる筋は、もうないんだ。……一つだけ、覚えときな」

 

 部屋を出る背中に、声が届いた。

 

「メディアは、嘘をつく。でも、本当のことってのは、使いようによっちゃ、銃より効くよ」

 

 エレベーターは、来た時と同じ速さで、あたしを市場の高さまで下ろしていった。ガラスの外で、カブキの環が近づいてくる。上から見れば綺麗な光の輪は、降りるほどに、屋台の湯気と、値切りの声と、油の匂いに解けていった。

 

 扉が開く前に、端末が一度だけ震えた。

 

 あたし宛ての、匿名の一件。差出人の欄には、名前の代わりに、旧い回収案件の終了日だけが素っ気なく並んでいた。

 

 本文は、一行。

 

```

君が作った、私のものを返してほしい。

```

 

 回収案件の日付を知っていて、あたしの端末に直接届く。追ってきた連中の仲間だろうか。あたしはメッセージを保存した。

 

 君が作った、私のもの。

 

 あたしはバッグを抱え直した。中から小さな駆動音が聞こえた。

 

   *

 

 タワーを出ると、環状の外れの定位置に、見覚えのあるバンが停まっていた。

 

 運転席の窓が下りて、キャロルが顎をしゃくった。

 

「乗んな」

 

「……先に出てって、伝言」

 

「出たさ。市場の外まで」老眼鏡の奥の目は、笑っていなかった。「別口ってのは、どこの口だい。あんたの帰りの足の当てを、あたしは聞いてないよ」

 

 返す言葉がなかった。あたしは荷台じゃなく、助手席に乗せられた。乗せられてから、それが叱られる席なんだと気づいた。

 

 バンは夜の迂回路を走った。キャロルは長いこと何も言わず、言わないまま、一度だけ手を伸ばして、あたしの握りっぱなしの水のキャップを、親指で開けた。

 

「飲みな。話は、飲んでからだ」

 

 水は、ぬるくて、うまかった。うまいと感じた瞬間に、目の奥が熱くなって、あたしは窓の外の暗さのほうを向いた。キャロルは、見て見ないふりの名人だった。

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