マキマVS藍染惣右介VS羂索 作:夢女
水族館を出た帰り道。夕暮れから夜へと移り変わる街並みを歩きながら、俺の胸にはかすかな安堵が広がっていた。
世界は相変わらず歪で、理不尽な危険に満ちている。悪魔が跋扈し、得体の知れない怪物が闇に潜み、昨日まで隣で笑っていた人間が、今日どこかで唐突に命を奪われる。
それがこの世界の現実だ。
それでも、人間はしたたかに「日常」を作り上げる。くだらない冗談で笑って、美味い飯を食べて、ゲームセンターで無邪気に遊んで、誰かと肩を並べて家路につく。
この何でもない小さな積み重ねこそが、人間が怪物たちに決して明け渡さなかった、最後の尊厳の領域なのだと思う。だからこそ、俺はこの時間を守りたい。世界を救うなんて大層な英雄譚のためじゃない。
高潔な理想を掲げたいわけでもない。ただ――隣を歩くこの少女が、今、本物の笑顔を浮かべているからだ。
「ねぇ、アゲハくん」
「ん?」
「明日も……また、こういう普通のどこか、連れていってくれる?」
レゼがはにかむように言った、その瞬間だった。
突如として、世界の肌触りが反転した。
音、匂い、大気の震え。常人の五感では決して捉えられないほどの、ごく微細な空間の歪み。だが、幾度もの戦場を潜り抜けてきた俺の直感が、平穏という名の薄い膜に何かが乱暴に触れたことを察知し、警報を鳴らす。
俺は思考より先にレゼの肩を抱き寄せ、瞬時に跳躍して間合いを引いた。直後、夜空から巨大な黒い質量が凄まじい速度で落ちてくる。
――ドゴォォォォン!!
爆音と共にアスファルトがひび割れ、土煙が激しく舞い上がる。もうもうと立ち込める煙の奥から現れたのは、巨大な翼と醜悪な牙。人間の「コウモリ」に対する原初の恐怖が形を成した異形。
「悪魔……ッ」
レゼの瞳が瞬時に戦士のそれに切り替わるのを、俺は横目で静かに観察していた。だが、異変はそれだけに留まらない。地響きはなおも続き、足元の地面が生き物のように蠢き始めた。
「待て、まだ来るぞ!」
メリメリと音を立てて地下から這い出てきたのは、粘液に塗れた巨大な口を持つ『ヒルの悪魔』。
ここまでは原作の知識通り、あるいはその変異種だ。しかし、その二体の背後から現れた「三体目」の気配を察知した瞬間、俺の背筋に冷たい戦慄が走った。
――ギチギチギチギチ……。
それは生物の立てる音ではなかった。金属と肉繊維が無理やり融合したような機械音。蜘蛛を模した巨大な多脚構造。禍々しいセンサーが赤く明滅する。
「改良型……『シースパイダー』……!? なんでルビコンの自律兵器がここに!?」
思わず悪態が口を突いて出る。
世界融合。異なる世界の法則、異なる技術、異なる恐怖が混ざり合った結果、本来交わるはずのない怪物がこの場所に顕現している。
つまり、過去のシナリオ知識だけに頼った予測は、もう何一つ通用しない。
古い地図は、未踏の大地ではただの紙切れだ。
必要なのは知識に縋ることじゃない。今、目の前で起きている「現実」を凝視することだ。
「アァァァァァ死ねやクソ虫がァァァ!!」
その時、轟音を置き去りにして、隣の建物の壁を突き破りながらチェンソーの刃を生やした少年が飛び出してきた。
「デンジ……」
「ぬおおおお!! 儂がこんな不細工な雑魚共に後れを取るなど、万死に値する屈辱じゃあ!」
頭部に大きな一本角を持つ少女――魔人のパワーが、血で形成した巨大な槌を振り回して追従する。
前世の漫画で読んだ登場人物たち。だが、目の前を転がり、血を流し、泥に塗れながら絶叫して戦う彼らは、紙の上のキャラクターなどでは断じてない。痛みに顔を歪め、それでも懸命に生きようと足掻く、確かな肉体を持った「人間」だ。その現実の重みは、どんな原作知識よりも遥かに俺の胸を突く。
「クソッ、こいつら切っても切ってもキリがねえ!」
デンジがコウモリの悪魔の翼を切り裂くが、世界融合のエネルギーを吸い上げているのか、異常な速度で再生していく。
「デンジ、下がれ! その後ろの機械蜘蛛、動きが変じゃ!」
パワーの警告通り、シースパイダーの脚部が機械的なスラスターを噴射し、通常の悪魔にはあり得ない3次元的な軌道でデンジの死角へと肉薄する。攻撃パターンが完全に書き換わっている。
「アゲハくん」
一連の光景を隣で見ていたレゼが、静かに俺の名を呼んだ。その声には、微かな躊躇いと哲学的な迷いが含まれている。
「どうするの? あそこにいるのは公安のデビルハンター。私にとっては……いずれ敵になるかもしれない組織の人間だよ。ここで見捨てれば、私の正体がバレるリスクも減る」
確かに彼女の言う通りだ。合理的かつ冷徹に戦況を引いて見るならば、公安の戦力が削れるのを静観するのが工作員としての正解だろう。だが、俺の出す答えは最初から決まっていた。
「助ける。決まってるだろ」
「……公安だよ? 組織の犬だよ?」
レゼが試すように、あるいは俺の真意を測るように、じっと目を覗き込んできた。
「関係ないさ。そんな肩書や所属なんてものは、後から大人が勝手に貼り付けたラベルに過ぎない」
俺はフッと笑った。
「昨日お前に言ったことと同じだ。俺の目の前で、今、一命を賭してクソ真面目に足掻いてる奴らがいる。困っている人間がいる。……なら、手を貸す。それ以外のややこしい理由は、俺の人生には必要ない」
レゼは驚いたように目を見張り、それから呆れたように、けれど心底愛おしそうに小さく肩を揺らした。
「……ふふ。本当に、どこまでもブレない変な人」
その笑顔には、昨日までの冷酷な仮面も、俺を推し量ろうとする打算的な観察の光もなかった。そこにあるのは、俺の不器用な生き方への、深い「理解」と「信頼」だ。
「行こう、レゼ。あいつらに貸しを作ってやるぞ」
「うん!」
俺は前へと踏み出し、精神の力を一気に解放する。
「――『暴王の月』」
夜空に突如として現れた、光をも吸い込む漆黒の球体。
この絶大な力は、敵を無慈悲に蹂躙するための暴力じゃない。
大切な日常を、今を生きる誰かを守り抜くための盾だ。漆黒の玉はシースパイダーの放ったミサイル群は強引に衝突して消滅させる。
「な、んだ、どっから黒い玉が出てきた!?」
突然の加勢に、チェンソーの頭を振り向かせて唖然とするデンジ。
「おい、そこのチェンソー頭! ぼさっとすんな、一気に畳みかけるぞ!」
俺の叱咤の声を背中で聞きながら、レゼが俺の隣へと並び立つ。彼女は首元のピンに指をかけ、いたずらっぽくウインクしてみせた。
「アゲハくん、忘れちゃダメだよ?」
「何をだ?」
「私のアレ、――『普通の女の子のデート』は、まだ途中でしょ。こんな不細工な怪物たちに邪魔されて、終わらせるわけにはいかないんだから」
カチリ、と硬質な音が響く。
爆弾の少女が、国家の命令でも、生存本能のバグでもなく――初めて「自分の意志」で、守りたい日常のために戦う理由を選び取った瞬間だった。