マキマVS藍染惣右介VS羂索 作:夢女
「我々と協力しないかい?」
差し出された羂索の手。
それは、呪術的な契約の強制ではなかった。支配者からの命令でもない。ただ、濁流のように変化していく世界の片隅で、冷徹に一つの可能性を提示しているに過ぎなかった。
「新世界グループは、世界を変える。だがね、夜科アゲハ」
羂索の細い目が、三日月の形に歪む。
「我々は、君の自由な意思を奪うつもりはないんだ。むしろ逆さ。君という強大な異物が、この歪んだ世界でどんな『答え』を導き出すのか、それを特等席で見せてもらいたいだけなんだよ」
俺はそっと、レゼに視線を落とした。
青白い月光に照らされた彼女の横顔を、俺は静かに観察する。戦闘時の苛烈な面影はどこにもない。
微かに震える長い睫毛、小さく結ばれた唇。触れ合っている彼女の体温が、冬の夜気の中でひどく愛おしく、そして同時に、酷く脆いものに思えた。
胸の奥で、まだ名前のつかない、けれど確実に熱を持った感情の芽が、小さく頭をもたげるのを感じていた。
彼女を守る。その決意をさらに強固にした。だが、現実は甘くない。俺たちの前には、依然として最悪の呪術師が立ちはだかっている。
世界というものは、単純な娯楽小説のようにはできていない。
英雄が現れて、巨悪を討ち果たし、世界に平和が訪れてめでたしめでたし――。そんな綺麗な1クールの構造で成立している世界なら、俺は現実世界、『PSYREN』の世界、そしてこの『チェンソーマン』の世界と、三度も人生をループする必要なんてなかったはずだ。
三つの過酷な人生を歩んできたからこそ、身に染みて分かる。
世界を本当に破滅に導くものは、案外、分かりやすい「悪」ではない。むしろ本当に恐ろしいのは、狂気的なまでに「自分が正しい」と信じ切った独善の存在だ。
正義。理想。救済。
それらは暗闇を歩む人間を前へ進ませる聖なる光になる。しかし同時に、出力が強すぎれば、周囲のすべてを灰にする地獄の炎にもなり得る。
俺は、目の前の男を静かに見据えた。
五条袈裟。頭部の不気味な縫い目。そして、底の知れない薄笑い。千年以上、他人の肉体を渡り歩きながら生き続けた怪物の王。敵なのか、それとも一時的な味方なのか。その判断を下すには、まだ材料が圧倒的に足りない。
「……話を聞く前に、まずはこれだ」
俺の背後に、漆黒のエネルギー『暴王の月』が複数展開され、空間を唸らせる。いつでも羂索の首を撥ねられる戦闘態勢を維持したままだ。
羂索もまた、周囲の呪霊の気配を霧散させたとはいえ、いつでも次の呪霊を召喚できるだけの呪力を指先に宿している。
互いに武器を喉元に突きつけたまま、しかし決定的な一歩は踏み出さない。
緊迫した沈黙の中で会話を続けること。それが、俺たちの選んだ奇妙な境界線だった。
「一つ、聞きたいことがある」
「なんだい?」
羂索は飄々とした態度で応じる。その表情には絶対的な余裕があった。だが、それは俺を侮っているからではない。何百年、何千年という気の遠くなるような時間を生き抜き、無数の修羅場を平然と流してきた者だけが持つ、圧倒的な「経験の静けさ」だった。
「さっきお前が説明した、四つの『世界災害指定存在』についてだ」
「ああ、ALLMIND、ヴァレンタイン、無惨、そしてビーストだね」
「少し……いや、決定的に気になった。あいつらは全員、俺が前世の知識として知っている『元の設定』と、微妙に、だが致命的にズレている」
俺は言葉を慎重に選びながら、羂索の目の奥を探る。
「ALLMINDも、ヴァレンタイン大統領も、鬼舞辻無惨も……核となる思想は残っているのに、その向かう先が狂っている。これは偶然の変異じゃない。何かしらの『原因』があるはずだ」
羂索の細い目が、さらに鋭く細められた。
「……うん、続けて」
「例えば、鬼舞辻無惨だ。あいつは元々、ただ醜悪なまでに『生きたいだけ』の引きこもり野郎だったはずだ。死への恐怖から逃れるためだけに、千年間コソコソと青い彼岸花を探していた。世界をどうこうしようなんて大それた野望は、アイツの器じゃ持ち得ない」
「そうだね。本来の彼は、実に小市民的で利己的な怪物だった」
「なのに、この世界の無惨は違う。生きるために、他者を無理やり進化させ、悲劇のマッチポンプを行ってまで人間の可能性を試そうとしている。まるで性質が別次元に変化しているんだ」
羂索は一瞬の静寂の後、クスクスと、心底から楽しそうに喉を鳴らした。
「素晴らしい着眼点だ、夜科アゲハ! まさかそこに考えが至るとは。ああ、もちろん理由はあるさ。これは『世界融合現象』がもたらした、最悪のバグと言ってもいい」
「バグ……?」
「正確には、君や私のような『憑依転生者』という存在のシステムが関係しているのさ」
羂索は、まるで大学の講義でも行うかのように、身振り手振りを交えて語り始めた。
「この世界には、君のように現実世界を生き、別の物語を経験し、さらに三度目の人生を得た特異な魂が少なからず流入している。彼らは本来、この世界のタイムラインには存在しないはずの『異物』だ。通常ならオリジナルの現実世界の魂が、キャラクターの肉体を操作する形になる。しかしね、ある特定の極限状態において、例外が発生するんだ。それは――『憑依転生者の魂を、その世界のオリジナルキャラクターが逆に取り込んでしまった場合』さ」
俺は思わず眉をひそめ、腕の中のレゼをさらに引き寄せた。
「転生者の魂を取り込む……だと?」
「そう! 転生者が持っていた前世の知識、世界移動の経験、システム能力、そして『世界を跨ぐ権利』。それら莫大なリソースが、キャラクターの中に一気に流れ込むんだ。結果として何が起きるか?」
羂索は、いたずらが成功した子供のような顔で断言した。
「キャラクター本人が、前世のメタ知識や異世界の経験を持ったハイブリッド状態のまま、次のステップへ進んでしまう。思想そのものが変わったわけじゃない。元々彼らが持っていた、醜くも純粋な『願い』が、新しい力と経験という最悪の肥料を与えられた結果、信じられない方向へと巨大化し、変質してしまったのさ」
「それが……無惨のあの変質の理由か」
「その通り! 原作のラストで、彼は竈門炭治郎に自分の想いを託そうとしただろう? 皮肉なことに、彼は死の間際に初めて『他者に未来を託す美しさ』を知ってしまった。そこに転生者の魂の融合というバグが起きた結果、彼の『生への執着』は最悪の形で昇華されたんだ。『自分が永遠の脅威として君臨しつつ、人間たちがそれに抗って美しく輝くドラマを見続けたい。そのためなら、全人類を鬼畜の試練に放り込んでも構わない』……とね」
「……はた迷惑極まりないな。元が小心者の引きこもりだった分、変な知識と力を得て自己実現に目覚めたオタクみたいになってやがる」
俺の心底呆れ果てたツッコミに、羂索は「くくっ、言い得て妙だね!」とお腹を抱えて笑った。緊迫した戦場のはずなのに、この男の飄々としたノリのせいで、どこか調子が狂ってしまう。
「つまり」
俺は頭を振り、思考を整理する。
「災害指定存在の連中は、根本のキャラ設定が改変されたわけじゃない。得てしまった過剰な力と知識のせいで、自分の願いを叶えるための『アプローチ』が極めて過激に、そして地球規模に極端化しちまった、文字通りの災害ってことか」
「その通りだよ! だからこそ、私は君に興味があるんだ、夜科アゲハ」
羂索の視線が、再び俺をまっすぐに射抜く。
「君は、彼らと同じか、あるいはそれ以上の強大な力を持っている。『現実世界』と『PSYREN』という二つの過酷な世界を生き抜いた経験もある。だが――君はそれだけの武器を持ちながら、ALLMINDや無惨のように、自分の理想のために世界全体の形を作り変えようとは決してしない。何故だい?」
俺は少しの間、夜の静寂に身を委ねた。そして、静かに、しかし断固とした声で答えた。
「勘違いするな。俺だって、世界を変えたいと思うことはあるさ。理不尽な暴力はヘドが出るほど嫌いだし、悲しい結末なんて見たくない。救える手があるなら、全員救いたいと本気で思ってる」
だが、と俺は続けた。
「だからといって、世界全体のシステムを、俺一人の都合のいい『答え』に強制的に合わせるのは、決定的に違うだろ。世界は俺一人の所有物じゃない。誰かの人生や、誰かの選ぶはずだった未来を強引に奪って、その上に成り立つ『綺麗なディストピア』なんて、そんなものに1円の価値もあるとは思えない」
背後の『暴王の月』の漆黒の輝きが、俺の意志に呼応するように静かに安定する。
「俺がこの力で守りたいのは、俺自身の『正しさ』じゃない。――今、俺の目の前で泣きそうな顔をして困っている、この人間の未来だ」
羂索は、しばらくの間、何も言わずに俺を見つめていた。やがて、彼は満足そうに、どこか哀愁すら帯びた笑みを浮かべた。
「やはり面白い。君は世界ではなく、常に個を見る。だからこそ、君がこの混迷の果てにどこへ辿り着くのか、私は見届けたくてたまらない」
異なる世界が無理やり混ざり合い、崩壊へ向かう歪んだ夜の街。
その中心で、俺は改めて理解していた。
戦うべき敵は、分かりやすい怪物だけじゃない。正義を掲げる者も、救済を望む者も、それぞれの視点で世界を守ろうとしている。だからこそ対話が必要であり、だからこそ、自分の意志で道を選ぶ価値があるのだ。
「君は世界を変えようとしていない。自らの異常性や、外の世界の破綻を理解しながらも、世界より先に人を見る……君はまさに、孤高の『暴王』だ」
羂索はそう言って、自嘲気味に肩をすくめた。
「そして私は違う。私は純粋な知的好奇心のために『世界を変える者』だ。支配欲でも英雄願望でもない。ただ、オリジナル世界や、二度目の世界で生きても、『未知の可能性』の先を見たい。そのためなら、世界の形がどう変質しようと、私は喜んで変えるだらう。
それは、この世界の住人からすれば背筋が凍るような狂気の思想だ。けれど、未知を求め、確かめたいという根源的な欲求自体は、人間なら誰しもが持っている。だからこそ、この男の言葉は危険な毒のように響く。
「羂索」
「なんだい?」
「俺とお前、目的も手段も正反対だが、一つだけ同じところがある」
「へぇ」
「お前も俺も――自分が正しいと信じた泥臭い道を、周囲に何を言われようが進んでいるところだ」
羂索は少し目を見開き、それから「なるほど、一本取られたね」と愉快そうに笑った。彼は他者の思想を否定しない。理解した上で、自分の道を選び取る俺のスタンスを、確かに尊重していた。
「やはり、最後は互いに正式な自己紹介が必要だね」
そう言って、彼は皮肉ではなく、一人の対等な存在として右手を差し出してきた。
「私は羂索。未知の先にある、新しい世界を求める者だ」
俺はその手を静かに見つめ、握り返さない。まだ、この男と握手を交わすほどの信頼はない。だが、世界災害という共通の脅威を前に、互いの情報を共有し、不可侵のラインを引くという点において、奇妙な「助け合いという大局的な利害の一致)の土台はできた。
「夜科アゲハ」
俺は、真っ直ぐに彼を見据えて名乗った。
「俺は、目の前にいる人を、理不尽から助けるために戦う者だ」
羂索はゆっくりと手を引き、満足そうに微笑んだ。
「実に君らしい答えだ。今日のところは、それで十分さ」
信頼とは、言葉の羅列で急造するものではない。これから積み重ねていく血と行動の結果で、嫌でも証明されていくものだ。
俺たちはまだ敵でも味方でもない。ただ、互いに異なる譲れない道を歩む者同士として、夜の闇の中、それぞれの存在を静かに認め合うのだった。