マキマVS藍染惣右介VS羂索 作:夢女
羂索は、しばらくの間じっと俺を見ていた。
その視線には、明確な敵意も好意も混ざっていない。もっと冷たく、もっと静かだった。相手の表情の微細な変化や呼吸の揺れから、次にどんな言葉を返すかを冷徹に測る、老練な観察者の目。
あれは会話というよりも、あらかじめ用意された数式への答え合わせに近い。俺がどこで迷い、どこで立ち止まり、どこで首を縦に振るのか。
そこにこそ、羂索は価値を見出している。
「お前は、人間を、個人として見ていないんだな」
「印象に残らないだけさ」
羂索が見ているのは、いつだって「結果」そのものだ。誰がどういう感情を抱いたかではなく、その感情がどんな選択を生み、どんな未来の歪みを引き起こすか。
人間の善悪も、忠誠も、裏切りも、彼にとっては壮大な実験の過程にすぎない。重要なのは、その過程の先にどんな「面白い変化」が起こるかだけだ。
だからこそ、俺とは根本から噛み合わない。
俺は、結果だけで人を測りたくはない。もちろん、結果がすべて無意味だとは思わないが、そこへ至るまでに何を見て、何を捨て、何を守ろうとしたのかという足跡を無視してしまえば、選択という行為の意味そのものが消えてしまう。
力を持った者が何をするかは、その者の本質を映す。だが同時に、何をしないか、もまた、その者の本質を証明するはずだ。
羂索は前者しか見ないが、俺は後者も徹底的に見る。
だからこそ、『我々と協力しないか』と彼が切り出してきた時も、驚きはなかった。むしろ当然の帰結だとすら思えた。
羂索のような男が、俺のような異物を前にして、何も言わずに引き下がるはずがない。
「……」
背後のレゼを見る。
爆弾の悪魔の力を宿した武器人間であり、世界を揺るがす工作員。そんな大層な肩書きを持つ彼女だが、ただの華奢な女の子の重みしか感じられない。
その事実が、俺の胸の奥に奇妙な疼きをもたらした。
守りたい、と強く思う。それはヒーローとしての義務感ではなく、もっと泥臭く、個人的で、熱を帯びた恋愛感情の芽生えに似た何かだった。
彼女の未来を、羂索のような奴らの実験道具にされてたまるかという、静かな怒りが腹の底で燃える。
「新世界グループ、だったか」
「ああ」
羂索は、俺の視線の動きすべてを愉しむように頷いた。
「我々は世界融合現象を調査し、この世界に発生している異常を解明する。そして、その先にある誰も見たことのない未来を探しているのさ」
言葉だけを切り取るなら、彼の言い分は実にまともだ。
世界が壊れかけているなら、まず現象を調べる。原因を知り、構造を理解し、対処法を探る。
それは論理的であり、極めて理性的な態度に見える。だが、羂索の「正しさ」には、常に底知れない危うさが付きまとっていた。
「君のような存在は本当に貴重だ」
と、羂索は一歩近づき、熱を帯びた声で語りかける。
「異世界を経験し、三度目の人生を歩む者。その視点は、この閉じた世界の住人には逆立ちしても持てない。君なら理解できるはずだ、夜科アゲハ。この世界は既に、一つの作品の答えでは処理しきれない。悪魔だけを見ても足りない。呪霊だけでもない。世界そのものの構造が、ドロドロに溶けて変化しているんだ。ならば――それを正しく知ろうとする『知性』が必要だと思わないかい?」
羂索の論理として、世界の構造は既に変質している。既存の秩序や常識にしがみつくのは、ただの現実逃避である。ゆえに、異常の核心(なぜ起きるのか)を突き止める者たちが必要である。
完璧な正論だった。だからこそ、これ以上なく危険だ。
厄介なのは、正しい言葉ほど反論が難しいということだ。
間違っているなら切り捨てられるが、筋の通った正しい言葉は、聞いた者の中に鋭い楔として残る。
「目的がここまで正しいのだから、多少の歪んだ手段は許されるのではないか」と、人間の判断力を狂わせる檻になる。
羂索は、その心理誘導の技術を骨の髄まで理解していた。
「条件は?」
俺が短く問うと、羂索は破顔した。
「話が早いね! 素晴らしいよ」
彼はひらひらと手を上げ、軽快に条件を並べる。
「簡単なものさ。互いの情報共有。世界災害指定存在への共同対処。互いへの敵対行為の絶対禁止。そして必要時の戦力協力……これらを確実に保証するため縛りを結ぼう」
その言葉が発せられた瞬間、空気が張り詰めた。
呪術術式における「縛り」は、単なる口約束じゃない。言葉を世界のシステムに直接固定し、強制力を持たせる因果の仕組みだ。守る代わりに恩恵を得るが、破れば魂の崩壊すら伴う代償が生じる。
それは信頼の代用品であり、同時にお前を微塵も信用していないという不信の証明でもあった。
あまりにも羂索らしい、徹底して感情を排除した合理的な提案だ。だが、現実的であることと、俺がそれを受け入れるかどうかは全くの別問題だ。
「断る」
「おや」
俺の即答に、羂索は意外そうに眉を上げた。
「理由を聞いてもいいかい? 条件としては君にとっても悪くないはずだが」
「簡単だ。俺はまだ、お前たちのことを何も知らない」
「羂索、縛りっていうのは、未来の自分の行動を先に固定化する行為だ。つまり、相手の本質を見極めないままそれを結ぶのは、協力じゃなくてただの『思考放棄』だ」
俺は、羂索の細い目をまっすぐに見据えて言葉を繋ぐ。
「お前たちが何を考えているのか、何を守ろうとして、何を犠牲にする覚悟があるのか。それすら分からない状態で、自分の選択肢を削るような真似はできない。大義のため、未来のためと言われて疑うことをやめた奴らの末路を、俺は前の人生で嫌というほど見てきたんだ。だから、俺は誰かの正義をそのまま借りるような真似はしない」
縛りなき「助け合い」のスタンスが必要だ、と俺は言う?
「俺は、お前の思想が間違っていると全否定しているわけじゃない」
俺は一歩も引かずに続けた。
「世界が変質しているなら、踏み込んで調べる方が生存率が高いっていう理屈は分かる。だが、俺は誰かに決められたレールで動きたくないんだ。正しいか間違っているかは、この目で見て、自分で判断する。それが俺のやり方だ。だから――」
俺は羂索に向けて告げた。
「協力できる範囲なら、その都度協力してやる。災害指定存在の連中が暴れて、目の前の人間が死にそうなら、俺だってアイツらをぶちのめす。だが、お前と『縛り』で繋がることは絶対にない」
静まり返る。
羂索は怒ることもなく、呆れることもなかった。ただ、まるで深夜の砂浜で誰も見たことのない美しい貝殻でも拾い上げたかのように、心底から愉しそうに目を細めた。
「……素晴らしい。本当に素晴らしいよ、君は」
「何がだ」
「そこさ。君は協力を拒絶したんじゃない。安易なシステムに身を委ねず、自分で選び続ける責任を自らの手で抱え込んだんだ。多くの人間はね、強者が提示した分かりやすい正解へ喜んで逃げ込む。その方が楽だし、安心だからね。しかし君は、その孤独な選択の重みごと、自分で背負うと言った」
羂索は手を下ろし、一歩後ろへと下がった。その横顔には、支配欲を越えた純粋な知的好奇心だけが満ちていた。
「分かった。君に『縛り』は要求しないよ。君自身がその目で世界を見て、自ら答えを選ぶまで、私はいくらでも待とうじゃないか」
敵ではない。味方でもない。
それでも、この歪んだ夜の街の片隅で、俺と羂索の間には確かに一つの関係性が生まれていた。
契約の強制ではなく、命令でもない。互いに牙を隠し持ったまま、それでも大局的な破滅を防ぐために視線を交わし合う。相手の論理を理解した上で、最後の一線は決して譲らない。
そんな、不確実だからこそ人間らしい、大局的な助け合いという奇妙な協力関係の形が成立した
羂索は理屈で未来を構造として捉え、俺は選択で未来を責任として捉える。その決定的な違いがあるからこそ、俺たちの会話は安易な決裂を迎えずに成立していた。
羂索はひらりと手を振り、闇へと背を向ける。
「改めて、歓迎するよ。新世界へ」
俺は少しだけ考え、その言葉を脳内の引き出しに収めた。
「……どうも」
これは組織への加入ではない。
俺自身が、目の前の理不尽をぶち壊すために選んだ、ただの「手札」の一つに過ぎない