マキマVS藍染惣右介VS羂索   作:夢女

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七話:兵器ではなく、人間として

 

 

 

 ゆっくりと、俺はレゼの手首を掴んでいた手を離した。指先から伝わっていた彼女の微かな体温が、冬の夜気へと還っていく。

 

 力を込め続ければ、このまま彼女の身動きを完全に封じ込めることは容易だった。

 彼女が変身のピンを引くより早く動き、悪魔の力を解放する前にすべての神経を無力化する。ただ「未来の危険を排除する」という合理的な戦闘の観点だけを見るならば、彼女をここで拘束し、どこかへ監禁してしまう方が遥かに正しい。

 

 危険な存在を管理下に置くこと。

 それによって、これから起こるかもしれない被害を未然に防ぐこと。

 それは間違いなく一つの正義であり、この狂った世界に生きる多くの人間は、俺のその判断を「賢明だ」と称賛するだろう。

 

 ――それでも、俺は手を離した。

 

 理由はひどく単純だ。彼女の暴走を「止めること」と、彼女の自由を「縛ること」は、決定的に違うからだ。

 

 管理という名の檻、自由という名の砂漠。

 力を持つ者は、往々にして傲慢な勘違いに陥る。対象を「守ること」と「管理すること」を同じだと錯覚してしまうのだ。

 

 危険を減らすためなら、その人間の自由を奪っていい。綺麗な未来を作るためなら、今この瞬間にある個人の意思を犠牲にしていい。

 

 そうやって守護者を気取る人間は、いつの間にか、救うべき対象から『選択肢』という最も大切なものを剥ぎ取っていく。

 

 だが、選択肢をすべて奪われた存在を、果たして本当に『救われた』なんて呼べるのだろうか?

 

 強固な檻の中で、ただ安全に息をして生き延びるだけの状態を、果たして『人生』と呼べるのだろうか。俺はそうは思わない。だから、俺は彼女の前から静かに一歩、後ろへと下がった。

 

「……」

 

 レゼはひどく困惑した表情のまま、解放された自分の手首を静かに観察していた。

 赤く手跡がついているわけでもない、優しく触れられていただけの手首。拘束はどこにもない。

 

 逃げようと思えば、今この瞬間にでも爆風を巻き起こして闇へ逃走できる。攻撃しようと思えば、目の前で無防備に立つ俺の胸を穿つこともできる。

 

 その「あまりにも不条理な自由」の提示が、訓練され尽くした彼女の脳を逆に激しく混乱させていた。

 

「逃げてもいいぞ」

「……え?」

 

 レゼが弾かれたように顔を上げた。その瞳は、宇宙の果てにある理解不能な生命体でも見るかのように大きく見開かれている。

 

「逃げてもいい、と言ったんだ」

「……私が? 爆弾の悪魔である私が、ここから逃げるのを、見逃すって言うの?」

「ああ。君が今、この場所から離れたいと心から願うなら、俺はそれを無理に止めはしない」

 

 俺が淡々と頷くと、レゼの端正な顔立ちが、苦痛に耐えるかのように僅かに歪んだ。

 

「……普通、そんなこと言わないよ。あなたは私を甘く見すぎてる。それか、ただのバカ」

「手厳しいな。まあ、そうかもしれない」

 

 俺は苦笑しながら、瓦礫に腰を掛けた。

 

「でもな、君は生まれてからずっと、誰かの都合のいい命令だけで動かされてきたんじゃないのか? ソ連の上層部や、国家の兵器としての役割っていう、逃れられない檻の中でさ」

 

 レゼは何も言わなかった。ただ、夜風に揺れる前髪の隙間から、じっと俺を見つめている。だが、その拒絶のない沈黙こそが、何よりの肯定だった。

 

「だからさ」

 

 俺は言葉を重ねる。

 

「今度くらいは、誰の許可も取らずに、自分で自分の行く先を決めてもいいんじゃないか?」

 

 自由というものは、誰かから恩着せがましく与えられる性質のものではない。本当は、自分自身の意思で泥泥になりながら掴み取るものだ。

 

 ただ、一度も自分で選択をしたことがない人間にとって、突然目の前に広がる「自由」は、時にどんな暴力よりも恐ろしい砂漠になる。歩むべき道がどこにも敷かれていないからだ。

 

 命令されることに最適化されてしまった人間は、その命令が消失した瞬間に、世界の中心で迷子になる。

 

 それは彼女の弱さではない。長い年月をかけて、周囲の大人たちに徹底的に奪われ続けた結果の「傷痕」なのだ。だから今、必要なのは彼女を広い世界へ無責任に放り出すことじゃない。

 

 お前は自分の足で、どこにだって歩いていけるのだと、その可能性を示すことだ。

 

「もう、誰の顔色もうかがわなくていい」

 

 レゼの細い瞳の奥で、感情の波が激しく揺れ動く。

 

「……そんなこと、私にできるわけない」

 

 消え入りそうな、小さな呟き。

 

「できるさ」

 

 俺は1ミリの躊躇もなく即答した。

 

「できるかできないかじゃない。これから先、お前がそれを『選ぶかどうか』、それだけだ」

「……」

「もちろん、簡単な道じゃないぞ。今までお前が任務で積み重ねてきてしまった血の跡は消えない。君が奪ってきた命の重さは、これから先、君自身がその背中で背負い続ける必要がある」

 

 俺は、彼女から視線を逸らさない。

 ここで「お前は悪くない、全部環境のせいだ」なんて優しい綺麗事だけを並べるつもりはなかった。

 犯した罪をなかったことにするのは、救済などではなく、ただの現実逃避だからだ。

 

「羂索の受け売りじゃないが――過去に縛られて身動きが取れなくなることと、過去を背負いながら前へ歩くことは、全く別の話だ」

 

 過去を鎖にしてらいけない。罪の意識で自分を縛り、道具に戻るのはただの諦めである。

 過去を道標にしてほしい。犯した過ちを知っているからこそ、次に誰かを救う選択ができる。

 

「お前は、兵器なんかじゃない」

 

 その瞬間、レゼの呼吸が止まった。まるで、世界でその言葉だけが、今までどんな鋭利な刃も届かなかった彼女の心の最深部に、真っ直ぐに突き刺さったかのように。

 

「お前は爆弾の力を持っている。人を容易に殺せる凶悪な力だ。そして実際に人を殺してきた。それは消えない事実だ。……だけどな、強い力を持っていることと、その『力のためだけの存在』になることは違う」

 

 炎はすべてを焼き尽くす災厄だが、同時に凍える人を温める灯火にもなる。

 

 刃は人を切り裂く凶器だが、大切な誰かを守るための盾にもなる。力そのものに、最初から決まった善悪の属性なんてないのだ。

 

 問題は、その呪われた力を持ってしまったお前が、明日から何を選択するかだ。

 

「人生の主導権くらい、お前自身が取り戻せよ」

 

 俺は立ち上がり、彼女に向かって小さく笑いかけた。

 

「兵器として死ぬまで使い潰されるのか、一人の人間として泥臭く生きるのか。誰かに決められた地獄を歩くのか、自分で新しい道を作るのか。――それを決める権利は、世界中で、お前だけにしかないんだからな」

 

 圧倒的な静寂。レゼは、信じられないものを見る目で俺を見つめ続けていた。困惑、深い警戒、そして――氷の奥底からパチパチと弾け始めた、ほんの僅かな「期待」の光。

 

「……本当に、変な人」

 

 彼女がぽつりと呟いた。

 

「普通はさ、私みたいな危険な爆弾娘を見たら、その場で殺すか、一生出られない部屋に閉じ込めるよ。それが世界の安全のために『正しいこと』なんじゃないの?」

 

 その問いかけは、単なる反論ではなかった。彼女自身がこれまで叩き込まれてきた、哀しい世界のルールそのものだった。「自分のような危険物は、排除されるか利用されるかの二択しかない」という固定観念。

 

 自分の命そのものに、他者から愛される価値があるなんて、彼女は微塵も思っていないのだ。だから、俺はあえて肩の力を抜いて答えた。

 

「お前がまた理不尽に暴れるなら、俺が何度でも全力で止めてやる。必要なら、お気に入りの服が破れる覚悟で戦ってやるさ。けど」

 

 俺は彼女の目の前まで歩み寄り、その目線に合わせるように少し腰を落とした。

 

「今の君は、誰かを傷つけようとしている怪物じゃない。ただ、色んなものに傷つけられて、これからどうすればいいか分からなくなっている……どこにでもいる、普通の女の子だ」

「……っ」

 

 レゼは小さく息を呑み、言葉を失った。その言葉が、彼女の閉ざされた心にとってどれほど凄まじい衝撃だったのか、俺には完全には推し量れない。けれど、彼女の瞳の奥の氷が、今、確かに音を立てて溶け始めたことだけは分かった。

 

「……じゃあ、もし私が、ここから一歩も動けなくなったら」

 

 レゼが、微かに潤んだ瞳で俺を見上げる。

 

「あなたが、助けてくれるの?」

「力はいくらでも貸してやる」

 

 俺はわざとらしく、ふいっと顔を背けてため息をついた。

 

「自分の心を本当の意味で救い出せるのは、世界で自分だけだぞ。それに、まぁ……具体的に言うとさ」

「え? なに?」

「俺、さっきあの不気味な縫い目男――羂索と『縛りのない協力関係』みたいな約束をしちゃったんだよね。だから、順当にいけば、お前の身柄は一旦あいつらの『新世界グループ』の保護下に入れる形になりそうなんだ」

 

 レゼは一瞬、きょとんとした顔になり、それから嫌そうに眉を寄せた。

 

「あの……お坊さんみたいな格好して、頭にミシン目がある、怪しい笑顔の人?」

「そう、あの最高に胡散臭い男。あいつ袈裟の袖の中に変な呪霊とか不衛生な生き物飼ってるからな、間違いない」

「うわ、最悪……。助けられた先が、あの人のところなの?」

 

 さっきまでの命がけのシリアスな空気が、どこかへ完全に吹き飛んでいく。

 レゼの口から出た等身大の嫌悪感に、俺は思わず「ぶはっ」と吹き出してしまった。張り詰めていた彼女の表情にも、ようやく年相応の日常の笑みが微かに戻ってくる。

 

「安心しろって。あいつは危険だが、約束通りお前を実験台にするような真似はさせない。俺が監視役兼、お前の『保護者代わり』として、あいつらの組織に一緒に付いていってやるからさ。アイツらが変な動きをしたら、二人で一緒にその組織ごとぶち壊そう」

 

 俺がそう言って悪戯っぽく笑うと、レゼは呆れたように、けれどどこか嬉しそうに小さく溜息をついた。

 

「本当に……どこまでも勝手だ」

「勝手で結構。これが俺のスタンスだ」

 

 人間性というものは、どれだけ過酷な環境で奪われ、国家の都合で壊されようとも、魂の最奥から完全には消え去らない。どれだけ冷たく暗い、終わりのない地獄の底に閉じ込められようとも、自分で選び直したいという『小さな光』は残り続ける。

 

 必要なのは、その光を外から無理やり燃え上がらせることじゃない。ただ、彼女が自分自身の意志でその火を大きく育てる日まで、冷たい嵐から身を挺して、消えないように寄り添って守ること。

 

 それが、三度目の人生を歩む俺の、不器用なりの助け合いの結論だった。

 

「じゃあ、決まりだな。とりあえず――」

 

 俺は瓦礫から立ち上がり、彼女に向かって今度は本当の手を差し出した。

 

「あいつの怪しいアジトに行く前に、どっかで美味いラーメンでも食おうぜ。お前、夜メシ飯、食ってないだろ?」

 

 レゼはその手をじっと見つめ、今度はピンを引くためではなく、一人の人間として、俺の手を小さく、けれど確かに握り返した。

 

「……うん。奢ってね、アゲハくん」

 

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