人外少女たちの愛情表現が難解すぎる 作:龍川芥/タツガワアクタ
夕陽は地平線の向こうへ沈み。華やかな舞台であった農場は、ようやく静寂を許された。
夜闇は黒く、しじまは深く。
日中は輝かんばかりの海原も、今は月夜の下、麦補が微かに波打つばかり。
そうやって眠りに付いたヴィレ大農場の中心、地主の邸宅にて。
応接室で机を挟み、魔力灯の明かりの下で彼等は笑顔を交わしていた。
「いやあ、作戦が上手く行ったようで! 流石は『首斬りジャック』のダンナ。これでアタシもひと安心というモンでさあ」
「それは重畳。こちらとしてもムッシュ・ヴィレのご協力には大変感謝しております。お陰で比較的穏便に事が運びました」
言うまでもなく地主のヴィレと、法典部隊隊長ジャン=ジャクザールである。
一見して和やかな事後報告だが、事態が解決して上機嫌の地主とは異なり、ジャクザールの笑顔は作り物だ。報告も意図的に手を抜いている。
果たしてそのことに気付いているのかいないのか。
ヴィレはグラス一杯分の
「ところで、今はお連れの魔女さんが見張ってるという話でしたが。ダンナは奴らをどうするおつもりで? やっぱり処刑台に引っ立てるんですかい?
『首斬りジャック』の処刑ならアタシも見に行きますよ、ええ。ロベールの野郎には勿体ない晴れ舞台ですし……それにゴーレムの処刑ってのは、中々お目にかかれない
「……」
「ああ、こいつは気が利きませんで。どうぞ、ダンナも一杯。ロマーネ産の15年モノ……ボトル一本で200万は下らない逸品ですぜ」
「いえ、お気持ちだけで結構。任務中の飲酒は刃が鈍りますので」
「もう仕事は終わったのに、ですかい? ああ、そういえば魔女さんの監視もあるんでしたな。勝利の美酒も味わえないとは、ダンナも難儀ですなぁ。まあ、気が変わったらいつでもどうぞ。何なら魔女さんにも持っていってやってくださいや」
そうやってグラスを差し出してくる地主の顔は、勝ち誇ったふうに上気していた。
当然、その対象は対面に座るジャクザールではない。
地主ヴィレにとってジャクザールは味方。
彼が敵視しているのは、己の腕を折ったゴーレムと、その命令を下した小作人の両名である。
「……」
ジャクザールの沈黙は、それを態度から察したがゆえだ。
やはり、地主が彼女たちを恨んでいるのは明白。現にその不幸を肴に祝杯まで挙げている始末。
外見こそ豚に
とはいえそんな妄想をおくびにも出さず、黒衣の青年は本題を切り出す。
「……その件で折り入ってご相談が、ムッシュ。
今回の件、私はゴーレムに全ての責があると判断致しました。ゆえにゴーレムは王都まで連行し、そこで裁きます。つきましては、ゴーレムを所有していた者に、一切の咎を与えないでやって欲しいのです」
「? ロベールの奴に、ですかい?」
「はい。端的に言って、無罪放免にして頂きたい」
急な提案に驚いた顔になる地主のヴィレ。
和やかだった応接室の空気へ僅かに険が混じる。
だが、ジャクザールはなにも、地主のご機嫌取りのためにこの邸宅を訪れたのではない。
思い出すのはあの覚悟。
『道具に罪はなく、人にこそ罪があるというのなら……どうぞその通りに、執行人。
どのような咎も、このエメス家長女、イヴ・エメスが受けましょう』
青年の目的は、かのゴーレムと結んだ約束を果たすこと。
話し合いの結果、罪は全て人外たる彼女が背負うと決まったわけだが……ヴィレはゴーレムだけでなく、反抗した小作人夫婦にも恨みを募らせている。地主という立場を考えれば、ゴーレムが夫婦から離れたが最後、どんな私刑でも思いのままだろう。
―――それでは約束を守ったことにはならない。
ジャクザールが求めたのは『建前』ではなく『結果』。
その為に、彼は地主と交渉……というより、地主を説得しに来たのだった。
「彼ら小作人は農場の労働力。牢屋に追い立てようが首を落とそうが、経営には一銭の得にもなりません。特にロベール・エメスは働き者だったのでしょう? ならばここは寛容さを見せ、より農場への忠誠を深めて貰うことが得策ではないでしょうか」
「……ふむ。確かに、ダンナの言うことにも一理あります。
ですが解せませんな。奴を無罪にして、それでダンナは何を得るんで?」
当然と言えば当然の疑問。
単純な損得で動くヴィレにとって、一見して無償の行いほど疑わしいものはない。
何が欲しいのか、と問いかけるような視線を受けて、ジャクザールは潔白を示すように白い歯を見せる。
「いいえ、逆ですよムッシュ。私にとって、これは利益を得るためではなく、矜持を損なわぬためのもの。積み上げて来た財産を損なうことの不愉快さは、貴方もよくご存じでは?」
「ふーむ、なるほど。ダンナの
そこまで聞いて、最初は嫌な顔をしたヴィレも顎に手を置いて考え込む。が……心変わりにまでは至らなかったのか、やがて頬肉を揺らしながらかぶりを振った。
「……いや、やっぱりそいつは駄目ですな。折檻をなあなあにしちゃあ、他の小作人がつけあがります。農場主としてそいつはちょっと頂けない。
まあ、
話す間、わざとらしく難色を示していたその口端が、最後の疑問符とともにニヤリと吊り上がる。
それを見て、ジャクザールは冷えていく心胆を隠すように目を細めた。
―――ああ。この欲深を他の動物に例えるなど無粋だったな。
そんな内心の呆れを嚙み殺すのは、ジャクザールにとって慣れたこと。
彼は十六歳から一か月前までの二年間、執行騎士として『神罰法廷』に勤めていたが……残念ながら、そこではヴィレのような人物など珍しくもなかった。
当然、罰する側も、罰せられる側も。
『人間』の獣性をこれでもかと見せつけられてきた彼にとって、地主の在り方にいまさら覚える失望はない。
むしろ欲に忠実な成り上がり者、という点では、粗暴な犯罪者や暗愚な貴族よりいくらか好感が持てるほどだ。
溜息の代わりに吸気をひとつ。
それで清濁を併せ呑んで、彼は“取引相手”の望む商品を提示する。
「……この事件の報告者は私です。農場の被害状況と、その主が非常に協力的だったことを上に伝えれば、被害を受けた農場には補助金が下りるでしょう。ですが私は記憶力に自信がないので、
「―――ほう、それはまた。しかし補助金ですか……確かにありがたいですが、それだけで被害が埋まるとは、ねぇ……?」
「……それと、農場の治安を維持しているのは傭兵だというお話ですが。ゴーレムに怯えて逃げ出した者が居たせいで数が減ってしまった、と報告にありましたね。私は多少、
「素晴らしい。ええ、それならロベールの奴を許しても問題はなさそうですな。さすが、噂に名高い『首斬りジャック』は考え方が柔軟でいらっしゃる」
満足そうに頷くヴィレ。
交渉は成立したようだったが、矜持のために信頼を切り売りしたジャクザールの心中はいかばかりか。悪名に似合わぬ端整な笑顔からは伺い知れない。
そんな彼の内心を気にも留めず、地主は再び酒杯を呷る。
「いやあ、得体の知れないゴーレムなんて問題を抱え込んだときは文字通り頭を抱えましたが……それこそ、アタシがいったい何をした、ってねぇ。でも神様ってのは見てくれてるもんですなぁ。ホント、来てくれたのが他ならぬダンナで助かりましたぜ。
ええ、ダンナとは今後とも是非、仲良~くやっていきたいモンです」
「ありがたいお言葉ですが。私はしょせん、上の命令で動くだけの役人ですよ」
「いえいえ、謙遜はよしてくださいや。騎士団さえ歯が断たなかったゴーレムをその日にやり込めちまった手腕と言ったら! 最強の執行騎士って評判は正しかったですなあ、ええ」
「そのようなことは。それに今の私は、魔女のお守りに過ぎません」
そんな、微妙に気のないジャクザールの相槌も、今の地主には届いていない。
頭を悩ませた問題の解決に、その損失を補填するうまい話。
美酒も入って、ヴィレの機嫌はますます有頂天になる。それこそ、相手が泣く子も黙る『首斬りジャック』であることを忘れるほどに。
「しっかし、意外といえば意外でしたな。そんなダンナほどのお人が、チンケな小作人ひとりを庇い立てするとは。ダンナは
ぴくり、と僅かにジャクザールの表情が強張ったことに、対面のヴィレは気付けなかった。いいや、ジャクザールが気付かせなかったのだ。
ほとんど逆鱗とも言える話題に触れられた青年は、瞬き一つで気持ちを切り替え、むしろいっそう柔和に微笑んでみせた。
「……偏見ですよムッシュ。処刑人の家系だからといって、人殺しが好きな者ばかりではありません。寧ろ、赦されるなら殺しなどしたくない、という者が大半です。
それに、これは極めて個人的な感傷ですが……私は、真面目に勤めを果たして来た人間には、相応の報いがあってもよいのでは、と思うのです」
にこりと笑い、青年はソファから立ち上がる。
近くに立てかけていた処刑剣を腰に差し直し、扉まで歩み寄る動きの迷いのなさといったら、酒の入った地主が呆気にとられるほどで。
そうやって部屋を後にする直前……扉を開いた彼は、去り際に思い出したかのように地主のほうを振り向いて。
「―――改めて、今回はご協力ありがとうございました。
ああ、最後に。ロベール・エメスの妻アンヌは病気だったという話です。雇い主として、出来れば部下の体調くらいは気にかけてやってくださいね、ムッシュ・ヴィレ」
ちゃきり、と最後に腰の処刑剣を見せつけて、ジャクザールは応接間を後にした。
たったそれだけ。
なのに、一人応接室に残された地主は、先程までの上機嫌が嘘のように顔面を蒼褪めさせていた。
「――――――」
あの鍔鳴り。故意とも偶然とも取れない何気ない動作。
柔和な微笑みは最後まで崩さず。
だがあの目が、扉を出る直前の氷のような一瞥が、海千山千の豪農の心胆を根こそぎ握り潰してしまった。
―――約束を
何かを言われたわけでもないのに、そんな言葉が地主の心臓に
殺気の投射による『恐怖の擦り込み』。
王国じゅうに恐れられた男のそれは、もはや魔眼や邪視の領域に到達していた。心得も心構えもなく受ければ、それこそ心臓麻痺さえ起こしかねないほどの。
たっぷり一分。ようやく立ち直った地主が己の首を触ったのは、まだ頭と胴が繋がっているかの確認に違いない。
太い五指を濡らす冷たい汗。
美酒の酔いなぞどこへやら。
あるいは小心者であれば、むこう一か月間はベッドで震え続けたかもしれないが。
「……は、は。視線ひとつで断頭の幻覚さえ見せるとは。『首斬りジャック』、か……本当に、おっかないお人ですな、ダンナは」
そんな軽口で恐怖を吹き飛ばすヴィレもまた、王国に名高い大物地主。
彼は恐怖に屈したからではなく、ジャクザールの評価をもう一段階上に改めたがゆえに、彼と交わした約定を破らぬことを決意した。
◆
玄関の扉を開け、邸宅から出て。
すっかり暗くなった畑道を前にして、ようやく俺は溜息を吐いた。
「……ふぅ。戦うより疲れたな。神経が磨り減る、というか」
専ら剣を振るうことばかりを仕事としていた代償か。慣れない交渉ごとで溜まった疲労を誤魔化すように独り言ちる。
我ながら情けないが、仕方ない。
王国じゅうに恐れられる『首斬りジャック』も、話し合いの席に座れば凡人だ。
―――まあ、素人なりに頑張ったかいはあったか。
ともあれ無事に話はついた。
地主のヴィレは、最終的には感情より利得を優先するタイプ。
私憤を交渉の材料にはしても、充分な対価があるのならそれを収められる器、という風に俺は見た。
どうあれ優れた経営者ではあるのだろう。
少なくとも、俺が今まで斬ってきた犯罪者と違って話が通じるし、利害による交渉が成立する。
「とはいえ、ムッシュ・ロベールたちにかなり恨みがある様子だったからな……念のため釘を刺したが、大丈夫だったか……?」
別れ際、ほとんど山勘で少しだけ殺気を飛ばしてみたが、効果があるかも分からない。
あの『念押し』では不足だったかもしれないし、逆に過剰だったなら交渉がパーになりかねない。それでも他に選択肢がなかったあたり、自分の交渉術の貧相さに頭を抱えざるを得ないが。
「まあ、人の矜持に値を付けたんだ。あのくらいの意趣返しは許されると思うが……許されるよな? ううむ、やはり『殺す』以外のやり取りはどうも苦手だ」
慣れないことはするもんじゃないな、とぼやきをひとつ。
そんなこんなで、日中の喧騒もどこへやらの夜の畑道を歩いていると。
はらり、真冬の雪のように。
軽やかに淑やかに、頭上から舞い降りてくる白があった。
「―――待ちわびたぞジャック。話は済んだか?」
大魔女・白夜のレフィーリア。
とん、とその爪先が地を踏み、赤い瞳がこちらを見上げてくる。
……やはり、夜が似合う
白い髪に白い肌。色素を知らぬ魔女の純白は日中でも象牙のように気高いが、夜闇にあっては正に独壇場。月光を受けて輝く姿は実に魔的で、(剣の柄に手が)吸い込まれそうなほど美しい……当然、絶対に口には出さないが。
見た目だけはいいよな君、なんて軽口もまた我慢して、俺は足を止めずに返答する。
「……ああ、交渉は終了した。だが困るな、魔女。君はいちおう、あの“城”で三人を見張っていることになってるんだぞ」
「む。なんだ、ワラワはあの悪趣味な建物に逗留せんと駄目なのか?」
「違う。くれぐれも監視が嘘だと地主にバレないように、ということだ。君は夜でも目立つし、さっさと
かの
「ふむ。だが、それだと奴らが逃げ出しても気付けんぞ? そうさな、ワラワが駄目なら、見張りに眷属を何羽か飛ばすか?」
「……必要ない。というか、逃げるつもりならとっくに逃げてるよ」
「―――なぬ?」
なぜだ、と考える素振りもなく答えをねだってくる魔女へ、俺はかの方角を向いたまま語る。
「考えてもみろ。あのゴーレム……イヴ・エメスは、拾い主に『どんな願いも叶える』と言わしめるほどの存在だった。なら当然、三人で逃げる、という選択肢だってあっただろう。
だが彼等はそうしなかった。小屋を要塞に改造して守りを固めてはいたけれど、それだけだ。農場から出ていこうとはしなかった。
……ゴーレムが本当に全能なら、誰も追ってこれない新天地で、家族三人細々と暮らすこともできたはずなのに、だ」
小屋の増築。
住居の要塞化。
あの冬虫夏草めいた異形の建物は、恐らく、小作人夫婦の『後ろめたさ』と『自己弁護』とが混濁して生まれたものだ。
エメス夫婦は、自分たちが社会に攻撃されるという自覚こそあったものの、自分たちは正しい・何一つ後ろ暗いものはないと信じ込んだ。
過ぎた幸福は望まない。
不当に奪われないだけでいい。
自分たちは今まで通り、慎ましく生きていきたいだけだ、と。
だが……夫妻には悪いが、それこそ矛盾だ。
だって、あんなに堂々と居を構えた時点で―――襲撃を警戒しなければならない状況に陥った時点で、彼等の日常はとっくに崩壊していたのだから。
当然の話。いくら必死にしがみついたって、壊れたものは直らない。
「とはいえ、そう簡単に繋がりを捨てられないからこそ『人間』だ。
社会の庇護と制約はコインの裏表……たいていの人間は、何か罪を犯したって、いまさら野生になど戻れない。戻ったって何の
罰とは未来のためのもの。
互いが互いを救うため命さえ懸けた家族なら、全てから逃げるのではなく、正しい道を選ぶだろう……」
そこまで言って、ふと気付いた。
これは朝から俺の胸につっかえていた“問い”、その答え
「……そうか。そう言えばよかったのか」
「? どうしたのだジャック?」
あるいは、農場という場所がよかったのかもしれない。
だって俺は畑の耕し方も、麦の収穫の仕方も分からない。
そう、
夜にのみ星が際立つように。“出来ないこと”に囲まれて、初めて見えるものがあった。
「―――魔女。君はいつか、『どうして自分より弱い者に従うのか』を訊いたよな」
「む、朝に話したアレか? キサマは処刑人だから、無罪の者は斬らんのだろう?」
「ああ。確かにそう答えたが、それでは不足だった。それは“俺個人としての答え”であってそれ以上じゃない。魔女である君に語るなら、俺はジャン=ジャクザール・マギロティオンとしてではなく、“ひとりの人間”として答えなければならなかった」
「ほう。して、その答えとは?」
それは農場への道すがら、話の流れで投げかけられた問い。
この白い
―――「おまえの自制は何の為か」。
あのときは上手く言えなかった“人間の代表としての答え”を、俺はそよぐ麦穂に指先で触れながら口にする。
「人間は……俺は一人で生きているわけじゃない。口に入るパンも、身に纏う衣服も、住む家も、全て俺以外の誰かが作っている。
そもそも俺は
それこそ
互助と継承こそが人の営み。国を興し、街を築き、社会を保ち……そうやって作り上げられた文明の先端に俺たちは産まれ、文明の中で育って来た。
なのに多少腕っぷしが強かったくらいで、好き勝手殺して奪って暮らす? バカらしい。そんな愚行が辿り着く先は、千年前の
いつだって、作るより壊すことの方が簡単で。
殺すことより生み出すことに、強いことより正しいことに価値がある。
それが人間の社会だ。俺が生きている世界のルールだ。
そのルールの中で育ち、これからもそうでありたいと望む以上……俺はいつ如何なる時も、自分が集団に利のある存在だと証明し続けなければならない。
「そうだ。俺たち人間は、何か目的があって行動を自制しているわけじゃない。
私欲で力を使わない、なんて、そんなのは文明人として最低限の礼儀なんだよ」
それが『人として生きる』ということだ、と告げて、ようやく胸のつかえが取れた気がした。
本当は問われたあのときに言わなければならなかった答え。
法の番人として当然の、隣人を害さないという
それを答えられたことが、自分の中に正しさが在る何よりの証明であるようで、俺はようやく安堵したのだ。
だが……そんな俺の心の隙を突くように。
月より眩しいその
「そうか? だがキサマはあのとき、心底から愉しそうであったぞ―――?」
「―――」
夢見る乙女のような、あるいは人を誑かす毒婦のような顔でそう言われ、俺は魔女が思い描いた場面を嫌でも理解させられてしまった。
廃教会での
燃え盛るように激しかった、未だに夢に見るほどの死闘。
ああ、憶えているとも。忘れられるハズがない。
異形の大魔女の首を前にこの心臓が生み出した、鋼を熱するような感情を。
―――
―――
その狂暴な
困難な処刑へ高揚する、なんて倒錯は、けれど確かに俺自身のものに他ならなくて―――。
「まあ、それでも矛盾はせんか。キサマの論だと、制約の中で我欲を満たすことは悪ではあるまい。そう、仕事人間、というやつだな!」
「……なんだそれ。人聞きが良いような悪いような……まあ、気配りの言葉と受け取っておこう」
あと君、いったいどこからその俗すぎる語彙を仕入れてるんだ?
そんな呆れの言葉は、けれど口からは出なかった。
まあ、軽口を叩ける余裕がなかった、とも言うが。
……ああ。不覚だが、白状すれば。
『死ぬ』とか『殺す』とかを微塵も気にしない魔女の
―――全く。俺もまだまだ精進が足りない。
そんなことを思っていると、ふと右腕に重さを感じた。
隣を歩いていた魔女が腕を組んで来たのである。
「ともあれ。そんなキサマの流儀に、ワラワも付き合ってやろうではないか、ジャック」
「……先程もそのようなことを言っていたが。本当だろうな? 正直、自制が利く性格には見えないが」
「む、何を言う。ワラワだって辛抱くらい知っておるぞ。それにキサマ自身が語ったであろう。好き勝手すれば迫害されると。ワラワはそれでも問題ないが、キサマが辛いなら話は違う。
―――やはり、婚姻というのは祝福されるべきだ。恋によって燃え尽きるなど、そのような結末は御免なのだ、ワラワは」
ぎゅう、と抱かれた腕に伝わる力。
傍若無人の魔女の横顔が憂いを帯びたように見えたのは、果たして俺の見間違いだったか。
気付けば、俺の口は勝手に動いていた。
「……そうか。なら、その間は君を人間の味方として扱おう。少なくとも今回の件で、事件一回ぶんの信用は積み重ねたわけだしな」
まあ、事実と言えば事実だし。
それに、俺も似たようなものなのに魔女だけ受け入れない、というのも不公平だ。
月と星だけが見下ろす夜中。
小麦を踏み荒らしてしまわぬよう、均された畑道を行く。
ここは人と獣の境界線。
俺たちは理性の裏に獣性を抱え、常に選択を迫られる。
それは簡単なようでいて、なんて危うい綱渡り。
―――死ぬのが先か、生きる価値を失うのが先か。
そんなコトを、きっと死ぬまでやり続ける。
まるで小麦を育てる農家、北極星に導かれる船乗りだ。
“人”で在り続けるとはこんなにも不自由で―――そして、こんなにも誇らしい。
少なくとも、明日の陽の色を楽しみに思えてしまうほどには。
そんな俺の、染み入るような感慨は……ぱ、と組んでいた腕を離して一歩前へと飛び出した魔女の、元気よく張り上げられた声に断ち切られた。
「よし、真面目な話はこの辺でよかろ。騒動は解決したのだし。
うむ、やるべきことは全て終わった。明日からは恋人の時間だ!」
本当に空気を読まないなこいつ……という非難の視線も何のその。ばさり、と魔女が両手を大きく広げる。
まるで初めてケーキを前にした子供、両手で抱えきれない宝の山を見つけた探検家だ。
「農場と言ったな、ここは広いし景色もいい。我らが踊るには充分だ! 近くの街で歓楽するのもよいな。ニンゲンの求愛行動はそういうものだと聞いたぞ? デート、というのだったか。
……それと、そのう、接吻がしたければいつでもいいぞ、うむ。
ああ、やりたいことが山ほどある! こんなに時間が惜しいと思うのは初めてだ! そうだ、どうせなら一日と言わず、一週間ほどこの地に留まって満喫するというの、も……む? なんだジャック、その目は」
……いや。心底から呆れ果てている、というか。
「……魔女、君は何を言っている。仕事と旅行を混同するな。任務が終了した後は、すぐに
「―――な!?」
「当然、君も連行する。明日の朝一番でな」
「あ、朝一番で……!? なっ、なら今夜だ! 月夜に舞うのも悪くはなかろ? ほら、ニンゲンの逢引きや駆け落ちも決まって夜だと聞いたし、」
「断る」
「なっ、な……!」
「なんだその顔は。愕然としたいのはこっちだよ。流石に夜道を強行軍するほど急ぐ必要はないとはいえ、遊ぶ時間なぞあるものか。“平”と違って、
書いた文字が遠くの地で同じように綴られる双子ペン。
魔術によって優れた連絡機となる水晶の鏡。
魔導工学の発展のお陰で、今は遠隔で仕事が出来る時代だからな、
というわけで馬鹿な話は華麗にスルー。
魔女の脇をすり抜け、俺は歩みを再開する。
「それに。君がどうかは知らないが、人間には睡眠が必要なんだ。今日は特に
「む―――だ、だがキサマは生きておるではないかっ!」
「ああ、おかげさまで全身ガタガタだがね」
そうこうしているうちに、俺は邸宅から一番近くの傭兵詰所に辿り着いた。
使用許可は既に地主から取ってある。
邸宅の客間も中々魅力的ではあったが……仕事中にいいベッドは気が緩むし、俺は余所の使用人にはどうにも気を遣ってしまう
なに、こちとら野営には慣れた身だ。厩舎よりしっかりした建物というだけで、一晩明かすには十二分。
いい加減疲れた、と溜息ひとつ。
一日の出口を開くように、俺は詰所の扉に手をかける。
「というわけで、ダンスの誘いはキャンセルだ、お姫様。そんなに踊りたきゃ一人でどうぞ、
最後に振り向いてそう言えば……魔女はついに爆発した。
「~~~!! ケチ、真面目、駄目な夫! こんの、ジャックの大ばかものーーーー!」
そう叫んだのを最後に、空の彼方へと飛び立っていく白い影。
何となく彼女の心理が読めてきたが、アレは逃げたのではなく拗ねたのだろう。10分と経たず戻ってくると見た……まあ、そうでなければ首を斬るだけだが。
……しかし、今日は本当に疲れた。
早朝に王都を発ち、片道6時間の移動ののち情報収集。無い知恵を絞った作戦は失敗し、魔女との慣れない共闘であの厄介なゴーレムを追い詰め、挙句の果てには殺さず交渉ごとと来た。
とてもじゃないが
とはいえ、捨て台詞には捨て台詞を返したくなるのが人情というもので。
「
『首斬りジャック』がクビなんて笑い話にもなりやしない、と最後に空に向かって呟き。
ばたん、と。
長かった一日を締め出すように、俺は詰所の扉を閉めた。