人外少女たちの愛情表現が難解すぎる 作:龍川芥/タツガワアクタ
―――もしもの話。
あなたに「これだけは誰にも負けない」という、素晴らしい才能があったとして。
それ以外の全てが平凡以下で、自分の持つ才能がそのひとつだけだったとして。
そのたったひとつが
あなたはいったい、どんな生き方を選びますか……?
◆
「“首斬りジャックがやってくる 悪者殺しにやってくる”
“お墓に逃げ込め罪人たち 遅れりゃ首だけ泣き別れ……”」
寒々しく乾いた蒼白の月夜。
星空に
被告―――大魔女・
罪状―――王国民虐殺、死体損壊、再三に渡る神罰法廷への召喚拒否。
判決―――死刑。
彼が神罰法廷に召喚されたときには、既に判決は下されていた。
全くもっていつも通り。
なにせ神罰法廷とは、被告人不在のまま―――むしろそれを理由に―――判決を下すことができる、王国唯一の『罪人不要の裁判所』であり。
そんな神罰法廷の判決に従い、確保の難しい凶悪犯をその場で処断する『法の殺し屋』こそが彼、即ち“執行騎士”なのだから。
普段と違ったのは相手が“魔女”……つまり人ならざる怪物であったことくらいだ。
それ以外はいたっていつも通り。
相手が王国軍を動員しても討てるか怪しい、神話の時代の怪物であることも。
この死刑判決が、魔女に名誉を侮辱されたとして私兵(息子含む)を送り込み返り討ちに遭ったバカな貴族の逆恨みに、神罰法廷特有の宗教的な事情が都合よく乗っかったものであることも、自分が口を挟む事ではないと彼は考える。
我こそは生粋の執行騎士、別名を“神罰代行者”。
職務は罪人を殺すこと。
我が刃、我が鍛えし殺戮の
死刑執行担当―――ジャン=ジャクザール・マギロティオン一等執行騎士。
つまり、それが男の名であった。
誰が呼んだか『首斬りジャック』。
広く王国に名を馳せた、嫌われ者の正義の味方―――。
「“首斬りジャックがやってくる 夜闇と共にやってくる”
“首を隠せや子供たち さもなきゃ頭がぽろりと落ちる……”」
ざっ、ざっ。
草を掻き分け土を踏み、夜満ちる冷たい森を往く。
王国最南西、国境付近。
地元民も近寄らない深き森の中、かつて“異端の神”を信仰しその末に滅んだ街の遺跡が、今回の被告人の居城であることは有名な話だ。
滅びてから何百年も経ったと聞く街である。
人の営みの痕跡は、その殆どが森に呑み込まれ、時間に洗い流されて久しい。
そんな中で孤独に形を残す石造りの廃墟。
かつて大きな教会だった、もうずっと役割を果たせていない臨終の建物を目指し、男は木々の影の中を淡々と進む。
「“首斬りジャックがやってくる 冤罪裁きにやってくる”
“今すぐ逃げ出せ大人たち でないと広場でさらし首……”」
かつん、かつん。
男のブーツが踏む地面が、土から朽ちた石畳に変わった。
教会へと続く道は辛うじて残っているらしい。
ただ……王都のように、その姿を見て顔を顰めたり逃げ出したりする住民たちは、流石に一人も残ってはいないが。
今となっては言うまでもなく。
『首斬りジャック』という男は、とんでもない嫌われ者である。
どれだけ嫌われてるかというと、こんな童謡が王国じゅうで流行ってしまうくらいには嫌われている。
だが、それも仕方のない事だ、と当の本人は嘆息した。
どんな種族でも『同族殺し』は忌避されるもの。
この平和な時代、“死刑執行人”の忌み嫌われようは、彼が一番知っているのだ。
なのでまあ、こればかりは仕方ない。
寧ろ王国じゅうに名が売れて幸運だ、なんて強がる意味でも、若き男は不吉な
「“首斬りジャックがやってくる おまえを殺しにやってくる”
“男も女も乳飲み子も 誰彼構わず皆殺し”
“一目見られちゃもう手遅れ たちまち首無し惨殺死体”
“畏れよ その名はジャクザール 悪魔のような首斬り役人……”」
かつん、かつん。
ブーツの靴底は、廃教会へと続く石の階段に差し掛かった。
それは同時に、木々の影に隠されていた男の出で立ちが、月光によって露わになるのを意味していた。
月光冴え凍る夜、蒼白の月に照らされて、渇いた足音が階段を上る。
教会へと繋がる石段を踏む、闇を固めたようなロングブーツ。
夜風に溶け込むような、あるいは月光を喰らうような漆黒のコート。
その背に刻まれし
コートの裾が靡くたび、腰に下げた長剣がチラリと覗く。
かつん、かつん。
貴族ぜんとした立派な服装。
それとは相反する、野蛮極まる“死”の気配。
畏れよその黒き出で立ちを、彼こそ魔人『首斬りジャック』。
処刑人くずれの神罰代行、王国最恐の“執行騎士”―――。
かつん。
ついに、男は廃教会の中へと足を踏み入れた。
百余年の孤独を感じさせる、今にも崩れそうな石造りの廃墟。
崩れた天井から差し込み朽ちた内装を照らす月光は、神の不在を謳うようにも、その実在を強調するようにも映る。
だが、そんな寂れた光景について、彼が何かを思うことは許されなかった。
「―――月見の供には
廃教会に足を踏み入れた瞬間。
割れたステンドグラスの下、異端の神を崇める祭壇の方から、尊大な声がしたからだ。
神か悪魔か。
不気味ながら妖艶な響きを帯びた、とても人のモノとは思えぬ女の声。
誰も居ないハズの教会に居たその存在は、来訪者の気配に眠りから覚め、肉食獣が身を起こすようにその異形の鎌首を擡げる。
―――月光跳ね返す、白。
あるいは、地上に落ちて来た月の欠片そのものであるかのようだ。
その、美しく透き通った白貌の中で。
二つ嵌った瞳だけが、
「ああ、力要らずの鋭さを思わせるその歌声は褒めてやろう。だが、キサマを
そら、このままだと取って喰うぞ。次はどうする? 腰の剣を使って舞でも踊れば、ワラワの目も眩むかもしれんぞ?」
クックック、と鳥が鳴くように笑う怪物。
それは女であり、鳥であり、全長3メートルを超す異形であった。
即ち、それは『魔女』だった。
人ならざるもの。怪しげな魔術を用い、人間の女を装う怪物。
だがこれは……とても、人間を装いきれてはいない。
赤い瞳、裂けた口。
剣より長い鉤爪に、教会には収まりきらぬその白翼。
つまり、常人なら一目見ただけで恐怖に凍り付く威容だが……この程度で怯んでいては、とても執行騎士など務まらないわけで。
「……鳥葬の魔女、白夜のレフィーリア殿とお見受けする。
王国民虐殺及び死体損壊の罪により、神罰法廷は汝の死刑を決定した。どうか速やかに首を差し出して頂きたい。さすれば、苦痛は一瞬であると約束しよう」
男が単刀直入に用件を告げる。
すると魔女は、耳まで裂けた口端をニヤリと歪めた。
「人間が何の用かと思えば―――死刑。死刑か。カアッ、カアッ、カッ!」
笑い声が空気を震わせる。
規格外の声量が、突風となって廃教会を揺らす。
それでも男が怯まなかったからか……魔女は
「よかろう、実によかろう。用向きは分かった、『首を出せ』というキサマの望みは理解したとも。
では……『断る』、と言えばどうする? キサマらがよく言う、羽根より軽い王の権力とやらで、ワラワの
実際、魔女からすれば御笑い種であった。
人間が決めた
王も奴隷も等しく我が餌―――そう真紅の瞳が
だが、それは彼にとって問題ではなかった。
「死ね」と言われて素直に従う者ばかりなら、そも“執行騎士”など初めから存在する意味がなく。
即ち……是よりは抵抗ごと罪人を斬り捨てる神罰執行―――彼にとっての
「なに。その場合は、俺と踊って貰うだけだ」
―――死の舞踏をな。
ぎゃりん、と金属音を響かせ、腰に差したる剣を抜く。
刃先の潰れた直刃の魔剣―――
「作法に乗っ取って宣告しよう。
俺はジャン=ジャクザール・マギロティオン。由緒正しき『死神公』、8代目マリウス・マギロティオンが次男にして、君の死刑を担当する執行騎士だ。
此度の処刑は
「フム。キサマが泣く子も黙る『首斬りジャック』か。骸骨に薄汚れた皮を貼り付けたような不気味な男を想像していたが……クック、ぞんがい色男ではないか」
「……世辞は辞めろ、人喰いの魔女。どんな甘言も、マギロティオンの刃を止めることは決して叶わぬと知るがいい」
「カッ、とはいえ根暗ではあるらしい。賞賛ひとつ受け取れぬとは……ならば、その性根に相応しい
光栄に想えよニンゲン。興が乗ったゆえ、キサマの流儀に付き合ってやる」
ぐぐ、と魔女が体を起こす。
それだけで、その威圧感は教会を圧し潰さんばかりに膨れ上がった。
目算3メートルと見た魔女の全長は、その二倍はあっただろうか。
広がった翼はソラを隠す天蓋。
巨大な爪で地を踏み締める両脚は、鳥というより竜のようだ。
見よ、矮小短命の“ヒト”名乗る猿よ。
是こそが神話より続く魔女の伝説。
人外の美貌など、殺意を宿した今となっては目を潰す凶器に他ならず。
血色に滾る眼光が、
「―――ワラワは遠き
太陽と月を墜とした“神喰らい”にして、地上全ての死を啄む者。
我が亡き主・離神の巫女マリリアの名に誓って、この一夜のみ、キサマと踊ってやろうではないか」
かくて名乗りは交わされた。
人と人外が共有できる礼儀の全ては終了した。
首を取りに来た処刑人と、殺し返すと決めた魔女。
もはや言葉は必要ない。
―――殺し合いが、始まった。
◇
ジャン=ジャクザール・マギロティオンと白夜のレフィーリア。
その戦闘は、互いの武器が激突するところから始まった。
ばさり、広げられしは魔女の白翼。
その純白の羽根の下から、赤色の光が這い出して来る―――。
それはガラス玉めいた双眸。
主と同じ色を持ち、禍々しく闇夜を穿つ、
魔力によって生み出された“使い魔”が、翼という巣から次々にその姿を現す。
「“征け、無尽無情の我が下僕ども。あの肉に
主の命令を受けて、十を超える眷属たちは一斉に
―――速い。
とても鳥の飛ぶ速度とは思えない高速飛翔。
当然だ。彼ら眷属こそかの大魔女の
どこまでも敵を追尾し、鉄より硬い嘴を突き立てる、人智超越の“魔術”である。
そんな、超速にして変則の魔弾を。
「―――笑止」
斬、と。
処刑人は、ひとつ残らず“殺し”
黒いコートの青年、その身の
其は斬り裂いた者を“即死”させる、怨念に塗れし必殺の呪剣。
斬り裂かれた鴉たち、その羽根が黒い男の周囲を雪のように舞う中で……。
―――偶然か? と。
魔女は赤い瞳を細めた。
生まれた疑念を確かめる為にも、ぶるりと翼を震わせる。
再び生まれる赤き光……だが、現れし眷属の数は先の五倍、いや十倍か。
「“肉に群がれ我が軍勢。神の
そんな数え切れぬ程の鳥の群れが、号令を受けて魔弾と化す。
掃射とも言える怒濤の嘴。
一秒に五度は体を貫くだろう弾幕は―――けれど先の光景の焼き増しのように、振るわれた黒刃に阻まれる。
しかし今回は、互いにそこで止まらない。
掃射は続き。
斬撃も続き。
攻防は百を超えてなお続く。
罪人に死を齎すマギロティオンの処刑剣と、
大魔女の白き鳥葬魔術。
その交錯は圧巻だった。
悍ましき生と恐ろしき死、白の魔弾と黒の斬撃が、廃教会にて入り乱れる。
秒単位の生誕と断頭。
狂い咲く鮮血の花。
その冒涜的な光景の中で……大魔女は、「やはり
―――魔女からすれば言うまでもなく。
単純な
膂力。敏捷。魔力。体力。
どれをとっても大魔女レフィーリアが上。
そのうえ自在に空を飛ぶ
故にこそ、それは有り得ざる神業であった。
千年生きた魔女をして、堪らず吹き出す程の“異常”であった。
「―――クカカッ、一体どういう技量だキサマ!
矢より速く飛び獲物を啄むワラワの眷属、その群れを的確に
あくまで斬首のみに拘りながら、全ての
それもただの斬首ではなく―――
そんな離れ業をジャン=ジャクザール・マギロティオンは、戦闘開始から今に至るまで……人間より遥かに小さい
未だ処刑人の体に届いた
床に墜ちた全ての死骸は、完璧に命脈を断たれていながら、頭を繋げば動き出しそうなほど綺麗だ。
「ああ、佳いぞ愉快だ! こんな曲芸は、音に聞く大宮殿でさえ見られまい!」
魔女が騒ぎ立てるのも無理はない、偏執にして至高の剣術。
それのみであらゆる性能差を埋める“究極の技量”―――狂気と才能が練り上げた『首斬りジャック』の真骨頂。
そんな、若くして完成を見た殺戮技巧を手放しで賞賛する魔女に対し……されど、処刑人は不快気に眉を顰めた。
理由は簡単。
たとえどんな非常識でも……自分にとっての
「……安く見るな、人喰いの魔女。俺は“処刑人”だ。君と違って殺しに節度を持っている。魔術で生み出された疑似生命とはいえ、今際に不必要な苦痛を与えぬのは、マギロティオンの男として当然の義務だ」
「ク、『当然』とは咆えたなニンゲン。だが神業だ、故に赦す! さあさあ、その剣を月光でキラキラ光らせ、もっと美しく踊るがいい―――!」
魔女の興奮にあてられてか、勢いを増す白き大群。
そんな鉄さえ抉る嘴の群れを、己の大言を証明するかの如く、ひとつ残らず首斬り“殺す”魔剣使い。
刃渡り1メートル強、幅20センチ弱の直剣一本による防御が、彼の技量を以てすれば城壁の如く堅牢だ。
そうやって弾幕を殺しながら、処刑人は一歩、また一歩と魔女の方へにじり寄る。その必殺の刃の間合いに、魔女の頸を捉えるために。
だが……その歩みは、次の一秒で意味を喪失することとなる。
―――眷属のみでは殺せぬな。
そう読んで、魔女が自らも攻撃に出たのだ。
ぶわり、と白い翼で羽搏き―――猛禽を思わせる異形の脚、その爪にてジャクザールの心臓を狙うレフィーリア。
飛翔の速度は、眷属のそれをゆうに超えていた。
突き出される爪、緩く歪曲したその切っ先は、
それこそ城壁を砕く一撃。人体などひとたまりもない。
そのうえ群がる鳥たちが目くらましとなって、一撃は処刑人にとって完全な奇襲となっている。
「そら―――!」
白い弾幕を突き破り、ニンゲンへと迫る巨大な鉤爪。
それに胸を抉られる寸前で、黒コートは転がるように身を躱した。
チッ、と刃が掠る刹那の交錯。
処刑人は床を一回転してからすぐさま体勢を立て直し、魔女は勢いの儘に教会の壁を砕いて大空へ。
ガラガラと石壁が崩れる音を振り切るように、魔女は悠々と月夜を羽搏く。
「カッカッ。地を転がるとは些か不格好だが、よく反応したなニンゲン!」
刃届かぬ空中を旋回しながら、その怪鳥は上機嫌に笑う。
躱された? 当然だ、それくらいはしてもらわねば。
この程度で死んでもらってはつまらない。
この程度で殺せるようでは拍子抜けだ―――。
そう、賞賛とも自惚れともとれぬ角度に口元を吊り上げた魔女だったが。
―――ひやり、死神の鎌がその首元に。
「――――――?」
ぴ、と。
レフィーリアの長い首、その喉元が横一線に裂けた。
薄皮一枚、僅かに噴出する血液。
痒みともつかぬ微弱な痛み。
だが―――確かにそこにある、傷。
「……まさか」
高みにて羽搏く赤目の魔女は、思わず眼下のニンゲンを注視する。
その魔剣を、潰れた切っ先に付着した自らの血と羽根を見て、彼女は自分の身に何が起こったのかを理解する。
「まさか―――先の一瞬? あのとき、キサマもワラワを狙っていた、のか?」
魔女の爪が心臓を抉ろうとしたとき。
処刑人の転がるような回避、アレは不意打ちを咄嗟に躱すためのものではなく。
思惑と攻撃軌道を理解した上で、自ら近付いて来た間抜けな獲物を目一杯引き付け、目にも留まらぬ
ああ、その双眸が言っている。
体格差ゆえに惜しくも斬首を逃した
その昏く濁った瞳が、頭上の魔女を見て心底
「―――ク、クク」
高みにて。
じわりと痛む喉を通って、口端より異音が
「クァカカッ、カァッカッカッカッカッ!」
月夜を裂く、雷鳴のような轟音。ソレが自分の笑い声なのだと、そう魔女が自覚するのに数秒を要した。
楽しい。
愉快だ。
堪らない。
こんなのは初めてだ。
たかがニンゲン一匹に、自分はかつてないほど昂っている。
「生きている」ってカンジがして、全身が燃えるように
だから―――もっと踊りたい。
この、二人きりの
魔女が豹変する。
人の理知を装っていた余分が消え、獣めいた本性が表面化する。
「よいぞ、よいぞよいぞ『首斬り』! キサマのようなヤツは初めてだ!
サアもっと激しくゆくぞ、今以上に見事に踊ってみせよ! そうだまだ死ぬな、全部を魅せろ、ワラワをもっと
玩具を振り回す理性なき幼子のように。
魔女は一切の加減を棄て、本能のままに羽搏いた。
何百年かぶりの全開全力。
千年を生きた魔女の全霊―――自然と抑えざるを得なかった人外の力の躍動とは、一対一の決闘の様相からかけ離れた、鉄火飛び交う戦争の光景と酷似していた。
全方位より迫る
上空から地上を穿つ魔力砲の連射。
急降下による鉤爪の急襲。
多種多様、伝説の
そして。
その全てを紙一重で捌く、魔剣振るいし処刑人―――。
「――――――」
当然、とっくに無傷ではない。
性能差を技量で埋めるのにも限界はある。
黒衣は所々が裂け、肉は抉られ、その体は至る所から血を流している。
だが―――死なない。
急所は悉く避けている。
大魔女のあらゆる攻撃は、薄皮一枚を掠めるにとどまり、矮小なニンゲンの命にまでは届かない。
その剣技。
死地においてなお斬首の誇りを貫く黒刃は、いっそうその冴えを増し、二十メートル上空の魔女を全く
―――月下、千年に一度の奇跡があった。
大魔女の猛攻を耐えながら。
軍隊に等しい戦力をたった独りで凌ぎながら。
その目は微塵も揺るがず、
ただ、
「――――――カ」
ぞくり、と魔女の背を昇る未知の感覚。
恐怖の震えのようであり、恍惚の痺れのようである―――とても言葉では言い表せない、ドロドロに焦げた
ああ、あの剣術と魔剣の呪いは、間違いなく己を殺し得る。
なんて素敵な
二十年にも満たぬ蓄積が千年の君臨に届かんとする、その矛盾から目が離せない。
「なんと、見事な……」
果たして。
甘い密に誘われる虫のように、ばさり、魔女は地上へと舞い戻った。
廃墟だった教会はとっくに跡形もなくなって、面影さえまともに残っていない。
そんな
人間と怪物は同じ高さで視線を交わし、処刑人は魔女の様子から決着が近いことを感じ取る。
―――次の一撃で決まる。
魔女が高所の有利を棄ててまで地上に再来したのは、守りよりも攻めを優先する為だと処刑人は判断した。
今迄のようなヒット&アウェイではなく、接近しての凶爪による連撃が狙いだと。
その判断に歓迎半分、戦慄半分。
地上での近距離戦闘の場合、使い魔の弾幕と猛禽の爪、その他殺到する“死”をすり抜けて魔女の首を落とせる可能性は二割といった所か。
流石は神話の時代から生きているとされる不死身の大魔女だ。この条件でも圧倒的にあちらが有利。今までの
更に全身の流血、万全とは程遠い呼吸の乱れも、彼我の戦力差に拍車をかける。
だが、と。
処刑人は、そんな理屈を紙屑のように切って捨てた。
己が握るは凡百の魔剣に非ず。
是は一族の名を冠する家宝、マギロティオンの処刑剣。
この剣に懸けて、処刑の失敗は赦されない―――。
スゥ、とジャクザールが剣を立てる。
土壇場に在って泰然を極めた、彫像の如く美しい佇まい。
奪う命への礼儀を示す一族伝統の“斬首の構え”で静止して、処刑人はあらゆる覚悟を完了させた。
異形なりし魔女の表情から、覚悟はあちらも同様だと判断。
「―――では、」
悠久を生きた不死の大魔女よ―――覚悟。
壮麗なる汝が命、この『首斬りジャック』が貰い受ける……!
予備動作は皆無に等しかった。
びきり、と石畳が沈むほどの踏み込み。
天性の才覚と精緻な人体理解が生み出す肉体の駆動は、過去最大の死地にあって生涯最高を確信させ。
そして。
処刑人が黒い風となって生死の境に身を躍らせる、正にその瞬間―――。
「―――うむ、決めたっ!!」
快活な……どこか幼子のような声が響いて、発射直前だった彼の肉体は硬直した。
見ればそこには、先程までの凶相が嘘のように屈託なく笑う魔女の顔。
ニコニコと。月のようだった頬を赤らめ。
一秒前までの死闘を完全に忘れてしまったとしか思えない、微塵の敵意も殺意もない、ただただ嬉しそうな陽の出色に目を輝かせて。
夢見るように、
「決めたぞニンゲン、いや『首斬りジャック』!
「……………………は? 求、愛?」
―――ガラァン、と。
たっぷり十秒の沈黙の後、誇りそのものであった処刑剣を取り落とす、間抜けな音が教会に響いた。
ジャン=ジャクザール・マギロティオン。泣く子も黙る『首斬りジャック』。
彼の表情にあるのは、今や当惑のみである。
そんな相手の様子を意にも介さず、魔女は続ける。
「そうとも! その歌声も、その
うむ、堪らん、実によい! キサマが運命の相手と云うなら、あの死別にも意味があったと信じられるというものだ!」
訊いてもないのに早口でまくし立てる白翼の魔女。
何やら一人で盛り上がっているが、当然、ジャクザールはついていけない。
「さあ番おう、誓いを立て夫婦となろう! 大丈夫だ、愛に殉じた我が主に誓って、たとえ死んでも不貞はせん。ワラワは決してキサマの下を離れず、生きたキサマを啄んだりはしないとも!」
抱き着くように擦り寄ってくる魔女、そのふくよかな羽毛に体半分埋もれながら。
己が処刑人であることすら忘却した男は、その果てに、悟りにも似た答えを得た。
―――どこかで聞いたことがある。
鳥のオスは鳴き声やダンスでメスを誘惑し、それがメスの御眼鏡に適ったとき、その雌雄は
ならば。
もし、戯れに口ずさんだ童謡が、鳥で言う『誘惑の鳴き声』だったなら。
“踊る”という言葉を文字通りに捉えられ、その後の戦闘も『舞踊』の一種と判断されたのならば。
それは処刑人ジャン=ジャクザール・マギロティオンが、鳥の大魔女レフィーリアに求婚したことになる、のか―――?
「―――いや、まさか、そんなバカな話が……」
「そらジャック、もっとちこう寄れ。ワラワの羽毛は気持ちよかろ? 恋人であるキサマにだけ特別なのだぞ……むぅ、反応が薄いなキサマ。ワラワの温もりに埋もれた者などキサマが初めてなのだから、もっと喜んだり、感涙に咽ぶとかしてもいいと思うのだが……はっ! そ、それともキサマ、まさか接吻がよいのかっ? ぬ、ぬう、それは……いや、うむ。よかろう。キサマが望むならやぶさかではない。ないが……二晩ほど心の準備をしたいというか、ドキドキして死にそうというかだな……」
そんなバカな話がありそうだった。
ありそうだったが、あくまでジャクザールの脳は理解を拒んだ。
『首斬りジャック』と畏れられ、それこそ
一瞬前まで死闘を演じていた相手と恋仲になるなど、そんなのは人間の常識の範疇を些か逸脱し過ぎている。
なので
「……むぅ、やはり反応が悪いぞジャック。あれほど素早かった
ああそうか―――ニンゲンであるキサマには
止める間もなくそう言って。
一歩離れた魔女は、体を震わせ、急激にその輪郭を縮小させ始めた。
みるみるうちに小さくなっていく異形の怪鳥。
その翼は、翼をあしらった滑らかな布地に。
鳥のモノだった凶爪の脚が、ブーツに包まれた人間のモノに。
人間を丸呑みにできそうだった異形の頭は、小顔と呼ばれる大きさに。
「な……」
その余りの変貌ぶりに―――もうこれ以上驚くことはないだろう、と思っていた青年の予想は、僅か数秒で裏切られた。
そうして彼は、既に知っていた知識を思い出す。
『魔女』とは魔法を使う女のことではなく、
人間の女を装う人外存在のことである―――。
とん、と白い靴底が石を踏む。
3メートルはあった魔女の身長は、今や青年より頭ひとつぶん小さかった。
白い、嘴のようなとんがり帽子。
上半身をすっぽりと覆う、白い翼のようなローブ。
膝上までを覆うブーツも白色。
そして、その面貌。
今や完全に人間の規格を手に入れながら、人間の息を逸脱しかねない絶世の美貌は、さらりと白い髪を揺らしながら、真紅の瞳を輝かせて笑う。
白磁の頬を朱色に染め。
それこそ恋する乙女のように。
「改めて、魔女・白夜のレフィーリアである。
これから佳き
そうやって、真正面から首元に手を回され。
ぎゅっと抱き着いて来た若い女の感触に、求愛だの変身だので既に限界だった男の感情は、とうとう限界という天板を突き破って―――。
「な、なんだそりゃあーーーーーーーーー!!!???」
間違いなく人生最大の。
18歳の青年の絶叫が、月夜の森に響き渡った。