人外少女たちの愛情表現が難解すぎる   作:龍川芥/タツガワアクタ

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水平線上のパ・ド・ドゥ③

 

 西の空が朱(あか)くなり始めていた。

 ここからでは建物が壁となって見えないが、三割ほど青色を失った空を見れば、太陽が地平線に沈みゆく光景がありありと想像できる。

 じき夕暮れ。

 段々と弱くなっていく陽光、冷えていく風に、俺は物心ついたときから抱えていた感傷を再生する。

 

 

 ―――思うに、それは天幕の焼失ではないか。

 昼間のあいだ世界に蓋をしていた蒼穹が、淡い紅蓮に呑まれていく。

 この眩(まばゆ)い朱色は空が燃える刹那の光であって、青色が完全に燃え尽きた後に広がる真っ黒な夜空こそ、装飾を剥がされた空の裸体だろうといつか感じた。

 夕焼けは本当に燃えていて。

 だから、後には冷え切った炭のような時間(よる)が残るだけなのだと。

 

 その考えは18になった今でも変わらない。

 むしろ悪人を裁くうちに確信は強まっていった気さえする。

 即ち、空とは本来冷たい闇であり、世界とはその下に蠢く虫の群れであり。

 昼間のうちの青い空とは、それを誤魔化す為に用意された偽の天幕に過ぎないと。

 かの朱は真実(やみ)を暴く炎。

 人の本性とは、夜にこそ白々しく顕れる―――。

 

 

「―――どうしたジャック、急にぼうっとして」

 

 一歩先。

 そこにレフィーリアの訝しげな顔があって、俺は慌てて意識を現実に引き戻した。

 

「……いや、何でもない」

 

 反射的にそう返してから周囲を見渡す。

 ここは地上、舗装された王都の歩道。

 建物に四角く切り取られた空にはまだ星の居場所はなく、行儀よく並んだ街灯もひとつとして光を放ってはいない。

 

 ―――この魔女を前にして考え事とは、気が緩んでいる証拠だぞ。

 

 そう自戒する俺の内心に気付かなかったのだろう、魔女はあくまで能天気に笑った。

 

「うむ、なんでもないならよい。それで、次はどこへ行くのだ?」

 

 まだ時間は残っているぞ、と赤い瞳が楽し気に輝く。

 彼女に許された自由時間があとどれだけ残っているかは知らないが、実際問題、空はまだ半分以上が青かった。

 確かにあと一、二時間くらいは遊べるかもしれない。夜を遠ざける街灯に、ガラス越しに道を照らす店内照明……様々な光に溢れた王都では、人によっては「むしろここからが本番」という時間帯だ。

 

「――――――」

 

 けれど……何となく。

 本当に何となく、陽が落ちきる前に別れるべきだと思った。

 

 その直感は、他の理屈に後押しされどんどんと心の中心に居を構えだす。

 例えば疲労感とか。

 例えば報告義務だとか。

 そういうものに背を押され、十秒としないうちに「やはりそうするべきだ」と確信して、俺は少し重い声で切り出した。

 

「……悪いが、ここらでお開きだな」

「む、なぜだ?」

「なぜも何も見れば分かるだろう。もうデートどころじゃない」

 

 そう言ってわざとらしく周囲を見渡す。

 日が暮れ始めた時間帯だろうと、王都の交通量は衰えを見せない。だがそんな活気ある街も、今だけは息を押し殺し、俺たちを遠巻きに眺めていた。

 

「……」

 

 幽かに漏れ聞こえてくる「首斬り」だの「白ローブ」だののひそひそ声。

 そう。月の加護の効果が切れた今、俺たちは通行人にいちいち怯えられる本来の状態に戻っている。

 これでは昼みたく店には入れないし、道を行くだけで市民の生活の邪魔になるだろう。

 

 いや、イヴのときのように『悪人を牽制する』という言い訳はまだあるのだが……好きで嫌われているワケではない以上、和を乱して気分を害するのは俺も同じだ。

 特に今日のコレは給料も出ないのである。謎の直感を抜きにしても、俺の心の健康を考えると、これ以上の街歩きは避けたいというのが正直なところだった。

 

 とはいえ、それをこのワガママ魔女(おんな)が受け入れるかどうかは別の話、なのだが……。

 

「なんだジャック、まだ周囲の視線を気にしておるのか。そんなモノは気にするだけ無駄と教えたつもりだったのだがな」

「……うるさいな。君は『ころころ変わる』みたいに言ってたけど、人の性根はそう簡単には変わらないんだよ、実際」

「む、そういうものか……ま、確かにそれならば仕方ないな」

「―――」

 

 意外だ。

 こうもアッサリ諦めてくれるとは、君もようやく遠慮というモノを憶えてくれたか―――。

 

「―――よかろう。つ(・)ま(・)り(・)、周(・)囲(・)の(・)目(・)が(・)気(・)に(・)な(・)ら(・)な(・)け(・)れ(・)ば(・)よ(・)い(・)の(・)だ(・)な(・)?」

「え?」

 

 なんだか意味深なことを言って、魔女はぴょんと―――そんな形容しかできないほど身軽に―――俺の肩に飛び乗った。

 がしり、と固定される肩。

 キャア、なんて悲鳴がどこからか聞こえたということは、俺の頭上の魔女が異形の本性を小出しにでもしたのだろうか。

 

 ああ、猛烈にイヤな予感。というよりこれ、何となく既視感があるような―――。

 

 蒼褪める俺など問題にもせず、彼女はいつだって待ったなし。

 ばさり、ローブが変化した白翼が大気を叩き。

 

 ―――ぎゅん、と。

 忘れられるハズもない、あの身長が縮むような強烈な加重がやってきた。

 

 体をバラバラにせんと牙を剥く風。

 世界は猛烈な勢いで下に流れ、地上は瞬く間に遠ざかっていく。

 つまり。

 

 

「ま、また飛行(これ)か―――――――――!!??」

 

 

 飛ぶ、飛ぶ、飛ぶ。

 風を引き裂き、雲を突き抜け、鳥よりも高く飛翔する。

 その勢いはまるで体が矢になったようで、矢の視界とはつまり、矢の速度で世界が後退する反転なのだと二度目にして思い知った。

 要するに、自然と絶叫が迸る不可能なちょっとした地獄の責め苦である。

 

 そんな超速の浮上が終わり、訪れる一瞬の浮遊感。

 本当に一瞬だけのそれは、その刹那だけ、重力も恐怖も忘れさせた。

 

 ―――どこまでも広い空と、眼下、視界一杯に広がる“世界”。

    見たこともない圧倒的な光景に、感動が地上から突き上げてくる。

 

 こちらを見るとかこちらから見るとか、そういう個人単位の概念など存在しない隔絶された異界が、俺の遥か下に広がっていた。

 石粒のような建物たちと、砂粒のような人間たち。

 絢爛を極めた大宮殿すら手の中に納まりそうなほど小さい。

 あそこが神罰法廷ということは、俺の家は少し目立ったアレだろうか。

 そんな小さな屋根たちが連なって『街』という紋様を描いている様子は、本当に圧巻の光景だった。

 

「―――これが、王都―――」

 

 茜さす緻密の絶景。

 二百年の歴史を持つ王都(まち)は今や、俺の視界一杯に納まる絶世の名画だった。

 ここから見える無数の建物ひとつひとつに、俺の知らない生活が丁寧に詰め込まれているなんて信じられない。いいや、考えただけで処理しきれずに眩暈がする。

 その眩暈のせいか、何となく夜空を連想した。

 

 ―――手の届かない距離(さき)にある、数え切れない満天の星。

    思っていたよりもずっと膨大な、俺が守ろうとしてきたもの。

 

「――――――」

 

 ぶるり、と魂ごと体が震えた。

 以前は上空からの景色を楽しむ余裕などなかったが、『以前』があったのが関係していたのか、確かにこの景色に感動を覚えた自分が居たのだ。

 つまり。

 世界の何と小さく、そして大きいことだろう―――と。

 

「どうだジャック。ここなら人目など無いであろう?」

 

 凄いだろう、とまるで褒められたがりの子供のような得意顔を、両足で掴んだ俺へと向けてくる魔女。

 ……ああ、確かに凄い。何が凄いって、これが俺のためになると本気で信じているらしいそのぶっ飛びようが凄い。

 

 下を見る。

 ぶらんと揺れている足の先にある地面の遠さに寒気がする。

 うん、確かにこの隔絶なら、通りすがりにじろじろと見られたり怯えられたりするなんてことは絶対にないだろうけど。

 その代わりに俺(・)の(・)ほ(・)う(・)をパニックにしてどうするっていうんだ、君は……!

 

「―――降ろせ、降ろしてくれっ! もちろんここで手を離して落とすんじゃなく、今すぐ俺を連れて地上に降りろ!」

「なっ、暴れるなジャック! 何がそんなに不安なのかっ」

「あのな、こちとら前(・)回(・)の(・)が軽いトラウマなんだ! 君は飛べるから分からないかもしれないけど、俺にとって空(ココ)は異界と変わらないんだよ! 要するに物凄く怖いってこと! 俺たち人間は、地に足がついてないと不安になるんだっ!」

 

 だから今すぐ地上に降ろせ! と剣を振り回して抗議を叫ぶ。

 それで必死さが伝わったのか、羽搏く魔女は不承不承といった具合で速度を緩めた。

 

「ふむ。要するに、地に足がつけばよいのだな?」

「―――そうだっ、早くしてくれ!」

 

 いや、その。こっちもいい加減パターンが分かってきたというか、その前置きで期待通りだったことなんて一度もない気がするけども……どう期待を裏切られるにせよ、今はとりあえず足場が欲しい。掴まれた肩だけが体重の支えなんて考えるだけで背筋が凍る真実だ。ともかく、足場さえあれば冷静になれる……!

 

 と、そんな「最低ラインでも文句は言いません」みたいな態度が駄目だったのか。

 ―――パッ、と。

 今まで肩を掴んでいた異形(とり)の足が、何の誤魔化しもなく、俺の体を離しやがった。

 

 本当、予測不能にも程がある。

 下げに下げたハードルを下回るやつがあるか、バカ―――!

 

「お―――」

 

 落とすなと言ったよな―――!? と絶望と共に叫ぼうとして……とすん、と足裏が硬さを感じた。反射的に衝撃を吸収しようと膝が曲がる。

 つまり、着地した。

 地に、足が、着いた。

 

「―――な、に?」

 

 ありえない、と足元を見る。

 だってここは雲の上、地上から何百メートルと離れた上空なのだ。

 だから落下するにしても、こんな一瞬で地上に戻れるワケがなくて……。

 

「……これは。雲、なのか……?」

 

 思わず漏れた呟きの通り。

 俺(・)は(・)今(・)、雲(・)の(・)上(・)に(・)立(・)っ(・)て(・)い(・)た(・)。

 

 二度目の「ありえない」が口を突く。

 だって雲に乗れるなんてのは道理を知らない子供の夢だ。

 この白いも(・)や(・)は掴めず触れられない霧のようなものだと、そんなのは俺だって知っているのに。

 なのに舞い降りて来た魔女は同じく雲の上に“着地”すると、頼まれたものを買って来たぞ、みたいな気軽さでこう言った。

 

「上(・)に(・)乗(・)れ(・)る(・)よ(・)う(・)雲(・)を(・)固(・)め(・)た(・)ぞ(・)。注文の足場だ。これで文句あるまい?」

「固めたぞって……その、これも加護なのか?」

「いいや、コレは『雲には乗れない』という界律(ルール)の一時的な否定、書き換えだ。ワラワの【属性】は空に纏わるものだからな」

「……よく分からないが、要するにいつものトンデモだな」

 

 とりあえずそれで納得した。

 原理は知らないし分からないが、この魔女のやることにいちいち驚いてちゃ身が持たない、ということだけは知っているからだ。

 

 ―――ともかく。

 事実として、俺は今雲の上に立っている。

 雲の広さは王都の中央広場より一回り大きいくらいか。

 その輪郭はぼんやりとけ(・)ぶ(・)っ(・)て(・)い(・)る(・)が、霧のような表面の下に確かな硬い感触があり、歪むこともなく俺の体重を支えている。雲のイメージから想像したようなクッション質ではなく、滑らない氷を思わせる硬質なタイルだ。

 それを踏まえて、改めて周囲を確認する。輪郭がぼやけているので分かりづらいが、雲は平らに均されていた。これも魔女の仕業……恐らくは「歩きやすいように」という配慮だろう。どうしてその配慮はできて、地上に降ろすという根本的解決法に思い至らなかったのかは全く以て不明だが。

 

 恐る恐る数歩歩いてす(・)っ(・)ぽ(・)ぬ(・)け(・)る(・)ようなことがないのを確認した後、俺は改めて魔女のほうを振り向いた。

 

「……心遣いは受け取ろう。しかし、ここで何をすると言うんだ。店も無ければ人も居ない。人目を避けるために街から離れちゃ、そんなのは本末転倒じゃないか」

 

 確かに彼女の言う通り『人目の問題』は解決したが、これでは案内のしようもない。

 雲の上に楽園があるのは子供の想像の中だけで、現実として上空(ここ)には何一つありはしないのだ。

 これでは何もない平原に放り出されたのと同じである。

 

 レフィーリアの望みはデート、即ち王都の漫遊だったハズだ。

 だというのに、ここにはレストランもブティックもなく、ただ俺と魔女が居るのみで……。

 

 そう。何もない場所で二人きり。

 それはまるで、初めて逢った夜のように。

 

「―――まさか」

 

 ハッとして処刑剣の柄を掴む。

 そうだ。俺は雲の上に引き上げられたのではなく―――この魔女のフィールドに引き摺り込まれたのではなかろうか。

 我ながらなんて迂闊。警戒を緩めた己を恥じる。

 なにせすぐ応援が駆け付けてくれる街中とは違い、天空では間違いなく俺の不利、足場すら相手の意志でいつでも剥奪されるのだ。

 

 ここで嬲り殺しにするつもりか、なんて視線で魔女を睨めば、彼女はいかにも上機嫌で尋ねて来た。

 

「ジャック、どうだここは!」

「……どうもこうも。雲のフィールドとは趣味が悪いな、魔女」

「? そうではなく。この空から見える景色はどうかと聞いておるのだ」

「……なに?」

 

 噛み合わない会話に力が抜ける。

 どうも、俺を罠に嵌めたから上機嫌、というワケではないらしい。

 

 じゃあ本当に何の用なんだ、と眉を顰める俺の前で。

 なんだか歯切れ悪くもじもじしながら、彼女は俺の問いに答える。

 

「……実はな。ワラワは今日、この記念すべき初デートの日に、キサマにこれを見せたかった。この絶景をキサマにも見て欲しかった。うむ。白状すると、人目を避ける、というのは口実だ」

 

 普段の尊大さはどこへやら、照れくさそうに笑うレフィーリア。

 

 ……なんてことだ。敵意がないどころか、その顔にはただ善意しかない。一瞬でも警戒した俺がバカみたいなほどに、だ。

 

「……ええと。要するに、これは記念品(プレゼント)のつもりなのか?」

「ううむ、プレゼントとは少し違う。

 ―――ワラワはな、キサマとこの景色を共有したかった。ワラワしか知らない、この景色(ソラ)を、好いた相手と共に見たかったのだ」

 

 前回は戦いでそれどころではなかったからな、なんて言うその顔に、俺は自分が子供だったときのことを思い出した。

 

 ―――それは、俺が初めて見た父の仕事。

 罪人の首をすり抜けるような正確無比の処刑剣に、幼い俺は背筋が凍るほどの感動を覚えた。

 第一頸椎と第二頸椎の隙間を寸分違わず通る剣閃。

 するりと滑らかに落ちる頭は、けれど一切の痛みも感じた様子なく、落下しながら安らかに目を閉じて接地する前に息絶えていた。

 子供心に焼き付いた、余りにも尊厳ある死の姿。

 あるいは、掲げられた首が言いようもなく穏やかだったからか。

 アレは“罪を裁いた”のではなく、“罪を赦した”のだと分かって、ひとすじ涙を流しさえした。

 

 だというのに、民衆はそんな父を恐れた。

 あれほど優しい剣を、死を齎す残酷な剣として忌み嫌ったのだ。

 ―――誰も、あの凄さを分かってくれなかった。

 同じものを見ているハズなのに、俺と同じものを見てくれた人は居なかった。

 今では父上と複雑な関係の俺だけれど……あの斬首だけは本当に、今でも夢に見るほど見事だったのに。

 

「……」

 

 その悔しさを憶えている。

 いや、魔女の表情を見て思い出したのだ。

 そんな自分を自嘲して、そして齢7つの幼童と重なるほどに子供っぽい魔女の態度に苦笑した。

 

「……自分が良いと思ったものを、他人にも良いと思って欲しい、か。

 なんだ、神だのなんだの言っておいて、充分に人間くさいじゃないか、君も」

「?」

 

 ―――改めて。わりかし勇気を振り絞って、雲の外に視線を向ける。

 

 ……やはり、空(ここ)は俺にとっては異界だ。

 だってここには建物がない。建物がないということは壁がないということで、壁がないということはどこまでも果てがないということだ。

 視界を遮るものがないから、空はどこまでも広がっている。

 意識を遮るものがないから、空をどこまでも広げてしまう。

 それが、ひどく恐ろしい。

 世界が広がったぶん自分が縮小される感覚。風も、光も、自然は剥き出しの姿で襲いかかって来るのに、物陰へ身を隠すこともできない。多少殺すのが巧いからと言って、それが大自然の前で何の役に立つ。

 人は小さい。

 街が小さい。

 ここに俺の居場所はない、と本能が強く感じている。

 

 それでも。

 その上で。

 今度こそ自分から眺めた地上は、ただただ壮観で圧倒的だった。

 

「―――ああ、これは」

 

 王都は斜陽に照らされ、陰影はいっそう街の輪郭を際立たせている。

 冷たく澄んだ空気は、何百メートル、あるいは何千メートルと離れた地上の姿を包み隠さず見せてくれている。

 静かに、けれど力強く整列した建物たち。

 通路は生き物の血管のように街中に細く張り巡らされ、ときたま芸術的なラインを描く。

 中央広場、大宮殿、神罰法廷、聖堂城……誰もが知る王都のシンボルたちは、上空から見てもなお存在感を放ち、人体における重要臓器を思わせた。

 そうやって作り上げられた景色は、何よりもまず重かった。

 歴史の重み。情報の重み。人々を生かす重みと、生きる人々の命の重み。

 そんな重さがそのまま感動となって心をドスンと殴りつけた、と言ったら、俺の思考に生まれた空白を他人にも分かってもらえるだろうか。

 

「……確かに。独り占めするには勿体ない景色だな、これは」

「であろう!? やはりキサマは分かっておるな、ジャック!」

 

 共感されて嬉しいのか、にひひ、と歯を見せて笑う魔女。

 まあ、確かに。

 こんな凄いものを今まで誰とも共有できなかった、なんて考えると、その気持ちは分からなくもないけれど。

 

 そうやって、俺はしばらく地上の景色を眺めていた。

 夕暮れの色に沈んでいく街。

 あるいは、燃える空から目を逸らすように、俺はぼんやりと下を見る。

 

 と。

 不意に、後ろで黙っていたレフィーリアが呟いた。

 

「―――それに、そのぅ。ここならば邪魔も入らんし……」

「?」

「“約束”を果たすには丁度いいというか、何というか……その、どうだ?」

 

 振り向くも目は合わず、魔女は人差し指を合わせて俯いている。

 ……さっきから、ヘンだ。

 天衣無縫の極みみたいな魔女(おんな)が、らしくもなくモジモジしているなんて。

 それに―――。

 

「どうだも何も。“約束”って何の約束だよ」

「なっ。だから、この前に約束したであろうっ? 」

 

 そう迫られて……俺はようやく思い出す。

 アレは確かヴィレ大農場でのこと。

 

 “埋め合わせとして、もう一度ワラワと踊ってくれるか?”

 

 そう彼女の怒りを鎮めるための交換条件を持ち出されて、俺は確か―――。

 

 “……まあ、その機会があればな”

 

「……あ」

 

 確かに、そんなことも言った、ような。

 そして初デートともなれば、充分に『その機会』足りえる気がする……。

 

「まさかキサマ、忘れておったのではなかろうな……?」

 

 泣くぞ? と脅してくる大魔女さん。こいつ、本当に目が潤んでいる、だと……!?

 

 ……だが、今回ばかりは俺も簡単には頷けなかった。

 それは何も、魔女の要求を呑むのが嫌だからって理由だけじゃない。

 

 ああ、さしもの俺だって憶えていたのだ。

 鳥の要素を持つ彼女は言った―――『自分にとって踊りは求愛だ』と。

 それが人間でいう何に相当するのかは分からないが……例えば手を繋ぐにしても、嫌いな相手とわざわざやりたいなんて思わないだろう。

 ならばこの恐ろしく美しい大魔女は、本当に俺などを憎からず思っているということで―――。

 

「……今更だけど。どうして俺なんだ」

 

 思わず、そんな疑問が口を突いた。

 すると彼女は憮然として、鳥のようにその唇を尖らせる。

 

「む。先に誘って来たのはキサマであろう」

「いや、その言い方は―――まあいい。いちいち訂正してたら話が進まないし。

 たとえそうだとしても、だ。俺は泣く子も黙る『首斬りジャック』で、君を殺そうとした処刑人で、何の地位もないただの役人だ。種族も違う。世代も違う。たとえ君の恋愛対象に人間が入るのだとしても……外見でも内面でも、王都には俺より優れた人物なんていくらでも居るだろう。なのに、なんで俺なんだ」

 

 ―――俺には、君に好かれる理由が分からない。

 真正面からそう告げることを、どこかで避けていた自分が居た。

 けれどそれもここまでだ。ここでちゃんと聞いておかないと、お互いどこにも進めない。

 

 そう、誤魔化しのためではなく、持てる最大の誠実さで問い質した俺に対し。

 魔女もまた真剣に受け止めてくれたのだろう……彼女は少し考え込んで、その後に言うかどうか少し迷って、最終的に普段の強気が嘘のような弱弱しい語気で言った。

 

「……そうだな。本当は、誰でもよかったのかもしれぬ。

 ワラワの中の“その席”はずっと空席だった。そこにキサマがやってきて、ワラワの何らかの琴線に触れ、結果その席に収まった。これはそれだけの話なのかもしれぬ」

 

 目を伏せ、己の胸に手を当てる魔女。

 物憂げにも見えたその瞳が、瞬きの後、真っ直ぐに正面の俺を射抜く。その声にもまた、普段の力強さが戻って。

 

「だ(・)が(・)、座(・)っ(・)た(・)の(・)は(・)キ(・)サ(・)マ(・)な(・)の(・)だ(・)、ジ(・)ャ(・)ッ(・)ク(・)。他にも条件を満たす者がこの世のどこかには居たとしても、実際にワラワの空席(こころ)を埋めてくれたのはキサマだった。そうして席が埋まった以上、もう他が入る隙間はない。これがどういうことか分かるか?」

「……いや」

 

 分からない、と素直に零す俺に、分からずともよい、と彼女は静かに返し。

 そうして、夕陽を背負った白い女は。

 

 

「―――つまり、『運命』だということだ。少なくともワラワはそう信じた」

 

 

 そう言って―――ふわり、と。

 白い蕾が綻ぶように、本当に柔らかくはにかんだ。

 

「――――――」

 

 それは一瞬の。けれど永遠の。

 きっと生涯で二度とない不覚。

 

 ……『たまたま最初が俺だった』とは、とんだ運命もあったものだ。

 だがまあ、それなら仕方ない、というか。

 だって単純明快だ。単純すぎて異論を挟む余地もない。

 交通事故に遭ったようなものだ、と考えると、なんだか諦めもつく気がするし。

 

「―――は」

 

 交通事故、という響きが実にらしくて、思わず口元が苦笑を描く。

 うん、本当に仕方ない。

 ―――だからまあ、これも報酬ということにしよう。

 ここでつまらない遺恨を残して、いざ現場で暴れられても困るしな。

 

「ま、どうせ舞踏会には入れない身だ。風の唄(うた)というのも俺たちらしいか」

「?」

 

 これでも騎士の修行は済ませた身だ。使う機会はなかったが、最低限の礼儀は知っている。

 それに……何であれ『運命』なんて気取った言葉を使われたら、こっちも気取らないと男じゃない。

 

 そうして、自分から頼んでおきながらキョトンとした表情(カオ)の魔女を前に。

 居住まいを正し、相手の手を取り、恭(うやうや)しく跪いて粛々と。

 

「―――いと麗しき天の姫、神々しき純白の大魔女よ。いち役人の身で不遜ながら、どうか一曲、私とお相手願いたい」

 

 踊ってくれるんだろ、と視線だけで問う。

 それで雷に打たれたように硬直していた魔女は意識を取り戻したらしく―――。

 

「~~~~~!! 当然、もちろん、喜んで、だ!」

「うわ!? ちょ、待―――」

「キサマとならばどこまでも! もう離さんからな、ワラワのジャック!」

 

 とんでもない力で腕を引かれてつんのめる。

 せっかく上っ面を整えたのに、もう礼儀も何もあったもんじゃない。

 そうやって両手を取られ、ぐるんぐるんと回転しながら……黄金に焼かれる世界の中。

 俺は世界で一番の、咲き誇るような笑顔を見た。

 

 

 ―――燃えるような黄金が、世界の全てを満たしている。

 そこは遥か雲の上。

 誰もが子供心に憧れ、そして忘れ去った夢の舞台に、白黒の男女がぽつんと一組。

 

 それは二人っきりの舞踏会、

 誰も知らないバレエショウ……なんていうには、少々不格好だったけれど。

 

 

 基本の構えは抱擁に似て。

 互いの片手を握り、もう片方を互いの体―――俺の場合は彼女の背、彼女の場合は俺の肩―――に添えた状態で、俺は縺れる足を動かす。

 

「わっ、とっ」

 

 雲を踏む不慣れなステップ。

 あやうく転びそうになるターン。

 残念なことに、俺には舞踏(ダンス)の才能も(・)なかった。

 やはりロマンスの王子(ヒーロー)など俺の柄じゃない。それでも失格だけは避けようと、少しばかり自由過ぎる姫(ヒロイン)の足を踏まないことに専心する。

 

「―――」

「むっ、足元に集中し過ぎだぞジャック。もっとワラワのほうを見ろっ」

 

 だが、至近から拗ねた声。

 不満の理由は明らかだったが、ともかく俺には余裕がない。

 

「そうは言われても―――ただでさえ慣れない上に、君のリズムが早いから―――」

 

 伴奏など無い以上、集中して相手に合わせなければ踊りは形にすらならない。

 だというのに、魔女はそんな俺の苦労を笑い飛ばした。

 

「カッ、窮屈な行儀など捨ててしまえ! そら、ワラワが手本を見せてやる!」

 

 言って、彼女は“曲調”を変えた。

 優雅に雲の上(ステージ)を往復するだけの工程に、恐らく異文化の、異様な『熱』みたいなモノが混入する。

 激しさを増し、もう殆ど蹴るような足の動き。

 かと思えばその脚が俺の脚に絡まり、更に近付いた顔が妖艶に笑む。

 そうやってもたれかかって来たと思ったら、次は腰の手を支えにして限界まで上体を逸らせたり。

 体から離れて独楽のように回転したと思ったら、気付いた時には腕の中に帰ってきて、また激しいステップを刻んでいる。

 

 ただでさえ振り付けなんてないのに、こんな滅茶苦茶が成立している理由はただ一つ……つまり、俺は魔女と踊っているのではなく、魔女にただ踊らされているのだ。

 腕の力。視線。重心。足の動き。

 彼女はあらゆる行動で素人の俺をコントロールし、自分が思うままに踊るための都合のいい人形に仕立て上げている。あるいは本当に相手が人形でも、彼女には同じ動きができたかもしれない。

 

 それを、俺は最大の挑発と受け取った。

 だってこれでは虚仮にされている。

 「おまえじゃなくてもいい」なんて、そんなのは俺のプライドが許せない―――!

 

「―――ああもう自棄だ! 足を踏んでしまっても文句言うなよ!」

「ようやく分かったか。よいぞ、その調子!」

 

 そこからは俺も吹っ切れて、遠慮ナシで足を動かした。思いついた動きは全部やった。俺は俺のイメージ通りにこの魔女を動かそうとして、彼女も同じことをした結果、互いのイメージは衝突して、融合して、爆発するように実現した。

 

 それは息を合わせたステップというより、本気の殺し合いに近かったと思う。

 一歩踏み外せばそこで終わり。足なんて踏まれるほうが悪い。

 そんな覚悟で好き勝手に動き、隙を見逃さず相手の体を引っ張って、その相手が転ばないように踏ん張った結果ターンを決めたように見える、みたいなダンス。

 いわば超近距離・ノーガードの格闘戦。拮抗した実力と貸し切りのステージが成立させる薄氷のワルツ。

 こんなの舞踏会でやってみろ、ホールじゅうの男女(カップル)を蹴飛ばして、瞬く間に出禁にされるに決まってる。

 なのに、どうして―――。

 

「――――――あははっ! 楽しいなっ、ジャック!」

 

 鼻先が触れるほどの距離で、その女は言葉通り、心の底から楽しそうに。

 ……全く、勘弁して欲しい。

 こんなに出鱈目なデュエットなのに。君がそんなに楽しそうだと、こっちまでつられて笑ってしまうじゃないか、馬鹿―――。

 

 白く、空を駆け上がる妖精のステップ。

 俺を連れて風のように舞い上がるターン。

 

 そんな動きについていくことができ、剰(あまつさ)え「爽快」とまで思ってしまうのは、俺自身がこれを“殺し合い”と認識したことと無関係ではあるまい。

 まるで最初の夜と真逆。

 魔女があの処刑を求愛のダンスだと誤認したように。

 俺は今、この舞踏会を殺し合いだと錯覚している―――。

 

 だから、真逆とはそういうこと。

 惹(・)か(・)れ(・)る(・)側(・)さえあの夜とは逆なら、それは運命だったに違いない。

 

 きっと彼女も経験しただろう、永遠にも錯覚する一瞬―――否、永遠すら凌駕する価値の一瞬を前に、俺は眩しさからか目を細めて思った。

 

 ―――この魔女(おんな)は、ほんとうに鳥みたいだ。

 しがらみなく空を飛ぶ自由の化身。

 笑いたいときに笑い、我慢せず癇癪を爆発させ、好きということすら迷わない。

 

 ああ、俺もそんな風に生きられたら。

 それはどんなに胸のすくことだろう、なんて―――。

 

「―――ああ。悪くないな、本当に」

 

 倣って痛快を叫んだつもりが、出たのは迷いだらけの呟きで。

 それで見当違いの憧憬も、風に乗って儚く消えていった。

 

 “よいかジャック。存(・)在(・)す(・)る(・)意(・)味(・)な(・)ど(・)、こ(・)の(・)世(・)の(・)誰(・)も(・)持(・)ち(・)合(・)わ(・)せ(・)て(・)は(・)お(・)ら(・)ん(・)”

 

 意味を求めることは無意味だ、と彼女は言った。

 それは後から勝手に与えられるモノだから、おまえは何にも縛られず、自由にやっていいのだと。

 でも、俺はあの言葉をこう捉えた。

 つまり―――自(・)分(・)の(・)居(・)た(・)意(・)味(・)は(・)、自(・)分(・)で(・)作(・)り(・)上(・)げ(・)る(・)こ(・)と(・)が(・)で(・)き(・)る(・)の(・)だ(・)、と。

 だって彼女は存(・)在(・)し(・)た(・)意(・)味(・)はあるとも言ったのだ。それなら、俺が正しく生きていれば、ある程度はそれに沿った評価(ラベル)を与えられるだろう。

 

 『殺人の天才』として生まれた俺が。

 こ(・)ん(・)な(・)奴(・)が(・)居(・)て(・)く(・)れ(・)て(・)良(・)か(・)っ(・)た(・)、と街中の人に思われたなら、それはとても誇らしいことだと思うから―――。

 

 ―――だから、俺は自由じゃなくていい。

 

 結局、俺はそういう人間だった。

 自制し、協調し、互助することをよしとするもの。

 あの農場の片隅で語った通り……生きる“意味”など知れずとも、生きる“価値”を失わぬように生きるもの。

 つまり。

 この魔女が言い当てた通りの、どこにでも居る人間(ニンゲン)だった。

 

 そして、そんな人間だからこそ……最終的に彼女とは相容れない。

 そう。どれだけ華々しい時間でも、地に足がつかないことを楽しめるのは一瞬だけで。

 自由という大空は、人間(おれたち)にとっては広すぎて、すぐに不安になってしまう。

 結局のところ。

 鳥でも神でもない俺たちは、風に飛ばされてしまわぬように、重い荷物を抱えたまま歩いていくしかないのだろう。

 

 あるいは、その重さこそが自分の“価値”だというのなら。

 誰よりも自由なこの魔女(おんな)は、気付いたときには誰からも忘れられ、あの水平線の彼方へと独り消えて行ってしまうのだろうか―――。

 

「―――ジャック?」

 

 魔女が訝し気に俺の名を呼ぶ。

 永遠に続くと思われたステップも止まっている。

 何故、と理由を探し……見れば、俺の腕は魔女を抱き寄せてしまっていた。

 俺自身も気付かぬうちに―――まるで引き留めるように、引き寄せるように強く。こうも体を密着させては、踊れるハズもないというのに。

 

「どうした? また落ちるのが怖くなったか? 安心せよ、そのときはちゃんと受け止めてやるゆえな!」

「…………む」

 

 ……本当に。

 いつもアピールがうるさい癖して、察しが悪いのはどうかと思う。

 まあ、そのお陰で俺も冷静になれた。何があの夜と逆だ、全く。

 

 ぱ、と胸元に拘束していた魔女の体を解放し、離れる。

 未だにきょとんと首を傾げる彼女へ、溜息交じりに本心を告げる。

 

「……魔女。ひとつだけ、君に言いたいことがある」

「む。なんだ?」

 

 いやまあ、実際のところ、いいかげん我慢の限界だったのだ。

 うん、この際だからハッキリ言わせてもらうけど。

 

「―――今まで言いそびれていたが、『ジャック』呼びはやめてくれ。いちおう悪名というか、気にしてるんだ。

 だから、呼ぶならジャクザールで頼む。知り合いにはそう呼ばれてるからな」

 

 要するにさっきの『ジャック』呼びが、コツコツ溜まっていた我慢の限界値をついに超えたという話である。

 

 確かに『首斬りジャック』という名ばかりが広まっているが、そいつはあくまで吟遊詩人が付けた語呂優先の通り名で、俺の本名はジャン=ジャクザールだ。

 なんで、どちらかというと知り合いには本名で呼ばれたい。ファーストネームはありきたりで被ることが多いので、ミドルネームあたりが嬉しいのだが。

 

 そう正直に伝えれば……どうでもいいことは何でも快諾するくせして、魔女は何故か今回に限って露骨に顔を顰めやがった。

 

「ええー? 『ジャック』呼びのほうが強そうでイカしてると思うのだが、ワラワ」

「君の感性は聞いてない。前から思ってたが、たいがい趣味が悪いよな、君。魔女ってのはみんなそうなのか?」

 

 切り返しが効いたのか、それとも本当に『ジャック』の響きが気に入っていたのか、魔女が悩ましげに唸る。

 

「むぅ……よし、ならばこうしよう。ワラワも前から言いたかったのだが……いいかげん『魔女』呼びはやめよ。他人行儀に過ぎる。本名で呼んで欲しければ、ワラワのこともちゃんと名前で呼ぶがよい」

 

 交換条件というやつよ、なんていっちょ前に取引を持ち掛けてくる魔女。

 そんな、冷静に考えればそこまで意外とも言えないだろう提案に、俺は割とかなり面食らった。

 

「……名前って」

「名前は名前であろう。ほら、はやくっ」

 

 駄々っ子のようにせっつかれ、つい、思考を挟まず舌を動かしてしまう。どうしてその提案に自分が面食らったのかも知らずに。

 

 その名を初めて聞いたのは、彼女に“死刑判決”が出た日のこと。

 いつも通りの判決文、その罰されるべき罪人の欄に、彼女の古めかしい名はあった。異名付きの名前が公的な文書に採用されるのを見たのは初めてのことだったから、ひどく印象に残っている。

 そして一夜の死闘を経て、その名は俺にとっても決して忘れられないものとなった。

 

 曰く、太陽と月を呑んだ神話の大魔女。

 その名を、白夜の―――。

 

 

「……………………レ(・)フ(・)ィ(・)ー(・)リ(・)ア(・)」

 

 

 言って、馴染みのない響きだな、なんて思った。

 いや、そういえば。

 俺は今まで、彼女とは必要以上に親しくならないよう、ずっと『魔女』呼びを貫いていたんだったっけ―――。

 

 そんな壁を自分から取り払った、ということに気付いた途端なんだか凄く気恥ずかしくなって、これで満足か、と誤魔化すように悪態を吐く。

 否。

 そんな悪態を吐こうとして、魔女の顔を見て、そしてぎょっとして固まった。

 

 ―――だって、大魔女・白夜のレフィーリアの表情は。

    赤いのは瞳だけじゃありませんでしたっけ、なんて言いたくなるくらいの、余りにも見事な赤面ぶりで―――。

 

「――――――」

 

 そうして。

 風さえも沈黙したその瞬間……舞台の底がす(・)っ(・)ぽ(・)抜(・)け(・)た(・)。

 

 雲はただの雲に戻り、足場を失った俺たちは当然の帰結として落下する。

 人間の俺からすれば危機的状況なのだが、どうにも危機感が働かない。

 だってこれ、どう考えても原因は明らかだし。

 そうやって、ものすごい勢いで地面目掛けて落下(フォーリン)しながら……俺はしかめっ面で腕を組んで、同じように落下している魔女へ向けて一言。

 

「―――よし、前言は撤回する。今まで通りで行こう、魔女」

「なっ、なっ……!」

 

 だって名前を呼ぶだけでビックリして魔法が解けるとか、そんな大ポカをおいそれと連発されても困るし。

 

 だが、とうぜん彼女は認めなかった。

 自分だけ飛行できるというズルを最大限に活用し、まっすぐ俺に飛びつきながら。

 

 

「許さんぞっ、こんなにドキドキさせておいてっ! これからも絶対に、ぜーったいに名前で呼んでもらうからなっ、ジ(・)ャ(・)ク(・)ザ(・)ー(・)ル(・)!!」

 

 

 抱擁は夜の訪れと共に。

 淡く燃え尽きた空の下、闇に浮かぶ白い姿があんまりにも必死だったからだろう。

 俺は迫る地上のことも、相手が魔女だということも……そして自分が『首斬りジャック』であることも全て忘れ、かつてない純粋な気持ちで破顔した。

 

 

 俺たちの逢瀬(パ・ド・ドゥ)はそうして終わった。

 夕陽が崩していた境界は戻り、天と地は依然として交わらず。

 されどこの一日は、どれほどの時間に押し潰されようと忘れることはないだろう。

 

 その恋は白く、流星のように地上を目指す。

 王国の長い春は、まだ始まったばかりだ。





ここまで読んで頂きありがとうございます。
途中からだいぶ更新頻度が落ちてしまいましたが、それでもお付き合い頂き本当にありがとうございました。
とはいえまだ二章ほど続ける予定なので、引き続きお待ち頂きたかったり……。
評価感想など飛び上がって喜びますのでよろしければ是非。
では、また次回に!

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