人外少女たちの愛情表現が難解すぎる 作:龍川芥/タツガワアクタ
王都より北に100キロほど。
芸術の都シャンゼを中心としたその地域には、『コカトリス』という強大な魔物の伝説があった。
曰く、雄鶏の体に大蛇の尾を持つ双頭の怪物。
竜の一種とも囁かれ、独立した尾の蛇ともども猛毒を持ち、それを“魔眼”を介して見たものに注入する毒の王。
無敵を誇った四つの瞳、その名は未だこの地に深く刻まれている。
即ち、げに恐ろしき『石化の魔眼』。
それこそが今より二十年前、黄金の騎士アルテュール・ド・フランドレに討たれた、実在の伝説の題名である―――。
「―――二十年の時を超え現世に蘇った伝説、か。なるほど、
シャンゼの広場にて。
そんな『コカトリス討伐伝説』をモデルにした銅像を見上げ、ジャクザールは誰にでもなく呟いた。
荷馬車を失った行商人。
家を荒らされた夫婦と画家。
家畜の牛を食い荒らされた牧場主。
被害者全員が口を揃えて「こいつに違いない」とした犯人こそ、この魔物コカトリスであり、すなわち法典部隊が処断すべき
『それにしても……本当に見事な銅像ですね、マスター……』
「ああ、確かによくできている。実物の迫力が伝わってくるようだ」
『はい。大胆ながら繊細なフォルム。精緻かつ力強いシルエット。柔らかな羽毛と逞しい脚、その両方を同一の素材で見事に表現するなんて、卓越した技量と言わざるを得ません。しかも、コカトリスも騎士も片足しか台座に接地していない。今にも動き出しそうな躍動感を見せる演出力と、それを現実にしてみせる重心設計は、正に神業の一言です。これほどのクオリティの銅像があるとは、流石は“芸術の都”と言ったところでしょうか……!』
「……いや、俺はそこまでは言っていないが」
コカトリスの姿に何かを思うならともかく、銅像そのものに興奮してないか? とイヴに胡乱気な目を向けるジャクザール。
とはいえ、銅像の出来が良い、という意見には賛成だ。色の付いていない青銅ながら、リアルな質感は『本物』の姿を見る者の脳裏に浮かび上がらせる。
内側にずらりと牙の生えた嘴と、
蹴爪の生えた両脚は丸太のようにがっしりとしていて、その爪は家屋の壁など簡単に砕いてしまいそうだ。
広がった翼は小さいものの、先端を覆う鱗が竜の近縁という噂を濃厚にする。
そして何より奇妙なのは、やはり尾羽の代わりに生えた大蛇の頭。
この世のどんな蛇よりも巨大だろうその尻尾は、鎌首を擡げ毒牙を剥き出して、もう一つの首と一心同体であること主張する。
その全てが青銅で出来た偽物なれど、王の威容は二十年の時の流れにも劣化せず、目前の英雄へと殺気を放ち続けていた。
“石化の魔眼”を抜きにしても、とても並みの騎士では歯が立ちそうもない迫力に、ジャクザールは改めて「これは自分たちの仕事だ」と気合いを入れる。
とはいえ―――そんな観察者の事情を抜きにすれば、現実として―――この銅像において
怪物に立ち向かう英雄こそがこの作品の主役であり、両手剣を構えた見事な姿は、自分より二回りは大きい怪物にも引けを取らない重厚な存在感を放っている。
その存在感とは、青銅の像が
「……しかし、つくづく
「? ジャック、何の話だ?」
「別に、独り言だよ。
ふぅん、と興味なさげに相槌を打つレフィーリア。『首斬りジャック』の台頭までは王国で一番高名だった英雄の名も、魔女の興味を惹くものではないらしい。
そもそも彼女は銅像に興味などない。その関心は傍らのジャクザールにのみ向けられている。
なので、銅像に深く見入っていたのはジャクザールと、そして傍らのイヴだけだった。
水晶の碧眼でコカトリスの姿を記録したイヴは、不意に主人へと振り向いて言う。
『……マスター。遅くなりましたが、わたしはこの事件に、既にいくつかの奇妙な点を見出しています』
「? それはどういうことだ? イヴ」
『はい。集めた証言を分析した結果、矛盾点、ないし疑問点をいくつか発見した、ということです』
「……まさか。君は、被害者の誰かが嘘を吐いていると言いたいのか?」
突然の話に振り向き、眉を顰めるジャクザール。
その視線の厳しさは、記憶の中の被害者ではなく、彼等を疑う眼前のイヴにこそ向けられている。
だが……『首斬りジャック』の射貫くような視線にも怯まず、その反応は的外れだと言わんばかりにイヴは金髪を揺らしてかぶりを振った。
『いいえ、マスター。ですが被害者の皆様に嘘はなくとも、事件そのものに嘘があるとしたら、わたしのこの疑いにも説明がつくのです』
「……分からないな。何が言いたいんだ、君は」
『つまり、
真っ直ぐに主へと向けられた碧眼には、それこそ嘘の気配がない。
機械そのものの無機質な瞳は、ただ任務の成功にのみ向けられている。
そう、彼女は言っていた。この任務を通して己の有能さを示すのだ、と。
「……分かった、信用しよう。それで、結局何が言いたいんだ」
頷いて続きを促すジャクザール。
先程の唐突な話の切り出しに「まだ情報が足りない」という曖昧な着地点は、他に本題があることを暗に示している。ここまではその前提だ。その本題を聞き入れることを彼は認めた。
その信用にイヴもまた頷きで応え、そして彼女らしいクールさで言う―――。
『―――はい、なのでっ。
ここはひとつ、この素晴らしい銅像の製作者にインタビューを……もとい、お話を伺ってみるべきではないでしょうかっ?』
……あれ。なんか急に語気が人間らしくなったような。
声もちょっと上ずっている気がするし、頬もなんだか紅潮しているし。
「……君、まさか」
『いえ、断じて私欲からの提案ではありませんっ。いかにわたしが芸術を介する機械で、この像の精緻さに心底から感動していたとしても、それを仕事に持ち込むほど子供ではないのですから……!』
「…………」
思わず白い目を向けるジャクザール。
語るに落ちる、とはこのことである。
そのうえ、普段は無表情な顔にも「この銅像を作った
―――ここまで銅像に興奮するとは、これも人外の“性癖”なのか……?
正直、ジャクザールにはその興奮ぶりが分からない。
だが、それが自分にはまるで気付けなかった『事件の違和感』に気付いたらしいイヴの提案であるのも事実。
本当に製作者に会ってみたいだけなのか、何か考えがあるのか……。
少し悩んで、ジャクザールは肩の力みを弛めるように嘆息した。
「……まあいい。何にせよ敵の居場所どころか影さえ掴めていないんだ。二十前にコカトリスの石像を作った人物なら、最低でも死体は見ているハズだし……同じく像のモデルになった英雄から、何か重要な情報を聞いているかもしれないしな」
『マ、マスター……!』
ぱああ、と無表情のまま器用に目だけを輝かせるメイド人形。
ジャクザールなりに合理で判断した結果なのだが、その嬉しそうな顔を見ると、決定に情が入っていないとは言い切れない彼なのだった。
そして、そんな主従の姿に不満を表す魔女がひとり。
「……むう。おいジャック、キサマ、この人形にだけ優しくないか? ワラワにも優しくしてほしいのだが?」
「……別に、公平なつもりだが。話を聞いて欲しいなら、君も何か有益な情報を出すことだな」
すげなく返すジャクザールだが……今回の魔女は一味違った。
普段なら「なにおう」と地団太を踏むところ、余裕綽々の得意顔になったのである。
「―――ふふん。なんだ、そんなことでよいのか?」
「……何?」
「ふっふーん。どうやらワラワを甘やかすときが来たようだな、ジャック?」
にやり、と不敵に笑うレフィーリア。
そんな自信満々の態度を前にしては、ジャクザールも身構えざるを得ない。
「ではジャック、心して聴くがよいぞ」
「……ああ、言ってくれ魔女」
「うむ、実はな……」
「……(ゴクリ)」
普段は無駄に偉そうだが、腐っても彼女は『大』のつく魔女。
その智慧を侮ることはできないと既にジャクザールも知っているわけで……そんな彼の熱視線を受けて、実に機嫌よくレフィーリアは続ける。
「見る限り、そのコカトリスとやらは雄鶏と蛇の魔物であろう。そしてワラワは天空を舞う鳥の魔女。ジャック、キサマにこの意味が分かるか?」
「……?」
「空を飛べぬ鶏と、飛べるワラワ。猛禽に喰われる蛇と、猛禽より強いワラワ。つまり……ワラワがそやつに負ける要素は皆無、既に勝利は確定しているのだ―――!」
……。
…………。
………………それだけ?
「……よし、行くぞイヴ。これ以上は時間を無駄にできない」
『了解です、マスター』
「―――なぬぅ!? だからどうして、そうワラワにだけ厳しいのだキサマはーっ!?」
問答無用。
無駄に自信に溢れたぽんこつ魔女を放置して、主従はスタスタと広場を後にするのだった。
◆
コカトリス像の製作者だという芸術家は、街の一等地にその工房を構えていた。
なんでも話を聞く限り、その人物は現在の『芸術の都』で最も高名な芸術家の一人で、
少数精鋭の門弟を束ね、日がな一日彫像を作っている変わり者。
―――名工ラズディアス・ランジェーロ。
そんな男の工房へ、ジャクザールたちは足を踏み入れた。
工房は、巨大な
イメージは港町の工場。横にくっついた住居らしき建物とのサイズ差に、育ち過ぎた寄生虫、なんてろくでもない比喩をレフィーリアが呟く。
完成した作品を運び出すためか、建物の片面の壁は丸ごと『搬入口』になっていて、その端が開いているものだから簡単に入ることができた。
「失礼。ここがランジェーロ一門のアトリエで間違いないでしょうか」
中に入って声をかけるも、反応はない。
誰も居ない、のではない。
仕切りのない、四角い洞窟めいた工房内には、ぱっと見で5人ほどの門弟が居たものの……彼等は一心不乱に作品制作に取り組むばかりで、入って来たジャクザールたちのことなどまるで気にしていなかった。
「あの、ちょっと。聞こえていないのか……?」
困惑する処刑人をよそに、その後をついて入って来たレフィーリアが興味深げに喉を鳴らす。
「―――カッ。まるで異界だな、ここは」
「異界、だと?」
「うむ。外界と致命的に途絶した、独自の
くく、と嘲るように嗤うレフィーリア。
巨大な
陽光と魔力灯が照らす中、年齢も性別もバラバラの門弟たちはそれぞれ数メートルの距離を空け、黙々と作品を作っている。
鑿を打ち付け石を削る者。
粘土のように金属塊を捏ねる者。
手の平サイズの木材を彫っている者。
異様で、ある意味では純粋だ。
魔女の言う通り。ここは“作品製作”以外の一切が存在しない、それのみを追求する隔絶の異界に他ならない。
なので、誰一人返事をしてくれないのは否応なく分かってしまったのだが。
「……その。ラズディアス氏に話があるので、少しの間お邪魔させてもらいます」
それでも礼儀として一言告げるジャクザール。
案の定反応はない。こーん、こーんと石を削る音、しゃりしゃりと像を磨く音が揺らぐこともない。
それを無視ではなく黙認と受け取り、一行はアトリエ内へ踏み入った。
……幸か不幸か。
わざわざ紹介されずとも、工房の主が誰であるかは分かっていたのだ。
理由は空間の占有率。
弟子たちがアトリエの半分に等間隔で収まっているなら、残りの半分は
更にその人物の前にある像は、他のどの像よりも大きく、そして粗削りながら得も言われぬ迫力があった。あえて言うなら、構想からレベルが違った。
つまり、奥に見えるあの背こそが―――。
「行くぞ、ふたりとも。くれぐれも問題を起こすなよ」
確信し、コカトリスの銅像を作った名工へと歩み寄る一行。
かつ、かつ、かつ、かつ。
作品制作の邪魔にならぬよう、門弟や道具を避けての移動だったのにも関わらず、この異界は目に見えて彼らを歓迎しなかった。
当然だ。
製作の音のみが響く空間において、移動の足音など異物そのもの。必然、空気は牙を剥いて無粋な客を追い返そうとわななく。
その抵抗をものともせずにジャクザールが奥へと進めるのは、彼に「任務をこなす」という
逆に言えば、それがなければ弾き返されそうなほどの排他的な空気。
かの『首斬りジャック』さえ圧倒するこの場の想念に、何がこの人たちを駆り立てるのか、と処刑人が疑問を抱くのは必然だった。
言うまでもなく、芸術とは文明の象徴であり、同時に余分な
生命の維持・生活の存続には必要の無いモノ。
増えすぎると身動きが取れなくなる時の重石。
絵に描いたパンで飢えはしのげず、心を慰撫する音楽も外傷は癒せず。どんなに美しい彫像も、子を宿すことは決してない。
であるならば、芸術の本質とは虚無であり、虚構こそが芸術の定義だろう。
だが、人の心はその虚構にすら価値を見出す。
それ即ち現実からの離脱、虚構への埋没だ。
―――人が芸術を嗜好するとき、人生の主体はその作品へと移される。
人格は芸術を咀嚼・解釈するための回路となり、現実に囚われていた自我は虚構の中に再構成される。
それは矮小な自我の喪失であり、自己という檻から自らを解き放つ超越だ。
飢え、痛み、愛の枯渇……それら生に纏わる苦悩を解決するのではなく、一時であろうと苦悩から解き放つ鎮痛剤。
だから
人々の体ではなく、心を飢えさせないための文明の外殻こそ、芸術という
そんな芸術の価値は、無論ジャクザールも認めるところだ。
とはいえ……他の全てを懸けてまで芸術に没頭する、この異様な空間の成り立ちまでは分からない。
だって彼等は飢えている。どうしようもなく
心を潤す芸術を生み出す彼等の眼球はギラギラと渇き、一心不乱に目の前の作品へと食らい付いている。その光景は処刑人の理解を超えていた。
―――あるいは。芸術を創る者は、虚構を真に迫らせるために、自らの肉を切り崩して虚無の中へ詰めるものなのか。
何となく思いついた考えは、割と正しいように思われた。
有を無に捧げる。
狂気以外の何物でもない発想ではあるが、それならこの場に満ちている異様な空気も説明がつくし、外野の自分に理解できないのも当然だからだ。
……繰り返すが。ジャクザールは何も、『芸術』という虚構への傾倒をバカにしているわけではない。
彼にだって部屋に飾りたいほどの土産物に出会った経験はあるし、そもそもファッションに拘りを持つタイプの人種だったりするのだし。芸術、及び芸術家を軽視する考えは彼にはない。
“奪う”ことしかできない彼だからこそ、虚構とはいえ何かを“生み出す”存在には偽りない敬意を抱いている。
とはいえ―――それは勿論、
『―――ランジェーロ大先生、ファンですっ。サインをお願いします!』
開口一番。
アトリエの奥に居た男のもとまで辿り着いてゼロ秒で、イヴ・エメスは髭もじゃの名工に詰め寄っていた。
お願いします、とエプロンの前掛け部分を差し出すミーハー人形……その首根っこをジャクザールが慌てて摑み、ぐいっと乱暴に引き戻す。ミシミシと指に込められた万力の力は、そのまま彼の怒りの代弁だ。
「……『仕事に私情は挟まない』。先程の君の言葉だが、弁明はあるか?」
『いえ、そのぅ……凄まじい大物オーラに我慢できなかったといいますか……折角ですしサインくらいはいいのでは、と……』
「却下だ。どう見ても先方が困ってるじゃないかっ、俺が話すから下がってろっ」
しゅん、と意気消沈するメイドを置いて、ジャクザールは自分が前に出る。
「カカカ、よい気味だ!」
背後ではレフィーリアがイヴをからかっていたが、その程度なら優先度は低いため無視。
今最も優先するべき相手は決まっている。
―――つまり、イヴの不意打ちに目を丸くしている名工だ。
通説によると、芸術家には気難しい人間が多いと言う。
工房の場所を聞くがてら憲兵に聞いた話では、ラズディアス・ランジェーロは“気性難”というより“変人”だという話だが……少なくとも、初手で機嫌を損ねていいことはないだろう。いや、もう既に
「……部下が粗相を働き申し訳ありません、ムッシュ・ランジェーロ。
仕事用の丁寧な口調で挨拶し、ジャクザールは改めて目的の人物へ向き直る。
ラズディアス・ランジェーロは顔の半分を毛で埋めた、やや色黒の男性だった。
長い髪に伸ばしっぱなしの髭―――外見に頓着していない様子がいかにも偉大な芸術家らしい。
目元の皺からして、年齢はおそらく五十代ほど。
袖のない作業場から覗く体には、ジャクザールをして「鋼のようだ」と感嘆させる逞しさがある。むろん武人の隆々とした筋骨には及ぶべくもないが、その両腕には一切の無駄を削ぎ落したかのような凄味が宿っていた。
あるいは彫像を作る者は、年月を重ねるうちに本人もまた彫像じみていくのだろうか……。
そんな彫刻家は、
鋭い、遠慮のない眼光。
何となく身じろぎひとつ出来なくなる。
ジャクザールは自分が品評される彫像になったような気分を味わい……それに十秒ほど耐えたのち、ラズディアス・ランジェーロは納得したように頷いた。
「……成程。おまえさんが
気安い声だった。
機嫌が良さそう、というよりは、偏屈さの欠片もない感じ。
想像していたより随分と優しい―――威厳がない、とも言える―――声色に、『親戚のオジサン』という言葉を想起しながらも、ジャクザールは油断せず硬い口調のまま続けた。
「不肖ながらそうなります。それと、どうか私のことはジャン=ジャクザールで。マギロティオンの名を背負うには、私には慎みが足りませんから」
「ふむ。なら、儂もラズディアスで結構。騎士様が芸術家を敬うものじゃない」
「……その心は?」
「芸術家など、どこまでいっても真面目な人々のおこぼれで生きている道楽者に変わりはなかろう。年齢に関係なく、君たちのほうがずっと立派な人物だ、と私自身は認識しているからな。
要するに、芸術家が偉ぶったら終わりということだよ」
歯を見せて笑う髭面の名工。
茶目っ気の多く含まれた破顔に、ようやくジャクザールも素直に笑った。
―――なるほど、話通りの変人だな。
巷で聞いた人物評に納得する。
こんな工房を建てられるほど商業的に成功し、周囲から高い評価を受けながらも自らを卑下してみせるこの男は、確かに変人に違いない。
もちろん、良い意味で、だ。
本来権威を笠に着ていい大人物が驕り高ぶらず謙虚に振舞うというのは、偉そうな態度を味わい慣れたジャクザールにとって、大変に好感が持てる在り方だった……本当に、どっかの魔女サマとは大違いである。
「それで。ジャン=ジャクザール殿は儂に話があるらしいが、口ぶりからして、コカトリスのことが聞きたいということでいいのかね?」
「ええ、その通りですムッシュ・ラズディアス。銅像の製作者である貴方なら、実物、少なくとも死体を見たことがあると判断して工房を訪れました。些細な所感でも構いませんので、憶えていることをお聞かせください」
工房を訪れた目的。コカトリス討伐のため、その銅像を作った名工の所感を聞きたい、と単刀直入に訴えるジャクザール。
だが、名工は少し困ったように
「期待されているところ悪いのだが。憶えていること、と言われてもなぁ……儂は当時、コカトリスの事件とはなんら関わりがなかった。討伐の報を聞いた後に領主に仕事を依頼され、アルテュール殿に頼んで死体を見せてもらっただけなのだ」
「……では、あの銅像は死体から生きている姿を逆算して?」
「ああ。いくらか誇張は混じっとるが、造形から縮尺まで、可能な限り現物に近付けたつもりだ。当時のデッサンくらいならどこかにあるかもしれんが……うむ、あの銅像以上の資料にはなるまいて」
「そうですか……」
空振りか、と肩を落とす処刑人。
そんな相手の反応を見てか、それとも思いついた疑問を我慢できなかっただけか、ラズディアスは逆に問い返す。
「そもそもコカトリスは見た者を石化させるのだろう。なら、奴の生きている姿を見て石になっておらんのは
全くもって正論である。
が、処刑人は見るからに難色を示した。
「それが、その。いちおうコカトリスの名が出た時点で、神罰法廷から書簡は行っているハズなのですが……なにぶん多忙でしょうから、元英雄の地方領主は」
そうしめて場を取り繕う。
前回のコカトリス討伐を果たした英雄、アルテュール・ド・フランドレは存命だ。なのでラズディアスの言う通り、彼に話が聞ければだいたいのことは分かるだろうし、わざわざ銅像を手掛かりにすることもないだろう。
だがそんなアルテュールは現在、王都とは別の地方を治める領主となっている身であり、その多忙さのせいで話すらままならない……というのが表向きの理由。
―――あの人、無条件で尊敬できる大人じゃないからな、実際……。
そう、かの英雄と面識のあるジャクザールは知っていた。
『黄金卿』と謳われる完全無欠の英雄騎士……その豪快過ぎる本性を。
ジャクザールから見て可能性は二つ。そもそも仕事から逃げているせいで書簡すら見ていないか、担当者の名前を見て「あいつならノーヒントで大丈夫だろ」とスパルタ精神を発揮したか。
―――いや。大穴の三つ目、「これくらいノーヒントでこなせなければ娘はやれん」のセンもあり得る。別に欲しいとか言ったことないんだけどな、俺……。
騎士修業時代を思い出しゲッソリとした顔になるジャクザール。
まあ何にせよ迷惑で、また本人の名誉に関わる話だ。
シャンゼが彼に救われた街ということもあり、ジャクザールは意図的に言葉を濁したのだった。
「ともかく。この件は遅れれば遅れるほど被害が増える案件だと判断しました。ゆえに来るかも分からない頼りではなく、足で情報を集めようと思った次第です」
「ふむ。なんと立派な心掛けか……よかろう、儂のような道楽者が珍しく人様の役に立つ
「……感謝します」
予想よりもずっと好意的な名工の態度。
それに偽りない感謝を示しつつも、ジャクザールの内心は芳しくなかった。
―――厚意を無碍にするわけにもいかないが、ここはほとんど空振りだろうな。
ラズディアスの言う通り。生前のコカトリスを知らなかった以上、あの銅像に勝る資料を彼が持っているとは考えにくい。
その予想通り、続く質問は答え合わせ程度の意味しか齎さなかった。
コカトリスの外見情報。
見るだけで石化毒を感染させる“石化の魔眼”に加え、牙や爪にも猛毒を持つ、毒の王の異名に相応しい魔物であること。
二十年前は凄まじい暴れっぷりで街を恐怖のどん底に叩き落とし、死者・行方不明者を多数生み出した天災そのものであったこと。
それらはどれも既出の情報だ。
これならラズディアスでなくとも、彼と同年代の町民に聞けば同じ答えが返って来ただろう。
それに生息地や食性など、今最も欲しい情報はラズディアスも知らなかった。結局新たに得られたのは、牙の形からして肉食だろう、という推測くらいのものである。
―――あと一つ二つ訊いたらお暇しよう。
そうジャクザールが諦めを匂わせた瞬間だった。
唐突に、
『―――死体。死体の処理の方法はどうだったのでしょうか』
「……イヴ?」
眉を顰め振り返るジャクザール。
控えていろ、と命じた部下が会話に割り込んできた形だが……先程と違い、イヴの目が余りに真剣だったため、彼は咎めるに咎められなかった。
そのうえ、ラズディアスもむしろ歓迎といった具合でイヴのほうへ向き直る。
「なるほど。それはつまり、
『……』
「だが安心していいとも……いや、ここは『残念だったな名探偵』と言うべきか。死体はアルテュール様主導のもと、完璧に処理されたのだからな」
『―――。それは本当ですか?』
「ああ、本当だとも。目や角、鱗など貴重な素材になる部分は王都に運ばれ、素材にならない肉や肝は衆人環視のなか燃やされた。儂も証人のひとりだ。つまり死霊術どころか、『実は生きていた』というトリックも使えんよ。
儂が思うに、前回のコカトリスが卵か何かを遺していて、それが二十年かけて生体になった……というのがもっともらしいと思うのだが、どうかね?」
『……そうでしたか。ありがとうございます、ラズディアス様。その線でも検討してみます』
名工のお茶目なウインクに、硬いお辞儀で返すメイド人形。
彼女の伏し目がちな碧眼は、憧れの名工を映してはおらず、ただ茫洋と虚空を見つめていた―――まるで、そこに解くべき謎があるかのように。
“つまり、
そんなイヴの言葉を思い出すジャクザール。
アレは工房に訪れるための誘導ではなく、本心からのことだったのか。
ならば、彼女が疑っている『事件の裏』とはいったい。死体の処理を気にしたということは、やはり
と、真面目二人が思案に耽ってしまったのが悪かったのだろう。
ふらふらと二人の脇をすり抜ける白い影。
恐らく暇を持て余した
金属のツマミが手の甲についた革手袋。
それを白魚の指先で摘まみ、赤い目でじろじろと眺めるのは、言うまでもなく大魔女のレフィーリアさんである。
「ふぅむ、妙な魔術だなコレは。石を粘土のように捏ねる術か……石削りにこんなモノを使わなければならんとは、ニンゲンの非力も憐れよな」
その蛮行にジャクザールが卒倒しなかったのは奇跡に近い。いや、奇跡が起きてなお絶句はしてしまったのだが。
「な―――バカっ、何をやってるんだ君は!!?
すみませんムッシュ、今やめさせますので―――」
「む? いやいや、構わんとも」
大慌てのジャクザールだったが、ラズディアスの反応は泰然としていた。
いや、むしろこれまで以上に丁寧に、彼はレフィーリアへ解説する。
「美しい御方、それは『創造の手』という魔導器です。ここのツマミを調整することで、石だけでなく金属までも思うままに、まさに粘土のように造形することができます。とはいえ魔力を消費するので、あくまで大雑把な型取り向きで、細かい仕上げには向いていませんが」
「ふむ。キサマが作ったのか?」
「いえ、儂はしょせん芸術家。実用的な道具を作る能力など」
「そういうものか。とはいえ術式が気に入らんな。これならあと三割は魔力効率を上げられるというに……全く、ニンゲンもいい加減な仕事をする」
それで興味を失ったのか、ぽいっ、と手袋を投げ捨てる鳥の魔女。
―――ぶちん、と処刑人のこめかみから断裂音。
怒りすぎて逆に冷静になったのだろう。無言のまま腰の剣に手を添えて。ジャクザールは感情の抜け落ちた声で、そっと名工に耳打ちする。
「……あの。不快でしたら今すぐ首を斬り落としますが」
それは純度100パーセントの本気の提案だったのだが……ジャクザールの人となりを知らない名工はどうも冗談と取ったらしく、心の底から愉快そうに笑った。
「首を? はは、まさか。儂は気にしておらんとも」
「いえ、そのように気を遣われずとも……」
「いや、これが本当なのだよ。美しいカタチに敬意を払うのは芸術家として当然のこと。不快どころか感謝しかない……儂の造形もまだまだだった、と教えてくれたのだから」
まるで怒った様子もなく、これで美女の表現は次の次元へ、なんて創作意欲を燃やす名工。どうもレフィーリアの人外の美貌が、彼の創作意欲を刺激したらしい。
だが、それで無礼を許す、いいや認識すらしなくなるとは。
―――本当に、噂以上の変人だな。
呆れからか感心からか、嘆息と共に剣の柄から手を離すジャクザール。
と、そんなときだった。
アトリエに本来あってはならない、突然の大声が響き渡ったのは。
「―――父さん!」
思わず、全員が手を止めて声の方を見る。
工房の入口。
声を荒げて中へ飛び込んできた青年は、そのまま諸々を蹴散らすようにアトリエ内を縦断し、ラズディアス・ランジェーロそのひとに詰め寄った。
「なぜですか父さん! なぜ、どうして今回の品評会に僕の作品を出展してくれないんだ!」
「……クレイス」
クレイス、と呼ばれたその青年は、どうもラズディアスの息子であるらしい。
らしい、というのは、傍から見てあまり似ていない親子だったからである。
ジャクザールと同じくらいの年齢の、色白で小奇麗な雰囲気の青年。
ラズディアスが“豪気”なら、こちらは“繊細”という表現が当て嵌まる。ただ、正反対の人相ながら芸術家の雰囲気が共通しているのは親子ゆえか。
そんな青年は、見るからに余裕がない様子で父親に詰め寄り……ぴたり、と動きが止まる。
今更ながら、父親の傍に立つ見知らぬ人物に気付いたのだ。
どう見ても弟子には見えない三人組を前に、彼は神経質そうな仕草で警戒を露わにする。
「……誰です、そちらの方々は。新しい依頼人ですか?」
「ああいや。こちらは王都から来た―――」
「いえ、お構いなくムッシュ。私はただの役人です。仰々しく紹介されるような身ではない……当然、家族間の話を邪魔することも致しませんので、悪しからず」
どうか気にしないでほしい、と無害をアピールするコートの役人。
その姿にクレイス青年はぽつり。
「……いや、そんなこと言われても、そこに居られると話しづらいんですが」
「む」
返す言葉もない。全くもって正論である。
「……それは、何というか、気が利かず申し訳ない。では少し席を外します。魔女、イヴ、行くぞ」
言って、ジャクザールたちは素直にアトリエの壁際まで移動した。
外ではない。あくまでアトリエ内を移動しただけである。
「……盗み聞きはしない、ではなく、邪魔はしない、か。我ながら役人めいた言い回しだなぁ……」
そう、この離席はしょせんポーズでしかない。
ジャクザールの五感は獣以上。ここからでも話を聞くぶんには問題ない。レフィーリアやイヴも似たようなものだろう。
そもそもアトリエには他の弟子も居るのだ。なら自分たちも退室までする必要はないだろう、と考えたのだ。むしろ部外者の目として留まり、暴力沙汰を抑制するという目論見もあった。
だが、クレイス・ランジェーロはそれで満足したらしい……いや、余裕がなかった、と言うほうが正しいか。
彼は壁際に移動しただけの役人たちから完全に視線を切って、再びラズディアスに向き直る。その姿は「父親しか視界に入っていない」と言わんばかりだ。
そんな彼は、どうにも鬼気迫る様子でラズディアスに食って掛かる。
「―――ともかく、品評会の話ですっ。何が駄目なんです!? 僕の技術は父さんにだって負けていないハズだ! 『創造の手』の扱いだけなら僕のほうが巧い……! 少なくとも石像なら、ピエールやオリヴィエなんか目じゃない! なのにどうして僕だけが不許可なんですか、父さん!?」
ヒートアップするクレイスの訴えを黙って聞いていた名工は……話が終わったと見るや、ゆっくりと髭に埋もれた口を開いた。
「……確かにおまえには技術はある」
「なら!」
「だが、それだけだ。おまえの彫刻にはテーマがない。テーマがないから、それを伝えるための演出もない。おまえの彫刻は、ただ、現実にあるものを石で作り直しているだけだ。そんな空虚な作品を、うちの名義で世に出すわけにはいかん」
「なっ……! それは、僕は造形のリアルさを追求して……!」
「
「……それ、は」
「クレイス、おまえは他の弟子を腐したが。ピエールにもオリヴィエにも表現したいテーマがあり、彼等はそのために造形している。一方、おまえは自らの技術そのものをアピールすることに囚われている……そのように儂には見える」
「……い、え。そんなこと、は……」
図星を突かれたのか、クレイス・ランジェーロの表情が強張るのが、壁際のジャクザールからでも見て取れた。
―――くそ。古傷を抉られてる感覚だな、これは。
その姿にわりかし本気で同情……いや共感する傍観者一人。話の内容は全くもって聞き覚えがないのに、妙に既視感があって心を乱される。
そんな外野の思惑など知る由もなく、ラズディアスは二の句が継げぬ息子に穏やかな調子で語り掛ける。
「なあ、クレイス。おまえは儂の息子だ。だからその気持ちも、焦りも、少しは分かってやれるつもりだ。
だが……おまえは単に、儂を真似てここまで来てしまっただけで。
本当は彫刻でやりたいことなど、何ひとつ―――」
「―――ち、違う! もういい、父さんに理解してもらおうとした僕がバカでした!」
そんな捨て台詞を残して、クレイス青年は逃げるように身を翻した。
入って来たときより何倍も乱暴な足取りで、アトリエの出口へ一直線に。
彼は最後に、ジャクザールだからこそ聞き取れるくらいの声量で、
「そうだ、僕は必要とされてるんだ。僕の技術がなきゃ、僕の技術で、皆―――」
そんな支離滅裂な呟きだけを残して、そのままアトリエを飛び出していった。
……嵐は去った。
親子のやり取りを緊張の面持ちで観察していたアトリエ内は、ふぅと安堵の溜息をつくように弛緩し、やがて元の形に戻っていく。
そんな中、たった一人だけ気持ちの切り替えが遅れている者が居た。
「む、どうしたジャック、微妙な顔をして。あのニンゲンのせいか? 殺すか?」
「……いや、何でもない。何でもないから絶対にやめろ。これはどちらかというと自分のせいというか……うん、人の振り見て、というやつだ」
今回くらいは土産でも買って帰るかな、なんて苦笑いで呟くジャクザール。
どうも今のクレイス・ランジェーロの姿を見て、自分も父親と複雑な関係であったことを思い出したらしい。
―――偉大な父を持つと息子は苦労するものなのかもな……。
思い出す、父親に否定されたときの胸の苦しさ。
何というか、まだ人となりも知らない青年に妙な
と、そんな息子世代の内心に気付かず、ラズディアスは身内の恥に頭を掻いた。
豊かな髭のせいで分かりづらいが、壁際から戻って来たジャクザールたちに向ける顔も何となくばつが悪そうだ。
「申し訳ない、恥ずかしいところをお見せしたな。片親の歪みがどうも最近になって出てきてしまったらしく……最近はずっとあの調子で、柄の悪い連中とつるんでいるという話もあり……」
「……それは、心配ですね」
「ああ、本当に。とはいえ誤解せんで欲しい、根は素直な子なのだ。少々事情があって、それが焦りになっておるのだろう……彫刻家の息子が彫刻家にならなければならない、という決まりはないのだがな……」
今しがた立ち去った息子を想っているのだろう、遠い目でそう呟く名工。
「……いえ、お気になさらず」
そんな名工の言葉に何とか当たり障りなく返したものの、うまく笑えているか自信がないジャクザールだった。
耳が痛い話だ、と内心呟く。
そしてお互いに今の話題から離れるため、示し合わせたように、再び事件についての聴取に入った。
「―――ふむ、コカトリス以外の魔物の話? いや、そういうのに聞き覚えはないが……ここらは銀竜戦争にも巻き込まれず、長らく平和だったのでね。そうでなければ『芸術の都』になどなるまいて。ああいや、最近盗賊が出るとも聞くが、こちらは別に魔物ではないしな」
「では、やはり犯人はコカトリスで間違いなさそうですね……かの怪物の住処や、ここら一帯の魔力が淀んだ場所について心当たりは?」
「む、そんなことを言われてもな。魔導師でもない儂には見当もつかん……いや、ちょっと待てよ? 確か二十年前にコカトリスが討たれた場所は、東の森にある湖のほとりだと聞いたような……」
「森、ですか。ありがとうございます、大変参考になります」
今はどんな手掛かりでも欲しい処刑人と、二十年前の記憶を何とか思い出そうと眉間にしわを寄せる髭もじゃの名工。
こーん、こーんと石を削る音を背景に問答は進む。
そうやって、すっかり元の調子を取り戻したアトリエで……。
『…………リアリティを追求した石像。あの人物、まさか』
ただ
メイド人形のイヴだけが、アトリエを飛び出したクレイス・ランジェーロの背の残像を、まるで睨むように凝視していた。