人外少女たちの愛情表現が難解すぎる 作:龍川芥/タツガワアクタ
◆
―――結論として。
イヴ・エメスはちょっぴり怒っていた。
シャンゼ領主の館はマギロティオン邸より更に大きく、そして豪奢な建物だった。
当然だ。領内を代表する人物の住処は、そこいらの富豪に真似できる程度であってはならない。
財力。技術。土地。文化。
街が持つ全てを集結させた建物は、必然として、街の力を示す
この館の場合、最も際立っているのは“美しさ”だろう。
白と青の煉瓦で一分の隙もなく組み上げられた、見る者を魅了する建物外観。
博物館めいて内部に溢れかえる、石像、絵画、陶器、武具……『芸術の街』が生み出した、多種多様の傑作たち。
特に中央ホールは別格で、彫刻と天井画とステンドグラスを組み合わせた芸術空間となっており、これを一目見るために街を訪れる者さえ居る。
そんな館だから、当然客間も凄かった。
ガラス細工の限界に挑んだかのような巧緻絢爛のシャンデリア。
飴色の高級木材を骨格としたつやつやかつふかふかのソファ。
踏むのがもったいないくらい見事な模様の羊毛絨毯。
部屋の中央に立つ、つるりとした謎の物体……は今しがた持ち込まれたものなので無視するとして。
立派な額縁と共に壁に飾られた油彩画は、有名な巨匠の秀作なのだろうと一目で分かる鮮やかさだ。
価値が分かる者からすれば夢のような、
そうでなくともひたすら豪華なことは分かる広い客間。
そんな部屋を拠点に与えられて、本来怒る道理などない。
イヴ・エメス……人形ながら一流の審美眼を持つ彼女ならば猶更だ。
それでも、やっぱり彼女は怒っていた。
その理由は室内最奥、天蓋付きのベッドの上に。
―――あるいは、それは最高の芸術で。
同時に、芸術への最悪の冒涜だった。
白い花が一輪、寝台に身を横たえている。
艶やかに広がる白い髪。
細い首から華奢な肩までのライン。
ふだん纏っている
胸も。腕も。腰も。足も。全てがあられもなく無防備。僅かにでも身動ぎするたび、細く滑らかな白磁の肌は蕩けるような色香で客間を満たす。
とはいえ、そこに特別な
いいや、特別でないからこそ罪深い。
ただ寝そべっているだけで天上の名画さえ霞むなら、それは人間の創造力を冒涜しているに等しいのだから。
「――――」
視線ひとつ、吐息ひとつさえ、男の心臓を鷲掴むのに十二分。
御伽噺のお姫さまさえこれほどの魔性を持つかどうか。
その横臥はまるで憂国の王女。
そしてその花のかんばせは、傾国の美貌に他ならぬ。
……こればかりはイヴにも予想外だった。
鋭く、冷たい。
見る者の心を深々と貫き、凍り付かせそうなほどの白い美貌。
そんな彫像顔負けの造形美が動く。
気紛れな猫のごとく行われる欠伸。その隙だらけの無防備さは、何か、見ていけないものを見てしまった気さえ起こさせて―――。
「ふわ~ぁ。全く、ジャックのやつ遅いぞっ。またワラワをほったらかしてー」
……喋った瞬間魔法は解けた。
客間の空気を凍結させていた極限の美への礼賛は、色気も何もあったものではない子供じみた態度に背中を刺され、慌てて窓から逃げ出したようだ。
後に残るのは、いつも通りの魔女の姿のみ。
いや。
彼女、メイド人形のイヴにとっては、最初からそんな空気など無いも同然だったのだが。
『……あの、魔女様』
「―――む、なんだ人形」
『失礼ながら。あなたから一切のやる気が感じられないのは、わたしの気のせいだったりするのでしょうか』
そう。
その光景が生み出す、極限の背徳と艶美を無視すれば……魔女レフィーリアは有り体に言って、ベッドでゴロゴロしているだけなのだった。
それもこの昼間から、何の目的もなく。
……お姫さまと言うなら正しくその通り。ただし思いっきり悪い意味で。
この世界はかような世間知らずにタダ飯を与えるほど優しくはない。というより、そんなに甘くあってはならない。
ならば責任を果たすべきだ、というイヴの責めるような視線は、けれどベッドのお姫さまには何の効力も及ぼさなかった。
「カッ。敵もジャックもおらんのに、今やる気を出してどうすると言うのだ」
鼻を鳴らし冷笑する魔女。
縁側の猫より怠惰な姿に苛立ちを覚えつつ、イヴは努めて冷静に返す。
『……そういうことではありません。あなたは最初から、あまりにも積極性に欠けている。それでも法典部隊の一員ですか』
「んー? キサマが言っておるのは、話を聞く、とかのアレか? そんなものやりたい者だけやればよかろ。ワラワにはまるで意味が見出せん行動だが、ジャックがやりたいというなら仕方なし……ワラワは辛抱を知る女ゆえな。邪魔はせんとも」
とはいえ、寂しいものは寂しいがー、なんて呑気に呟く白い魔女。
なんだか受け身な物言いに、イヴはますますこの相手が理解できない。
『そこです。どうしてそこで、自分も協力する、という選択肢が出てこないのですかあなたは』
「? 協力とはつまり、ワラワにニンゲンの話を聞けと?」
心底不思議そうに反芻し。
ベッドの上で退屈そうに白い足を組み替え、魔女レフィーリアは鼻を鳴らした。
「訳が分からん。話はジャックが聞いておるのだぞ? ワラワが聞いたところで何が変わるわけでもなし。貢物がない以上聞く義理もない。別に邪魔をしてはいないのだから問題はなかろう」
『な―――』
これには、流石のイヴも絶句せざるをえなかった。
―――いいかいイヴ。言葉を交わすということは、心を交わすということだ。心に言葉という複雑なカタチを与えられるのが、ヒトの持ついちばんの能力なんだよ。
生みの親である博士の言葉を思い出す。
話を聞く、とは単なる情報の共有ではない。
それは相手を知ると言うこと。縁を結ぶということ。たった一言で相手を救えるかもしれないし、たった一言で自分が救われるかもしれない可能性に踏み入ること。
イヴは博士の
『話し合う』という奇跡、知性の大発明を無碍にする、その理由は何なのか、と。
だが……こともあろうにレフィーリアは、「ジャクザールが聞いているから問題ない」と言い切った。
それはつまり、
『…………』
話を聞く聞かない以前の問題。
他者に共感する関心、被害者に同情する良心をはじめから用意もしていない。
それでイヴも確信する。
大魔女レフィーリア。
彼女は人間の味方になったのではなく、あくまでジャクザールという個人に肩入れしているだけなのだ。
むしろその言動からは、人間全体への嫌悪がうっすらとだが見て取れる。
つまり―――根本の価値観、世界の見方が違い過ぎる。
『……よく分かりました。同じ部隊の所属とはいえ、あなたとは根本的に分かり合え無さそうなことが』
「カッ、今更か人形。そんなこと、ワラワはとっくに気付いておったぞ」
強がりでも何でもなく、平坦に事実を口にする魔女。
彼女にとってはイヴもまた“どうでもいい相手”に過ぎないのだろう。
だが……戦闘能力か、
他の人間のように無視できる存在でもないらしく、彼女はイヴへと流し目を向けた。
「ところで、ワラワからも一つ訊くが。人形、キサマはいったい、この状況でやる気を出して何ができるというのだ?」
気になる、というよりは、どこか呆れたように問うベッドの大魔女。
だが、呆れたいのはこちらだ、とイヴは嘆息を堪え、答えた。
『無論、情報整理と仮説検証です』
「? 何を整理することがある。敵はコカトリス。明日は森に捜索に行く。それ以上の何があるというのだ。流石にその程度の処理に苦労しておるわけでもあるまい―――ははあ、そうか」
と、不意に魔女が手を打った。
自己解決したらしい彼女は、正しく魔女といった底意地の悪い微笑を含んで、横臥したままイヴを嘲る。
「キサマ、ようやく自分の力不足に気付いたな? 当然か、キサマは一度ワラワたちの『愛』の前に敗れているものな。それでこのままでは活躍の機会がないと見て、戦いの前に何とか
なっとくなっとく、と満足げに頷く魔女。
余裕綽々の態度からは、イヴのことを心底見下しているのが伝わってくる。
根拠は前回の勝敗、だろう。
法典部隊の初任務にて。兵器人形イヴ・エメスは、ジャクザールとレフィーリアのコンビに敗れた。
確かにそういう意味では、彼女らの決着はついている。
だが……敗者のはずの人形は、そんな風に煽られたというのに、まるで余裕を崩さなかった。
『……憐れですね、魔女様』
「―――なんだと?」
『あなたは戦闘で活躍することのみがマスターの役に立つことだと認識しているようですが、それはひどい誤りです。むしろこの事件、
「カッ、戯言を。獲物を見つけるならワラワの眷属に勝るものなし。どの道キサマは役立たずよ」
『―――では、“勝負”しますか?』
「……なに?」
『この事件が終わった後、どちらがマスターの役に立てたか、本人から判定してもらうのです。あなたには言葉で説き伏せるより、こちらの方が効果的かと思いまして』
慇懃な口調でも誤魔化せない、紛れもない宣戦布告。
ほとんど喧嘩を吹っ掛けるような形だが、イヴもそれだけ腹に据えかねていたということだ。
その傲慢を否定してやる、と。
強い決意の籠った双眸に、魔女はあくまで余裕で応えた。
「よかろう。勝ちが決まっている以上、乗らぬ理由がない。
ま、せいぜい今回もいい観客になることだ。ワラワとジャクザールが舞う『愛』の、な!」
『魔女様こそ。今回はあまり活躍できなくとも落ち込まないように。わたしのほうがマスターにとって必要な存在だった、というだけですから』
「―――ポンコツ風情が、偉そうに」
『―――そちらこそ、ぐうたら魔女のくせに』
もう何度目かになる言い合いのすえ、バチバチと不可視の火花を散らす人外ふたり。
と。
「―――――む、やっとか!」
不意に人形から意識を外し、がばりと体を起こす鳥の魔女。
ほどなくしてイヴにもその足音が聞こえてきた。
廊下からこの客間へ近付いて来る気配。その正体を、
なので。
がちゃり、と扉が開いた瞬間、待ちきれないとばかりに白影がベッドから飛び出して―――。
「ジャクザールっ、待っていたぞ―――うぎゃん!?」
横臥から一転、想い人に思いっきり抱き付こうと突っ込んだ魔女の体は……本懐を果たす直前で、見えない壁に激突したように停止した。
否。
部屋には入るなり飛びついて来たその顔面を、
決め技の名はアイアンクロー。
ボールみたいに魔女の顔をキャッチした青年は、下手人の正体を確認し、ようやく指の力を弛める。
「……ややこしいことをするな、魔女。すわ不意打ちかと思ったじゃないか」
ぽいっ、と雑に魔女を放り投げる彼こそ、レフィーリアの想い人にしてイヴの
一応配慮はされたのだろう、投げ飛ばされたソファの上でひっくり返った魔女の痴態に、イヴは思わず追撃をぽつり。
『……おや、さっそく見せつけてくださるとは、随分と気前がよろしいのですね魔女様は。しかし“愛を見せてやる”というお話でしたが……今のはどのあたりが“愛”だったのでしょう? よろしければ、このポンコツにも分かるように解説して頂けますか、魔女様?』
「~~~! キサマっ、バラバラにしてやる―――ぎゃふん!?」
勢いイヴに襲いかかろうと飛び上がった魔女の目に、がつん、と強烈な星が散る。
それは殴打。
より正確には拳。
つまるところ鉄拳制裁。
魔女の殺気を感じ取ったジャクザールが、その頭に拳骨を落としたのだ。
「……今言ったよな、ややこしいことをするな、と。仲間に襲い掛かるなど論外だ。しばらく反省するように」
そう言うジャクザールの拳骨は、わりかし本気の威力だった。
人骨を超えて鉄骨さえひしゃげさせる『首斬りジャック』の
彼女は殴られた頭頂部を押さえながら頬を膨らませて。
「むうううう! だからっ、どうしてそう人形を贔屓するのだキサマはーっ!」
もう知らんっ、と。
扉からではなく、開いていた窓から部屋を飛び出してしまった。
バサバサと遠ざかっていく羽音は怒りの表れ。
見方によっては逃亡罪まったなしだが……ジャクザールも慣れたものというか、彼女の行動が拗ねた幼子のソレであることは分かっていた。
「……まあ、30分もすればけろりとした顔で戻って来るだろう」
『いえ、それは計算が甘いですよマスター。魔女様の鳥頭なら、20分で不満を寂しさが上回ります』
「……妥当なセンだな。
とはいえ、君も無暗な挑発などはしないように。二度目だ、次は罰則だぞ」
『はい。申し訳ありません、つい我慢できず……』
頭を下げ、本心から反省するイヴ。
彼女をしてあの拳骨は喰らいたくない、というのもあるが……かの魔女が弱みを見せた瞬間、つい追い打ちをしてしまった己の狭量を恥じたのだ。
今のは自分の、ひいては持ち主の品格を落とす行為だった。既に
と、顔を上げたイヴは、自分の主が片手に何かを持っていることに気が付いた。
何かとはつまり紙の束だ。
『マスター、それは?』
「ん? ああ、これはコカトリスとは別の、シャンゼを騒がせる盗賊グループの情報だ。任務の邪魔になるかもしれないから念の為、と貰って来た。
とはいえ、基本的には関係ないよ。それに一読した限り、大したことは分かってないらしい。頭目の名前すら不明なのはちょっとどうかと思うけど」
言って、書類の束をテーブルに投げるジャクザール。
やや乱暴な仕草から、この館の主とのやり取りが気疲れするものだったことが伝わってくる。
いや、育ちのいい彼のことだ。それだけで礼儀は失うまい。
普段では見られない乱雑さは、部屋に入ってからずっと気になっていた
「それで、イヴ。こっちからも一つ質問なんだが……
それはつまり、部屋に入って来たときから瞭然だった異物。
イヴの
―――ジャクザールから見たそれは、一見して白い板だった。
つるつると光沢のある板。
奇怪なのは、どのパーツも彼が見たこともないような謎の素材で出来ていることだ。光を跳ね返す光沢は陶器に似ている気もするが、それよりは随分と軽い印象で、そして不安になるくらい清潔だ。
喩えるなら天然素材の真逆。限界まで自然の気配を脱臭された過剰漂白のボード。
装飾多めな部屋の雰囲気からも限りなく浮いていて、そういう意味では超先鋭的な芸術作品に見えなくもない。
そんなボードの前に立ち、イヴは新たな仲間を紹介するように言う。
『はい、これは“ホワイトボード”です、マスター。情報を整理するのに必要かと思いましたので作成しました。本当はモニターかプロジェクターが良かったのですが、それだと素材を消費しすぎてしまうので……』
そんなイヴの説明は、ジャクザールにとっては半分以上が意味不明。
だが、耳慣れない固有名詞でも誤魔化しきれない、絶対に聞き流せない文言を彼の耳はちゃんと捉えていて。
「―――ちょっと待った。君、またあの『錬金術』を使ったのか!? 勝手に使うなとあれだけ言ったのに!?」
ジャクザールの目の色が変わる。
彼は厳しい人外監督官というよりも、子供の悪戯に卒倒する親みたいな顔になって、大慌てでイヴに詰め寄った。
「言え、何を素材にしたっ! ここは
『お、落ち着いてくださいマスターっ。拝借したのは庭の廃品です、リサイクルですっ。それもきちんと庭師さんの許可を得てから行いましたっ。なので剣を引いてくださいっ、首にちょっと食い込んでますからぁ……!』
襟首を掴む代わりなのか、家宝の処刑剣を人形の首に押し付ける処刑人と、その刃を必死で押し留める人形。
あわや真昼の殺人事件といった現場は、イヴの必死の弁明によって辛くも一時停止した。
「元は廃品……なら大丈夫、なのか? うん、まあいいか。不問にしよう。
ただし、次からは俺に一言報告してからにすること。領主様に大見得切ったばかりなのに、監督不行き届きで希少品破損とか、洒落にならないんだからな、本当」
『は、はい、絶対にそうします……し、死ぬかと思いました』
刃を引く処刑人と、ぜえはあ、と床に手を突き呼吸を―――呼吸など必要ないのだが、気分的に―――整えるメイド人形。
万能のゴーレムにとっても『処刑剣』は恐ろしいものらしい。
いやまあ、自分の首筋を
……何となく後者な気がする。
イヴがその姿に悲しき役人の
「それより、イヴ。この奇っ怪なボードの用途は何なんだ。まさか、君まで芸術家にかぶれたってわけじゃないだろうな」
『―――当然です。これはわたしと同じく、あくまで実用的なアイテム。
わたしがメイドとしてだけでなく、“法典部隊”隊員としても優秀であることを証明するための道具なのです』
スカートを払って立ち上がり、びしり、と胸を張るメイド人形。
どうもさっきの醜態をなかったことにしたいらしい、と分かるのは、その動きがちょっと過剰なため。レフィーリアが己の失態を数分で忘れる鳥頭なら、イヴは活躍で上書きしようと焦るタイプだ……というのが、ジャクザールの隊長としての私見だった。
とはいえ。
「なるほど、そいつは頼もしい限りだ」
『―――む』
ほどほどに期待しておくよ、なんて言いながら、コートを脱いでソファに腰を下ろすジャクザール。最中、イヴもホワイトボードも一瞥さえしない時点で皮肉が見え見えである。
それもそのはず。彼の中のイヴ・エメス像は『役に立とうとして空回りするドジなメイド』ですっかり固定されてしまったのだ。
なのでいちいち付き合うのも疲れるというか。
戦闘になれば役に立つだろう、なんて半ば諦めつつ、コカトリスの居場所を探して周辺の地図を読むことに集中する……。
だが、今日の彼女は一味違った。
『―――遅ればせながら、領主様への報告お疲れさまでした。お茶をどうぞ、ご主人様』
「え? ああ、ありがとう……」
『ごゆるりとどうぞ。
「いや、別にそのくらい自分でやるが……聞いてないし」
紅茶を手渡されたジャクザールは、半ば呆然として、枯れ木を思わせるコートハンガーにしずしずと向かう背中を見送る。
てきぱきと手際が良い……というよりは、目に付いたことは全部やる、みたいながむしゃらさ。普段はそれが空回りに繋がるのだが、今日はどうしてか様になっている。
「……それはそれで、何か落とし穴がありそうで怖いけど」
これいつぞやの生成水製じゃないよな? とか疑いつつも、おっかなびっくり紅茶に口をつけるジャクザール。
館に常備された茶葉の上質さか、それとも
『心配されずとも、お茶は普通に淹れました。専用の機械を作るとまた怒られそうでしたので』
「む。いや、俺はまだ何も言ってないが」
『それは失礼しました。それとマスター。こちらの書類、わたしも目を通しても?』
「え?」
そう言ってイヴが示したのは、先程ジャクザールが机に投げた盗賊の資料。
「別に構わないけど……コカトリスとは関係ないぞ、それ。時間の無駄になる可能性のが高いと思うけど」
『ですが、この世に絶対はありません。たとえばその盗賊が森の中に潜伏していて、明日の捜索で戦闘になる可能性だってあるかもしれない。僅かでも役に立つ可能性があるなら、わたしは砂粒ひとつ、雪の一片だって無駄にはしません』
言いながら、パラパラと書類に目を通すイヴ。
その速度は『読む』というより『めくる』という感じだったが、その目は至って真剣で、何か人間にない記憶方法を使っているようにも見える。
ぱらり、数秒で終わる書類の確認。
その何かに急かされているような姿を前に、ジャクザールは思わず呟いた。
「……なんというか、街に着いたときから思ってたんだが。
君、妙に気合いが入ってないか?」
同じ人外でもレフィーリアとは真逆だ、と言わんばかりの主の指摘に、イヴはこれでもかと強く頷く。
『当然です。なにせ今回はわたしの初任務……博士の最高傑作として、そしてマスターの頼れる道具として、完璧な仕事を行わなければならないのですから』
クールな口調とは裏腹に、彼女は明らかに燃え上がっていた。
やる気はマックスを超えてバーニング。
レフィーリアとの勝負を知らないジャクザールからすれば、ちょっと燃えすぎてて不安になるくらいの
「……そ、そうか。頼もしい限りだ」
メイドの背後に
なんであれ、隊長である彼からすれば部下のやる気は喜ばしいこと。
とはいえそこは新米隊長、過剰に燃える部下の扱い方などまるで知らないのが玉に瑕だったが。
「ええと……そうだ、そういえば聞いてなかったな。あのホワイトボードとやらはどう使うんだ? 盾か?」
おっかなびっくり、話を逸らすような質問が余りにも的外れだったのだろう。
水を差されたとばかりに上がっていた気炎が鎮火する。
『……違います、マスター。このホワイトボードには、こうやって、』
言って、イヴはキュポンと持っていたペンのフタを開けた。
同じく廃品から作った黒のマーカーを、彼女は素早くボード表面に走らせ……。
『このように。文字を書き込み、情報を整理するのに使うのです』
ばん、と叩かれる白いボード。
書き込まれた文字は―――仮称:コカトリス事件の疑問点について。
「……な、なるほど。要するに黒板のようなものか」
実演を見て、謎アイテム・ホワイトボードの用途を理解するジャクザール。
その意識は次いで文字の内容へ。
「……そう言えば君は言っていたな。今回のコカトリス事件には疑問点……ひいては疑うべき『裏』があるって。
あれから俺も考えてみたが、残念ながら、君の言う『裏』は思いつかなかった。丁度いい機会だ、そろそろ教えてもらおうか」
『当然です。そのためにこのボードくん1号を作ったのですから』
「……前から思ってたが、君、わりかし少女趣味だよな」
物に名前を付けるとか、そこはかとなく童話っぽい言い回しとか。
『だ、だったらなんなのでしょう。悪いですか』
「いや、俺は好きだぞ。人間味があるというか、外見通りに可愛らしくていいじゃないか」
さらり、と放たれた言葉に、むぐり、と喉を詰まらせる人形少女。
『―――な、なるほど。これが魔女様を勘違いさせてしまったモノの片鱗ですか』
「? 急に何だ? どうしてレフィーリアの話題が出てくる?」
『何でもありませんっ。それより、話が本筋から逸れています』
カツン、と何かを誤魔化すように―――実際はむしろ逆なのだが―――ホワイトボードをペンで叩くイヴ。
そこに書かれた黒い文字に、ジャクザールも本題を思い出す。
作ったボードがさっそく役立っている現状に嬉しいやら悲しいやらで、イヴはいつもの一本調子に戻って言った。
『ではマスター。今一度、被害者四人の証言を思い出して頂けますか?』
それで空気はすっかり議論モードに。
厳格な教師を思わせるイヴの態度に乗っかる形で、ジャクザールはソファに座ったまま、従順な生徒として振舞うことにした。
「ああ、被害者四名の証言だな。
まず一人目、行商人。彼はシャンゼに来る途中、森の中でシカとクマの石像を発見。近付いて来る巨大な気配を感じた瞬間、それが石化した動物だと気付き、なぜか動かなかった荷台を捨て慌てて逃げ出した。
二人目、年配の婦人。彼女は夜中に戸を叩かれ、扉を開けると石化した男の姿があった。夫と共に逃げ出し、30分後、憲兵を連れて戻って来たころには家はすっかり荒らされていた。家屋の破損以外の被害は、台所の食料品類に留まっている。また、玄関先で石化していた男の姿は消え、彼の身元は不明のまま。
三人目、若い画家。彼の場合は、まず窓から石化した鳥が飛び込んで来て、次に『怪物が出たぞ』と扉を叩かれた。玄関を開けると憐れな石像。咄嗟に地下室に逃げ込むと、壁を壊して怪物が家屋に浸入。物音からして20分ほど暴れ回ったという。作品にも被害を受けたが、一番の被害は財産を持ち去られたこと。この件でも石化した人物はコカトリスに連れ去られ、身元不明。
そして四人目、牧場主。こちらはシンプルで、被害は牛二頭。一頭は派手に食い散らかされていたが、痕跡の残っていないもう一頭は丸呑みにされたと考えられる。現場には足跡アリ。この件のみ、誰も石化した動物・人物を見ていない。
うん、こんなところでどうだ?」
言いながら、書類も見ず諳んじたにしては上出来だ、と自画自賛する処刑人。
だが、期待に反してイヴ先生はクールだった。
『―――はい。多少の不足はありますが、要点という意味では充分だと思います』
「……む。そういう君はどうなんだ。随分と記憶力に自信がある言い草だが」
『当然です、わたしは機械ですよ? 彼等の証言含め、今までの会話は一言一句全てを記録しています。立証が必要なら好きな日時を指定してください。そのときに行われたやりとりを再生してみせますから』
「……いや、いい。自信のほどは伝わった。ここは信用するよ」
本当にそんなことされても怖いし、と口の中だけで呟くジャクザール。世の中には知らないほうがいいこともある。本当に今までの会話を全て記憶されていたら、二度と軽口を叩けなくなりそうだ。
『ありがとうございます。では、さっそく始めましょう』
そんなジャクザールの内心には気付かず、あくまで「信頼された」と受け取るイヴ。彼女は上機嫌を鉄面皮の下に押し込めて、教鞭の代わりに指を立てた。
上を向いた指の数は、三本。
『―――わたしが見る限り、この事件には“三つの疑問点”があります』
「何? 疑問点って、三つもあるのか?」
『はい。まずは一つ目から』
ジャクザールにとっては予想外の言葉だったが、イヴ先生は待ったなし。その体が姿勢よくホワイトボードに向き合う。
キュキュ、と音を立ててマーカーペンは動き、まるで印字のように綺麗な文字をボード上に素早く記した。
疑問点その1。
―――なぜ誰もコカトリスの姿を見ていないのか?
ボード上に記された疑問点、その1。
それを見て、ジャクザールはとりあえず思いついた意見を言ってみた。
「……ふむ。確かに、被害者の中に『実際にコカトリスの姿を見た』という人はいなかった。だが、理由は分かり切っていると思うぞ」
『ではマスター、その理由とは?』
「そんなの決まってる。『見た人間は全員石になっている』からだよ。
コカトリスは“石化の魔眼”を持つ魔物。ゆえにその姿を見た者は、自身もまたコカトリスに姿を見られ、あえなく石化させられてしまう。ほら、証言の中に出てきた、玄関先の石像のようにね。
だから目撃者は『居ない』んじゃなくて、『居たけど石になった』が正しいだろう。ムッシュ・ラズディアスもそう言っていたじゃないか」
ジャクザールの言う通り。相手を視認できる状況は、相手からもこちらを視認される状況であることが殆どだ。
そして相手がコカトリスという『石化の魔眼』を持つ怪物の場合、視認イコール石化となる……。
『……確かに、その考え方は尤もです。
「……何だと?」
『誰にも見られない、見ることができない怪物。不在を証明できないから存在を立証される影。まるで裸の王様です』
あまりにも都合が良すぎる、と彼女は言った。
誰にとっての都合かは言わず、代わりに暗示的な呟きだけを残して。
そんなふうに結論を保留したまま、彼女は再びペンを取った。
キュ、と再び音を立ててホワイトボードに書き込まれる、二つ目の疑問点。
疑問点その2。
―――なぜコカトリスは石化させた生物を連れ去るのか?
『婦人と画家。ふたつの現場の証言を憶えていますか?』
「え? あ、ああ」
『では、このふたつの証言には共通する部分があったはずです。それを思い出してみてください』
「共通する部分……石化されられた人間を見た、という点か?」
『イエス。そして付け加えるなら、
そこで言葉を止めるイヴ。
沈黙は促すようだ。どうも、その続きを詳しく言ってみて下さい、ということらしい。
そうやって半ば言われるがままに、ジャクザールは顎に手を当てて記憶を攫う。
「ええと、確か……婦人と画家の二人は、夜中に『コカトリスが出たぞ』と玄関の戸を叩かれ、扉を開くと石化した人間が居た。そして一度現場を離れた彼等が戻って来たときには、玄関先の石像は消えていた……だったな」
『はい。そして付け加えるなら、画家の家に飛び込んできたという“石化した鳥”も現場からは持ち去られていました。つまり、コカトリスは現場に“石像”を残さない、ということです。
―――これが、
「……? 石化した彼らが消えたことが、か? どうしてだ? 俺は単純に、コカトリスが食べた、と捉えたが。石化させる能力があるということは、石像を食べるくらいするのでは?」
『ですが、それでは牧場主の証言、及び現場の状況と矛盾します』
「……何?」
証言その二とその三は脇に置かれ、引き合いに出されたのは証言その四。
全ての証言を完璧に記憶しているメイド人形は言う。
『牛の死体は食い散らされ、腐敗していました。つまりコカトリスには、石になった獲物を食べる生態はないのです』
「……いや、確かにそんな話もあったが……それだけで石を食べないと決まったわけじゃないんじゃないか? 石も肉も食べる雑食、とか」
『いいえ。石を食べられるなら、そもそも牛を襲う必要はありません。石なんてどこにでもありますから。あるいは石化した生物なら食べられるとしても、それなら獲物は常に石化させたほうがいい。そうすれば絶対に逃げられないし、腐ることもないのですから。なので論理的に考えて、雑食の可能性は非常に低いと思われます』
「……そうか。まあ、牧場の死体からはそう判断できるか。石化されないまま食い散らかされ、腐敗していたものな」
『はい。もしくは―――それは本当は、食い散らかされた死体ではなかったのか』
「?」
またも真意不明の呟きを残して言葉を切るイヴ。
当然ジャクザールは追求するような視線を向けるが、イヴはそれに応えることなく、更に新たな議題を追加してきた。
『それに……こうなると一人目、行商人の証言も不可解になってきます。コカトリスが生肉を食すなら、どうしてシカやクマといった格好の獲物を“石化”させたのでしょう。石化能力が外敵に対してのみ用いられる防衛機構としたら、人間以外に使われるのはおかしい。クマはともかく、シカはコカトリスの脅威足りえない存在でしょうから』
「む。どうしてシカを石化させたか、か……ええと、腹一杯だったから、とか?」
『なら見逃せばいいだけです。シカをわざわざ石化させる必要はありません。石化能力だって
「……なら、実は石化能力は制御できなくて、見境なしに石にしてしまう、とか」
『それなら牧場の牛だって石化したハズです。それにもしそんなことがあれば、コカトリスは常に痕跡を残してしまう。その場合、まだ居場所が分からないという事実はどう説明されますか、マスター?』
後半はほとんど意地になって論破を狙ったジャクザールだが、結果はこの通り。
イヴの意見には簡単には破れない
「……参った。合理的な物事の考え方は、君のが何枚も上手らしい」
『―――当然です。所有する事で
主人の敗北宣言に誇らしく胸を張るメイド人形。
むふー、と鼻を鳴らしているところを見ると、どうもジャクザールの言葉選びが人外の琴線に触れたらしい。
若干性格悪くも見えるが、それも無理からぬこと。目が良い人間が眼鏡を必要としないように……道具が主人の役に立つには、主人が全能であってはならないのだから。
「……まあいいさ。
で、結局それが何なんだ? コカトリスが生肉を食べるのは分かった。でも肝心の、コカトリスが石化させた生物を連れ去る理由は分からずじまいじゃないか。
俺たちが今やったのは、仮説を一つ潰しだだけだ。答えを求めたわけじゃない」
『―――そうですね。マスターには申し訳ありませんが、その答えは保留としておいてください。ご安心を、次の疑問点で全てのピースは揃うはずです』
「む」
再三の勿体ぶるような言葉に、本当か、と疑念の目を向けるジャクザール。
だが、イヴは黙して佇むのみ。
その態度に彼女なりの考えと、自分にはない鋼の自信を感じ取って、青年は観念したようにソファに沈んだ。
「……分かった、信用するよ。だから次に行ってくれ」
『了解しました、マスター』
次を促す
では、とどこか得意げに、三つ目の疑問点が書き込まれる。
疑問点その3。
―――そもそも、なぜコカトリスなのか?
「………………いや、どういう意味だ、それは。二十年前に討伐されたハズのコカトリスが再び現れた、というのが今回の事件の前提だろう。そこに『なぜ』もなにもないと思うんだが」
『果たして本当にそうでしょうか。マスター、そもそも魔物とは、殺しても復活するようなものなのですか?』
「……いや、そんなことはない、と思う。いくら魔物が常識外れだからって、不死身の怪物なんてそうは居ないし、コカトリスに至っては死体の処理までされてるわけだし。二十年前のコカトリスが復活したというセンはないだろう。
でも、それはつまり『前例』だろ。シャンゼには魔物コカトリス出現の前例がある。なら、同じようなのがもう一体出現することだって―――」
『そう、わたしが言いたいのはまさにそれです』
「?」
びしり、と指をさすメイド人形。
彼女はまるで、ジャクザールの言葉の中に隠れた真犯人を指摘するように核心を告げる。
『シャンゼにはコカトリスの伝説がある。
……これは例えばの話ですが。“首斬りジャック”が滞在する街で首切り死体が発見された場合、周囲の人々がまず疑うのは誰でしょう?』
「……おい。もしかして王都の事件のことを言ってるのか? やめてくれ、あのときは会う人皆から疑われて本当に大変だったんだから……」
『す、すみません。たとえが悪かったですね……まさか本当にあった話だとは。流石マスター……』
「おい、それ褒めてないだろ」
『―――こほん。失礼しました。では、改めて別の例を。
例えばの話です。名のある凶悪犯が逃げ込んだ街があって、その街で殺人事件が起こった場合、マスターはフラットな目線で事件を捜査できますか? 他に容疑者が居たとしても、無条件に凶悪犯の関与を疑ってしまうのでは?』
―――それは、と思わず口籠るジャクザール。
仮定を否定できなかったからではない。
その否定しきれない仮定のお陰で、イヴが何を言わんとしているのかを、ここで初めて理解したのだ。
「―――まさか、君は」
『はい。ですがこれは、あくまで可能性の話です。わたしは実際には、偶然が生んだ虚像を見ているに過ぎないのかもしれません』
明言を避けたのは、イヴのほうにも確証はなかったからだ。
それでも、その碧眼は言っていた。この仮説こそ真実に違いない、と。
なぜならば。
『ですが……名工ラズディアス・ランジェーロの息子、クレイス・ランジェーロ。
彼の存在を加味すると、あらゆる情報が仮説に符号してしまうのです』
彼女から見て、既にパズルのピースは揃っているのだ。
まだ細部は穴あきだが、ひとつひとつの破片は矛盾なく符合し、真実という絵を朧気に映し出している。
それはジャクザールでは辿り着けなかった“可能性”。
ゆえに、本来指揮を執るべき隊長は言った。職責の放棄ではなく、その逆、隊長としてより部下の適性を活かすために。
「―――いいだろう、君の手柄だ。ここから先の作戦は任せるぞ名探偵。
この事件、君の頭脳で見事解決に導いてみせろ」
『オーダー、謹んで拝命します。
イヴ・エメスの名に懸けて、我がマスターに確実な成功を約束しましょう』
かくて、その人形は参謀となった。
機械の記憶力と高速の思考で真相を暴く部隊の頭脳。
コカトリス事件に見出した『三つの疑問点』を解き明かすべく、今、正確無比な思考の歯車が動き出す―――。
と、丁度そんな場面で戻って来た家出魔女が
彼女は窓から顔を出して―――正確には顔を室内に入れて―――中の想い人に呼びかける。
「ジャックー。近くに肥えた魚の泳ぐ川を見つけたのだが、夕餉にどうだ……む? もう日暮れというに、なんだこの真面目くさった空気は。腹が減っておらんのか?」
そんな魔女サマのご帰還に、思わず顔を見合わる室内の主従。
「……20分、か。うん、やはり君の読みは信頼できそうだ。いや、この場合は不安になるべきなのかな……」
『はい。こうも見事に鳥頭ですと、流石に仲間としては不安です……』
「???」
二人の言葉の真意が分からず首を傾げるレフィーリア。
その様子をますます頼りなく感じ、溜息をつく主従であった。
……それと。
夕食は館が用意してくれるので、その魚はリリースしてよね魔女サマ。