異世界帰還TS美少女Vtuber、田中エンフィールド 作:恥谷きゆう
私とは何か。他者から観測される私こそが私なのか、あるいは自己の認識する私こそが私なのか。
こういった思考について、社会心理学では、客我(me)と主我(I)という語を用いて説明されている。
自分の思う自分と他者の思う自分は時に乖離する。それが社会に適応するということなのかもしれない。
私はそれを、気持ち悪いと思った。
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【AJAX】二枠目! マスター耐久!【陽乃屋 ヒノメ/リブライ】
陽乃屋 ヒノメ/Harunoya Hinome
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| ・配信時間ヤバい ・疲れてない? ・ポイント的には次でいってもおかしくない ・相変わらずの配信モンスター ・がんばれー! |
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「疲れてるって? んー……いーや全然、まだまだでしょ!」
既に配信時間は15時間を超えていた。途中で小休憩を挟んでいるとはいえ、睡眠不足の影響も出てきている。
パーティーを組んでいた相手もいなくなって、雑談で気を紛らわせることもできなくなった。今は完全にソロプレイヤーだ。
それでも、気持ちはまったく負けてない。陽乃屋 ヒノメはそういうVtuberだ。
エナドリを飲んで脳を起こす。この甘ったるい味にもすっかり慣れたものだ。
次のマッチの始まったので、気を引き締める。
バトルロワイアル形式のFPS、AJAX Soldierにおけるマスターランクは上位3%のプレイヤーのみが到達できる超高ランク。そこに到達しようと言うのだから、時間も気力も必要だろう。
そもそも、私はFPSの歴が短い。10年選手もザラにいるオンライン対戦ゲームの世界において、経験値の差は大きい。それを根性で埋めようとするのが、陽乃屋 ヒノメというVtuberだった。
「よっしゃ、これで決める! アルティメットファイナルラスト!」
・次こそいけるよ!
・チャンピオンでマスターいける
・ラスト!
自分でも何を言っているのか分からなくなりながら操作する。
エナドリの力で頭は冴えているはずだ。
飛行機から降下してすぐにマップ内の武器を探す。すぐ近くで足音。早く応戦しなければ……!
サブマシンガンを拾ってダッシュ。不意をついて敵の背中へ斉射。
「やったワンダウン!」
敵を倒せた喜びを口にしながらリロードと回復。
そばで別の銃声がしたので、すぐさま向かって味方の援護。
二人ダウンさせれば後はもう消化試合だ。
最後に残った一人を仕留めて1パーティー壊滅。最初の戦闘は勝利だ。
「やっっった! 初動勝った! これで後は順位盛るだけ!」
興奮が抑えられない。ここ数試合は冷める展開ばかりだっただけに、期待が高まる。
それからの判断も冴えわたっていた。
マップを見て最終安全地帯を予測。先んじて移動し、見えた敵を牽制する。
早めに高い建物に陣取り、近づいて来た敵を迎撃する。安置が狭くなれば敵も近くなる。高所から敵同士の戦闘に割り込み、キルポイントを稼ぐ機会が発生する。
「来た、最終安置近い! これ絶対イケる! 爆撃して突っ込んで蹂躙してgg!!」
・これいけるよ!
・ついにマスターの景色が……!
・がんばれ
・これはある!
カウントダウンが終了し、リングの縮小が始まる。
敵の激しい銃声が聞こえてくる。まだ飛び出さない。
一部隊が壊滅したログが流れる。まだだ。
部隊員の欠けた弱いパーティーから続々と潰されていき、残ったのは三パーティー。ここまで来ると後何人残っているかすら分からなくなる。
安全地帯が狭まってくるとじりじりとした緊張感から手に汗が滲む。
味方も状況を分かってくれている。突撃するなら最後に、思いっきり。
「──今ッ!」
私がウルトを発動するのと同時に一気に前に出る。
ウルト──範囲爆撃はエリアが狭まった時こそ真価を発揮する。
エリアを一気に潰し、敵を不利ポジションへと追い込む。敵の展開できるエリアが狭まれば、こちらのエリアが広がる。部隊を横に展開し、射線を増やす。狭まったエリアに投擲物を投げ込み敵を炙り出す。
プレッシャーをかけるうちにダウンが生まれる。三部隊目が横やりを入れてくるが、アビリティのシールドで攻撃を防ぐ。
順調に敵が減っていき──
「やったあああああ! チャンピオン!! マスター!」
やっと……やっとできた……!
達成感で胸がいっぱいになる。急激に加速したコメント欄を見て、さらに心が温かくなった。
「みんな応援してくれてありがとう! スパチャもありがとうね! また別枠取ってお礼するから! 絶対!」
緊張が解けたら一気に眠気が回ってきた。ふわふわという浮遊感と共に視界が点滅する。この調子では、たくさん送ってもらったスパチャを全部読めそうにない。
お礼を言って、配信を閉じる。
そしてすぐに、ベッドにダイブした。
「ふぅ……」
興奮していた頭が冷えると、冷静な思考が戻ってくる。まるで熱く滾るマグマが体から抜けていったかのようだった。
昔からの私の悪い癖だ。ふと一人になると、うじうじと益の無いことを考え出す。興奮していた自分を客観視して、誰かの前に曝け出した私を俯瞰する。そうして、嫌悪感に浸るのだ。
結局私は、どうしてマスター到達なんて高い目標を掲げたんだっけ?
つらい思いをして、みんなに応援してもらって、どうしてゲームをしていたのだろうか。
もちろんゲームが楽しくて配信が楽しいから、というのはある。
けれど元々は、別の事を考えていた気がする。
何事か成し遂げて、何者かになりたい。そこから始めた目標設定だった。
元々の願いは、達成できただろうか。
……できていない、気がする。
何者かになる。その願いはまだ、叶えられていない。
何を以てそう思うのか、自問自答する。
みんなに愛してもらっているのは「陽乃屋 ヒノメ」だ。私じゃない。
結局のところ、これにつきるのだろう。
本当の私は個性のない普通の女子大生だ。
そんな自分がイヤだったから、Vtuberという存在を志した。
最初はうまくいったと思った。「陽乃屋 ヒノメ」になった私は、いつもより元気で、大胆だった。
予想していたよりもずっと多くの人に応援してもらっている。
けれど、それは私ではない。いつからか、そう思うようになってしまった。
グルグルと回る思考はしばらく私の頭を支配した。長い間目指していた目標を達成したことで、脱力感みたいなものに襲われていたのかもしれない。
配信活動をしていない時でも、ふとした時に私は何者かになれたのだろうかと考えてしまう。
その答えは見つからないままだった。
◆
カフェの奥の席で待っていると、眼鏡をかけた小さな女の子がこちらに歩いてくるのが見えた。
「ヒノメ~! 久しぶり。マスターおめでと!」
「フィーちゃん! ありがとう!」
田中エンフィールドとはすっかり悪友と呼ぶべき関係だ。
配信でコラボするだけでなく、オフでよく会ってご飯を食べる。
結構な回数会っているけれど、いまだにこの謎めいた少女の素性は分からずじまいだった。
彼女は既にパンケーキを注文して食べていた。フィーちゃんは甘いものが好きらしく、会うたびに何かを食べているイメージだ。そういうところは見た目相応に幼い。
私も注文を済ませて水を飲む。
「いやー、マスター到達しちゃったってことは、ヒノメのAJAX配信もしばらく見れないのかな?」
「そんなことないよ! 今度はマスターでやってる人とパーティー組みたいなって」
「おー、いいねえ。そのうちストリーマー大会とか出ちゃったり?」
「そ、出ちゃったりね!」
いつの間にか、私は元気な私になっていた。ちょうど、配信をしている時と同じテンション感だ。
ああ、なんだか彼女と話していると自然と元気になる。悩んでいたのが馬鹿みたいだ。
──あるいは、これもまた「陽乃屋 ヒノメ」としての仮面を被っているからだろうか。
友達のように遊んでいても、彼女は事務所の同僚。その枠組みから外れることはないだろう。
それが少し、寂しい。
そんな風に考えていると、彼女は私の顔をじっと見つめていた。少し間をおいてから、会話を振ってくる。
「大学はどう?」
「んー、講義は変わりない。でも、最近は就活の話ばっかり聞いてるからイヤになってきちゃう」
就活のことは、正直言うと考えるのがイヤだ。選択の結果が重すぎて、考えたくない。
私の場合は特に、就職しないでVtuberとしての活動で生計を立てるという選択肢もある。
その傍らでアルバイトをしてもいい。
もしも週五日働くとなれば、活動の頻度は大きく落ちるだろう。
正直言えば、大学を卒業しても今の活動を続けたい。
けれど、多くの就活エージェントは決まり文句のように「新卒という肩書は強い」と強調してくる。
Vtuberとしての活動で生計を立てる選択肢もある。けれど、それで就職しなければ個人事業主としての不安定な収入に頼るしかなくなる。
そんなことをフィーちゃんに話す。
なんでもないような態度で聞いた彼女の第一声は、気楽な調子だった。
「ふーん。うちで働く? メイドとして」
「……冗談だよね?」
「ハッハッハ!」
彼女は返答せずに豪快に笑った。
いくら彼女の実家が太いと言えど、人を一人雇うような権限はないだろう。そう思ったが、この様子ではあながち冗談でもないのかもしれない。
「ま、真面目に就活なんてしてないボクが言うのもあれだけどさ。今が楽しいなら活動続けていいんじゃないかな。今のところリブライ二期生は全員好調だよ」
「そう、なのかな……」
「陽乃屋 ヒノメ」であれば、おそらくそう判断しただろう。Vtuber事務所リブザライブは立ち上げから好調を維持。予算もつぎ込まれ、三期生の募集も開始している。
けれど、何も纏わない私はそんな決断ができるほどの勇気がなかった。
「どうして迷っているの?」
そんな内面を見透かすように、彼女は私の瞳を覗き込んできた。
「どうしてって……」
「ヒノメなら、迷わないと思ったから」
そんなのはフィーちゃんの思い込みだ。そう言い返すのは簡単だ。
けれど不思議と言葉は出なかった。喉の奥に何かがつっかえたように、言葉が出ない。
ヒノメなら。それはいったい、誰のことを指しているのだろう。
「まあ、ボクみたいに社会の苦労を大して知らない人が理屈を解いても説得力がないだろうからさ。ここは一つ、魔法の力で試してみない?」
「……試す?」
彼女は妙に迫力のある笑みを浮かべた。
直接対面しているからこそ分かることだが、彼女はたまに雰囲気が変わる。
無意識に身構えてしまうような不思議な圧。
それを感じ取った私は恐る恐る彼女の顔を見た。
「そう。ヒノメの考えている事を要約すると、こうだよね」
そう言って彼女は、改めて私の瞳の奥をじっと見つめた。
「個性がなくて取り柄のない自分と陽乃屋 ヒノメが同一の存在とは思えない。自分はもっとつまらない人間だ。じゃあ、試しに強力な個性を付けて配信してみようよ。たとえば──」
そこから先の言葉は、不思議と記憶に残っていなかった。