悠久の彼方より   作:時-トキ-

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第11話

 

      *** ***

 

史耶のアドバイス通り迷子にならないよう、一旦は見覚えのある屋敷の裏手まで戻り、そこから改めて別の方向へと探索を開始することにした。

生い茂る竹林を横切る。

ちょうど、先ほどの森と屋敷の中間地点あたりに差し掛かった時のことだ。

空を覆うほどに密集した竹によって朝の光が完全に遮られ、ひんやりと薄暗いその場所に、一歩足を踏入れた瞬間────「それ」は突如として現れた。

私から僅か3メートルほど離れた、何もない空間。

不気味な音を立てて、青白い炎が虚空に燃え上がったのだ。

炎は重力を無視して宙にゆらゆらと浮かび、生き物のように怪しく揺れている。

その色、そのおぞましい形から連想されるものは、ただ一つしかなかった。

(ひ、人魂(ひとだま)……っ!?)

前述した通り、私はお化けや幽霊といったオカルトの存在を一切信じないタイプだ。

だが、現実にこんなSF映画のような現象が目の前で起きてしまえば、ホラー耐性ゼロの女子高生がパニックにならないわけがない。

私は恐怖のあまり全身の血の気が引き、ガタガタと身体を震わせながら、ゆっくりと後退りした。

しかし、その『人魂』は、まるで私の恐怖を感知したかのように、じわり、じわりと距離を詰めて追ってくる。

私の足は恐怖のあまり完全に蛇に睨まれた蛙状態となり、逃げ出す力さえ奪われ、やっとの思いで一歩、二歩と後ろに下がるのが限界だった。

すぐ耳元で、空気が激しく爆ぜるような音がした。

恐怖に悲鳴を上げそうになりながら視線だけを向けると、なんと、私のすぐ真横の空間にも、全く同じ青白い炎が新しく浮かび上がっていた。

それを皮切りに、恐怖の連鎖が始まる。

連続して空間が爆ぜる音が響き、気付けば私の周囲を360度取り囲むように、無数の人魂が幾つも幾つも発生していた。

私はその場にへたり込みそうになる身体を必死に縮こまらせ、歯の根が合わないほどに震えた。

引いては、残された全ての肺活量を振り絞り、狂ったように叫び声を上げた。

「嫌ぁぁぁぁーーーーーーっ!! 誰か助けてーーーっ!!」

もしかしたら、この広い敷地のどこかにいる誰かが、私の悲鳴を聞きつけて駆けつけてくれるかもしれない。

その、藁にもすがるような思いだった。

鼓膜が破れんばかりの悲鳴の後、静まり返った竹林に、一瞬の沈黙が訪れた。

そして、勝利を確信したような、信じられない音が響き渡った。

「ギャハハハハハハハッ!!! 傑作!!!」

下品で、信じられないほど腹の立つ笑い声。

私の脳内メモリーが、一瞬でその声の主を特定した。

怒りに任せて声のする方向を振り返ると、そこには案の定、竹の幹に寄りかかって腹を抱え、涙を流しながら笑い転げている当麻の姿があった。

「クックク……ッ! すっげービビってやんの!『誰か助けてー』だってよ! ギャハハハ!」

彼のクソガキすぎる態度を見て、私はようやくすべての点と線が繋がった。

「ちょっと……! 今の、全部あんたの仕業なの!?」

当麻は込み上げる笑いを必死に堪えながら、返事をする代わりに、私に向けて人差し指をパチンと鳴らした。

その瞬間、私の周囲に浮かんでいた無数の人魂たちが、一斉に彼の指先へと吸い込まれ、一瞬にして消滅した。

「どーだ? マジで幽霊が出たと思っただろ? 最高のリアクションじゃん!」

私は恐怖のあまり未だに腰が抜けそうになっており、地面に手をついたまま、それを底意地悪く面白がっている当麻に対して、人生最大級の怒りが沸点へと達した。

(このクソガキ、絶対にただじゃおかない……!)

怒鳴り散らしてやろうと、大きく深呼吸をして立ち上がろうとした、その時。

植物を掻き分け、鋭い風のうねりとともに史耶が林の奥から飛び出してきた。

さらに、彼のすぐ後ろからは、ただ事ではない形相の伊織さんと武さんまでもが同時に駆けつけてきた。

私は当麻に直接文句を言うのをやめ、駆けつけてくれた大人チームに向けて、彼がどれほど凶悪でタチの悪い悪ふざけをしたかを、半泣きになりながら全力で告発した。

事の顛末を聞いた瞬間、史耶と伊織さんは揃って特大の呆れ顔を浮かべた。

武さんだけは、相変わらず何を考えているのか分からない、完全な能面のような無表情だったけれど。

「……おい当麻。お前、マジでいい加減にしろよ?」

長袖を乱暴に捲り上げながら、史耶がドスの利いた声で睨みつける。

「いーじゃん別に。ちょっとした防犯の予行練習になったろ?」

当麻はこれっぽっちも悪びれる様子もなく、ケラケラと笑いながら鼻を擦った。

「……よくはありませんよ。当麻くん」

伊織さんが、これまで見たこともないような冷徹な笑顔で、重苦しい溜息をついた。

彼の周囲の空気が、まるで怒りに応じるようにピキリと冷たく張り詰める。

「この異常な緊張状態の中で、鈴さんのあのような悲鳴を聞かされたら、私たちの心臓がどれほど縮み上がるか……少しは想像力を持ちなさい」

「どんな状況か」は私には分からなかったけれど、伊織さんの放つオーラが本気で怒っていることだけは伝わってきた。

「ちぇー、お堅いねぇ。でもマジで面白かったぜ? 鈴のあの、鳩が豆鉄砲食ったみたいなマヌケな面!」

そう言って、当麻が再び大口を開けて笑おうとした、その瞬間だった。

突如として、当麻の笑い声が物理的に塞がれた。

見ると、なぜか彼の口の中に、数枚の青々とした竹の葉が、目にも留らぬ速さでへばり付くように強制的に突っ込まれていたのだ。

私が何が起きたのか分からず呆然としていると、さらに異常事態が続く。

当麻の足元が、まるで目に見えない何かに強烈に払われたかのように、フワリと前に跳ね上がった。

彼は完全に無防備な体勢のまま宙を舞い、次の瞬間には、背中から盛大に地面に叩きつけられていた。

ワイヤーアクションか、あるいは一人芝居のコントのような不自然極まりない転倒。

けれどそれが、この場にいる「不可視の力」を持つ誰かの仕業であることは明白だった。

それを行った張本人が、静かに口を開いた。

「……お仕置き」

腕を組んだまま、微動だにせず、いつも通りの冷徹な表情で佇んでいたのは────武さんだった。

その完璧に整った顔立ちからは感情の機微は一切読み取れなかったけれど、どうやら彼は、酷く不気味なくらい不機嫌らしい。

地面に転がって痛がりのたうち回っている当麻を、ゴミを見るかのような冷たい一瞥で見下ろすと、武さんはそれ以上何も言せず、無言で母屋の方へと歩き出した。

私は地面に転がったままの当麻を一瞥し、フンッと鼻で笑ってやると、急ぎ足で武さんの後を追いかけた。

私の代わりに、あのクソガキに完璧な鉄槌を下してくれたことへのお礼を、どうしても直接伝えたかったからだ。

しかし、慌てて追いかけてみたものの、彼の歩くスピードは尋常ではなく、気付けばその背中は遥か前方を歩いていた。

私は竹林の合間を、必死に小走りで追いかける。

「あ……あの! 武さんっ!!」

息を切らしながら、大声で彼の名前を呼んだ。

すると武さんは、ちらりと億劫そうに視線だけをこちらに流し、ほんの少しだけ進む速度を落としてくれた。

ようやく彼の真横に追いつき、彼の歩調に合わせながら、乱れた呼吸を整える。

「……何だ?」

武さんの声は、一切の抑揚がない、地層の奥底から響くような静かなトーンだった。

「あの、ありがとうございました!」

私は歩きながら、彼の端正な横顔を見上げて、精いっぱいの感謝を述べた。

「何のことだ」

武さんは、こちらを一度も振り向くることなく、淡々と問い返した。

「その……さっき、当麻にちゃんとお仕置きをして、私のお返しをしてくれたことです」

私の言葉に、武さんはピタリと足を止めた。そして、ゆっくりと時間をかけるようにして、私へと全身を向き直した。

「……勘違いするな。別にお前のためにやったわけじゃない。あいつのあの下品な笑い声が、耳障りだっただけだ」

あのガラス細工のように透明な光を放つ瞳が、まっすぐに私を射抜いて固定する。

言い方は冷たいけれど、その瞳の奥には、嘘をつけない彼の不器用な誠実さが透けて見えた。

「それでも……私はすごく嬉しかったです」

人間離れした、あまりにも綺麗なその顔に見惚れながら、私は素直な気持ちを口にした。

彼の纏う冷徹なオーラはあまりにも美しく、見る者を一瞬で魅了してしまう力がある。

彼がそこに佇んでいるだけで、周囲のありふれた竹林の風景が、一瞬にして色彩を失って霞んでしまうかのような錯覚さえ覚える。

私が彼の顔に見惚れて立ち尽くしていると────ふいに、彼の完璧な無表情が、見たこともないほど凶悪に険しく歪んだ。

これまで、彼がこれほどまでに感情を剥き出しにして警戒する姿を見たことがなかった。

私は心臓の鼓動を跳ね上げ、思わず彼の服の袖を掴みそうになる。

「ぶ、武さん……? どうしたんですか?」

 

「……風が、変わった」

 

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