どれほどの時間が経過しただろうか。
激しい感情の昂りが去り、冷ややかな現実の感覚が徐々に五感へと戻ってきた。
開け放たれた窓からは、真夏の容赦ない陽光が白い帯となって差し込み、熱を孕んだ風が部屋の空気をかき回している。
遠くで響く蝉時雨と、庭木の葉が擦れ合う微かな音。
私は手の甲で手粗に涙を拭い、顔を上げた。
当麻は、まだそこにいた。
微動だにせず、ずっと沈黙を守ったまま、窓外の景色に視線を据えていた。
「……もう、泣き止んだか」
組まれた腕の筋肉が、固く緊張しているのが分かった。
「ごめんなさい……」
一方的に感情をぶつけ、身勝手に泣き崩れた非を詫びる。
「取り乱して、ごめん」
私だけが苦しいわけではないのだ。
私は出会ったばかりだけど、みんなは一緒に修行してきた仲間。
そんな仲間の武さんが重傷を負ったというのに、彼が何も感じていないはずがない。
それを自分ひとりが被害者のような顔をして。
当麻は深く、肺の底から重い息を吐き出すと、頭髪を乱暴にかきむしった。
「馬鹿野郎っ」
低く、吐き捨てるような声だった。
「誰が泣くのを責めたよ。泣きたい時に我慢して、何が変わるっていうんだ」
「でも、私は何もできないのに、ただ怯えてばかりで……」
私が言葉を紡いでいる途中で、当麻は乱暴な足取りで距離を詰めると、私の頭を手の平で力任せにぐしゃぐしゃと揺さぶった。
「だから何だ」
当麻の顔が間近に迫る。
眉間に深い皺を刻み、射抜くような紅蓮を映し出す強い眼差しが私の瞳の奥を捉えていた。
「どうしていいか……本当に、分からないの。また誰かが傷つくのが、怖い…」
顔をくしゃりと歪めた。
堪えていた涙が、再び実を伴って溢れそうになる。
「……そうだな」
当麻の口元に、自嘲気味な、けれど酷く人間臭い微かな笑みが浮かんだ。
「凄まじく、怖いさ」
その言葉の響きに、私は思考を一瞬停止させた。
彼のような四獣の力を持つ異能の者が、内側にそのような生々しい恐怖を飼っているとは想像していなかったからだ。
私などよりも遥かに強靭で、迷いのない戦士なのだと思い込んでいた。
「お前だけじゃない。恐怖を感じているのは」
私の涙の流出が止まる。
目の前で、ひび割れたような歪な笑みを浮かべる当麻を見つめた。
「この得体の知れない力を、本物の戦いの中で振るうなんてな、怖くて反吐が出そうになる」
「戦うのは……初めてなの?」
「ああ」
彼は静かに肯定した。
彼らは物心ついた時から、あの禍々しい異形たちと死線を潜り抜けてきたものだとばかり思っていた。
「これまでは、身内の鍛錬やお遊びの延長でしかなかった。だが、いつか来る実践のために、俺はこの閉ざされた屋敷で、人生の全てを訓練に費やしてきたんだ」
当麻は自身の大きな手のひらを開き、その皮膚の紋様を見つめるようにしてから、骨が鳴るほどに強く握り締めた。
「武ほどの技量を持つ奴が、あそこまでボロボロにされるような敵だ。俺の力がどこまで通用するか、正直なところ、確信なんて持てやしない」
普段の尊大で自信に満ちた彼からは想像もつかない、冷徹なまでの自己分析であり、弱吐きだった。
私が出した答えを見つけられずにいると、当麻は人差し指で私の額を軽く小突いた。
「だけどな、やる以外の選択肢はねえんだよ」
その眼差しに、一筋の鋭い光が戻る。
「俺の全てを賭けて護ってやる。だから、お前は余計な心配で思考を濁らせるな。大人しく護られていろ」
その言葉の背後にある確かな覚悟に触れ、私の胸の支えが僅かに軽くなった。
「はいはい、そこまでにしてください」
部屋の入り口から、パンパンと手のひらを叩く音と共に、伊織さんの声が響いた。
いつの間に戻っていたのだろう。
私たちが視線を向けると、感情の読めない静かな微笑を湛えた伊織さんと難しい顔の史耶が佇んでいた。
「当麻、今から買い出しに行く。大荷物になりそうだから、お前もついて来い」
史耶が短く促すと、当麻は私に一瞥をくれ、無言で史耶の後に続いて部屋を出た。
「おばあちゃんは……?」
「儀式の準備のため、奥の祭壇の間へ入られました」
伊織さんが私の問いに答える。
「鈴さん。屋敷の周囲には一次的な防壁を施しましたが、敵の『気』は確実にこちらの隙を伺っています。決して、一人で敷地外へ出ることのないように」
その声音には、いつもの穏やかさの裏に、冷徹な警告が含まれていた。
私は深く頷く。
「それでは、私は武くんの様子を見に行ってきますが……」
立ち去ろうとする伊織さんの背中に、私は思わず声をかけた。
「私も、ついて行ってもよろしいでしょうか。武さんに、どうしても直接伝えたいことがあります」
伊織さんはその言葉に、一瞬だけ思案するような間を置き、「分かりました、行きましょう」と静かに首を振った。