悠久の彼方より   作:時-トキ-

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第23話

史耶を操る蔦が、役目を終えたように静かに私たちを地上へと降ろす。

「これは……っ」

伊織さんは、未だ周囲に残る深い闇を厳しい眼差しで見つめながら、ぽつりと呟いた。

そして、端正な眉を悲しげに顰め、痛ましさを堪えるように小さく言葉を漏らす。

「なんて、酷いことを……」

それは、敵であるはずの闇に対して、まるで深い同情を寄せるかのような、どこか哀愁を帯びた視線だった。

「伊織さん、これの正体は何なんだ?」

史耶が私を片腕で支えながら問いかけると、伊織さんは悔しそうに薄い唇を噛み締め、重いため息をついた。

「これは……成仏できずに現世に囚われ続けた、哀れな霊魂たちの成れの果てです」

「え……?」

私はあまりの衝撃に、小さな悲鳴のような声を漏らしてしまった。

「この世に強い未練や怨嗟を残した無数の魂が、引き寄せられるようにして怨霊となり、一つの巨大な『陰』を形成してしまったもののようです」

ずっとあの闇から漏れ聞こえていた、背筋が凍るようなあの不快な音───それは、救いを求めてもがき苦しむ、霊たちの悲痛な叫びそのものだったのだ。

そう理解した瞬間、私は恐ろしさの中にも言い知れぬ悲痛さを覚えながら、じっくりと目の前の闇を見つめた。

よく見ると、闇の輪郭は、幾重にも重なり合う人間の苦悶の表情や、伸ばされた無数の手のようにも見えた。

彼らは地を這い、もがき苦しみ、救いを求めるようにして、私たちに向かってゆっくりと距離を縮めてくる。

史耶が鋭い表情で片手を前方に突き出し、五指を大きく広げると、彼の放つ瑞々しい木属性の神気に呼応して、足元の草木が異常な速度で成長を始めた。

瞬く間に、幾重にも重なる強固な緑の結界が築かれ、怨霊の侵入を物理的に拒絶する。

「クソッ、次から次へと湧いてでてきやがる……!」

史耶は苦々しく舌打ちをして呟いた。

彼の言う通り、闇の数は衰えるどころか、周囲の陰気を吸ってさらにその数を増幅させていく。

しかも、それらは互いに融合を繰り返し、より巨大で禍々しい質量へと成長を遂げていた。

「戦うしか……ねえか」

史耶の口から漏れた声は、微かに震えていた。

彼の心にある強い躊躇いが、抱きすくめられた私にも痛いほど伝わってくる。

かつて伊織さんが静かに語っていた言葉が脳裏をよぎる。

この現代において、誰も『陰』と本気で戦った者などいないのだ、と。

先日、あの凄絶な戦いの中で武さんが神獣の力を引き出して戦ったのが、すべての始まりだった。

そして今、私達はいよいよ本格的な『陰』との過酷な戦いを開始しなければならない局面を迎えている。

私の全身は小刻みに震え続けていたが、この極限の状況下で、自分に何ができるのかを必死に模索していた。

私には彼らのように前線で戦う力などない。

自分にできることといえば、あの未熟で不十分な『気の治療』だけだ。

そんな微々たる力が、この絶望的な戦いの中でどれほど役に立つというのだろうか。

自分の無力さに、胸が締め付けられるように痛む。

 

「信じなさい……」

 

その時、伊織さんの穏やかで澄んだ声が、私の耳元で優しく囁かれた。

驚いて顔を上げると、伊織さんは私を見つめ、張り詰めた空気の中でほんの少しだけ、包み込むような優しい笑みを浮かべていた。

 

「あなたが私達を信じることで、私達は無限に強くなれるのです」

 

信じる、それだけで……本当にみんなの力になれるのだろうか?

私が不安と期待の入り混じった瞳で問いかけると、伊織さんは深く、力強く頷いてみせた。

私の、みんなを救いたいという切なる願いと、彼らを信じる心が力になるのなら───。

私は、みんなを信じる!

みんながこの過酷な戦いを無事に生き抜き、勝利を掴み取れるよう、私は絶対に信じ続ける!

胸の内で震えを捩じ伏せるように、私は何度も何度も強くそう唱えた。

その瞬間、周囲の空気が圧倒的な密度へと変化し、重厚な圧力が場を支配した。

史耶と伊織さんの身体から放たれる神獣の気配───圧倒的な神気が爆発的に膨れ上がり、いよいよ本格的な死闘が開始されることを予感させた。

 

────シャンッ。

 

緊迫した空気を切り裂くように、その涼やかな音が響き渡った。

それは、今まさに始まろうとしていた激しい戦いの火蓋を、強引に中断させるかのような響きだった。

その音が鳴り響いた瞬間、あれほど激しく蠢いていた闇の動きがピタリと停止し、不快極まりなかった怨霊たちの悲鳴も嘘のように掻き消えた。

突然訪れた不気味な静寂に、私たちを守っていた緑の防壁も、ハラハラと崩れ去っていく。

当麻も、史耶も、伊織さんも、この異常な静けさに一層の緊張を走らせ、鋭い警戒の目を向けながらゆっくりと周囲を見渡した。

次の瞬間、これまでに体感したことのない、凄まじい瘴気の塊がその場に噴出されようとしていた。

鼻を突く強烈な異臭と、どろりとした生臭い血の匂いが、津波のように一瞬にして周囲の空間を包み込んでいく。

 

────シャンッ。

 

再び、闇の奥からあの冷徹な金属音が鳴り響く。

私はその音の正体に心当たりがあり、恐怖のあまり全身の血が凍りつくのを感じながら、激しく身体を震わせた。

この禍々しい音は……。

数日前に繰り広げられた、あの凄絶な死闘の記憶が鮮明に脳裏をよぎる。

この金属の擦れ合うような冷徹な響きは、あの時、武さんを無残に傷つけた謎の僧が持つ錫杖の音に間違いなかった。

全身の血が逆流するほどの圧倒的で禍々しい気配を思い出し、それがじわじわとこちらへ近づいてくる気配を察知して、私は恐怖のあまり息を詰まらせる。

怯えを完全に露わにしてしまった。

「────僧……だ」

私の唇から、乾いた掠れ声が無意識のうちに漏れ出た。

 

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