武さんの態度に私の心はチクリと痛んだけど、想いを巡らせる前に目的の部屋につく。
室内へ入り、みんなはそれぞれ腰を下ろした。
「戦況を……」
おばあちゃんは、最初にみんなに労わりの言葉を述べるなどはなく、突然そう言った。
それに少し腹をたてそうになったけど、今は一刻を争うのかもしれない、そう思い直す。
「前回と同じく、僧らしき姿の者が現れました」
伊織さんが静かに説明を始める。
私はそれに耳を傾けながら、目の前で起こった戦いの様を思い起こす。
私が普通に生活していたら、到底理解できないことが目の前で起こった。
現実だとは思えない恐怖が体を駆け巡った。
本当は自分はすごく怖いと思っていた。
だけど今、全身で恐怖を感じているにも関わらず、背負わされた宿命を静かに受け入れようとしている。
ここから逃げだそうとは、思えなかった。
「そして闇を含め、陰は波が引くように去っていきました」
伊織さんは言葉を締める。
伊織さんの説明では、あの時現れた武者の亡霊は激しい戦闘を引き起こし、忽然と姿を消したという。
史耶もそれに頷く。
私が意識を失いかけている間に、突然陰の気配はすべて消え去ったらしい。
「あのまま戦い続けたら」
と、伊織さんは顔を顰める。
戦い続けたら、自分たちは負けていたでしょう。
そう述べようとしていた。
敵の戦力は予想を遥かに超え、三人がかりでも太刀打ちできなかった。
私が見た伊織さんの脅威のパワーでも為す術がなかったというのだろうか。
少し絶望的な想像をして、それでも私はみんなを信じると心に決めたのだから、光はあるのだと自分に言い聞かせる。
「まだ、戦いは始まったばかり」
おばあちゃんはゆっくりと、室内に響くような声音で述べた。
それは今から不利な戦いが続くという暗いニュアンスではなく、これから道が開かれるといった希望を含んだものだった。
「まずは、武」
おばあちゃんは厳しい面持ちで武さんを見る。
「あなたは臆することなく自分の力を発揮なさい。自分の力に自信を持つのです。それは人を傷つけるためにある力ではない。ここにいる全てを救える力なのです」
おばあちゃんの言葉に、武さんは目を伏せてそれを強く噛みしめているようだった。
「伊織」
「はい」
おばあちゃんの呼びかけに、伊織さんは背筋を伸ばす。
「負の者に耳を貸してはいけない。お前は自分を持ち続けるのです」
伊織さんは正座をしたまま、両手をついて深くお辞儀をした。
「史耶」
「は、はい」
史耶は崩していた足を正座に戻した。
「恐れることはない。自分を、仲間を信じなさい」
史耶は唇を噛み、深く頷いた。
「最後に、当麻」
当麻は何を言われるのか、といった感じで、おばあちゃんに視線を送る。
「お前は自分を驕ってはいけない。一人で闘ったり、一人で背負いこんではいけません」
いいね?と、おばあちゃんは身内を叱るように優しく、厳しく言った。
おばあちゃんはみんなに言葉を与え、ゆっくりと見渡した。
それぞれがおばあちゃんの言葉を噛みしめて、厳しい表情を浮かべている。
「鈴」
突然おばあちゃんの視線が私に向けられ、私も慌てて姿勢を正した。
「お前は自分自身の身を案ずることを先決なさい。誰が傷ついても、誰が倒れても、あなたはその者を置いて逃げなさい」
おばあちゃんは冷酷な言葉を私に投げる。
私はそれに一瞬驚き、反論しようとした。
「でも……」
「お前もいずれわかる。誰の命が優先されるのか」
おばあちゃんは強く言う。
優先される命。
それは私の命のこと?
私の命はここにいる誰よりも、優先されるというの?
そんなに重要な命なのだろうか。
私はそうは思えない。
私は、私の命はとても軽い。
軽くて、不安定で、だから風がふけばすぐに揺らいでしまう。
何かで止めていないと、私はどこにでも飛んで行きそうで。
風船みたいな、軽い軽い存在だと思っていた。
みんな神妙な面持ちで、口を開こうとしなかった。
おばあちゃんの最後の言葉を否定しようとする者もいない。
みんな、それは最初からわかっているといわんばかりだった。
「また、明日話しをしましょう。今夜は体を休めなさい」
おばあちゃんはそう言ってすぐに部屋を出て行く。
それから、それぞれ沈黙のまま立ち上がり部屋を後にする。
重い沈黙を引きずったまま自室へと戻ろうとした。
「部屋まで送ります」
伊織さんが最後に部屋を出て、私のすぐ隣を歩いた。
みんなはとっくに屋敷を後にしていて、私はみんなのさみしい背中を追うことなく自分の歩調で歩く。
伊織さんはそれに合わせてゆっくりと歩いた。
軋む音が二つ、廊下に響く。
「伊織さん」
私の呼びかけに、伊織さんはいつもの笑みで返事をする。
「はい、なんでしょう」
その柔らかな笑みを見た瞬間、自分の心の重さが少し緩和されて、伊織さんに語るべき言葉を見失ってしまった。
だから代わりに、
「怪我の具合はどうですか?」
と言った。
「私は大丈夫です。だから、治療をするなら武くんや当麻くんを優先してください」
伊織さんは親切な優しい響きで私に言った。
「今日は疲れているでしょうし、あまり考え込まずに寝るんですよ」
私の部屋の前で伊織さんは言う。
本当はそんな自信はないのだけど、「はい」ととりあえず返事をする。
私が部屋のふすまを開けて、中に入ろうとしたとき、「そうそう」と伊織さんは思いだしたように言う。
「あれは間違いなく人工呼吸ですので、安心してください」
振り返った私に、伊織さんは平然と言う。
「え?!」
それが何を意味するかすぐに理解して、一瞬のうちに私の顔は炎を上げるほど熱を帯びる。
「み、み、見てたんですか?!」
史耶との、あの場面を。
伊織さんは相変わらず柔らかな笑みを浮かべて「いいえ」と言った。
「聞いただけです」
誰に?と聞こうとしたけど、伊織さんが誰から聞いたのか、なんとなくわかってしまった。
幽霊って、あんがいおしゃべりなんですね。
伊織さんはフフと、笑ってから「おやすみなさい」と廊下を歩いて行った。
伊織さんのおかげで頭の中は戦いのことから逸れてしまった。
代わりに違うことで、布団の中、悶絶するはめになる。