悠久の彼方より   作:時-トキ-

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第4話

      *** ***

「夕食まではまだ時間がありますから、のんびりしてくださいね」

恵子さんにはそう言われたけれど、部屋にはテレビもなければ、時間を潰せるゲームも本もない。

スマートフォンも相変わらず圏外で、ただの文鎮と化している。

あまりにも暇を持て余した私は、気分転換を兼ねて、広い屋敷の敷地内をぶらぶらと散歩することにした。

陽は徐々に傾き始め、高い竹林に囲まれたこの敷地には、都会よりも一足早く夜の帳が下りようとしていた。

昼間の肌を刺すようなギラギラした暑さは影を潜め、通り抜ける風は驚くほど穏やかで涼しい。

セミの声に代わってヒグラシの切ない鳴き声が響き始め、涼むにはちょうどいい気温になっていた。

敷地内を探検するつもりで、母屋の周囲をぐるりと歩いてみる。

そこで私は、この敷地が思った以上に特殊な構造をしていることに気づいた。

立派な母屋を中心に、古めかしく頑丈そうな「蔵」が一つ。

そして、それを取り囲むように、小さな、けれど物置にしてはあまりに小綺麗で立派な一軒家のような建物が、綺麗に四つ配置されていた。

(何だろう、これ……。みんな同じ形だけど)

好奇心に駆られ、そのうちの一つにそっと近づいてみる。

中を窺おうとした、その時だった。私の足音に反応したかのように、建物の木製の扉が勢いよく開いた。

「わっ!?」

まさか中に人がいるとは思わず、短い悲鳴を上げて硬直する。

開いた扉の向こうから姿を現したのは、切れ長の鋭い目つきをした人物だった。

とにかく背が高く、私は自然と見上げる体勢になる。

「もう食事の時間か?」

低いけれど、どこか大雑把な声。周囲を見渡しても私しかいないので、彼が私に話しかけているのは明白だった。

「あ、いえ! 違います、ちょっと散歩をしてただけで……」

心臓のバクバクを必死に抑えながら答える。 男の人は、私のことを頭から足元までじろじろと観察すると、「ふん」と鼻を鳴らした。

「あんたが、鈴か」

(やっぱり、この人も私のことを知ってるんだ……)

本日何度目かも分からない事実に、私はもはや驚く気力もなく、諦め混じりのため息をつきながら頷いた。

すると男の人は、野生的な、けれど不思議と安心感を与える逞しい笑顔を浮かべた。

「俺は蒼井史耶(あおいふみや)。まあ、短い間だけどよろしく頼むわ」

見たところ、年齢は私と同じくらいだろうか。

今日出会った人たちは、どこか丁寧すぎたり、冷たすぎたり、距離感がバグっていたりと極端だったけれど、この史耶という男の子には、一番普通の「同世代の男の子」としての親しみやすさを感じた。

高校のクラスメイトと話しているような感覚に、ここへ来て初めて、肩の力がふっと抜ける。

史耶…くんは、と口を開いた私に、呼び捨てでいいよと言われので仕切り直しながらたずねる。

「史耶は、ここに住んでるの?」

開いた扉の奥を盗み見ると、そこは物置などではなく、シンプルながら生活感のある、きちんとした個室になっていた。

「そうだけど。何? 入りてえの?」

からかうような視線に、私は両手を激しく振って否定する。

「ち、違います! 全然違います! 他にも同じような建物があったから、気になっただけで!」

慌てる私を見て、史耶は「あはは、分かってるよ」と笑いながら、周囲の建物を指差した。

「この母屋を中心にしてさ、西にあるのが武さん、南が当麻、北が伊織さんの部屋。で、東のここが俺の場所。……って、まだみんなのこと説明されてねえかな?」

言われた全ての名前に聞き覚えがあった。

「名前は一応、さっき全員分聞いたけど……」

「そっか。じゃあ、俺が一番最後の対面だったわけだ」

史耶はポリポリと鼻の頭を掻くと、完全に外へ出て扉を閉めた。

私はずっと胸に引っかかっていた、一番の疑問を彼にぶつけてみることにした。

「あの……みんな、ここで何の『修行』をしてるの?」

「は? あんた、まだ何も聞かされてねえのかよ」

史耶が本当に驚いたように目を見開く。

木々の隙間から差し込む西日が、赤く揺れながら彼の横顔を照らしていた。

少し粗野で、けれど真っ直ぐな印象の史耶を見つめながら、私は奇妙な感覚に捉われる。

(あれ……?)

こうして彼と並んで夕方の道を歩くのが、なんだか「初めてじゃない」ような気がしてくるのだ。

史耶だけではない。

今日出会った伊織さんも、当麻も、武さんも。

初対面のはずの彼らの顔を見るたび、私の胸の奥を、えも言われぬ懐かしい感情がかすめていく。

絶対に、人生で一度も会ったことのない人たちなのに。

以前、どこかで一緒に過ごしたことがあるような、辻褄の合わない記憶の断片が頭を過り、私は混乱しそうになる。

無言のまま二人で並んで歩いていると、竹林の入り口に、一人の人影が佇んでいるのが見えた。

武さんだ。

彼の淡い白銀の髪は、沈みゆく夕日のオレンジ色に染まり、透き通るような白い肌が妖しく光を反射している。

彼は静かに目を閉じたまま、微動だにせず直立していた。

あまりの神聖さに、私は声をかけることも忘れ、ただ黙ってその姿に見とれてしまう。

静寂の中、彼がゆっくりと呼吸する音が、なぜか私の耳に直接届いているような気がした。

そんな距離ではないはずなのに、彼の規則正しい、静かな心音までもが、私の中に流れ込んでくるような錯覚。

その鼓動のテンポに合わせるように、私の心臓もまた、ドクン、ドクンとゆっくり同調して脈打ち始める。

その時、武さんの手が、おもむろに前へと差し出された。

すると何もないはずの彼の手のひらの先で、一陣の風が不自然に舞い上がり、小さな渦を作った。 つむじ風はくるくると砂を巻き上げ、まるで意思を持つ生き物のように彼の周囲を一周すると、ふっと煙のように姿を消した。

(嘘……。今、風を操ったの……?)

まさかそんな漫画みたいなことがあるはずがないと、私は自分の荒唐無稽な考えを否定しようとする。

けれど、消えたつむじ風の向こうから、武くんの瞳が、まっすぐに私を捉えた。

ガラス細工のように透き通ったその瞳に見つめられた瞬間、私の心臓は、同調を破ってドキンと大きく跳ね上がった。

「武さん、散歩ですか?」

私の隣で、ずっと静かに様子を窺っていた史耶が声をかける。

「ああ。そろそろ夕食の時間だと思ってな」

ゆっくりと目を開けた武さんの顔には、相変わらずミリの感情も浮かんでいない。

(やっぱり、この人のことはなんとなく苦手だな……)

心の中でそう呟きながらも、私は彼の圧倒的な美しさから目を離せずにいた。

儚げで、けれど確固たる『静』を纏った美。

女性でも、これほど綺麗な人は見たことがない。

風になびく白銀の髪が、長い睫毛が、彼の端正な輪郭に切ない影を落としていた。

「それじゃ、みんなで戻りますか」

史耶の言葉にハッとして、自分がまた武さんに見惚れていたことに気づき、顔が赤くなる。

私たちは三人で、ゆっくりと母屋の方へと歩き出した。

空の天井はいつしか深い藍色に染まり、竹林の向こう側に、わずかな夕日の名残が燃えている。

三つの足音だけが静かに地面を踏みしめ、周囲の闇へと消えていく。

無言の道中。

なのに、その情景が、その足音の響きが──── 私の胸に、痛いほどの懐かしさを込み上げさせる。

ドキドキと早鐘を打つ心臓を押さえながら、私は隣を歩く二人の横顔を見上げた。

やっぱり、初めて見る顔だ。

絶対に、知らない人たちだ。

それなのに、何故だろう。

この歩幅で、この空気の中、この景色を、私は確かに歩いたことがある。

────あるはずのない、遠い過去の記憶の中で。

 

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