悠久の彼方より   作:時-トキ-

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第5話

【-2-】

 

大ぶりの漆器や陶器の器に、目にも鮮やかで豪華な料理が所狭しと並べられていた。

山の幸をふんだんに使った煮物、つやつやとした焼き魚、美しく切り分けられたお造り。

これら全てを恵子さん一人で手際よく作ったというのだから、驚きと尊敬を通り越して最早あいた口が塞がらない。

私はといえば、自慢にもならないけれど料理の腕前は破滅的だった。

できないというより、これまでの人生で包丁を握ったことといえば、学校の調理実習ぐらい。

(今度、恵子さんに料理教わろうかな?)

自分の包丁を使う姿に恵子さんが絶望する姿が想像できて、やっぱりやめておこう、とため息をつく。

恵子さんに案内されるまま大きな食卓の席に座り、私はすっかり料理の美しさに目を奪われていた。

ふと意識を現実に戻して視線を上げると、いつの間にか、今日出会ったばかりの面々が全員席についていた。

あの「不審者至近距離男」こと当麻も座っており、私と目が合った瞬間に「ぷいっ」と露骨にそっぽを向いた。

(なによ。私が先に目を逸らしてやろうと思ってたのに!)

負けじと口を尖らせて彼を睨みつけていると、その様子を見ていた隣の伊織さんが「クスッ」と優しく 吹き出した。

私は心臓を跳ね上げ、慌てて俯く。

(最悪……変な顔を見られちゃった。恥ずかしい……)

「それでは、お食事にいたしましょうか」

全てのお膳を並べ終えた恵子さんが、一礼して告げた。

「あの、おばあちゃんは一緒に食べないんですか?」

私が尋ねると、恵子さんはふんわりと微笑んだ。

「椿様はいつも、自室でお食事を済まされるのですよ。それでは皆様、ごゆっくり」

それだけ言い残し、恵子さんは静かに部屋を退出していった。

「では、いただきましょう」

伊織さんの穏やかな声を合図に、それぞれがパチンと手を合わせ、一斉に箸を持った。

私は周囲の慣れた手つきに一歩遅れて箸を手に取る。

目の前の男の子たちは、すでに迷いのない動きで料理を口に運んでいた。

「あの……」

すぐ隣の伊織さんに、小声で声をかけてみる。

伊織さんはすぐに箸を置き、「はい、何でしょう?」と100点満点の笑顔で私に向き直ってくれた。

「恵子さんも、別の場所で食べるんですか?」

「ええ、そうですよ。ここはいつも男所帯のメンバーですからね。鈴さんが来てくれたおかげで、食卓に華が添えられて、私はとても嬉しいですよ」

あまりにも自然に、そして一切の衒いもなくそんな台詞を紡ぐものだから、私は顔から火が出るほど照れてしまい、慌てて視線を斜め下に落とした。

「あぁん? 華ぁ? 伊織、華ってのはな、もっとこう……美人で、ナイスバディな大人の女のことを言うんだぜ?」

当麻が両手を駆使してナイスバディのジェスチャーを宙に描く。

そして悪態をつきながら「ガハハ!」と下品に笑った。

(こいつ……! どこまで失礼な奴なの!?)

私は握りしめた箸をへし折ってしまいそうなほど、拳にギリギリと力を込めた。

「あなたみたいなお子様には、一生かかっても大人の女の魅力なんて理解できないでしょうね」

最大限の冷笑を込めて言い返してやり、仕上げに「ベー」と舌を出してやる。

「んだとぉ!?」

どうやら「お子様」というフレーズが彼の地雷を踏み抜いたらしい。

当麻の顔が一瞬で真っ赤に沸騰した。

「お前に魅力なんてあるわけねーだろ、この薄型テレビ! 貧乳!」

「ひっ……!」

ダイレクトに放たれた「貧乳」という罵倒に、私は思わず弾かれたように前かがみになった。

男だらけのこの空間で、全員の視線が私の胸元に集中するのだけは、何が何でも阻止しなければならない。

あいつ、よくも私が一番気にしてるコンプレックスを……!

激しい鼻息を漏らしながら、次なる反撃の言葉を探していると、「はいはい、そこまでにしましょうね」と、伊織さんが苦笑交じりに間に割って入った。

(うう……ついムキになって、子供の喧嘩みたいな低レベルな言い合いをしてしまった……)

しかも、今日会ったばかりの人たちの前で。

私は自分の大人げなさに、今度は恥ずかしさで顔を真っ赤に染め、肩を小さく竦めた。

「さあ鈴さん、冷めないうちに召し上がってください。恵子さんの料理は、本当に絶品ですから」

伊織さんは何事もなかったかのように柔らかい笑みを湛え、鈴を鳴らすような声で促してくれた。

(伊織さん、本当に良い人だなぁ……)

気を取り直して料理を口に運ぶと、それは文句のつけようがないほど美味しかった。

私はパクパクと食事を進めながら、目の前に座る不思議な男たちをこっそり観察した。

伊織さんは絵に描いたように美しく上品に箸を運び、武さんは機械のように黙々と、史耶と当麻は何やら楽しげに小突き合いながら、賑やかに食べている。

賑やかで、どこか温かい。

その光景を眺めているうちに、私の唇からは自然と柔らかな笑みが溢れていた。

なぜだか分からないけれど、胸の奥がじんわりと熱くなり、信じられないほどの多幸感が心を満たしていく。

────そしてまた、あの感覚が襲ってきた。

脳裏の奥底で、私の知らないはずの記憶と、目の前のこの光景が、パズルのピースのように「パチン」と音を立てて噛み合う感覚。

その瞬間。

温かかったはずの心の中から、怒涛のような、胸を引き裂くほどの圧倒的な「悲しみ」が溢れ出してきた。

「────鈴、さん?」

隣にいた伊織さんが、驚愕に目を見開いて私の顔を覗き込んできた。

その声にハッとした時には、すでに視界が歪んでいた。

自分の頬を、熱い大粒の滴がいくつも伝い落ちていく。

「え……? あれ、私、なんで……?」

自分が泣いていることに気付き、声を失う。

泣く理由なんてどこにもないのに、涙を止めようとすればするほど、私の意志とは全く無関係な場所から、涙が次から次へと溢れ出して止まらない。

「ごめんなさい……なにか、おかしい、の……」

紡ぐ声はかすれ、喉の奥から嗚咽が込み上げてくる。

自分のものではないような、けれど確かに私を支配する、正体不明の激しい感情。

その恐怖と不安がさらに涙を呼び、心の中で最悪の悪循環が回り始める。

すると、伊織さんがすっと私の横に膝をつき、大きくて温かい手のひらをそっと私の背中に添えた。

じわりと、彼の優しい体温が背中から衣服を通して広がっていく。

まるで体の中に心地よい清流が注ぎ込まれていくように、私の嵐のようなパニックは、徐々に穏やかな平静へと引き戻されていった。

ようやく涙が引き、恐る恐る顔を上げると、食卓の全員が一様に息を呑み、心配と驚きが混ざった複雑な表情をこちらに向けていた。

あまりの気まずさに、今度は顔から炎が噴き出しそうになる。

(初対面でいきなり情緒不安定に泣き出す女なんて、気味悪がられて当然だよね……!でも、私だってわけがわからないの!)

自分の身体の謎のバグに頭を抱えていると、伊織さんが静かに差し出してくれた温かいお茶の湯気が、目に優しく染みた。

それをゆっくりと、喉に流し込む。

「鈴、落ち着いたかい?」

突然、その部屋に、これまでの男たちの声とは明らかに違う「女性の声」が響いた。

声のした方を振り返ると、そこにはいつの間にか、一人の年老いた女性が佇んでいた。

小柄で、白髪を後ろできっちりと一つに束ね、その顔には幾重もの歳月を物語る深い年輪のような皺が刻まれている。

これまでの状況、そしてこの家の主であることを考えれば、答えは一つしかなかった。

私のおばあちゃん────神子椿。

実を言えば、私はおばあちゃんの顔を今の今まで知らなかった。

私の家にはおばあちゃんの写真が一枚も置いておらず、親からも詳細を聞かされたことがなかったからだ。

「おばあちゃん……?」

確信が持てず、恐る恐る尋ねる。

すると老女は、慈愛に満ちた、けれどどこか恭しい複雑な眼差しで静かに頷いた。

「大きくなったわね、鈴」

おばあちゃんが優しく微笑んだ瞬間、私の意識の地平に、幼い頃の記憶の残滓が微かに揺らめいた気がした。

その安心感に、私はようやく長く深い溜息を吐き出すことができた。

一見すれば、どこにでもいそうな普通の穏やかなお婆ちゃん。

けれど、その佇まいには言葉にできない圧倒的な威厳があり、その小さな身体からは、外見に見合わない強烈な『気配』が放たれているのを、私は肌で感じ取っていた。

「皆、食事は終わったかね?」

おばあちゃんのその一言で、部屋の空気が一瞬にして「ぴん」と張り詰めた。

さっきまでだらしなく足を崩して座っていた当麻でさえ、弾かれたように正座に直り、背筋を限界まで伸ばしておばあちゃんを見上げている。

私はその圧倒的な緊張感に気圧され、つられるように姿勢を正した。

「それじゃあ────『宝玉の間』へ移動しておくれ」

おばあちゃんは静かにそう告げると、踵を返して廊下へと歩き出した。

男たちも無言で、示し合わせたように立ち上がり、その後を追う。

「大丈夫ですか?」

伊織さんが横から、そっとエスコートするように手を差し伸べてくれた。

私は少し躊躇しながらもその手を握り、ゆっくりと腰を上げる。

「あの、伊織さん……『宝玉の間』って、一体?」

伊織さんはただ、含みを持たせた柔らかい笑みを浮かべるだけだった。

「ご案内しますよ」

私は歩き出した伊織さんの斜め後ろを歩きながら、みんなと同じ方向へ進む。

静まり返った広大な屋敷。夜の闇が濃くなる廊下に、私たちの足音だけが規則正しく響いていた。

 

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