【改訂版】ひねくれ姫王は美貌の伴侶に幻滅したい   作:のぎあおまさ

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第十話

 その後もどこか浮ついた雰囲気を引きずったまま夕食を終えたアルマは、早々に寝室へ引き上げた。流石に眠気も限界である。今夜は否が応でもよく眠れそうな気がした。窓の向こうに散らばる星の光さえ、今日ばかりはアルマの為に慎ましく瞬いているように見えた。のだが。

 

「その、陛下…」

 

 シーツの波を静かにかき分けながら寝床に身を横たえたシグナスが、躊躇いがちに呼び掛けてくるものだから、アルマの心はたちまち騒つき始める。

 

「どうした」

 

 極力穏当に尋ねたつもりであったのに、どうにも素っ気ない言葉が零れるものだから、アルマは内心己の不器用さに舌を打つ。やはり、慣れぬことはすべきでない。

 

 しかしこの男が日に二度も口籠るとは。普段は卒のない受け答えをする男であるが、次第に打ち解けるにつれ胸の内を明かす気になったのだろうか。

 

 そう思うと、悪い気はしなかった。

 

 アルマは男の目を見据えるとただ静かに次の言葉を待った。沈黙の中シグナスはその幽玄な瞳を水面のように揺らめかせていたが、やがて意を決したように口を開く。

 

「今夜も、手を握ってはくださいませんか」

「…は?」

 

 あまりに予期せぬ申し出に、アルマは己の耳を疑った。驚き、混乱、戸惑いが、たちまち思考を支配する。

 

 いやあれは、出来心というか、気の迷いと言うべきか、少なくとも理性の判断に従った行動ではなく。故に、そんな、面と向かって乞われると、どうにも、決まりが悪く。

 

 王として数多の戦いに臨んできたというのに、目の前の、たった一人の体温を想像しただけでこうも心が揺らぐとは。何とも情けない話である。

 

 拒むにせよ受け入れるにせよ、覚悟せねばなるまい。決断を下すべく押し留めていた息をゆっくりと吐きだした、その瞬間。シグナスが慌ただしい口調で先を続けた。

 

「い、いえ! やはり何でもありません、おやすみなさいませ」

 

 そう矢継ぎ早に言葉を並べ立てるや否や、シグナスは小さく身を丸めシーツの中に潜り込んでしまう。呆気に取られたアルマは、膨らみを帯びた寝具の曲線をただ眺めるほかなかった。

 

 …このまま眠りに就いてしまえば、今宵の些細なやり取りなど夜の彼方に置き去られ、代わり映えのしないこれまで通りの朝がやってくるに違いない。

 

 仮にシグナスが機嫌を損ねたとしても、男がこれまで秘してきた本性を垣間見る事が出来れば、その姿に幻滅する機会が訪れるやもしれぬ。とすれば、この奇妙な動揺に見舞われる日々からも解放される事だろう。よい事づくめではないか。

 

 ──けれども。

 

 数々の修羅場を経験した猛者としての勘が、ここで引くなと叫ぶのだ。

 

 

「シグナス」

 

 アルマが呼び掛けると男は僅かに身じろぎ、シーツの縁をほんの少し押し下げて躊躇いがちに顔を出す。夜目にも分かるほど整った容貌が、今は儚い翳りを帯びていた。

 

「へい、か」

 

 微かに震えた声が、夜の静寂を揺らす。

 

 すかさずアルマはシーツの端から覗く白い手を掴んだ。指先に触れた体温を、逃すまいと絡めとる。

 

 シグナスは俄かに目を見張り、暫しの間繋がれた自らの手とアルマの顔を交互に見やっていたが、やがてぎこちない仕草でその指先に力を込めた。ゆっくりと、これが夢ではない事を確かめるように。拒まれはしないかと、恐れるように。

 

「…ありがとう、ございます」

 

 不安と戸惑いに満ちていた男の顔が、そっと綻ぶ。

 

 それは普段の整いすぎた微笑みとはまるで異なる、心の奥底に満ち溢れた喜びがそのまま形を成したかのような、無垢で無防備な笑みだった。

 

 その安らかな表情に、アルマは思わず息を呑んだ。星明かりの滲む部屋の中、ただシグナスの姿だけが月光のように浮かび上がる。

 

 手のひらに伝わる温もり、(いとけな)くアルマを見つめる二つの瞳、耳をくすぐる息遣い。その全てが、今この瞬間の幸福を証明していた。

 

 羞恥も、躊躇いも、葛藤も。全てをかなぐり捨て、その結果得られたものがこの微笑みであるならば。己の選択に、悔いはない。

 

 そう、思えた────────────────────────────

 

 ──────────────────いやいやいや! 待て! ちょっと待て!

 

 自分は!決して!この男の笑顔見たさに手を差し出した訳ではないっ!!! その、あれだ、ガルドの王たる者が伴侶のささやかな願いすら無下にするような器の小さい女であるなどと誤解されては困る。ゆえに務めを果たした、それだけの事である。

 

 昨日この男の手を握ってやったのも、同じ事だ。あれは慰めではなく、自分は王に相応しい器量の持ち主であるという誇示。言わば、ルナリアに向けた対外的な主張であったのだ。

 

 ふう、我ながらよい言い訳を思い付いた…いや、これは言い訳ではなく歴とした事実である。間違いなく。

 

 どうにか理屈を積み上げ胸中の騒めきを押し殺すことに成功し、一息つこうとした矢先。

 

「陛下、その、申し訳ありません。妙な頼み事をしてしまい」

 

 長らく黙り込んでいたアルマに思う所があったのか、シグナスがおずおずと口を開く。

 

 ~~~~ああくそっ! そんな不安げな顔をするでない!

 

「…まあ、確かに。こんなマメだらけの荒れた手を望むとは、何とも妙な話だ」

 

 アルマとしては一応、場を和ますための冗談として口にした言葉であったのだが。シグナスは一瞬きょとんと目を丸め、やがて優しく首を振った。

 

「国を、民を守るために鍛え傷ついた手は、王冠すらも及ばぬ程に誇り高く尊いものである、と…私は、そう思うのです」

 

 囁くように、だが芯のある口調でシグナスは告げた。そのまま、繋がれた二人の手を愛おし気に見やる。剣を握り、血と汗にまみれた手を、じっと。

 

「…ふん」

 

 ただの冗談に、本気になりおって。

 

 だが、何故だか。そのたった一言で、これまで経験してきた苦難の全てが報われたような、気がした。

 

 アルマはさりげなく指を滑らせ、手中にある白い手の感触を確かめる。絹のように滑らかで、指は細く、節ばった所は一つも無い。戦場を知らずに生きてきた者の手だ。剣を握り、振るい、数多の命を奪ってきた自分のそれとは、あまりに異なる。恐らくは、大国ルナリアの皇子として何不自由なく育ったに違いない。

 

 その幸せを、妬ましいとは思わなかった。むしろ、安堵すら覚える自分がいた。

 

 心の喧騒が遠ざかるにつれ、瞼も緩やかに重みを増していく。アルマはそっと目を閉じ、穏やかな静寂に身を委ねた。

 

 後には窓の向こうの星々だけが、そっと二人を見守っていた。

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