【改訂版】ひねくれ姫王は美貌の伴侶に幻滅したい 作:のぎあおまさ
シグナスに贈り物をするとして、どう話を切り出すべきか。あの男が変に気負わぬようさりげなく、だがこちらの意図は伝わるように。暇を見つけて言葉を練るも、考えはまとまらず。
そうこうしているうちに夜の帳が落ち、月が星々の合間を駆け、空に黎明の光が滲み、朝食の準備が整い、席につき。食後の紅茶が出されたところでようやくアルマは切り出した。
「シグナス」
「はい、何でしょう」
アルマがその名を呼ぶだけで、シグナスは頬を緩めいたいけな眼差しをこちらに向ける。思わず逸らしかけた目を強引に引き戻しながら、アルマは一晩かけて考え抜いた台詞を口にする。
「何か、望みはあるか」
…その結果がこれとは。さりげなく、明快に。そんな当初の予定はどこへやら、あまりにぎこちない問いかけにアルマは我が事ながら頭を抱えた。
「望み…ですか?」
「欲しい物でも、やりたい事でも構わん。申してみよ」
対するシグナスはそんなアルマの苦悩すら愛おしむように目を細め、より一層柔らかく微笑んでみせる。
「いいえ、何も。身の回りの品は全て側仕えの皆さんが揃えてくださいますし、刺繍に用いる布や糸も十分手元にございますから。お気遣いいただきありがとうございます」
くそっ! この男のことだ、そう言うに違いないと思っていた。致し方あるまい。こうなれば出たとこ勝負である。
「先日、そなたから刺繍のハンカチを貰ったろう。その礼だ」
「それは…」
「ガルド王は礼儀知らずな不埒者などと思われては敵わん。我の顔を立てると思え」
王の名誉を盾に迫ればさしものシグナスも断りきれぬようで、端麗な面立ちに逡巡の影が滲む。美しい弧をかたどる唇が僅かに開き、また閉ざされる。降り積もる沈黙の中、アルマは辛抱強く次の言葉を待った。
「…では、恐れながら」
その声に、微かな震えを感じ。アルマは言い知れぬ焦燥に駆られ、努めて明るい声で先を促す。
「うむ。遠慮なく申すがよい」
「その…本を読む許可を、いただきたく」
「…本?」
なんとも神妙な顔でこちらを窺うものだから一体何を強請《ねだ》られるのかと思いきや、まさか本とは。あまりの無欲さに呆れて物も言えずにいると、向かいに座る男の顔が目に見えて強張っていくものだから、アルマは慌てて口を開いた。
「そんなもの、好きに読めばよかろう。書庫も自由に使わせてやる」
「…よ、よろしいのですか!?」
先程までの沈痛な面持ちとは打って変わり、その澄んだ瞳は夜空にひしめく綺羅星の如く輝いていた。
「本当に、なんとお礼を申せばよいのか…」
白磁の頬を淡く色づかせながら、子供のように声を弾ませるシグナスを見るに。ひとまず、この男にひと時の喜びを与えてやりたいという当初の目的は達成できたといえよう。
…が、何というか。釈然としない。
そもそも、本を読むのに『許可』など必要あるまいに。もしや己は、伴侶に対し本を読むことすら許さぬ狭量な女と思われていたのか?
いやまあ、一国の王たるこの身を軽んじるように振舞うよりかは遥かにマシなのだが。とはいえ、その。これでも我、寝床の中では毎晩のようにそなたの手を握ってやっているのだぞ? もうちょっと我の優しさに感じ入ってもよいのではないか? ん?
「本の他に望みはないのか。今日の我は機嫌がよいゆえ、物によっては聞いてやらぬこともない」
「そんな…これ以上、一体何を望むことがありましょう。まこと感謝いたします、陛下」
あたかも春の陽光を思わせる朗らかな笑顔でそう返されては何も言えず。だがしかし、胸の奥に芽生えた意地がそう易々と萎びる筈もなく。
シグナスという男が好むもの。花。本。刺繍は、含めてよいものか。ありふれたそれらに、特別な意味を添えるには。
思案を巡らせながらふと窓の向こうを見やったその瞬間、脳裏に閃くものがあり。アルマはカップの中身を一息に飲み干すと、勢いよく立ち上がった。
「シグナス、ついて参れ」
アルマがシグナスを連れ赴いたのは書庫にほど近い城の一室であった。鍵を差し込み重厚な扉を押し開けると、ひやりと澄んだ空気が頬を撫でる。
「ここは──?」
「母上が生前、手仕事をする際使っていた部屋だ」
扉の正面、東向きの壁が一面ガラス窓となっているため、室内はやわらかな明るさに包まれていた。窓の向こうには花圃が広がり、色とりどりの草花が朝風にそよいでいる。
両脇の壁沿いには造り付けの書棚が据えられ、棚板の間に古びた装丁の書物が几帳面に並べられている。
部屋の中央には滑らかな革張りのソファと小卓が置かれ、窓際には寛ぐのにもってこいの寝椅子が一つ。その横には小ぶりな書き物机が配置され、古びたインク壺と羽ペンが静かに出番を待っていた。
「今日からはお前が使うといい」
この部屋ならば、花を眺めながらゆっくり読書を楽しめよう。ふふ。シグナスの奴め、感動のあまり泣き出すやもしれぬな。その時はまあ、妻として涙を拭うくらいはしてやろう。
勝利への確信を胸にアルマは鼻高々と振り返った──のだが。
「…この部屋を、私に?」
悲しいかな、現実とは非情なもので。当のシグナスは感嘆に目を潤ませるどころか、両の手を不安げに重ね視線をあてどなく彷徨わせていた。
普段はやたらと愛想を振りまいて人の心を掻き乱す癖に、こちらが微笑みを期待している時に限って何故そんな心細げに眉をひそめるのか。
「気に入らぬか」
「いえ、決してそのような事は! ただ…刺繍のハンカチとお母様の部屋ではあまりに釣り合わず、どうにも恐縮してしまい」
「釣り合うかどうかは我が決める事だ。そなたではない」
…いやちょっと待て。これではまるで、我があの刺繍のハンカチ一枚に大喜びして、有頂天のあまり部屋まで与えたようではないか。
自分はただこの男の喜ぶ顔が見たいだけであって。ああいや違う、これは別に、そのようなアレではなく。つまり、なんだ、伴侶が不自由なく過ごせるよう気を配るのも城の主の務めであるからして。決して、万が一にも!己が手でこの男を幸せにしてやりたい、などと。そんなこっ恥ずかしい野心は一切持ち合わせていない。言うまでもなく。
がしかし。このままではいらぬ誤解を招く。アルマは場を仕切り直すべく一つ咳払いをすると、殊更にそっけない調子で続けた。
「そ、それにだな。母上の部屋を閉ざしたままにしておくのも、忍びないと思っておったのだ」
いかにも取って付けたような理由だが、実際シグナスは母の部屋を託すに足る人物であった。それは認めざるをえまい。母も、そして父も、生きていれば必ずやこの男を気に入ったことだろう。
「そうでしたか…申し訳ありません。私は礼儀にとらわれるあまり、陛下のお気持ちを蔑ろにしておりました」
「いや…我も少々逸りすぎた。気にするでない」
気付けば、朝日に照らされた男の顔はすっかりいつもの眩さを取り戻し、慈愛に満ちた眼差しが優しくアルマの瞳を見つめ返していた。
シグナスはそのまま部屋の中央へ足を進めると、本で溢れる両脇の書棚を、陽だまりの中横たわる寝椅子を、花圃を望む広い窓を。その一つ一つに手を伸ばし、愛し気に目を注ぐ。まるで、この部屋のかつての主へ思いを馳せるかのように。そして最後に、ゆっくりとアルマの方へ向き直り。
「改めてお礼申し上げます、陛下。本だけでなく、こんな素敵な部屋まで与えてくださるなんて…大切に使わせていただきますね」
この数日、アルマが必死に追い求めていた男の顔がそこにはあった。一切の憂いなく、ただ純粋な喜びだけを映した屈託のない笑顔。
その微笑みはどんな言葉よりも雄弁に、男の歓喜を物語る──あなたのお陰で、私は今これ程までに幸せなのだと。そう、囁くように。
「…うむ」
頬に、胸に、全身に。熱が滲み、喉がひりつく。
それでも、今は。目の前の男の姿を五感の全てに焼き付けたくて。アルマはただじっと、陽だまりの中に佇むシグナスを見つめていた。自分もまた、その口元に笑みを浮かべていると気付かぬまま、ひたすらに。