【改訂版】ひねくれ姫王は美貌の伴侶に幻滅したい 作:のぎあおまさ
第十六話
「本日もよいお天気ですね」
「…ああ」
翌日。アルマの逡巡と裏腹に、夜明けは何ともあっけなく訪れた。
朝食の席に着き優雅な手つきでカトラリーを操るシグナスは至っていつも通りで。普段となんら変わらぬ柔らかな声が優しくアルマの耳を撫でる。
こちらに向けられる眼差しと微笑みは、相変わらず春の日差しのようにまっすぐで暖かい。けれど、その取り繕われた『日常』に何故だか冷たさを覚えてしまう。
何もなかったことにされている。寝台にて行われた二人のやり取りも、男が浮かべたあの笑みも。全ては星が見せた一夜の幻に過ぎぬのだと、そう言わんばかりに。
この男は一体何故そうも心を閉ざすのか。己に何を求め何を期待していたのか。昨夜口に出来なかった問いが今更になって燻り熱を持つ。
いつしかアルマは食事の存在も頭から抜け落ち、ただ呆けたようにシグナスを見つめていた。
「ところで陛下は甘い物など…陛下? どうなさいましたか」
そんなアルマの心を知ってか知らずか、目の前の男は不思議そうにこちらを窺う。こてりと首を傾げるそのあどけない仕草すら、今日はどこか憎らしい。
「…いや。そなたはいつもながら美しいと、そう思っただけだ」
まるで、自分だけが未だ夜に囚われているようで。無性に腹が立ち、つい嫌味な言葉が口を衝く。ああ、くそっ。別に怒りたい訳でも、この男を困らせたい訳でもないのに。
アルマが己の不用意な言動にほぞを噛んでいると。
カシャン。
不意に耳障りな金属音が辺りに飛び散り。見れば、シグナスの手から滑り落ちたと思しきカトラリーが皿の上に横たわっていた。
この男が手元を誤るなど珍しい。やはり昨夜のことで思うところがあるのだろうか。そう訝しみつつアルマが再び視線を上げると──そこには、耳の先まで赤く染めたシグナスの顔があった。
つい先程まで鏡面のように凪いでいた瞳は今や逃げ場を探し求めるかのようにせわしなく揺れ動き、カトラリーを失った指先はあてどもなく宙を彷徨っている。
そのすっかり狼狽しきった男の顔を前にして、アルマはようやく己の失言を悟り始めた。
──いや。待て。違う。
確かに嫌味を言うつもりは無かった。無かったが、だからと言ってシグナスの美貌を讃えるつもりもなく。自分はただ、何事もなかったように平然と微笑む男に対し、一言不満をぶつけたかっただけであって。
「あ、ありがとう、ござい、ます…」
とりあえずそんな上ずった声で礼を言うのはやめろ。嬉しいんだか恥ずかしいんだか分からない顔をするのもやめろ。ついでに人の心を度々掻き乱すのもやめろ。
そもそも、こんなありきたりな褒め言葉になんだってそう動揺するのか。この男のことだ、賛辞を受けた経験はそれこそ星の数程あるだろうに。
だがちらと見遣れば、白皙の頬は未だ熱を孕んだままで。
「わ、私も…」
その時、掠れた小さな声が僅かに空気を震わせた。
「私も常々、陛下は優しく寛大で…人を惹きつける魅力に富んだ、大変素敵な方だと思っております」
…。
……。
…………ふっ、分かっておる。
どう考えてもこれは────社交辞令っ…!!!
シグナスという男は酷く礼儀を気にする所があるからして、賛辞には賛辞を返さねばなるまいと、そんな馬鹿げた義務感に駆られたのだろう。それゆえ「優しい」だの「寛大」だの、す…すて…すて、き…いやその、耳障りのよい言葉を並べ立てたに違いない。
我は理解のある主君なのでちゃーんと分かっておるが、そんな無防備な顔で軽率に人を褒めるといらぬ誤解を与えかねぬ。もう少し慎重な物言いを心掛けたほうがよいと思うぞ、ホントに。
「陛下は、その、ええと…」
アルマがさて何と返したものかと頭を悩ませていると、場に満ちる沈黙に耐えかねたようにシグナスが再び口を開いた。
今度はどんなおべっかが飛び出すのやらと身構えるアルマの目前で、シグナスは暫し言葉を選ぶかのように沈黙し、そして。
「…ああ、そうだ! 先程もお尋ねしようと思っていたのですが、陛下は、甘い物はお好きでしょうか?」
いっそ清々しい程逸らされた話題に、アルマは内心安堵した。…いや、何を安堵する必要があるというのか。自分は何も恐れてなどいないのに。
「…まあ、嫌いではない、が」
実を言えば。甘い菓子は嫌いではないどころか毎日、いや毎食だって食べたいくらいなのだが。それを口にするのは何というか、その。あまりに子供っぽい、ので。
「実は昨日、陛下から頂いたお部屋の書棚を覗いたところ、お菓子作りの指南書をいくつか見つけまして。もしよろしければ、何かお作りしようと思っていたのですが…あまりお好きでないようでしたら「まあそなたが!そこまで!言うのであれば!…食べてやらん事もないが」ありがとうございます、陛下」
…オホン。要は、あれだ。シグナスの弱点を探すのであれば、あえて好きにさせた方が都合のよい訳で。王として伴侶の資質を見極める好機を逃す手はなく。決して、決してこの男が手ずから焼いた菓子を食べてみたいだとか、そんな俗っぽい理由ではない。ないのだ。
「では焼き上がりましたら執務室までお持ちしますね。ああ、でもまずは厨房の方に場所をお借りできるか確認しないと」
珍しく矢継ぎ早にそう捲し立てると、シグナスは落としたカトラリーを拾い上げいそいそと食事を再開した。一体何を慌てているのやら。
だがその取り乱した姿を見るに、恐らく昨夜の出来事も全てが拭い去られた訳ではなく、ただ平静を装う仮面の下に覆い隠されているだけなのだ。そう思うと、不思議と胸のつかえが取れた気がした。
──ああ、それにしても。まだ春先だというのに、朝から暑くてたまらない。とりわけ、頬の辺りが。食事を終えたら一度窓辺で涼むとしよう。そう心に決め、アルマもまた手元の皿へと目を戻した。