【改訂版】ひねくれ姫王は美貌の伴侶に幻滅したい 作:のぎあおまさ
シグナスは窓の向こう、昼下がりの柔らかな光に包まれたガルドの街並みを一人見下ろしていた。
街路に沿って植えられた花木はどれも初めて目にするもので。屋根に張られたレンガの色も、空を行く鳥の声も、吹き抜ける風の匂いさえルナリアとは違う。己が骨を埋める墓所にしては少々明るすぎるなと、シグナスは思った。それはもう、眩しいほどに。
ルナリアでの日々は決して甘やかなものではなかった。脳裏に浮かぶのは軽々しい賞賛の数々と、兄の冷たい猜疑の眼差しばかり。
兄。コルバス兄様。あれほど賢くも優しい人をシグナスは知らない。あれほど温かく柔らかな手をシグナスは知らない。けれどいつしか、シグナスを称える無責任な賛辞が飛び交うたび、兄は顔を曇らせるようになり。やがて兄はシグナスを、帝位を争う「敵」とみなし始めた。
シグナスがいくら己に皇帝たり得る資質はないと訴えようと、周囲はそれを謙遜と捉え。ならばとあらゆる職務から身を引き朝は刺繍、昼は菓子を焼き、夜はチェンバロを奏でる生活を選び。…それでも、兄の目から不信の光が消えることは無かった。
兄からガルドへの婿入りを命じられた時、シグナスの胸に溢れたのは失意でも諦念でもなく、解放への喜びであった。どれほど軽んじられようと、どれほど遠ざけられようと、己がルナリアを去ることで兄の心が安らぐのであればそれでよかった。
ガルドでどのような扱いを受けようと、二度と祖国には戻るまい。あの息詰まるような緊張と沈黙に支配された宮廷には、決して──。
──コンコンコン。
窓の桟を握る手に力を込めた、その時。まるでシグナスの暗澹たる思いを突き破るかの如く、軽快なノックの音が部屋中に響き渡った。
我に返ったシグナスが声を発する間もなく勢いよく扉が開かれ、せっかちな来訪者が姿を現す。
最初に見えたのは黒だった。影を織り上げたかのような漆黒のマント、硬質な輝きを放つ黒鉄の鎧、星無き夜空を思わせる黒い髪。
だが次の瞬間、その暗闇を切り裂くように双つの黄金がシグナスを射抜いた。烈日よりもなお澄み渡る輝きと、無慈悲な鋭さを湛えた瞳。
シグナスは一目で、彼女こそ齢十四にして即位し、瞬く間に内乱を制したガルドの猛き姫王──アルマ・エルフリーナ・フォン・ガルドその人だと分かった。
黒いマントの端が微かに揺れる度、まるで夜そのものが彼女に付き従っているかのような錯覚に陥る。自分より六つ年下で、今年十六歳になられたと聞いていたが、その幼い輪郭には数々の苦難を乗り越えてきた者だけが持つ王者としての風格が確かに備わっていた。
しばし彼女の堂々たる姿に圧倒されていたシグナスであったが、己はこの少女に半生を捧げると誓った身である。その最初の瞬間にたじろぐようではあまりに不甲斐ない。
シグナスはゆっくりと口の端を持ち上げた。心の奥底で渦巻く不安も、自由と引き換えに得た寂しさも、今は全てを押し止めただ一つの思い――この先二人で歩む日々が、少しでも穏やかなものであるように――そんな祈りを込めて。
次の瞬間、目の前の黄金は微かに揺れ動き、そして──。
バタン!!!
夜を従えた金色の王は扉の向こうへと消え去り。後にはシグナスと静寂だけが取り残されたのだった。