【改訂版】ひねくれ姫王は美貌の伴侶に幻滅したい 作:のぎあおまさ
第六話
翌朝。アルマは眠い目を擦りながら朝食の皿と向き合っていた。甘酸っぱい木苺のジャムとバターを添えたトーストが二枚、湯気の立つ鳥肉と香草のスープ、燻製魚の薄切りと葉野菜のサラダに、よく焼き目の付いた肉の腸詰めが一本。どれもアルマの好物ばかりである。
向かいに座るシグナスは並ぶ料理こそ同じだがトーストは一枚だけ、スープの具は香草のみ、腸詰めは半分に切られている。サラダだけはアルマと同じ量がよそわれていた。小食なのだ。
優雅な手つきでカトラリーを操るシグナスの姿に、昨晩見せたあの幼い笑みの影はもはやなく。眠気に身を委ねているせいだろうか、アルマの目にはその輪郭がいつにも増して眩しく映った。
先程からシグナスの眼差しは食卓の中央に置かれた花瓶に注がれている。色ガラスに金彩で月と星が描かれた年代物だが、特段目を引くような逸品ではない。
「何だ? そんなにこの花瓶が珍しいか?」
口にしてから
「確かに花瓶の細工も見事なものですが、私としては花瓶に生けられた花の方に目を奪われておりました」
「花?」
「はい。どれもルナリアでは滅多に見られぬ、色鮮やかな花ばかりですので」
どうやらシグナスは花に意識を囚われるあまり、己に注がれる無遠慮な視線など気にも留めなかったようである。頭の中で言葉にならぬ弁明を繰り返していたアルマは静かに胸を撫で下ろした。
ルナリアはその雪深さから作物の栽培に難渋すると聞く。ゆえに花を目にする機会も少ないのであろう。それでもルナリアがかつて大陸に覇を唱え、今でも周辺諸国に強大な影響力を誇るのは、地下に眠る豊富な鉱物資源と比類なき技術力によるところが大きい。事実、この城にある精巧な機械式時計や大砲は、その大半がルナリアから輸入したものであった。
「恥ずかしながらここ数日は慌ただしさのあまり、風景をじっくり眺める余裕もなく…しかし今朝目を覚ました折ふと窓の向こう、庭園を彩る花々の姿に気が付いたのです。まことこの城は、キャンバスに描かれた絵画の如く色彩に満ち溢れておりますね」
誰しも己が居城の美しさを称えられて悪い気はしないものである。故にシグナスという男が、存外この新たな"家"に好感を抱いているらしい様を見て、アルマが内心小躍りしたのも自然の摂理に他ならぬ。決して、決して絆されかけているわけではない。ないのだ。うん。
「特にこの、花弁が風車のように連なった花はとりわけ目を引く美しさで…こちらは何という名前なのでしょう?」
「え˝」
これが歴史上の偉人や戦役の名称であれば堂々と答えを口に出来たであろう。だが花の名前となれば別である。突如訪れた試練に、アルマは己の無知を何とか体よく弁明できぬものかと思案した、その結果。
「…花の名など、いちいち覚えている筈がなかろう。そんな事は庭師にでも聞くがよい」
何だってこんなひねくれた言い訳がましい言葉が口を衝くのか。アルマは己の頬を引っ叩いてやりたくなった。ついでに己をこんな風に育て上げたルシャードの頬も引っ叩いてやりたかった。今すぐに。
シグナスは何か思う所があったのか、暫ししめやかな沈黙を保っていたが、やがておもむろに口を開いた。
「──花は、あまりお好きではありませんか?」
その言葉にアルマは思わずシグナスの方へ向き直った。何故だか、この僅かな合間に己の過去を見透かされたような、そんな気がしたのだ。
シグナスの瞳は慈しむような優しさをもってアルマを見つめ返した。まるで、ただ貴方を知りたいだけなのだと訴えかけるように。
「…すぐに朽ち果てるものを、愛したとて何になる」
確かに、花はあまり好きではない。花を、というより花が枯れた様を目にすると、母を失った時の悲しみが記憶の奥底から滲み出るのだ。けれど、そんな弱音を軽々しく口にするような子供じみた真似はしたくなかった。…そんな意地を張ること自体、子供じみた真似だとしても。
「確かに、萎れた花を見るのは寂しいものです。私がこうして花の美しい姿だけを目に出来るのは、侍女や庭師の皆さんが毎日花の手入れをしてくださっているお陰なのでしょうね」
アルマがどれ程ぶっきらぼうな物言いをしても、いつだってこの男はあたたかく受け止めてみせるのだ。シグナスとの会話は万事こんな調子であるからして、アルマはその度自分がいかに幼く未熟であるかを実感し気恥ずかしくなるのである。
もう余計な事は言うまいと、アルマはカトラリーを握る手に力を込め再び食事に取り掛かるのだった。