「……先生。私たちは、あなたのような大人が一番嫌いです」
「……ミ、ミヤコ?」
「そうですよね、サキ?」
「な、何を言っているんだ、ミヤコ?」
──ミレニアム近郊『廃墟』地区。
「……ど、どうして、だ……私は……」
呆然としたまま、サキは映像を見つめ続けていた。
その様子を一瞥すると、ユキノは部屋を後にする。
薄暗い部屋の扉が、静かに閉じられる。
その寸前──、ユキノは一度だけ背後を振り返った。
「……」
その部屋の中には、椅子に座らされたサキがいる。
もう口元を覆うガムテープや手足の拘束も解かれている。
いつでも逃げようと思えば、逃げられる。
それでもサキは
そうして──扉は完全に閉められる。
静かな廊下にはユキノが一人。
「……これで、良いはずだ……私は……間違ってなんかいない」
ユキノは自身に言い聞かせるように呟くと、壁にもたれかかる。
「とうに覚悟は決めたはず……」
そうして、ユキノは暫くそのまま座り込む。
だが、少し時間を置くと、ユキノは大きく息を吐き出して立ち上がる。
──そんな時だった。
コツ。
コツ。
コツ。
薄暗い廊下の奥から、一つの足音が聞こえてくる。
「っ……誰だ?」
ユキノは即座に腰の銃へと手を伸ばえ、鋭く声を放つ。
しかし、返事はない。
足音だけが、一定の間隔で近付いてくる。
やがて──、
廊下の闇の中から、
──
──
──右目は白く発行し、そこから
「クックックッ……」
その男の笑い声が廊下に響く。
その異様な姿と声を認識した瞬間、ユキノの目が見開かれる。
「ッ……!?
ユキノはそう言うと、銃を手に取り、その銃口をその男に向ける。
「っ──
その男──黒服はユキノの言葉に、静かに歩みを止めると、心底愉快そうな声を漏らした。
「おやおや……警戒されてしまいましたか?」
「当たり前だ……ッ! 私はお前に、
ユキノはそう言うと、銃弾を黒服の足元に放ち、牽制する。
「答えろッ! 何故ここにいる!?」
「……まず、はっきりさせておきましょう。別に私は貴方に危害を加えにきたわけでも、
黒服は、足元にめり込んだ銃弾を一瞥する。
「むしろ──貴方は、私達と同じ志を持つ
「……だから、どうした? 何が言いたい? 私がそのプランとやらを一時的に無視して、カイザーから離れ、独自で動いたことが気に入らないのか?」
ユキノは黒服を睨みつける。
だが、黒服に向ける銃口は少しだけ震えていた。
「いえいえ……勘違いされているようですが、むしろ、私は
「……何、だと?」
その予想外な黒服の言葉に、黒服に向けていた筈の銃口が少しだけ下がる。
「驚かれるのも無理はありません」
黒服は微笑んでいるかのように、首を傾げる。
「ですが、再度言いますが、私は貴方の行動を責めるつもりはありません。むしろ──実に興味深い」
その言葉に、ユキノの眉が僅かに寄る。
黒服は肩を竦め、ゆっくりと両手を広げた。
「貴方の
「っ……!」
黒服はそう言うと、サキのいる部屋に視線を向ける。
「貴方に言っても伝わらないかもしれませんが、あれは、元々……この世界に抗うために、
黒服は歩き出し、ゆっくりとユキノとの距離を詰めていく。
「ですが……あのオーパーツは不完全であり、
「ッ……! わた、しは……ッ!」
ユキノの呼吸が乱れる。
拳を握り締め、黒服を睨み付ける。
「私は……間違ってなどいない……ッ。これが最善だと、思い……私は……私は……!!」
「ええ。そうでしょうとも」
黒服は穏やかに頷いた。
まるで、その言葉を最初から知っていたかのように。
「
黒服は静かにそう告げると、白く光る右目を細めた。
「貴方が何を捨て、何を守ろうとしているのか……その選択がどのような結末へ辿り着くのか──私はそれを見守らせていただきます」
「……ふざけるな」
ユキノは苦しげに吐き捨てる。
「人の人生を……実験のように語るな」
「おや?」
黒服は肩をすくめ、ユキノと隣合う。
「実験ですか……これは、実験ではなく、正確には趣味のようなものですが……まあ、ファーストプランにおける
それだけ言うと、黒服はユキノの横を通り過ぎて、廊下の奥へと歩き去っていく。
「何故なら、此処は、直にアビドスの方々に見つかるでしょうから……そうなった時──」
黒服は歩みを止めることなく、静かに言葉を続けた。
「貴方は、彼女達に対して、再び引き金を引けますか?」
「……ッ」
ユキノの肩が、僅かに震える。
「そして、あの
「ッ……黙れ」
「クックックッ……」
ユキノは低く唸る。
「それでは──、私は此処で失礼します。まだ
黒服はそう言い残すと、再び歩き出した。
コツ。
コツ。
コツ。
その足音は次第に遠ざかり、やがて闇の奥へと溶けていく。
だが、最後に一度だけ、黒服は肩越しに振り返った。
「……ああ、最後に一つだけ忠告を」
白く光る右目が、静かにユキノを見据える。
「
そう言い終えると、黒服は深々と一礼した。
「それでは、ご武運を」
その言葉を最後に、黒服の姿は完全に廃墟の闇へと消えた。
「っ……」
──廊下には再び静寂が訪れる。
ユキノは銃を下ろすこともできず、その場に立ち尽くす。
黒服の姿は消えたというのに、廊下には今なお、あの不気味な笑い声が残響のように残っている気がした。
「……
ぽつりと漏れた独り言は、自嘲にも似ていた。
「最初から、そのつもりだ」
ユキノは拳を握り直す。
「皆に憎まれても構わない……先生に銃を向けることになっても……全ては──
そう言い残すと、ユキノは静かに目を閉じた。
「……もう迷うな」
それは誰かに向けた言葉ではない。
自分自身へ言い聞かせる言葉だった。
大きく息を吸い込み、ゆっくりと吐き出す。
乱れていた呼吸が、少しずつ落ち着いていく。
ユキノは黒服が消えた廊下とは反対方向へ歩き始める。
そうして数分後、ユキノは一枚の鉄扉の前で立ち止まる。
その扉の前で、ポケットからカードキーを取り出すと、認証装置へとかざす。
──ピッ。
短い電子音が鳴り、重い扉がゆっくりと左右へ開いていく。
「……すまない、遅くなった」
その部屋へ入ると、そこには
□■□■□■□■□■□■□
──セミナー・生徒会室。
ヒナはもう一度だけ全員を見渡した。
ユウカ。
ノノミ。
イロハ。
そして──アビドス対策委員会のみんな。
皆がサキ救出作戦へと覚悟を決めた表情をしている。
そんな皆の様子を確認し、ヒナは静かに息を吐いた。
「情報のすり合わせも完了した事だし、早速『廃墟』地区への突入作戦の準備へ移行するわ」
その一言で生徒会室の空気が引き締まり、皆が前を向く。
「まずは、イロハ」
「はい」
「早速、監視網をさらに広げて……廃墟地区に出入りする人物、車両、通信記録。拾える情報はすべて拾って」
「分かりました」
イロハは短く返事をすると、スマホ端末へ視線を落とす。
「ただ、ここではできることに限界がありますね」
そう言って、イロハは席から立ち上がる。
「ヴェリタスの部室に戻ります。何か異変や進展があれば、随時連絡しますので」
イロハはそう言って、私達に一礼だけすると、セミナーの生徒会室を後にする。
「ユウカ、ノノミ」
「はい」
「一般生徒が『廃墟』地区に立ち入らないように、封鎖部隊の手配を。……ただし、目立ちすぎないように」
「ユキノ先輩達を刺激しないため、ですね?」
ユウカが理解したように頷く。
「えぇ。それに……他校のゲヘナやトリニティに、この件をあまり知られたくはないわ……尤も、もう既にC&Cの現状は把握されている可能性はあるけれど」
ヒナは静かに答えて、目を瞑る。
「それでもミレニアムの一般生徒が巻き込まれることが無いように……二人にはすぐさま手配をお願いするわ」
「了解です!」
「任せてください!」
ヒナの指示の元、二人は直ぐさまスマホを操作しながら、次々と指示を飛ばしていく。
部屋全体が、一瞬で作戦司令室へと変わっていった。
私は、その様子を静かに見つめる。
(すごい……これが、ヒナが会長をするセミナーか)
ミレニアムの皆にとっては、C&Cが敵になるかもしれないという最悪に近い状況。
それでも一人も慌てず、ヒナを中心に、それぞれが自分の役割を理解し、迷いなく動き始めている。
これが、ミレニアムを支えるセミナー。
これが、この世界で『会長』と呼ばれるヒナの力なのだろう。
そんな中、不意にヒナがこちらへ振り返った。
「……そして、対策委員会は、此処で少し身体を休めてて。準備ができ次第、直ぐに呼ぶわ」
「了解だよぉ、セミナーの会長ちゃん〜」
「……そう」
ヒナはそれだけ言うと、最後に私へと視線を向ける。
そうして、私の方へとゆっくり近付く。
「……
ヒナが上目遣いで、私を見上げる。
「っ……どうしたの、ヒナ?」
「……少しだけ、
突然の申し出に、私は少しだけ目を丸くした。
(ヒナが私に? ……何だろうか? しかも、二人きりに?)
──二人きりで話したい。
その言葉には、何か特別な意味があるように感じた。
「え? うん、もちろんだよ」
だが、私は断る理由もない。
私の返答に、ヒナは小さく頷くと、部屋の奥にある小さな応接室へ歩き始める。
「ユウカ……少し席を外すわ。何かあれば連絡して」
「分かりました、会長」
ユウカが短く返事をする。
けれど、何も聞かない。
きっとヒナへの信頼があるからこそ、誰も止めないのだろう。
「先生、ここよ」
ヒナは扉を指さし、私はヒナに促されるまま、静かに別室へ入る。
扉が閉まる──その直後、
──カチリッ。
私の背後で、扉の
「え……ヒ、ヒナ?」
鍵を閉めたことに驚き、私は驚き、思わず振り返る。
そんな私に対し、ヒナは何も答えない。
先程まで、ユウカ達に的確に指示を出していたセミナーの会長としての姿とは違う。
今のヒナは、何かを必死に耐えている一人の……か弱い少女に見えた。
時計の秒針だけが時を刻む音が部屋に響く。
「ど、どうしたの、ヒナ?」
そんな私に対し、ヒナは何も答えない。
ただ静かに、一歩。
また一歩。
私の方へとゆっくりと近付いてくる。
「……ヒナ?」
私は思わず、ヒナの名前を再び呼ぶ。
しかし、彼女は立ち止まらない。
やがて、私の目の前まで来る。
ヒナと目が合う。
その目は、先程までの冷静なセミナーの会長のものではなかった。
まるで、誰かに助けを求めることすら忘れてしまった人のような寂しさに堪える目であった。
そうして──、
ヒナは、ゆっくりと私の
(──っ!? ヒ、ヒナが……私に抱きついてる……?)
突然のことに、私は驚きのあまり身体が固まる。
「……先生。ごめんなさい……少しだけ、
「……え?」
ヒナが、ぽつりと呟く。
「っ……ごめん、なさい……貴方には、会ったばかりの私が、何で抱きついてきたのか……疑問だと思うけれど……今は……今だけは……」
そんなヒナの言葉に、私は何も返せない。
細い腕が、静かに私の背中へ回される。
──ぎゅっ、と。
強くではない。
それでも、私が離れてしまわないように確かめるような、控えめな抱擁だった。
部屋には、誰の声もない。
聞こえるのは、互いの呼吸だけ。
ヒナは何も言わない。
ただ、肩がほんの僅かに震えていた。
(っ……ヒナ……)
ヒナは皆の前では一度も、か弱い姿を見せなかった。
──セミナーの会長として。
──ミレニアムを導く責任者として。
誰よりも冷静であろうと、自分自身を張り詰めさせ続けていたのだろう。
けれど今、この部屋には二人しかいない。
だからこそ──ヒナはようやく、その重荷を少しだけ下ろしたように感じた。
「……大丈夫だよ」
私は小さくそう呟くと、ゆっくりと右手を持ち上げる。
──驚かせないように。
本当に壊れ物へ触れるような優しさで、ヒナの銀色の髪へ手を添えた。
さらり、と柔らかな髪が指先を滑る。
私はそのまま、ゆっくりと頭を撫でた。
「……っ」
その瞬間──ヒナの肩が、ピクリと跳ねる。
まるで、その温もりを必死に堪えていたかのように。
「先生……」
掠れた声だった。
それでも私は、何も問いかけなかった。
──どうして、ヒナが私に抱き着いたのか。
──何があったのか。
そんなことを聞く必要はないと思った。
今、この子に必要なのは答えを話すことではなく、
私は言葉の代わりに、もう一度だけ優しく頭を撫でる。
「……頑張ったね、ヒナ」
「──っ」
その一言だけで十分だった。
ヒナは私のジャケットをきゅっと握り締める。
ほんの少しだけ、力が強くなる。
私はその想いを尊重するように、何も言わず、ただ静かに彼女の頭を撫で続けたのだった。