──翌朝。
『先生! おはようございます! もうお昼ですよ! 起きてください!』
アロナの声に起こされて、私はゆっくりと目を開けた。
「ん……」
『もう、先生は私がいないとダメなんですから! お寝坊さんですよ!』
──見慣れない天井。
──真っ白な壁。
──簡素なベッド。
(知らない天井だ、ね……)
そして、窓の向こうに広がるのは、高層ビルが立ち並ぶ巨大な学園都市。
「おはよう、アロナ……そういえば、私は
『はい! そうですよ、先生! おはようございます!』
ミレニアムサイエンススクールの一室。
私は、セミナーから貸し出された部屋で眠っていた。
そして──、
昨夜の出来事が、少しずつ頭の中へ蘇ってくる。
──『廃墟』地区。
そこで、アビドスとミレニアムの皆で協力して行った──『サキ救出作戦』。
作戦そのものは成功した。
第一目標であるサキは無事に救出できた。
けれど、全てが上手くいったわけじゃない。
新たな謎が、私の中に残されている。
「……」
私は、ゆっくりと上半身を起こした。
身体が重くて痛い。
昨日は『廃墟』地区をずっと走り回っていた為、筋肉痛になっている。
デスクワークばかりの私が、かなり無茶をしたなと思う。
けれど──、
身体よりも重く感じているものがあった。
「……ユキノ、ミヤコ」
最後に見た、彼女達の姿。
ユキノは、ホシノに追い詰められながらも、最後まで銃を手放さなかった。
そして──、
誰よりも悔しくて、苦しそうな表情をしていた。
そんな彼女を救うために現れたのが、
──
原作知識では、ミヤコはSRT特殊学園に所属している。
それは、この世界でも同じ。
柴関ラーメンで働くセリカから聞いた話によれば、ミヤコは『RABBIT小隊』の小隊長を、この世界でも務めている。
──そんなミヤコが、どうしてユキノを助けた?
──どうして私を撃たなかった?
そして──、
どうして、二人はサキを
原作のミヤコは、RABBIT小隊として、最初は大人の先生に対して警戒心を露わにする。
けれど、物語が進むにつれて少しずつ心を開き、やがてはシャーレに入り浸り、シャワーをよく借りにくる。
先生にとって、どこか可愛らしくて、少し卑しいところのある生徒だった。
そんなミヤコが、ユキノの窮地に突如として現れた。
──私達の前に立ちはだかる敵として。
「……どうして」
私は小さく呟く。
答えは、当然返ってくることは無い。
(ほんとうに……何なんだ、この世界は……)
思わず、本音が漏れる。
それは生徒達の前では、口にしないようにしている弱音だった。
けれど、いくら考えても答えは出ない。
今は、情報が足りなすぎる。
「とりあえず……みんなのところへ行こう」
私はベッドから、ゆっくりと立ち上がった。
身支度を整え、スーツのジャケットに袖を通す。
そして、部屋を出た。
廊下は、深夜のミレニアムとは違い、学生達の喧騒に満ちている。
窓から差し込む日差しは、もう既に高い。
「……もうお昼か」
腕時計を見ると、午前十一時を過ぎていた。
私は思っていた以上に眠っていたらしい。
『先生、昨日は本当に大変でしたからね!』
シッテムの箱から、アロナの声が聞こえる。
「そうだね……」
『それに、先生はサキさんを助けるために、かなり無茶をしていました!』
「うん。けれど、アロナ」
『はい?』
「私なんか、まだまだだよ」
私は苦笑する。
「サキやホシノ達の方が、私よりも何倍も大変だったと思う」
『……そうですね』
アロナの声色が、少しだけ優しくなる。
『結果として、サキさんがご無事で、本当に良かったです』
「うん、そうだね」
私は小さく頷き、再び歩き始める。
やがて、廊下の先に見覚えのある扉が見えてきた。
それは、セミナーの生徒会室。
「……ここだね」
扉の前まで辿り着き、ノックをしようと手を上げた。
その時──、
「先生?」
「……え?」
背後から声が聞こえた。
私はその声に反応して、振り返る。
「ユウカ?」
そこには、セミナーの会計であるユウカが立っていた。
両手には大量の書類。
そして、その表情には少しだけ疲労が滲んでいる。
「おはよう、ユウカ」
「おはようございます!」
ユウカは私の顔を見る。
「先生、体調は大丈夫ですか?」
「うん、大丈夫だよ」
「本当ですか?」
「う、うん」
ユウカは疑うように、私の顔をまじまじと見つめる。
「……顔色は、まあ大丈夫そうですね」
「あはは……まあ、皆がベッドまで連行してくれたからね」
「っ……あれは! 説得しても先生が中々寝ようとしてくれないからです!」
「心配してくれてありがとうね、ユウカ」
「っ!? べ、別に心配しているわけじゃ……!」
ユウカは慌てて顔を逸らす。
「き、昨日の件でも先生には、お世話になりましたし……責任を持って、先生の健康状態を確認するのもセミナーの役目です」
「……本当にありがとうね、ユウカ」
「っ。もう……!」
ユウカは小さく呟きながら、扉を開けた。
「失礼します! 」
ユウカが開けた扉の先には──、
対策委員会──ホシノとノア。
セミナー──ヒナとノノミ。
ヴェリタス──イロハ。
「先生!」
その中でも、真っ先に声を上げたのはノノミだった。
「おはようございます……! いえ、もうお昼でしたね〜」
「そうだね。おはよう、ノノミ……ちょっと遅くなってごめんね」
「いえ! 先生がお疲れなのは、承知していますから!」
ノノミが安心したように微笑む。
「 それよりも、お身体は大丈夫ですか?」
「うん。昨日よりはだいぶ楽になったよ」
「それならよかったです~」
その隣では、ホシノが椅子に座ったまま大きく伸びをしていた。
「先生、おはよぉ~」
「ホシノもおはよう」
「昨日は大変だったねぇ〜。先生も結構無茶してたし」
「ホシノにだけは言われたくないなぁ……」
「うへぇ〜、まあ、おじさんも結構働いたからねぇ」
ホシノは笑いながら肩をすくめた。
その様子を見る限り、昨日の戦闘で、大きな怪我はなさそうだった。
私は昨日、ホシノとユキノの戦闘を直接見ることができなかった。
けれど、チナツ曰く大活躍だったらしい。
私はいつもと変わらない様子で座るホシノを見て、少しだけ安心した。
そして──、
部屋の奥へと視線を向ける。
「……ヒナも、おはよう」
「えぇ、先生……よく眠れた?」
短い返事。
執務机の前に、ヒナが立っていた。
昨日と同じ、冷静な表情。
けれど、その顔には僅かに疲労が滲んでいるように見えた。
「ごめんね、かなり寝ちゃってたみたい。起きたらもう昼だったよ」
「そう」
ヒナは小さく頷いた。
「先生がよく眠れたのなら、良かったわ」
「っ……ヒナは?」
「私は大丈夫よ」
「……本当に?」
「ええ」
即答だった。
けれど、その声が、昨日より少しだけ弱いことに私は気付いた。
「……無理してない?」
「していないわ」
「そっか」
「……」
ヒナは一瞬だけ視線を逸らす。
「先生に心配されるほど、私は弱くないもの」
「いや、弱いかどうかの話じゃなくて──」
「分かってるわ」
ヒナは小さく息を吐いた。
「分かっているから……ありがとう、先生」
「え?」
「心配してくれて」
それだけ言うと、ヒナは優しい表情を引き締める。
「それより、先生とユウカも来たことだし、昨日の件について整理しましょう」
私は空いている席へ腰を下ろす。
私の向かい側には、ホシノが座った。
「じゃあ、まずは一番大事なところから確認しよっかぁ〜」
ホシノが真剣な表情になる。
「ミレニアムの協力もあって、サキちゃんは無事に救出できたねぇ」
「はい」
ユウカが書類を確認しながら答える。
「
「よかった……」
私はほっと息を吐いた。
「また、C&Cのカリンと戦闘をしたアビドスの
ユウカが続ける。
「ただし、全身に負傷が確認されています。サキさんと同じく、現在は医療施設で休養中です」
「っ……そっか……アズサは……」
二人は病院へ運ばれたのは今朝のはず。
なので、私は二人のお見舞いには行けていない。
昨日の戦闘で、アズサもかなり無茶をしたと聞いている。
C&Cのカリンと戦っていたことを考えれば、この程度の負傷で済んだだけで幸運だったとヒナは言っていた。
「お二人については、現在チナツさんが付き添っています」
ユウカが続ける。
「幸い、お二人とも意識がありますし、医療班の話では数日程度の安静で済む見込みだそうです」
「……本当に良かったです」
ノアの安堵の声に、ユウカが笑顔で頷く。
「ちなみに、アズサさんは『これくらい、大したことない』って言っていましたけど……」
「……アズサらしいね」
「ふふっ。そうだねぇ~。アズサちゃんなら言いそうだ〜」
ホシノが微笑む。
そして──、
ゆっくりと立ち上がった。
(……ホシノ?)
立ち上がったホシノは、そのままヒナの前まで歩いていく。
そして──、
ホシノは、深く
「──っ!?」
「
「……
「アビドスを代表して、本当にありがとう」
ホシノに続いて、ノアも立ち上がる。
「私からも、ありがとうございます」
二人が頭を下げる。
ヒナは、少し困ったような表情を浮かべた。
「……気にしなくていいわ」
そんな対策委員会に対して、ヒナは静かに答える。
「貴方達の仲間が助かって、本当に良かった。それだけで十分よ」
ヒナはそれだけ言うと、ホシノ達から視線を逸らす。
その耳は少しだけ赤くなっているように見えた。
「……それで」
ヒナが口を開く。
「次に確認するのは、
ヒナの言葉に、空気が一気に引き締まる。
「結論から言うと──二人とも行方は、まだ分かっていないわ」
「……そうなんだね」
「ええ」
ヒナは机の上に置かれたスマホ端末を操作する。
すると、部屋のモニターに『廃墟』地区周辺の地図が表示された。
「ただ、昨夜『廃墟』地区周辺に配置していたセミナーの監視網から、少しだけ情報を得ているわ」
地図上に複数の地点が表示される。
「ユキノとミヤコは、『廃墟』から煙幕を使用して撤退。その後、裏手に停めてあった車両を使用して、『廃墟』地区から
「っ……! ゲヘナ、なんだね?」
ヒナは頷く。
「ただし、その先の動向は途切れているわ。使用した逃走車両も、ゲヘナ自治区内で発見されている」
「つまり、車を乗り捨てて、その後は別の手段で移動したのか……」
「その可能性が高いわね」
ヒナが地図を拡大する。
「また、
「ええっと……最初から『廃墟』地区にはいなかったという事ですか?」
ヒナに対して、ノアが確認する。
「えぇ、そうよ。少なくともC&Cのミネ達は把握していなかった」
「……」
私は黙り込んだ。
その瞬間、脳裏に
「……じゃあ、
私が尋ねる。
「はい。先生の言う通り、その可能性はありますね」
イロハもスマホ端末を操作しながら、モニターの画面を切り替える。
「少なくとも、先生達が突入する前に、一台の車両が『廃墟』地区に侵入しているのは、ドローンで確認済みです」
イロハは淡々と続ける。
「その車両の運転手も含め、ユキノさんとミヤコさんだけで、あの場所から撤退したとは考えにくいです」
「……」
私は黙り込む。
そんな私を、ノアは静かに見つめていた。
──ゲマトリア。
「……黒服」
私は、その名前を小さく呟いた。
その瞬間──、
部屋の空気が、僅かに変わった。
特にホシノが驚いた様子で、目を見開く。
「……先生、黒服を知っているの?」
「っ……うん、そうだね、ホシノ」
私は少し迷った。
けれど、もう隠しておくべきではないと判断した。
「実は──」
私はホシノ達と分断された後に起きた事を話した。
……『AL-1S』のこと以外を。
『廃墟』地区の工場で黒服と遭遇したこと。
そこで交わした会話。
黒服が名乗った、ゲマトリアという組織。
そして──、
私に向けて語った、意味深な言葉の一部。
全てを話し終える頃には、部屋の空気は完全に変わっていた。
「……ゲマトリア、ね」
最初に口を開いたのは、ヒナだった。
「聞いたことはあるわ」
「っ。ヒナも知ってるの?」
「名前だけよ」
ヒナは腕を組み、険しい表情を浮かべる。
「イロハ。確か、ミレニアムの情報網でも詳細な実態までは掴めていないのよね? 構成員についても、ほとんど……」
「はい。そうですね」
イロハも端末を操作しながら頷く。
「私も以前から存在だけは確認していました。ただ、組織としての目的や活動内容については、ほぼ不明です」
「……つまり、かなり厄介な連中ってことですか〜」
ノノミが少しだけ表情を曇らす。
「うん。そうだね」
私は頷いた。
「黒服は、私達が『廃墟』地区に来ることも把握していたみたいだった」
「……!」
ユウカが目を見開く。
「それって、つまり……私達の動きを、事前に把握していた可能性があるということですか?」
「そういうことになります」
ノアが静かに続ける。
「そして、ユキノさんとミヤコさんが煙幕で撤退したタイミングで、『廃墟』地区から逃走する車両が現れた」
「……偶然とは考えにくいですね」
ユウカが書類を握り直す。
「つまりさぁ……黒服がユキノちゃん達を支援している可能性が高い、と先生は考えているってこと?」
「うん。私はそう考えているよ、ホシノ」
部屋が静まり返る。
やがて、ヒナがモニターへ視線を向けた。
「……なら、話を整理しましょう」
ヒナが端末を操作する。
モニターに、昨日の出来事が時系列で表示された。
【ユキノがサキを誘拐】
【C&Cはユキノに呼び出されて、共に行動】
【私達が『廃墟』地区へ突入】
【ミヤコが現れて、ユキノが撤退】
【ユキノとミヤコがゲヘナ自治区へ逃走】
ヒナは一つずつ確認していく。
「そして、その裏側に
「……」
誰も否定しなかった。
「ただし……」
ヒナはハッキリと言葉を区切る。
「これは、今考えても推測の域を出ないわ」
「そう、だね」
私は頷いた。
黒服がユキノ達を支援し、今回の事件の裏側にはゲマトリアが関わっている。
その可能性は高い。
けれど──、
確たる
「ただ他にも、分かっていることはあるわ」
ヒナが、モニターを見つめたまま言う。
「ユキノ以外のC&Cメンバーは、今回の事件において『ユキノの指示に従っただけ』という事実よ」
私は少しだけ眉を寄せる。
「ヒナ会長の言う通りですね」
ヒナの言葉に、イロハも頷く。
「捕らえたミネ先輩たちの聞き取り調査には、私も同行しましたが……ミネ先輩たちは、ユキノ先輩から目的を共有されていませんでした」
イロハが溜息を吐きながら、そう言い放つ。
「つまり、ミネとカリン、アカネは、ユキノに頼まれたから動いていただけ……ということ?」
私はイロハへ確認するように尋ねた。
「そういうことになります」
イロハは端末に表示された報告書へ視線を落とす。
「ミネ先輩たち曰く、『ユキノ先輩から緊急の作戦だと伝えられて呼び出された』と証言しています」
「緊急の作戦……?」
「はい」
イロハは頷く。
「彼女達は……本当に具体的な目的について、十分な説明を受けていなかったようです。まあ、ユキノ先輩なら有り得そうな話ではありますが……」
「……なるほど」
私は小さく息を吐いた。
それなら──、
少なくとも、私が昨日戦ったミネ達を『サキを誘拐した犯人』として扱うのは違うのかもしれない。
「では……C&Cの皆さんの処遇は、どうされる予定なのですか?」
ノアが不安そうに口を開く。
「当初はヴァルキューレの矯正局へ連行するつもりだったわ」
ヒナは静かに答えた。
「他自治区の生徒を誘拐し、銃撃戦に加わった以上……それだけの責任は取ってもらう必要があるから」
「……」
「けれど、現在は、ミレニアム自治区内にある拘束施設に一時的に移送しているわ」
「……拘束施設」
私は、その言葉を繰り返した。
「えぇ……そうよ」
ヒナは静かに頷く。
「今のところ、彼女達には逃亡の意思も、抵抗する様子もないそうよ。だから、ヴァルキューレへ引き渡す前に、もう少し詳しく事情を確認することになっているわ」
「それなら……」
私は少しだけ考える。
「C&Cのみんなを、ヴァルキューレへ
「……先生?」
ユウカが少し驚いたように、こちらを見る。
「もちろん、ミネやカリン、アカネがやったことを無かったことにするつもりはないよ」
私は慎重に言葉を選ぶ。
「サキを誘拐したユキノに加担した事は事実だし……他自治区であるアビドスの生徒達と銃撃戦になったことも事実だよ」
「……そうね」
「でも、本人達が事件の全貌を知らされないまま、ユキノの指示で動いていたのなら……少なくとも、全員を同じように扱うべきじゃないと思う」
部屋に沈黙が落ちる。
「罪をなかったことにするんじゃない」
私は続ける。
「何を知っていて、何を知らなかったのか。それを確認した上で、それぞれが負うべき責任を決めるべきだと思う」
「っ……」
ヒナは黙って私を見つめる。
そんな時──、
「うへぇ〜」
ホシノが静かに立ち上がった。
そして、ヒナの元へ歩み寄る。
「私も先生に
ホシノの声には、いつもの軽さがなかった。
「ユキノちゃん以外のC&Cは許してあげて」
「っ……! アビドスは、それでいいの?」
ヒナが目を見開いて、ホシノに問いかける。
「うん」
ホシノは迷いなく頷いた。
「サキちゃんを誘拐したのはユキノちゃんで……少なくとも、今分かってる情報じゃ、ミネちゃん達まで同じ目的だったとは思えないからねぇ」
そして──、
ホシノはヒナへ手を差し出した。
「だから──
「……」
ヒナは、差し出された手を見る。
しばらくの沈黙の後、ヒナはその手を取った。
「……分かったわ」
──ぎゅっ。
二人の手が、強く握られる。
「少なくとも、ユキノ以外のC&Cを処罰することはしない」
「うん」
「そして──」
ヒナは、ホシノを真っ直ぐ見つめる。
「今回のようなことを、二度と起こらないようにする」
「……そうだね」
ホシノも頷いた。
私は、その二人の姿を静かに見つめたのだった。
こうして、サキの誘拐を巡る事件は終わった。
対策委員会のみんなは──、
サキとアズサが退院するまでの少しの間、ミレニアム自治区で過ごす事になったのだった。
生徒同士が握手するシーンっていいよね。
ヒナと……とてもよかったぁ……(目逸らし)