【シャワー、お借りしました。ありがとうございます ꪔ】
「カ、カスミ室長!?」
「ん? どうしたんだ、アル? いま、シャワーを浴びているんだが?」
「シャーレの執務机に、変な付箋が貼ってあるんだけど!?」
「あぁ。それは、卑しいうさぎの生態だろう。ハハハッ……十中八九、ナワバリを広げているな」
「ナ、ナワバリ……!?」
──シャーレの執務室。
「……」
「……」
エアコンの効いた静かな部屋。
カーテン越しに朝の日差しが差し込む。
その部屋の中に響いているのは、紙をめくる音とキーボードを叩く音だけ。
執務室には朝の日差しが差し込む。
「……先生。この書類ですが」
「ん?」
すると、私の隣に座っている
「こちら、二日前に届いたワイルドハント芸術学園からのものです」
「ああ、これね」
「確認したところ、記載内容と添付資料に一部不備があります。オカルトという内容も意味不明です」
「え?」
「こちらをご覧ください」
トキが書類の一箇所を指差す。
「あ、本当だ」
「このまま承認すると、後々面倒なことになる可能性があります」
「じゃあ、差し戻しておこうか」
「はい。それがよろしいかと」
トキは淡々と頷く。
そして、私の隣で慣れた手つきにて、パソコンを操作していく。
今日は月曜日。
アビドスやミレニアムの皆と行った、
あの『
また、今日は、サキとアズサが遂にミレニアム自治区の医療施設から退院する。
ホシノ達も、それに合わせてアビドス自治区へ帰る予定らしい。
その事はアビドスのみんなとのモモトークから知っている。
(とにかく、二人が無事に退院できて嬉しいね)
そして──、
「……先生」
「ん?」
「次はこちらの書類をお願いします」
トキが次の書類を私の前に置いた。
その手際の良さは、とても初めてシャーレの仕事を手伝っているとは思えない。
「それにしても……トキって、こういう仕事もできるんだね」
「できます」
「即答だね!?」
「私は完璧なので」
トキは無表情のまま、静かに胸を張る。
「私のことを感謝しているのであれば、先生は私にご褒美を与えるべきです」
「ご、ご褒美……?」
「はい」
トキはキーボードを叩く手を止めた。
そして、ほんの少しだけ私から視線を逸らす。
「……内容は、まだ、秘密です」
よく見ると、その頬が僅かに赤くなっている。
「……まあ、私にできることなら、何でも!」
「はい」
トキは満足そうに頷いた。
「それに、便利屋68がシャーレを仮拠点として使用させてもらっている以上、何もしないというのも気が引けますので」
「ト、トキ……!」
私は少し嬉しくなる。
シャーレに赴任して、まだ一ヶ月も経っていない。
当然、私の業務を手伝ってくれる『当番』の生徒なんて存在しない。
それ故に──、
トキが初めてシャーレの当番をしてくれている。
「ありがとう。トキ」
「いえ。こちらこそ、仕事を与えていただいて助かっています」
「仕事を与えて?」
「はい」
トキはキーボードを叩く手を止めると、一度、こちらを見る。
「昨日までの私は、先生に食事や寝床を用意していただくばかりでしたから」
「……」
「ですが、今はこうして先生の仕事を手伝うことができます」
トキは小さく微笑んだ。
「これなら、少しは『
「……うん」
「それに──」
トキが、ほんの少しだけ目を細める。
「先生の隣は、何故か落ち着きますので」
「っ……」
不意打ちだった。
「そっか……」
私は思わず笑みを浮かべる。
「本当に、ありがとうね、トキ」
「はい」
トキとの会話を経て、なんだか少しだけ安心した。
トキなりに『便利屋68』をちゃんと大切に想っている事が伝わってきたから。
そんなことを考えていると──、
「……な、何してるのよ?!」
「……え?」
突然、部屋の入口から声が聞こえた。
振り返ると──、
「アル?」
「アル様……」
そこにはアルが立っていた。
その手には、歯ブラシが握られている。
「……二人は、朝から何をしてるの?」
「仕事だよ」
「仕事です」
私とトキの声が重なる。
「し、仕事?」
「うん。トキに手伝ってもらってるんだ」
「……」
アルがトキを見る。
トキは何事もなかったかのように、再びキーボードを叩き始めた。
「……トキ」
「はい」
「あなた、何してるの?」
「先生の仕事を手伝っています」
「……」
アルの顔が固まった。
「……便利屋68の社員として?」
「はい」
「……依頼でもなく?」
「はい」
「……お金も貰わずに?」
「はい」
「……」
アルは頭を抱えた。
「ちょ、ちょっと待って!?」
「どうされましたか、アル様?」
「どうしたのじゃないわよ!!」
アルがビシッと私を指差す。
「先生! どうしてトキに仕事をさせてるの!?」
「い、いや……! これは、その……トキが自主的に手伝ってくれてて……」
「そういう問題じゃないわ!」
アルはトキへ視線を向ける。
「トキ! あなた、昨日まで『便利屋68は自分達の力で再起する』って言ってたでしょう!?」
「はい」
「なのに、どうして先生の仕事を手伝ってるのよ?!」
「先生は特別です」
「特別って何よぉぉぉお!?!?」
アルが叫び声がシャーレに響く。
「では、アル様。本日の私は、先生のお世話があります」
トキが淡々と答える。
「アル様は……その……何か仕事を探してきてはいかがでしょうか?」
「も、もちろんよ!」
アルはトキに対して、勢いよく答えた。
「今日こそ、必ず──! 仕事を掴み取ってみせるんだから!」
ちなみにだが、昨日は仕事ゼロである。
その時だった。
──ピロン。
私の机の上に置いていた端末から、通知音が鳴った。
「ん? モモトーク?」
私は気になり、画面を見る。
未だに私のモモトークは、連絡先交換した生徒が少ない。
アビドスとミレニアムのみんな。
それと、リンちゃんくらいだ。
表示されている名前は──、
「……
アルが首を傾げる。
「ヒナ? 誰よそれ、先生?」
私はメッセージを開く。
気になったのか、トキとアルも私のスマホを覗き込む。
【先生。今日は、時間ある?】
続けて、もう一通。
【少し話したいことがあるの】
「先生、浮気ですか?」
「ト、トキは何を言っているのかな?」
「冗談です」
「絶対ちょっと楽しんでるよね……?」
トキは答えなかった。
私は改めてメッセージを見つめて、ヒナの真意を考える。
(なんだろう。まず、ヒナから直接連絡が来ること自体が珍しいし……このタイミングで、わざわざ私を呼び出すということは、あの『
けれど、答えが出るわけでもなく──、
(会って、直接聞くしかないよね)
【分かったよ! 今からミレニアムに向かうね!】
【ありがとう、先生】
それだけモモトークに打ち込むと、私は席を立ち上がる。
「ごめん、二人とも。シャーレを空けることになるけど、自由に使っていいから。まだ寝ているカスミとヒヨリにもよろしく」
「そう……分かったわ。先生も気を付けてね!」
アルが頷いて、そう言う。
その隣では──、トキは既に荷物をまとめ始めていた。
「ん? トキ?」
「はい」
トキは荷造りを終える。
「先生──それでは、ミレニアムに行きましょう」
「ト、トキィ!?!」
「──っ!?」
その言葉に、アルの顔が固まった。
「ト、トキ課長! 何をしているの!? ま、まさか……!」
アルが震える指でトキを指差す。
「先生について行くつもりなの!?」
「はい。私は先生の
「──っ!?!」
アルの表情が、完全に固まった。
「……ご、護衛?」
「はい」
トキは何の疑問も持っていないように頷く。
「先生はこれからミレニアムへ向かいます」
「ええ、そうね……」
「しかも、相手はあの
「──っ!?! え? せ、先生?」
私は苦笑しながらも、トキの言葉に頷く。
「だから、護衛が必要です」
「ええっと……私がヒナと戦うわけじゃないんだけどね?」
「いや、待って!」
アルが手を上げる。
「分からない。分からないわ! どうしてそうなるのよ!?」
「アル様、何か問題でも?」
「大問題よ!!」
アルは頭を抱える。
「昨日、私達は何て言った!?」
「……『便利屋68』は、ここから再起する」
「そうよ!」
アルはビシッとトキを指差す。
「なのに、どうしてあなたは朝から先生の仕事を手伝った挙げ句、今度は先生の護衛まで始めてるのよ!?」
「『
「それは便利屋68の依頼じゃないでしょう?!」
「しかし、先生を守ることは重要です」
「……っ」
アルが言葉に詰まる。
それは、トキの言っていることも分からなくはないかのように。
この世界では、何が起こるか分からない。
一歩でも街に踏み出したら、銃弾が飛び交う世界だ。
ヘイローを持たない先生にとって、この世界は残酷だ。
「アル」
「……何よ、先生?」
「それじゃあ、トキに護衛任務を頼んでもいいかな? 」
「先生まで!?」
「ええっと……トキが一緒に来てくれるなら、私も安心だから」
「……」
私はトキを見る。
「それに、何かあった時、トキがいてくれると助かると思う」
「っ……!」
トキの戦闘能力は高い。
以前、柴関ラーメン屋の前でアビドスと対峙した時。
ホシノと正面からやり合い、戦いが成立しているだけでも、キヴォトスの中でも上澄みだと私は思っている。
アルはしばらく黙り込む。
そして──、
「……分かったわ」
「アル?」
「ただし!」
アルがトキへ向き直る。
「これは『便利屋68としての正式な仕事』だからね!」
「承知しました」
「報酬は貰いなさいよ、トキ!」
「先生からご褒美をいただく予定です」
「──っ!?! ちょ、ちょっと!?」
アルの顔が一気に赤くなる。
(アルの表情は、ころころ変わって可愛らしいね)
「ご、ご褒美って何!?」
「秘密です」
「秘密ってなによ!?!」
トキは淡々と答えた。
「……」
アルが私とトキを交互に見る。
「……なんか、私の知らないところで話が進んでない?」
「き、気のせいじゃないかな?」
「絶対に、気のせいじゃないわ……」
アルは深いため息を吐いた。
「けれど、まあいいわ。社長たるもの『器』が違うのよ」
そして、アルは胸を張る。
「先生っ!」
「うん?」
「ミレニアムに行くなら、しっかりトキを連れて行きなさい! そして、トキは『便利屋68』の課長兼戦闘担当なんだから、先生の護衛くらい完璧にこなしなさい!」
「承知しました」
「それから──!」
アルは私を真っ直ぐに見つめる。
「何かあったら、すぐ私たちに連絡して!」
「アル……」
「私たちは、先生に助けてもらってばかりじゃ嫌なの」
先ほどまでの騒がしさとは違う。
アルは真剣な表情で私を見る。
「昨日、先生が言ってくれたでしょう?」
「……うん」
「私達は、ここからもう一度やり直す!」
アルは拳を握る。
「だから、先生が困った時には──」
ニッと笑う。
「
「っ……」
そのアルの言葉に、私は思わず笑みを浮かべる。
「ありがとう……うん、頼りにしてるよ」
「任せなさい!」
アルは胸を張る。
「先生は私たちの──
そう言って、アルは自信満々に笑った。
□■□■□■□■□■□■□■□■□
──ミレニアム自治区。
私とトキは、ミレニアムの大通りを歩いていた。
周囲には、巨大なモニターやホログラム広告。
道を行き交うのは、見た事もないような電子部品を搭載したロボットたち。
改めて見ると──、
「やっぱり、ミレニアムって凄いね……」
「はい」
トキが頷く。
「最新鋭の電子機器が多数確認できます」
「トキも詳しかったりするの?」
「いえ」
「興味もあったり?」
「いえ」
即答だった。
「私は先生の護衛ですので」
「……そっか」
話が噛み合ってない気もするが、深くは指摘しない。
トキは周囲を見回している。
その視線は、観光に来た生徒のものではない。
完全に、周囲の警戒をしている。
「……トキ」
「はい」
「そんなに警戒しなくても大丈夫だよ」
「そうでしょうか?」
「うん」
「しかし、先生」
トキは真剣な顔で私を見る。
「ミレニアムには、先生を狙う生徒が存在する可能性があります」
「え?」
「例えば、先生をラグジュアリーショップへ連れ込む女や、アジトに連れ込んで先生に掃除をさせる女がいるかもしれません」
「ず、随分と具体的だね……」
私が頭を抱える。
すると、トキは小さく首を傾げた。
「では、もう少し警戒を弱めます」
「そうしてくれると助かるよ、トキ……」
「了解しました」
そう言いながらも、トキの手は既に武器へ伸ばせる位置にあった。
「……本当に弱めた?」
「はい」
「……そっか」
そんなやり取りをしながら歩いていると──、
「先生、見えてきました」
「ん?」
トキが前方を指差す。
そこには、ミレニアムサイエンススクールの校門が次第に見えてくる。
ヒナから指定された場所は、ミレニアムの生徒会組織であるセミナーの生徒会室。
以前も訪れたとはいえ──、
「……なんだか、少し緊張するね」
「何故でしょうか?」
「ヒナに直接呼ばれたのは、初めてだからね」
「問題ありません」
「そうかな?」
「はい」
トキは淡々と答える。
「何か問題が発生した場合は、私が排除します」
「ぶ、物騒だなぁ……」
そんな会話をしながら、私達は校門を通り抜けた。
ミレニアムの校舎へ向かう道には、様々な生徒が行き交っている。
その中には、こちらを見て小さく声を上げる生徒もいた。
「……あれ、シャーレの先生じゃない?」
「隣にいるのって……あの校章……まさか、
「どうしてミレニアムに、ゲヘナの生徒が先生と一緒に……?」
視線を感じる。
「トキ」
「はい」
「……ちょっと目立っててごめんね?」
「そうでしょうか?」
「かなり目立ってるかと思うけど」
「問題ありません」
「そ、そう……」
トキは全く気にしていない。
そんな所もトキの魅力なのかもしれない。
トキは私の一歩前を歩きながら、周囲を警戒している。
「先生」
「うん?」
「そろそろ目的地に到着すると思われます」
顔を上げる。
廊下の先には、エレベーターがあった。
私たちはそのエレベーターに乗り込み、そのまま最上階へと向かう。
そして──、
──チン。
静かな音と共に、エレベーターの扉が開いた。
「……」
廊下を進む。
やがて、目的の部屋が見えてきた。
【セミナー・生徒会室】
その扉の前には、門番のように
「……え?」
私は思わず、足を止める。
「先生、どうされましたか?」
トキが心配そうに私の顔を覗き込む。
だが、私は門番のように立つ生徒から目を離せない。
──
──小さな堕天使のような
──首から縦横に走る正体不明の
そして、思わずエッチな本を見つけた日には、『ダメ! エッチなのは禁止! 死刑!』とでも言いそうな生徒。
見間違えるはずがない。
私はその生徒をよく知っている。
「……」
その少女もまた、私とトキを黙って見つめている。
「っ……! まさか……! 先生、下がってください! そこのチビっ子門番……先生を睨みつけて、どういうご要件ですか?」
トキが私を庇うように前に出て、その生徒に問いかける。
「……何? チビ?」
「答えないようですね」
──カチャリ。
トキが腰に掛ける二挺拳銃に手を添える。
「──っ!?」
私は慌ててトキの腕を掴む。
「ま、待って待って! トキ!」
「っ……はい、先生」
「ええっと……ただ、ちょっと、人見知りなんだと思うよ」
「っ……!」
その少女の肩がピクリと震える。
「だ、誰が人見知りよ!?」
その少女は私の言葉に反論する。
「た、ただ、単純に知らない相手だったから、警戒してるだけなんだけど!?」
「多分、それを、人見知りって言うんじゃないかな?」
「うっ……」
その少女は言葉を詰まらせる。
その時──、
セミナーの生徒会室の扉が開かれる。
「……どうしたの、
「……っ!」
その少女──
「あっ……ヒ、ヒナ会長」
姿を現したのは、ミレニアムサイエンススクールの生徒会長である
しかし、その視線が私の隣にいるトキへ向けられた瞬間──、
「……」
「……」
ヒナとトキの視線が交差する。
ほんの一瞬、それだけだった。
けれど、空気が僅かに張り詰めたような気がした。
「……ゲヘナの生徒?」
ヒナが静かに尋ねる。
「はい。『便利屋68』所属、
「っ……便利屋?」
「はい。そして、本日は先生の護衛として同行しています」
「……そう」
ヒナはトキをじっと見つめたのだった。