──翌朝。
「……失礼するわ」
ミレニアム自治区の医療施設。
その医療施設内にある病室に、一人の少女が入室する。
「あっ……ヒナ、会長」
「ユウカ、ノノミ。報告は聞いているわ……対策委員会も集合しているのね」
その少女──ヒナは病室に入り、周りを見渡す。
その病室内には、セミナーのユウカとノノミとSRT特殊学園のセリカ。
そして、対策委員会のノア、アズサ、サキ、チナツがいる。
つまり──、
「……
ヒナが眉を顰めながら、確認する。
「っ。ミレニアムの方々に頼むのも申し訳ないのですが……ホシノ先輩の行方は追跡できたのでしょうか?」
ノアが尋ねる。
「ヴェリタスに依頼はしたわ。けれど……彼女はまだ見つかっていないそうよ」
「……そう、ですか」
ノアの表情が僅かに曇る。
その隣では、ユウカがスマホを操作している。
「この施設内の監視カメラ映像はチェック済みです。昨夜から現在までの監視記録では、ホシノさんが施設の正面玄関から出た記録はありません」
ユウカが眉を顰めて、唇を噛み締める。
「裏口はどうなのでしょうか?」
「そちらも映っていなかったです」
「窓から出た可能性は……?」
チナツがユウカへと尋ねる。
「強いて言うなら、その可能性くらいかと……けど、この廊下にも監視カメラはあります。廊下に出たとして、死角になる窓も殆どなく……それに、この階は高層階です。ホシノさんの身体の状態を考えても、窓から出たとは考えにくいんじゃないかなと」
「じゃあ……どうやって消えたんだ」
アズサが唇を嚙みしめながら呟く。
「そもそも、ホシノ先輩は怪我しているからな……」
サキはホシノの怪我を思い返して、表情を歪める。
「そうね。あの戦いで、
ヒナはホシノの怪我を思い返す。
「あの負傷状態で……この階から窓で飛び降りるのは、今の
「そう、ですよね。昨日の時点では、ホシノ先輩は……まだ一人で長時間歩けるような状態ではありませんでしたし」
ヒナとノノミは俯く。
「それなのに、ホシノ先輩が病室からいなくなったという事ですか」
チナツは拳を握る。
「……何なんだよ、それ」
サキは、誰もいないベッドへ視線を向けた。
「病室に……争った形跡はないわね」
「はい」
ユウカが頷く。
「医療スタッフも、誰かに連れ去られたというより……本人が自分で出ていった可能性が高いと考えていました」
「自分から……?」
セリカが目を見開く。
「じゃあ、ホシノ先輩は、誰にも言わずに自分の意思でどこかへ行ったっていうの?」
「はい。おそらくは……」
そんな時──、
ヒナのスマホ端末に
「っ……
『お疲れ様です。ヴェリタスのイロハです』
「えぇ、おつかれ。ホシノの件でしょう?」
『はい。その件について、少し妙なことが分かりました』
イロハの声は、いつもより僅かに硬かった。
「妙なこと?」
『はい。まず、ホシノさんが医療施設から出た形跡についてですが……正面、裏口、非常階段、搬入口。すべて確認しました』
「それで?」
『どこにも形跡はありません』
「……」
病室の空気が、一瞬で重くなる。
『監視カメラの映像も確認しました。昨夜から今朝まで、該当する時間帯をフレーム単位で確認しています』
イロハが淡々と説明を続ける。
『ですが──ホシノさんが、この病室を出た映像そのものが存在しません』
「……どういうこと?」
ユウカが反射的に聞き返す。
だが、イロハの言葉を聞き、病室内の全員が息を呑んでいた。
イロハは溜息を吐いて、一拍置く。
『ホシノさんが病室を出た筈がないんです……ただし、午前二時十三分頃。病室周辺の監視カメラに、数分間だけ
「っ……異常とは何なんですか?」
ノアが聞き返す。
『その異常は、監視映像が、第三者によって
「……え? ミレニアムの監視システムを改竄?」
ユウカを含めたミレニアムの三人が目を見開き、病室に緊張が走った。
「ここの監視システムの改竄をできる組織なんて……」
ノノミの声も震える。
「そんなこと、簡単にできるはずがありません……! 医療施設の監視システムはアクセス権がなければ、ヴェリタスですら入り込むことが困難なのでは……」
『はい。だからこそ、今回の件は妙なんです』
イロハの声は、普段よりも慎重だった。
『改竄された形跡はあります。ですが、ここまで侵入する痕跡がありません』
「侵入の痕跡が……ない?」
『はい』
イロハが淡々と説明する。
『外部からネットワークへ侵入した痕跡もありません。内部端末から操作された記録もない。管理者権限が使用された形跡すらありません』
「……それじゃあ、一体どうやって?」
『分かりません』
イロハが即答する。
『正確には、誰かが改竄したと断定することすら難しい状態です。こんな手口……まるで人ではなく、監視システムそのものの
イロハが少し間を置く。
『監視カメラの記録上、ホシノさんは午前二時十三分までは確実に病室にいました』
「二時十三分までは……?」
『はい』
『正確に説明するのであれば、二時十三分から五分間だけ、監視システムに異常が発生しています』
イロハの声が低くなる。
『その五分間だけ、病室周辺の映像データに不自然な空白があります』
「空白ですか?」
『映像そのものは存在します』
「なら、何がおかしいの?」
『映っている内容が……おかしいんです』
ユウカが眉を寄せる。
『五分間、病室の映像は
「……同じ?」
『はい』
イロハが説明する。
『ベッド。点滴。窓。壁。時計。そして、ベッドに横たわっているホシノさん』
「……」
『映像上では、ホシノさんは五分間ずっと同じ姿勢で眠っています』
「それなら……何もおかしくないんじゃ?」
サキが口を挟む。
『普通なら、そうでしょう』
イロハが答える。
『ですが、映像を詳細に比較すると──』
少しの沈黙。
『五分間、全く同じ映像なんです』
「「「……!」」」
全員の表情が変わる。
『髪の毛一本の揺れもない。カーテンも動かない。点滴の液体も落ちていない。時計の秒針すら、五分間同じ位置にあります』
「……つまり」
ノアが静かに口を開く。
「その五分間だけ、映像が停止していた、と?」
『その可能性が高いです』
イロハが答える。
『ただし、映像ファイル自体には停止したという記録がありません』
「……」
『システム上は、正常に五分間撮影されたことになっています』
ヒナは目を細める。
「イロハ。ホシノの病室に、他に何か残っていない?」
『現在、詳しく調査しています』
「何でもいいわ。指紋、足跡、通信記録、医療データ……少しでも手掛かりがあれば教えて」
『分かりました……あっ……』
「どうしたの?」
『一つ、妙なものがあります』
「何?」
『ヒナ会長……テーブルに
イロハの声が、ほんの僅かに震えた。
「……手紙?」
ヒナはベッド脇の小さなテーブルへ視線を向ける。
そこには──、
「
白い封筒が置かれている。
『その手紙の置かれ方が、例の五分間を経て、カメラ映像では違っていました。中身には何と……?』
ノアが近付く。
「宛名は……『暁のホルス』と書かれていますね」
「暁のホルス……?」
セリカが眉を寄せる。
「何だそれ……?」
「私も聞いたことがありません」
アズサも首を横に振る。
ヒナは封筒を手に取り、その中身を取り出す。
──その中には、一枚の写真が入っていた。
「……っ!? これは……」
ヒナは裏向きの写真をひっくり返して、目を見開く。
「どうされたんですか、ヒナ会長?」
そんなヒナの様子に、ノノミが近付く。
「……え? これは、
「ん? 何なのよ、私の名前を呼んだ?」
ノノミの言葉に、セリカも写真を覗き込む。
──その写真には、ホシノがノノミやセリカを抱き寄せる
写真の中のホシノは、嬉しそうな満面の笑顔を浮かべている。
その左右には、まだ幼さの残るノノミとセリカを含めた四人の生徒がいる。
「……私達が映ってますね。けれど、
ノノミが、小さく呟いた。
「な、何で、入学式の写真が……!? それに、ここは何処よ!? SRT特殊学園じゃないわよ」
「……そうね」
ヒナは写真を静かに見つめる。
ヒナだけはこの写真の
ヒナは答えない。
ただ、写真を見つめ続ける。
「……イロハ」
『はい』
「この写真は私が預かるわ。後日、この写真は調べて」
『……? 分かりました』
ヒナはそう言い、写真を封筒に入れ直す。
「……
ヒナはポツリと呟いた。
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──同じ頃。
コンクリートの壁に覆われた、地下通路に
照明は薄暗く、時折点滅を繰り返す。
此処は、ミレニアム自治区の医療施設ではない。
人気すらない地下通路を、その少女は黙々と歩き続ける。
そのうちの一人──
「……ねぇ、
ホシノは車椅子に座ったまま、顔を上げて車椅子を押す少女に話しかける。
「……もう少しです」
その少女は、表情の一つすら変えずに淡々と言葉を返す。
──
──ピンク色の瞳。
そして──
その姿を見ながら、ホシノは小さく息を吐いた。
「いやぁ……確か
「……」
ホシノは、車椅子の背もたれへ身体を預けて、言葉を続ける。
だが、その少女──
「おじさん、最近ずっと病室だったからねぇ。せめて、もうちょっと説明してくれてもいいんじゃないかなぁ?」
「……それは、必要なことですか?」
セリナは言葉に抑揚すら持たせない。
「うへぇ……」
ホシノは困ったように笑った。
「……」
返事はない。
ただ、車椅子を押す手だけが、一定の速度で動き続けている。
コツ。
コツ。
コツ。
車輪が、無機質な床の継ぎ目を越えていく。
「……ねぇ」
「はい」
「おじさん、昨日まで病院にいたんだけどさぁ。気が付くと、此処にいたんだよね?」
「知っています」
「それで、約束してくれた通り……本当に
「……」
ホシノが手に持つ手紙に力が入る。
セリナが、初めて足を止めた。
「
「っ……そっか……けど、なんでこんな所にいるのかな?」
セリナは再びゆっくり歩き出す。
「必要なことだからです」
「必要なこと?」
「はい」
「誰にとって?」
「……」
セリナは答えなかった。
その代わりに──、
「もうすぐです」
そう言って、歩き続ける。
「うへぇ〜……」
ホシノは天井を見上げた。
「質問に答えてくれない人ばっかりだなぁ、今日は」
冗談めかして言う。
しかし、その瞳からは、いつもの眠そうな雰囲気は、ずっと
──病室に届いていた写真と手紙。
──自分が病室から消えたこと。
そして──、
こうして見知らぬ地下通路を進んでいること。
ホシノにも、これが異常な事態だということくらいは分かっていた。
それでも──、
ホシノは止まらない。
やがて地下通路の先に、一つの扉が見えてくる。
周囲の壁とは明らかに違う。
古びた鉄製の扉。
その中央には、見慣れない紋章のようなものが刻まれていた。
「……ここ?」
「はい」
セリナが足を止めた。
そして、車椅子の横へ回り込む。
「目的地に到着しました」
「……そっか」
ホシノは扉を見上げる。
「ここに、おじさんが会いたい人がいるってことでいいの?」
「はい」
「誰なの?」
「……」
「セリナちゃん?」
「私から説明することではありません」
「うへぇ……」
ホシノは苦笑した。
「やっぱり答えてくれないんだねぇ」
「申し訳ありません」
セリナは淡々と頭を下げる。
その仕草に、ホシノは少しだけ目を細めた。
「……セリナちゃん」
「はい」
「一つだけ聞いていい?」
「どうぞ」
「おじさんをここまで連れてくること……嫌じゃなかった?」
「……」
セリナの足が止まる。
ほんの一瞬、その表情に、僅かな変化があった。
「……必要なことですから」
「そっか」
ホシノは、それ以上聞かなかった。
「じゃあ……よろしくねぇ」
「……はい」
セリナは扉へ手を伸ばす。
その向こうには──、
薄暗い部屋が広がっていた。
中央には、一つのテーブル。
そして、その奥に
その背後には、
「……っ……へぇ……なるほどねぇ」
ホシノはその二人を知っている。
「
ホシノは、二人を交互に見つめる。
「……どうして、ここにいるのかなぁ?」
「っ……」
ユキノは答えない。
ただ、ホシノを真っ直ぐに見つめていた。
その瞳には、ホシノに対する警戒と憎しみが宿っていた。
「お久しぶりですね、暁のホル……いえ、
黒服が、静かに口を開く。
「そうだねぇ……とは言っても、おじさんは黒服の人に会いたいと思ってないけどね」
ホシノは車椅子に座ったまま、肩を竦める。
「そうですか。それは残念ですね」
黒服は愉しそうに笑いながら、テーブルの上に肘を付ける。
そして──、
テーブルの上に置かれていた
「ホシノさんは、あの写真と手紙を見て此処へ来たのでしょう?」
「……」
ホシノの表情から、僅かに笑みが消える。
車椅子の上で、手にしていた便箋を握り締めた。
「……そうだねぇ」
「そして、こうして私たちの前に来てくださった」
「うん」
「随分と素直ですね」
「……まあねぇ」
ホシノは、いつものように軽く笑う。
「おじさんも、気になることがいっぱいあるからさぁ」
「例えば?」
「どうして、おじさんの病室にあんな意味不明な写真を置いてあったのか?」
「……」
「どうして、この前サキちゃんを誘拐した黒服やユキノちゃんがいるのか?」
ホシノの目が細くなる。
「そして──最後に、どうして
黒服が、部屋の奥にある一つの扉へと視線を向ける。
「なるほど。そうですか」
黒服は、愉しそうに呟いた。
「何でそんな態度なの? 私としては、ユメ先輩の事がないのなら、今すぐにお前たちをぶちのめしているところだよ」
「クックックッ……アビドス最高の神秘をお持ちのホシノさんからの脅しは恐ろしいですね」
「……っ。いい加減にしてッ! 私をこんな所まで拉致した癖にまだ答えないの!? 私の質問に答えてよ!! 」
ホシノの声が、薄暗い部屋の中に響き渡った。
「……」
黒服は、しばらく黙っていた。
やがて──、
「……分かりました」
ゆっくりと椅子から立ち上がる。
「ふふ、以前とは状況が変わりましてね。今回は再度、アビドス最高の神秘をお持ちのホシノさんへご提案をしようとお呼びしました」
「っ! 提案? ふざけるな! それは前にも断っ…… 」
黒服はそう言い、部屋の奥にある扉へと向かい、その扉を開ける。
その先には──、
「この施設は元アビドス高等学校──その
「……研究施設?」
ホシノは眉を寄せる。
「何のために、そんなものを……」
「それは、実際に見ていただいた方が早いでしょう。ホシノさんがお求めの答えも、そこにあります」
黒服はそう言って、扉の奥へと進んでいく。
ホシノも車椅子に座ったまま、その後を追う。
セリナが静かに車椅子を押した。
扉の先に広がっていたのは──、
「……っ」
ホシノが息を呑む。
そこには、広大な地下空間が広がっていた。
──壁一面に並ぶ無数のモニター。
──複雑に組み上げられて稼働し続ける機械。
──見たこともない形状の装置。
無数のケーブルが床や天井を這い、中央には巨大な円形の装置まで設置されている。
その光景は、まるで──、
「こちらは……私たちの実験室になります」
「……実験室?」
「えぇ、そうです」
黒服が頷く。
「ここは、
「……何を研究してるの?」
「それを説明する前に──」
黒服が、研究施設の奥を指差した。
「ホシノさん。こちらをご覧ください」
「……?」
ホシノは、その方向へ視線を向ける。
──研究施設の最奥。
そこには、一枚の巨大なガラス窓があった。
その向こうには、さらに隔離された部屋が存在している。
そして──、
「……え?」
ホシノの表情が固まった。
巨大なガラスの向こう側。
そこには一つの白いベッドが置かれ、その上には
「……」
少女の身体には、いくつもの医療用ケーブルが繋がれていた。
──胸元には電極。
──腕には点滴。
そして、口元には──人工呼吸器。
「……」
ホシノの瞳が、大きく見開かれる。
その瞬間──、
ホシノは痛みも忘れて、車椅子から立ち上がる。
「……
掠れた声が、ホシノの口から漏れる。
それは、ホシノが何度も焦がれてきた名前だった。
「……ユメ先輩……! ユメ先輩!!」
ホシノは身体がふらつきながらも、ガラス窓まで駆け寄り、その窓を叩く。
「ほん、とうに……ユメ先輩が……此処に……ユメ先輩っ……ユメ先輩……!!」
ガラスの向こうにいる少女──ユメは、目を閉じたまま微動だにしない。
しかし、ユメに繋がれた人工呼吸器が、一定の間隔で空気を送り込み、彼女の胸が静かに鼓動しているのが分かる。
ホシノの手が、ガラスの上で震える。
「生きてる、ユメ先輩が生きてる……」
その言葉を口にした瞬間。
ホシノの目から、一筋の涙が零れた。
「生きてたんだ……」
何度も。
何度も夢に見た。
もう一度だけ会いたい。
もう一度だけ、あの人の声を聞きたい。
もう一度だけ──。
「……私は、ずっと……! ユメ先輩に……会いたくて、会いたくて……」
ホシノは、ガラスに額を押し付ける。
「ユメ先輩は死んだんだって……そう思ってたのに……生きててくれて……」
「……」
黒服は、そんなホシノの姿を黙って見つめていた。
ユキノとセリナも、また何も言わない。
ただ、ユキノの表情には、