仕事終わりにカンナと、おでんをツンツンするには、どれだけ前世で徳を積めばいいですか。
シャーレの正面玄関へと近づく。
先程まで不良生徒達に囲まれていたシャーレは、今では不気味なほど静まり返っていた。
「……静かだね」
エイミが周囲を警戒しながら呟く。
「そうね。さっきまであれだけの不良達がいたのに」
ユウカも私の傍で銃を構えたまま、シャーレの入口を見つめている。
「不良達は撤退したはずですから、建物内に残っている可能性は低いと思われます」
アヤネが眼鏡を押し上げる。
「ですが、正面玄関の防犯カメラに『狂犬』が映っていたのであれば……恐らくはもう既に」
「カンナが建物の中にいる可能性は高いね」
「えぇ、そうですわ」
私はシャーレを見上げた。
自分がこれから働くことになる場所。
ゲームの中では何度も見た場所。
そして、この世界では──一度も足を踏み入れたことのない場所。
この建物内に、私の知っているカンナとはまるで違う『尾刃カンナ』がいるかもしれない。
「先生、私が先に入ります」
ユウカが私の前に立った。
「分かった。お願いするよ」
「はいっ! お任せください!」
ユウカは頷き、慎重にシャーレの入口へと近づいていく。
銃を構え、周囲を警戒しながら、自動ドアの前に立つ。
「……っ。セキュリティシステムが解除されています。扉が開いているみたいね」
本来ならば認証が必要な自動ドアが、認証せずに素通りできてしまう。
その事実に──誰かがシャーレ内に侵入している事を皆が認識して、顔を強ばらせる。
私たちは、警戒しながらゆっくりと、シャーレの建物の中へと足を踏み入れたのだった。
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シャーレ内部は広く、初めて入ると案内がなければ迷いそうであった。
そして──、私たちはまず、誰もいない執務室へと辿り着く。
「……本当に、シャーレに来たんだな」
私は思わず呟いた。
ここまでは長い廊下を警戒しながら歩きつつ、部屋を見て回ってきたが、やはり
「先生? どうかしましたか?」
「いや、何でもない。すまないね、アヤネ」
私は首を振る。
今は感傷に浸っている場合ではない。
「アヤネ。カンナの位置を特定できそう?」
「ドローンを先行させていますが、ここよりも上層階に人の気配はありません」
アヤネがドローン端末を操作しながら、考え込んでいる。
私は原作知識を思い返し、カンナがいるべき場所を考える。
(原作では襲撃者がワカモだったが、カンナもワカモと同じ場所にいると、仮定するのであれば──、)
「……シャーレには地下室があるはずだ。みんな、地下に行ってみよう」
クラフトチェンバーがある地下室に、カンナはいる可能性が高い。
「先生。絶対に、私から離れないでくださいね」
「分かってるよ、ユウカ」
「本当にですよ?」
「はは……分かってるってば」
「……本当に、本当にですよ?」
私の前を先行するユウカが度々振り返りながら、私をじっと見つめてくる。
「ふふ、ユウカさん」
ハルナが微笑みながら声をかける。
「先生が心配なのは分かりますが、少々過保護ではありませんか?」
「なっ! こ、これくらいは過保護じゃありません! 私は先生の護衛です! それに、その……先生はヘイローがないんですよ!? 」
「ふふっ。そうでしたわね」
「笑い事じゃないです!」
そんなやり取りをしながら、私たちは地下へ向かう階段を見つけ、階段を下っていく。
地下室へと近付くにつれ、皆の警戒度合いが増していき、アヤネが息を飲む音が聞こえた。
そして──、地下への階段を下りきると、
連邦生徒会長が先生に残したとされる『クラフトチェンバー』が置かれていた。
あらゆる物質を生成することが可能な大型の3Dプリンターと呼ぶべき、オーパーツだ。
そんなブルーアーカイブで日課としてお世話になっていたクラフトチェンバーが地下には存在しており──、その前に誰かが立っていた。
「……誰かいる」
エイミが小さく呟く。
その人物は背を向けている。
クリーム色の長い髪。
頭からピョコンと可愛く飛び出す獣耳。
だが、百鬼夜行連合学園を彷彿とさせる、彼女が着ているのが見慣れない
そして、その片手には拳銃が握られていた。
私達は足を止め、エイミの声に反応したのか──クラフトチェンバーを見つめていた彼女が、ゆっくりと振り返った。
──鋭い目付き。
──険しい表情。
──そして、口から見えるギザ歯。
彼女は、こちらを警戒するような視線で、直ぐさま拳銃を構えて臨戦態勢を取る。
私は、その顔を知っていた。
ゲームの画面越しに──何度も見たことがある。
「……カンナ」
思わず、名前が口から漏れた。
彼女の眉が僅かに動いた。
「……大人? 私を知っているのか?」
とてつもなく、低い声であった。
私の知っているカンナと同じ声ではあるが、まるで違う声のように思えた。
「うん。勿論だよ」
「そうか。私も嫌な意味で有名になってしまったものだな」
「……っ。私はシャーレの先生だよ。これからよろしくね、カンナ」
私はカンナと直ぐさま対話を試みる。
なぜなら、カンナはどこか孤独で寂しそうに見えて、直ぐにどこかへと消えてしまいそうに思えたから。
ヴァルキューレ警察学校の公安局長として、部下に慕われて仕事に没頭する彼女とは別人のように見えてしまう。
カンナは、小さく息を吐くと、こちらを睨みつける。
「あなたがシャーレの、先生か。噂には聞いています。ここに侵入した私を捕まえにでも来たんですか」
「……違うよ。私は君と話をしに来たんだ」
「……何?」
カンナの鋭い目が、僅かに見開かれた。
「先生、下がっていてください!」
私はカンナへと歩み寄ろうとするが、前方にいるユウカが銃を構えて、私を抑える。
「大丈夫。私も先生のこと守るから」
「そうですわ。先生に指一本でも触れたら、爆破して差し上げます」
「私も微力ながら、先生に射線は通しません」
カンナの視線が、ユウカ達へと向けられる。
「……随分と信頼されているようですね」
「え?」
「あなたの前に立っている生徒達です」
カンナはユウカ達を見つめて、どこか遠い目をしている。
「皆の立ち方。これは、私へ危害を加えるのではなく、あなたを守ることを最優先にしている」
カンナは生徒の皆を一瞥して、私と再び視線を合わせる。
「そして、誰も私へと撃ってこない」
「撃つ必要がないからね」
私は直ぐに答えた。
確かにシャーレの建物内にはカンナがいた。
けれど──、
「まだ、君が敵だと決まったわけじゃない」
「……私が矯正局から脱出した危険な生徒だとしても?」
「連邦生徒会からその旨も聞いている。けれど、矯正局から脱出した事と、今回の騒動が起こった事は別の話だよ」
「……」
カンナは黙ったまま、私をずっと見つめていた。
「君が危険な生徒だと聞いたから、話をする前に敵だと決めつける。それは、先生として正しいことではないと私は思う」
「……なるほど」
カンナの表情からは、何を考えているのか読み取れない。
ただ、拳銃を構えている指が──ほんの僅かに緩んだように見えた。
「随分と甘いんだな……先生」
「そうかな? けど、カンナがそう言うならそうなのかな?」
「普通なら、私を見た時点で銃を向けるべきですよ、まったく……」
「私は銃を持っていないからね」
「そういう意味では無いんですけどね」
カンナの声は低い。
けれど、先ほどまでの敵意は僅かに薄れていた。
「あなたは、私が何をしたのかも知らないから、そう言える。私がこれまで誰を傷つけたのかも、何を壊したのかも知らない。それなのに、私を信じると言うのか?」
「信じるとは言っていないよ」
「……何?」
「私は、
カンナの眉が僅かに動いた。
「君が本当に危険な生徒なのか。なぜ矯正局に捕まり、脱出したのか。なぜシャーレに侵入したのか」
私は一歩だけ前へ出る。
すぐにユウカが私の前へと立とうとしたが、私は手で制した。
「そして──君が、どうしてそんな顔をしているのか」
「……っ」
カンナの表情が、僅かに強張った。
「……そんな顔だと?」
「うん。上手くは言えないけどさ」
私はカンナを見つめる。
「君は、怒っているように見える。でも、それだけじゃない」
「……」
「何かを諦めているようにも見えるし、誰かに裏切られたようにも見える──君が助けを求めているように見える」
「っ! 先生っ! 下がってください!」
ユウカが心配そうに私の名前を呼んで、後方へと私を隠す。
カンナは何も言わなかった。
ただ、拳銃を握る手に力が入り、私を見つめる目は揺れていた。
「……私の事を。今日会ったばかりのあなたが、知ったような口を利くな」
「うん。ごめんね、カンナ」
口調を荒らげるカンナに、私は素直に謝った。
「私は君のことを何も知らないのに、分かったようなことを言った」
「……」
「だから、話してほしいんだ」
カンナの目が、僅かに揺れた。
「君が何を見て、何を感じて、これから何をしようとしているのか」
「……私の話を聞いて、どうするんですか?」
「話を聞いた上で、必要なら力になる」
「……私が悪党だとしても?」
「もし犯罪を犯したなら、勿論、その責任は取らないといけないと思う」
私はゆっくりと、言葉を選びながら答える。
「でも、犯罪を犯した生徒を切り捨てることが、先生の仕事だとは思っていない」
「……」
「間違ったなら、どうして間違ったのかを一緒に考える。困っているなら、どうすれば助けられるかを考える」
私は胸に手を当てて、カンナに向かって告げる。
「それが、私のなりたい──
カンナは、何も答えなかった。
長い沈黙が地下室に落ちる。
ユウカ達も、いつの間にか口を閉ざしていた。
カンナは、私から視線を外して、再びクラフトチェンバーに目を向ける。
それはまるで、私の言葉の中に何かを探しているかのようで──、
「あなたは……いや、先生は」
やがて、カンナは私へ振り返りながら、口を開いた。
「本当に、何も知らないんですね」
「うん。今日キヴォトスに来たばかりでね」
「ははっ。そうか、私のことも。この街のことも、まだまだ知らないんですか」
カンナは小さく笑った。
そのカンナの笑顔は、消えてしまいそうなくらいに儚くも……少しだけ嬉しそうに見えた。
「それなのに、先生を名乗るのか」
「うん。まだ分からないことだらけだけどね」
「……そうですか」
カンナはゆっくりと銃口を下げた。
それを見て、ユウカ達も僅かに構えを緩める。
「……ここに来れば、何か分かると思っていた」
「何かが?」
「あぁ。連邦生徒会長が残したとされるものを見れば……」
カンナは一瞬、言葉を詰まらせた。
「……いや、しかし。今のあなたに話しても、やっぱり意味はない」
「意味がないって?」
「あなたはまだ、何も知らないからだ」
その言葉に、私は眉を顰める。
「なら、教えてよ、カンナ」
「……っ」
「私が何も知らないなら、なおさら教えてほしい」
私はさらに一歩踏み出した。
「カンナ。君は何を知っているの?」
カンナの目が、僅かに細められる。
「先生」
その声には、先ほどまでとは違う響きがあった。
まるで──私を試すような。
「あなたは、この
「……え?」
「この世界は、あなたが思っているほど優しくないんです」
カンナは銃を下ろしたまま、静かに続ける。
「正しい人間が報われるとは限らない。正義を掲げた人間が、正しい場所に立っているとも限らない」
その言葉を聞いて、私は息を呑んだ。
カンナは、私の傍にいる四人の生徒へと視線を向ける。
ゲヘナの風紀委員会に所属するアヤネ。
トリニティの正義実現委員会に所属するハルナ。
トリニティ自警団に所属するエイミ。
そして、ミレニアムのセミナーに所属するユウカ。
「……この世界では、自分の居場所を間違える」
カンナが、ぽつりと呟いた。
「誰かがそれを決めたのか。それとも、自分で選んだのか──それは、もう、私にも分からない」
「カンナ?」
私は彼女の言葉の意味を理解しようとする。
だが、カンナはそれ以上何も語らなかった。
「先生は、私のことを知りたいと言いましたね?」
「うん。勿論、私はカンナの事を知りたいよ」
「なら、まずは自分自身のことを知るべきです」
「……私自身?」
「あぁ──あなたが、何者なのか?」
その言葉に、背筋が冷たくなる。
まるで、カンナが私の秘密を知っているかのようだった。
私は、この世界の人間ではない。
日本から来た、ただの一般人。
ブルーアーカイブというゲームを知っていて、この世界の未来を原作知識として知っているだけの人間。
「……カンナ、それはどういう意味?」
「さあ……しかし、先生ならいずれ分かると思います」
その瞬間だった。
カンナの足元に、何かが転がる。
「──っ!? 先生!! 隠れてください!!!」
ユウカが私を引き寄せて、覆いかぶる。
次の瞬間──白い煙が一気に地下室へと広がった。
「煙幕!? ま、まずいです。カンナさんを逃がしてしまいます!」
アヤネが叫ぶ声が聞こえる。
「先生の安全を最優先にしてください! ユウカさん! 先生はお守りできていますか!?」
「先生、どこ!? 大丈夫なの!?」
ハルナとエイミも私を心配して叫ぶ声が聞こえる。
「先生は私が覆いかぶさっているから、大丈夫です!!」
「よ、良かった……けど、煙が濃すぎ。このままだとカンナを見失っちゃう」
私は煙の向こうへと目を凝らす。
僅かに見えたのは、クラフトチェンバーの脇を駆け抜けて階段を駆け上がろうとする人物の影がある。
「待って、カンナ!」
私はカンナに向かって叫んだ。
その声にカンナの足が止まり、煙の向こう側で彼女が私へ振り返る。
「また、会えるのかな?」
私がそう尋ねると、カンナの獣耳が跳ねた気がした。
そして──、
「……あなたが、先生なら」
そう言い残すと、カンナは階段の向こうへと消えていった。
私は後を追って駆け出そうとした。
だが、すぐにユウカに腕を掴まれる。
「先生、追うのは危険です! もう追いつけません!」
「……っ」
階段の先には、既にカンナの姿はない。
煙幕は少しずつ薄れていき、地下室に再びクラフトチェンバーの姿が浮かび上がる。
「……逃げられましたわね」
ハルナが周囲を見渡しながら、静かに呟いた。
「煙幕を使うタイミングも、逃走経路も完璧でした。けれど、あの状況で、先生を傷つけることなく逃走するだなんて……」
アヤネが驚いたように言葉を続ける。
「『狂犬』、か」
エイミも階段の方を見つめたまま呟いた。
「……そうだね」
私は返事をしながら、カンナが立っていた場所に歩み寄る。
同じ場所に立ち、私は考えを巡らせる。
私の頭の中には、カンナの言葉が残っていた。
──あなたは、この世界をどう思う。
この世界は、私が知っている『ブルーアーカイブ』とは違う。
アヤネがゲヘナにいる。
ハルナがトリニティにいる。
エイミがトリニティにいる。
ユウカがミレニアムのセミナーにいる……これは正常か。
そして──カンナは、百鬼夜行の『狂犬』として矯正局から脱出していた。
それは、最初は小さな違いだと思った。
けれど、この違いは私が思っている以上に、大きな違いに膨れ上がっているのかもしれない。
私の中にある原作知識は、未来を知る万能の力だと思っていた。
しかし──、
(もしかしたら、私の原作知識は……この世界では、何の役にも立たないのかもしれない)
──こうして、私と『狂犬』尾刃カンナの最初の邂逅は終わった。
私が『先生』として生きるためには──原作知識だけでは、足りない。
けれど、それは元より上等だ。
──自分の目で見て。
──自分の耳で聞いて。
──自分自身で、生徒達と向き合わなければならない。
たとえその先に待っているものが──私の知っている結末とは、まったく違うものだったとしても。
──それでも、私は、生徒達の先生でありたい。
その決意を胸に、私は連邦生徒会長が残したオーパーツに目を向けるのだった。