現代日本風の異世界に転生した俺は言語習得に失敗する 作:肩たたき券の起源
転生特典というのは、案外ガバガバなものらしい。
神様的な存在から「現代日本とよく似た環境の異世界へ転生させてあげるね」と言われたとき、俺は勝ち組を確信した。チート能力なんてなくても、前世の知識があれば余裕でイージーモードの人生を送れるはずだと。
実際、生まれ変わった世界は素晴らしかった。
街にはコンビニがあり、人々は薄型スマホをいじり、道路にはハイブリッド車が走っている。まさに「現代日本風」のパラダイスだ。
――ただし、言葉を除いては。
「ツカ、コレ、オイシイ。タベル?」
目の前で、母親のミサがゆっくりとした口調で皿を差し出してくる。
彼女が話しているのは、この世界の言語(仮にアール語と呼ぶ)だ。文字はアルファベットをぐにゃぐにゃにしたような形状で、発音は喉を鳴らすような独特の響きを持つ。
「ア、ウ……。オレ、タベル。アリガト」
俺はたどたどしく答え、皿を受け取った。
これが、転生して十五年が経った俺の語学力の限界だった。
単語を並べただけの、カタコト。
聞き取りに関しても、相手が俺のレベルに合わせて極限までゆっくり、かつ単純な単語だけで話してくれないと全く理解できない。
普通に街を歩いていて、通行人同士の会話やテレビのニュースを聞いても、ただの「雑音」にしか聞こえないのだ。
(なんでこうなった……)
原因は分かっている。前世の日本語脳が強固に残りすぎていたせいだ。
アール語の発音には、日本語に存在しない周波数が使われている。
脳が「日本語」という完璧なシステムに支配されているせいで、その周波数によって単語を聞き分ける能力が十分に身につかなかったのだ。
この感覚をわかりやすく説明すると、子音を区別できなくなった日本語だ。
『こんにちは』は『おんいいあ』。
な?意味不明だろ?
幼児期の脳には臨界期というものがあり、その時期は言語習得に適していると言われているが、どうやらそれは前世の記憶持ちには適応されないらしい。
前世では英語はいつも赤点ぎりぎりだった。
リスニングテストではずっとサイコロを振っていたし、文法だって簡単なものしか理解できなかった。
仮にアール語と日本語を対応させた単語帳や教科書があったとしても、俺の語学力は今と大して変わらなかっただろう。
おかげで俺は、周囲から「ちょっと発育の遅い、大人しい子」として扱われてきた。
両親や数少ない友人は親切なので、俺と話すときはいつも「赤ちゃん言葉」のような簡易アール語で話してくれる。だが、そんな生ぬるい環境もそろそろ限界だった。
だって、もうすぐ高校生になるお年頃なのだ。
このままでは高校の授業はおろか、バイトすら厳しい。一生、親のすねをかじってカタコトで生きるのか? そんなの、前世のプライドが許さない。
本やアニメが楽しめないのも地味に辛い。
自分の部屋に戻り、ベッドに大の字になる。
「クソッ、なんで俺がこんな目に……。っていうか、この世界のインフラはほぼ現代日本と同じなんだぞ? コンビニがあって、スマホがあって、電車の自動改札がある。なら、言語だって日本語でいいじゃねえか。なんでそこだけ無駄に難解なオリジナル言語なんだよ……」
天井を見上げながら、愚痴が口をついて出る。
もちろん、愚痴る時はいつだって流暢な「日本語」だ。俺の脳内では、今も完璧な日本語の思考回路がフル回転している。
「はぁ。俺がどんだけ努力してもアール語は覚えられない。もっと語学の才能があれば――」
そこまで呟いて、俺は起き上がった。
奇妙な沈黙が部屋に流れる。
脳裏に、一つの電撃的なアイデアが閃いた。
「……待てよ?」
俺がアール語を習得できないのは、俺の脳が日本語に特化しすぎているからだ。これは不可抗力であり、これ以上どうしようもない。
「じゃあ……周りの奴らに日本語を覚えさせればよくね?」
突拍子もない考えだった。
だが、考えれば考えるほど合理的だった。
この世界は現代日本に酷似している。つまり、生活習慣や概念は日本語の単語と一対一で対応しやすい。それに、俺のアール語は絶望的だが、日本語の指導に関して言えば、俺はネイティブスピーカーにしてプロ(元日本人)だ。
そうだ。俺が皆に歩み寄る努力をするのではなく、皆が俺に歩み寄ればいい。
「よし、決めた」
俺は部屋のドアを開け、階段を駆け下りた。
リビングでは、母親のミサが家計簿をつけていた。
俺が近づくと、彼女はいつものように、ゆっくりとした、どこか子供をあやすような表情で言った。
「ツカ。ドウシタ? オナカ、ヘッタ?」
いつもなら「オレ、ダイジョウブ」とカタコトで返すところだ。
だが、今日からの俺は違う。
俺はすっと背筋を伸ばし、喉の調子を整え、前世から使い慣れた完璧な発声で言い放った。
「母さん。突然で申し訳ないんだけど、今日から俺、この家では日本語しか喋らないことに決めたから。あ、日本語っていうのは俺の母国語ね。とりあえず、今から言う言葉を復唱して。ミサはツカのお母さん。はい復唱」
「……エ? ツカ……、ナニ、イッタ……?」
母さんが完全にフリーズする。
そりゃそうだ。いつも「オレ、タベル、ウレシイ」としか言わなかった息子が、突然、聞いたこともない謎の言語をめちゃくちゃ流暢に、早口でまくし立てたのだから。
俺は不敵な笑みを浮かべた。
「まずは日常会話から叩き込んでやるよ」
こうして、言語習得を諦めた俺の、周囲を巻き込んだ日本語化計画が幕を開けた。