現代日本風の異世界に転生した俺は言語習得に失敗する 作:肩たたき券の起源
「ツカ……? アタマ、イタイ? ビョウイン、イク?」
案の定、母のミサは引きつった笑みを浮かべながら、俺のおでこに手を当ててきた。
急に流暢な謎の言語をまくし立てたのだ。息子がいよいよ本格的に狂ったと思われても仕方がない。
だが、ここで引き下がるわけにはいかないのだ。俺の今後のQOL(生活の質)がかかっている。
「違うんだよ母さん。俺の頭はすこぶる正常。ノープロブレム。……あ、いや、ええと」
俺はふと、アール語の脳内辞書(超スカスカ)を検索した。
今の俺の意思を、彼女が理解できるアール語の単語だけで説明しなければならない。
「オレ、アール語、ムズカシイ。ハナセナイ。……デモ!」
俺はリビングのテーブルを叩き、自分の胸を親指で指した。
「コレ、オレ、ノ、コトバ。カンタン。オレ、ペラペラ。ミサ、コレ、ハナスカ?」
めちゃくちゃな文法だが、ミサは「えっ?」と目を丸くした。
「……ツカ、ソレ、アナタ、ノ、トクベツ、ナ、コトバ?」
「ソウ! ソウデス! コレ、コトバ、『日本語』!」
ミサは戸惑っていた。
この世界には「魔法」のような超常現象は存在しない。あくまで、科学技術が地球と同等に発達しただけの世界だ。だから彼女は、俺が「独自の脳内言語を作り上げて、それに執着している」と解釈したのだろう。
しかし、ミサは優しい母親だった。
これまで言語の習得が遅れ、どこか一歩引いていた息子が、初めてこれほど強い意志を目に宿して自分に訴えかけているのだ。
「……ツカ、ソレ、コトバ、ニホン語? ……オシエテ?」
「オシエル! オシエル!」
俺はガッツポーズをした。
さあ、ここからが「現代日本風異世界」の強みを活かした、俺の言語教育の始まりだ。
これが中世ヨーロッパ風のファンタジー世界だったら、日本語を教えるのは至難の業だっただろう。「民主主義」とか「スマートフォン」とか、存在しない概念を教えるのは不可能に近いからだ。
だが、この世界は違う。
俺はリビングの端にある家電を指差した。
「コレ、アール語で『フリッザー』」
「ウン、フリッザー、ネ」
「オレ、ノ、コトバ――日本語だと、『れ・い・ぞ・う・こ』」
「れ……い……じょ……こ?」
「惜しい! 『れ・い・ぞ・う・こ』!」
「れい、ぞう、こ?」
「そう! 完璧!」
俺は大げさに拍手した。ミサは少し恥ずかしそうに、でも嬉しそうに微笑む。
(いける。いけるぞこれ……!)
概念の説明が一切不要なのだ。だって、目の前にあるのは地球のそれと全く同じ、電気で冷やす四角い箱なのだから。
ただ、ラベル(名前)を貼り替えるだけでいい。
「じゃあ、次。コレ」
俺は自分を指差す。
「オレ。日本語で『ぼく』」
「ぼく?」
「そう。で、アナタ。ミサ。日本語で『お・か・あ・さ・ん』」
「お……かあさん?」
「そう! 『お母さん』!」
ミサは「おかあさん」と、不思議そうにその音を唇で繰り返した。
そして、ふっと表情を和らげ、慈愛に満ちた目で俺を見た。
「おかあさん……。なんだか、とても優しい響きね」
母さんは簡易アール語で、俺にそう言った。
そうだよな。言葉は単なる意味と記号を結び付けるだけじゃない。たとえ意味は分からなくても、言葉に込めたニュアンスや、俺が彼女をそう呼びたがっているという気持ちが伝わることもあるのだ。
「ツカ、ぼく。ミサ、おかあさん。アッテル?」
「あってる! 大正解! お母さん、頭良すぎ!」
俺は嬉しくなって、日本語で褒めちぎった。
ミサも、俺がカタコトの時とは比べ物にならないほど生き生きと喋る様子を見て、何かを確信したように深く頷いた。
「ワカッタ。おかあさん、ソレ、コトバ……ニホン語、ガンバル」
驚くべき適応力だった。母親の愛、恐るべしである。
その時、玄関のチャイムが鳴った。
インターホンの液晶画面に映ったのは、見慣れた少女の姿だった。
「あ、ユナちゃんね。ツカ、プリント届けに来てくれたみたいよ」
ユナ。
隣の家に住む幼馴染で、クラスメイトだ。アール語が話せない俺のことをいつも気にかけて、学校の連絡事項をわざわざ家に届けてくれる、絵に描いたような世話焼きお姉さん系女子である。
(……よし)
俺は玄関へ向かいながら、不敵に口角を上げた。
第二の被験者……いや、第二の日本語ネイティブ候補の襲来だ。