劇場版プロジェクトセカイ:PSS異伝『Lamenters』 作:唯尊
数日前---------、フィリピン共和国首都・マニラ。
16世紀のスペインによる植民地化を大きな転換点として、スペイン統治時代、アメリカ統治時代、日本の占領------。交易を通じて多様なアジア・イスラム文化が根付いたのち、欧米や日本に翻弄されながらも1946年に独立を果たしたこの国家は、マレー系を主体とする100以上の民族と、180以上の多様な言語、7,641の島々から構成される多民族国家であり、政治や経済の中心であるフィリピン最大の島、ルソン島の中西部に存在するのが、理雄達の現在地であるここ、マニラだった。
他国での訓練任務で招集を受けた理雄達ジュリエットチームは、スペイン統治時代の古い街並みと近代的な高層ビルが共存する街を歩きながら、用意されたホテルへと足を運んでいた。
「冗談抜きで暑いなッ…」
ホテルの正面ゲートを通った辺りで、理雄がたまらず呻く。女性的で造形の整った顔立ちながらも、目付きが悪く全体的に黒っぽいので、周りからは『陰険顔』などと呼ばれている23歳の青年は、早くもこの猛暑にウンザリしていた。
この時季のマニラは1年で最も気温が上昇する『暑い乾季』にあたり、平均最高気温は33℃〜34℃、平均最低気温は24℃前後という信じられない酷暑シーズンであり、スマホで今日の天気予報を確認したら、今週は30℃を大きく超える真夏のような暑さが続くとの事だった。
「バグダッドよりはマシさ…」
額から滝のように流れる汗をタオルで拭きながら、信孝が呟く。背が高くスラリと伸びた長い手足、細いフレームの眼鏡をかけたソフトな顔付きは普通にしていれば女性からモテそうだが、いかんせん下劣で下品で最低極まりない下卑た性格のせいで、こと人間性においては誰よりも信頼されていない理雄の訓練校時代の同期である(信孝の方が先にジュリエットに配属されたが)。
「チクショウ、こんな事なら制汗スプレーでも持ってくるんだったッ」
「メキシコの任務で使った犬小屋より暑いな…」
隣から狙撃手の龍一郎が信孝に同意する。若干小柄で華奢な体躯に、目鼻立ちの整った童顔は、やや長めに伸ばした藍色の髪と相まって美少女の様にも見えたが、外見からは想像できない程に声が低く、初対面の人間を驚かせる事も少なくなかった。
各自でリュックやボストンバック、キャリケースを引きながらホテルへと入って行く。
「よーし着いたぞ。コレは中々に良い。正に"グッチな任務"だ」
日に灼けた黒の短髪の巨漢、英牙が一階のロビー中央で止まり、全員がその場で待機する。中央には小さな白い噴水、その周りを囲む様に花や観葉植物がホテル内を彩っていた。何より、クーラーが効いているのが一番嬉しい。
館内には一般の観光客も多く訪れていたが、自分達も私服姿なので、特段目立ってる様子はない。誰も理雄達が財団の機動部隊だなんて思いはしないだろう。
「来たか、ジュリエットチーム」
少し待つと、ホテルでチェックインを済ませたジュリエットチーム担当将校、
「訓練のスタートは二日後からだ。それまでは自由時間とする」
そう言って手にした客室のカードキーを各メンバーに配っていく。
「くれぐれも時間外行動のルールは守れ。……特に宮崎と蒼部、俺に余計な仕事をさせるなよ」
慶三郎から釘を刺され、二人は苦笑しながらカードキーを受け取る。すると、信孝が唐突に質問してきた。
「それはそうと、ここのオムレツバーは一日何回利用出来る?マジで一番気になる」
「……あとで確認しとく」
どうでもいい…、と慶三郎が溜息を吐きながら答えると、「よし、行くぞ」と呆れ顔の英牙に言われ、チームはその場で解散、荷物を持ち各々の部屋へと向かう。そんな中、英牙のみがそのまま慶三郎と話を続ける。
「------ところで、ウィスキーの連中はどうです?初雪の方は…」
「今のところは順調だ。……表でも裏でもな」
「そうですか……。まぁ、初雪は『子供が嫌い』とか言ってますが、実際は面倒見の良いヤツですから、リアガードとしての役割だって務まりますよ」
「だといいがな…」
若干の不安を残しつつも、短い会話を終えた慶三郎と英牙はその場で分かれる。
ウィスキーチーム……メンバーは全員『蒼星の忌み子』から選抜されたヴァンガードの少女達。20年前、アルギュロスの動力源となるスダエフ粒子の影響を受けた母胎から産まれた彼女達は、生まれた時から両目が青く、人間離れした高い身体能力と自然治癒能力、そして何よりも特徴的なのが、アルギュロスが使う特殊金属『ウロヴォロス合金』の生成能力だった。
高い戦闘能力を誇る一方で、殺戮の限りを尽くしたアルギュロスと同じルーツを持つ彼女達は、英牙達の世界では憎悪と虐殺の対象となっている。
戦後、地球に残ったアルギュロスに対応するべく、世界中で
そこで誕生したのが財団初のヴァンガード部隊、
当初はオーストラリアを拠点に活動していたが、元々は財団がアノマリーの一種として認識していた事や、現役の財団職員の大半がアルギュロスに故郷を焼かれ、家族や友人を殺された『焼き尽くされた世代』であり、蒼星の忌み子に対する差別感情や憎悪が強いという理由から、部隊の運用に様々な問題を抱えているのが実情だった。
そんな彼女達がこの世界に派遣されたのは、言ってしまえば体のいい厄介払いだったのだろう。アルギュロスなんて物が存在しないこの世界ならば、指揮官が隊員に麻薬を注射して敵陣地に突撃させたり、最前線で味方の兵士にレイプされて口封じに殺されたり、実弾演習と称した殺人ゲームの標的にされるといった問題が起きる事もないからだ。……以前、ウィスキーの教育訓練に関わっていたジュリエットのリーダーとしては、彼女達にはこの世界に居てもらった方が幸せなのではないかと思う。あの世界は、彼女達にあまりにも残酷すぎる。
それまで世界中から侮蔑と憎悪の視線に晒されながら、いつ死ぬか分からない状況で這い蹲る思いで生きてきたのだ。『セカイ』と呼ばれる空間と、ミク達バーチャルシンガーに出会い、ヴァンガード達の世界は大きく変わった。……秘密組織の人間が堂々と顔を晒してプロアーティストをやるのはどうかと思ったが、カモフラージュの意味も兼ねて、あの子たちにやらせたのは正解だったのだろう。
彼女達は今、向こうに居た頃より活き活きとしているし、充実しているように見えた。
自分達の故郷からは遠く離れているが、ここでは差別される事も迫害される事もない、学校に通い、友達を作り、好きな服を買って遊びにも出掛けられる。『Cobalt blue』の活動で多くの人から人気や支持を得て、それまで人間不信に陥っていた子もファンの為に毎日練習し、過酷な任務に従事しながら自分の音楽と向き合っている。
『この世界に来てから、やっと自分のやりたい事を見つけられたんです』
何週間か前、ウィスキーのリーダー格の少女、アニエスはそう言った。あの時の笑顔を守る為なら、戦場で死んでもいいと本気で思えた。本音を言えば、あの子たちには戦って欲しくない。そもそも10代半ばかそこらの少女を前線に立たせる方がおかしいのだ。だが、ヴァンガードの力がなければ、アノマリーの脅威は制圧できない。実際、これまで彼女達には何度も助けられてきた。
彼女達を戦いから遠ざけたい一方で、戦場に必要としているのもまた事実。二つの感情の間で板挟みになり、ジレンマに陥っていると、ふとある事に気付く。
---------そう言えば、
*
志熊理雄はホテルに備え付けられたリゾートプールの側で、サンラウンジャーの上で寛ぐ戦友に声をかけていた。
「宮崎、これからジムに行くんだが一緒にどうだ?」
「パス、俺は今グッチな任務を満喫してる最中なんだ」
ヘンテコな薄手の柄シャツを着て、サングラスを掛けながら優雅にビールのボトルを仰ぐ信孝はそう言って手をヒラヒラと振る。
「あと腰が痛くて堪らん、今欲しいのはバーベルじゃなくて柔らかい椅子と美人からのマッサージだ」
「------マジかッ?」
信じられずに驚愕する。
「なんだよ、そんなにおかしいか?俺が自分の身体を労わるのは」
「おかしいっていうか……、研究者出身のくせして趣味は最前線でMINIMIを乱射して敵兵の頭蓋骨を粉微塵にした挙句、バーで大量の酒をかっ食らう全裸野郎が……今は『柔らかい椅子にマッサージ』ッ?何があったらそこまでヤワになるんだよ?」
「ファハハハハハ、まぁこの世界に来てから色々あったしなぁ…。『ワンダーランズ×ショウタイム』とかいうヘンテコどもの集まりとショーやったり、類の野郎と遊園地のアトラクションを弄ったり、新型の飛行ユニットで司のアホを蒼穹の彼方まで吹っ飛ばしたり、ネネロボとかいう無限の可能性を秘めたマシンを魔改造して危うくシブヤの街を『シン・ゴジラ』みたいに火の海にしかけたりもしたな」
理雄は呆れ返ってしまう。
「相変わらずやりたい放題だな」
「あぁ、元の世界と違って、この世界の表側は比較的平和だ。……だからこそ、つい普段の日常を謳歌したり、リラックスしちまうんだろうな…」
信孝は遠い目で空に浮かぶ雲を見つめる。終戦後、表面的な復興ばかりを優先し、様々な問題を先送りにした結果、今の理雄達の世界は限りなく悲惨と言える状況だった。世界中の数学者や統計学者が地球に残ったアルギュロスを現代の人類が駆逐できる可能性を必死に計算しては絶望的な数値を叩き出している。財団の調査結果によれば、アルギュロス殲滅よりも人類が先に滅ぶ可能性の方が圧倒的に高いと聞く。アノマリーの存在を含めて、世界の真実を知ってしまった自分達が、本当の意味で気が休まる場所なんて、あの世界には存在しないのだろう。それこそ、ここみたいな別世界しかないのかもしれない。
「ワンダジョの連中を見ていると思い出すよ、学生時代にオタクサークルでバカやってた頃を…」
懐かしむ様な表情で語る。
「……昔っていうか今もバカばっかりやってるだろ。全裸マラソンとか変態仮面とかセクシービキニ着て大通りでボカロ歌ったりとか、何度も警察に捕まってるじゃねぇかよ」
「あぁ、おかげでネットじゃ人気者だ」
「大卒で理系のスーパーエリートなのに品性と知性が反比例してんだよ。
「おいおい、俺をあんな人形マニアの引きこもりと一緒にするなよ。せっかく人が哀愁漂わせながら過去に想いを馳せてるってのに」
「はいはい…」
苦笑しながらリゾートを眺めていると、ふと気になった事を尋ねてみる。
「……なぁ、聞いていいか?」
「どうした改まって」
一瞬、聞くべきかどうか迷ったが、結局心理的な衝動には逆らえず聞いてしまう。
「……アンタは戻りたいと思うか?平穏だったころの自分に」
「ないな」
意外にも即答され面食らう。信孝は現地で購入したビール瓶のボトルに口をつけ、グイッと飲み干すと「ふぅ…」と小さく息を吐く。
「……俺は、
「…………」
気付けば、信孝の目は光の差し込まない闇で満たされていた。
「フェニックス・ワンダーランドでの俺の役割は、基本ワンダジョの裏方だ。まぁ、俺がキャストで出演すると何故か観客から猛烈なブーイングが飛ぶし、俺の本名口にしただけで来場者が精神に変調を来たすからなんだが------」
「アルト・クレフかアンタは」
「うるさい黙れ。………兎に角、自分達の夢に向かって全力で突っ走るアイツらを見ていると、俺達が最前線で命を懸けて戦う意味を与えられてるみたいで、なんだか救われた気分になるんだ。俺達がアノマリーや救いようのない悪人をぶっ殺したり取っ捕まえたりする事で、司やえむが平和な日常で頑張れるんだ。『世界中の皆んなを笑顔にする!』って本気で考えてんだぜ?あんな面白い人種、俺達の世界にはいねぇよ……」
「……俺も、一歌やみのりには救われている」
彼女達と出会えた事で、それまで戦いと誇りしかなかった自分に、失いたくない大切な存在と想いが生まれたのだ。今の自分が戦う理由は、彼女達の存在にあり、彼女達の夢と想いが、理雄にとっても希望となっていた。
「---------だが、俺達とアイツらは違う」
刹那、信孝の声が一段と低くなる。
「司も、えむも、類も、寧々も………お前が可愛がってる女子校のガキ共だって、俺達とはまったく異なる別世界の住人だろ。言っとくが向こうとコッチの話じゃないぞ?
「………ソレは、彼女達が知る必要のない事だろ」
「だろうな、俺も今更知って欲しいとは思わん。だがな、お前も知ってる筈だぞ?アイツらは俺達の希望ではあっても、同類ではない。俺達とアイツらじゃ、生き方も住んでる世界も違う………。分かるんだよ、ワンダジョの連中と連んで、一緒に過ごす時間が増えれば増えるほど、アイツらと俺が全く違う人間だって事を思い知らされるんだ…。別にそれが辛いとか、羨ましいとかなんて思っちゃいない。さっきも言った通り、俺は昔の自分を取り戻せない。アイツらぐらいの歳の頃の夢なんて、もう思い出せないんだよ……」
「…………」
かつて理雄にも、『空手の世界王者』という身の程知らずな夢があった。戦争で世界選手権もオリンピックも消滅したあの世界で、叶わない夢だと知りながらも必死で修練に打ち込んだ。
そして、両親と幼馴染を失い、財団に身を置いてから数年後、訓練校の上司から特別の計らいで全日本選手権に出場する機会が与えられた。結果、史上最年少で優勝を飾ったものの、そこには何の感激も達成感もなく、ただ目標までの通過点を通ったとしか思えなかった。
おそらく、その時点で志熊理雄の空手に対する熱意は完全に消え、代わりに財団職員としての自分が形成されつつあったのだろう。
「アイツらが俺達みたいになりたくない様に、俺達もアイツらと同じにはなれないし、なりたいとも思わない。だから妬ましいなんて思った事は ない。だが……」
そこで、一旦言葉を切る。
「どうしても………心の底から複雑な感情が湧き上がってくるんだよ。言葉では言い表し難いが……、なんとなく、『寂しい』って思うんだ」
「………財団職員は孤独な生き物だ。理解できるのは、同じ宿命と業を背負った人間だけだ」
「そうだ、そしてそんな俺を理解してくれるのがこのチームであり、ジュリエットの仲間なんだ。ワンダジョの連中には無理でも、お前や隊長、悠間達が俺を真の意味で理解し、受け入れてくれるんだ。ここが俺の唯一の居場所だ。だから決して失う訳にはいかない。仲間とチームがヤバい時は俺が5.56mm弾バラ撒いて敵をミンチにしてやるッ」
「……頼もしいな」
それでこそ、自分が知る宮崎信孝だ。
「はぁ……、なんか無駄話が過ぎたな。そんな訳で俺は、いつ来るか分からない任務に備えて、こうして休める時に休んでるんだ。幸いここはフィリピンだ。ファルージャみたいな危険地帯じゃないから、もう少し英気を養わせてもらうよ」
「そうか、分かった。……邪魔したな」
「いいって別に。あとちょっとしたらこの国で一番のマッサージ店に向かうしな」
「…それって風俗エステ?」
「俺のマッサージだぞ?他に何がある」
聞くまでもなかった。苦笑しながら信孝と分かれると、ジムに向かう道中で彼の『傍観者』という言葉を振り返る。
今まで、一歌達をそんな風に思った事はなかった。守るべき大切な人達であり、彼女達もまた、理雄の事を尊敬している。その成長を見守りながら共に生きたいとも思っている。
だが、生きてる世界が違うのもまた事実だ。一歌やみのり達が見ている世界と、自分が見ている世界はやはり違うのだろう。辿り着く未来が同じとは限らないのに、これでどうして『共に生きたい』だなんて言える?
………こんなクソ溜めみたいな世界の裏側なんて、見ない方がいいに決まってるし、見せたくもない。彼女達には何も知らずに、自身の本当の想いに従って生きてほしい。それが理雄の本音だ。
しかし、同時に考えてしまう。知らなければ、自分達の存在は無かった事にされてもいいのか------?と。
地球の未来の為、人類社会とそこに生きる大衆を守る為に、文字通り全てを犠牲にしている人間達の存在を"知らない"で済ますのは、果たして許される行為なのか---------?
今まで何万……いや、財団創設前の時代を含めれば何十万、何百万という生命が闇の中で消費され、その対価として得たのが現代における仮初の平和なのだ。それを自覚もせず、さも当たり前の様に平穏を享受する連中の生き方は、日々命懸けで職務に当たる財団職員達への裏切りであり、造反ではないのか----------?
少なくとも、此方からしてみればソレは"見て見ぬフリ"をしているのと何ら変わらない。
----------俺の内側にも、そんな想いがあるのか…?
正直、自分では判断が付かない。だが信孝や、彼と同じ想いを持つ財団職員の心情は、理解出来る気がした。