わたしが故郷の大学から、この大国の研究所「NANKASA」に移ってから3年……。
華々しい活躍をできていればよかったのだが、現実は真逆だ。
勤務中に、「おもしろい現象」に遭遇したため、レポートにして、NANKASAに勤める友人に送ってみたところ、すぐに返事が来た。「こちらの研究員になってみないか」と。わたしは手放しで、そして二つ返事で了承し、ひと月も経たない内にNANKASAへやってきた。
わたしは、今日も寂れた扉を「ギィィ」と開いて、清潔な廊下を歩いていく。
「不確実性粒子の観測現象の増大への対処室」
通称、「幽霊研究会」だ……。
わたしはロッカーを開き、「Dr ヒン・ニョープシャー」と書かれた名札――というか、IDカードが留められた白衣を掴む。そして、あの日のことを思い返す。
初めて”幽霊現象”に遭遇してから、いくらか経った日だ。
あれは幻だったのかとも思っていたが、そんな生易しいものではなかったとも思っていた。そして、わたしは科学者だ。実際に事象としてそこにあったのだから、妙な言い方だが、”論理の基盤”があるはずだと考えていた。
わたしは、人間が作り出した最も美しい芸術品。「着座式便器」と向かい合う。
わたしが世界で最も優雅で美しいと考えている放物線。それをこの三次元の空間へ投影するのだ。日常の中で最も尊い瞬間。素晴らしい安堵と共に、黄金の放物線を描き出す。
天才の如き遊び心で、右へ少し軌道を変えてみようと思い至った時だ。”白いモヤモヤとした線”が、黄金の放物線から抜け出し、わたしが動かそうと”思っている”場所へと滑らかに移動していくのだ。
わたしはあわてて「左へ動かすぞ」と念じる。やはり、白いモヤモヤの線も、左へと動く。
わたしは気づいた。「この”幽霊現象”は、移動する確率が高い場所へと収束している」のだと。
あの時に見た幽霊も、そう考えると辻褄が合う。わたしがトイレに行くと決めていたから、普段からトイレを求めているから、トイレに行く確率が極めて高いからこそ、あのモヤモヤはわたしの輪郭へと収束し、トイレへの道すじを先行していたのだ。
わたしは研究室に戻り、ホワイトボードに、アニメに登場しそうな「パラレルワールドの想像図」を書き込む。始まりは一点。木の枝のように複数に分岐して広がり、伸びていく。その全体を面積として捉え、なだらかな逆三角形を形作る。
始まりの一点が、複数の分岐の中から、一本のルートだけを選択して進んでいく。進めば進むほど、選ばれなかった線の広がり、つまり横の広がりは狭められ、逆三角形の頂点が迫り上がり、面積が狭くなり、やがて一点に収束する。
広く分布していたものが、選択によって収束していくという事だ…………。そして、極限まで収束した時…………。
もし、この仮説が本当だったとしたら、その媒介自体は何か……。その時は、粒子と仮定するしかないと思ったのだ。粒子と仮定しておけば、あとからいくらでも修正することもできるだろう。
「白いモヤモヤ……」わたしは必死に考えた。なぜ、あのような姿をしているのか?なぜ、あの「白いモヤモヤ」は、”形を伴って”姿を現すのか?
確率の収束などという、”現実”を微かに外れた領域から現れるもの。ある意味では、幽霊そのものだ。そんなものが本当に見えていたのだとしたら、それは、本当に「視えていた」のか?
考えられる仮説など、いくらでもある。しかし、わたし自身が抱いた疑問をベースに考えるのなら、あれは、可視光線が映し出したものではないかもしれないということだ。
(脳……?)
脳が認識する、最も根源的な”そこにある”という事実。それが、白いモヤモヤという姿というだけなのではないか?
わたしは、自分の手が目に入る。
極小の素粒子から見れば、人間は単体ではない。巨大な構造物だ。尿の一滴でさえ、それは、”化学的な構造物”だ。
そうした、小さな「こうなる」を、0.001秒先の未来から見れば、「そうなるかもしれない」という靄が、流れに従って収束しているに過ぎない。
密度が臨界点を超え、特異点のような歪んだ状態となって実数軸に投影されるほど圧縮された幽霊の粒子が、現実の素粒子レベルで密集しているのならば、分子レベルの構造体の影となって現れていてもおかしくはない……。
わたしは、考えたことを忘れないように、白紙を引っ掴んでペンを走らせた。
それからは思索を重ねた。
可能性の分岐が面積であるのならば、乗算によって数式化できるはずだ。
自分自身を起点とし、「こんな行動をとるかもしれない自分」「こんな選択をするかもしれない自分」を掛け算のように、虚数の領域へと幾何学的に広げていく。
この「幽霊現象を引き起こす粒子」が分布している範囲が、「そうなるかもしれない」領域が広いほど広く薄くなっているのだとしたら、「現象を引き起こす根拠となる事象」が、「待ち構えている状態」だと捉えることもできる。
わたしは、恥を忍んで独自の演算記号を作り出し、紙に書いてみる。
準備されている状態を”st(スタンバイ)”とした。そして、確定する確率が高まっている状態を”end(エンド)”とした。endには、あくまでも1人の人間を対象とし、流動性と不確定性の少ない状態である事を示すために、”1”を付け加える。
虚数の領域に存在する粒子が、無限大の密度に達して特異点となるまでの逆算、つまり、分布が無限大である事を数学的に証明する数式を書き込み、「st 1end」を書き込む。
圧縮が臨界点となった準備状態の粒子と、その根本となるエネルギーが、確定する確率が高い状態へと収束する比率を示した記号で繋ぎ、そして、確定している確率の幅を示した数式を書き込んだ。
今思えば、幼稚な計算方法だったかもしれないが、わたしは、とにかく誰かの意見を聞きたかった。
勢いに任せ、震える手で、ポストへと投函した。
NANKASAに勤める友人、オエイ・モドシターへ。
実は物理学の知識とかは、生成AIさんに相談しまくって練ってあります。それでも拙いんじゃないかとは思いますが……。