ションタクト   作:bjd

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第2話

『おはようございます。ニョープシャー博士。』

『ああ。おはよう。』

 

生真面目な研究員、ブリンダ・アサカ女史と挨拶を交わす。

 

あの手紙を出してから数日。オエイから電話がかかってきた。「君の力が必要なのかもしれない。NANKASAへ来てみないか?」と。

それから流れるように、この寂れた建物が勤務先となり、3年だ。

 

世界各地には、同じような経験をした科学者がそれなりにいるらしく、わたしは孤独とは無縁だった。

 

『やあ。ヒン。』

 

わたしは、朗らかな挨拶の言葉に、吊り上げた口角と、手を上げるジェスチャーで返した。この幽霊研究会の中で、最も年齢を重ねている老学者、ベン・クサィナー氏。そして、わたしと歳の近い気鋭の物理学者、ゲリー・ピーブリッツ氏が、ホワイトボードに向かって議論を交わしている。

 

他にもメンバーはいる。総勢15人程度なのだが、主要な人物は、わたしを含めた4人だけだ。他の11人は、この幽霊研究会を掛け持ちしているに過ぎないのだ。

 

そんな中でも、どうやら、わたしの稚拙な推論や数式が、最も論理的で現実的だったようだ。着任してから数日で、わたしはチームの中心となっていた――。

 

 

 

3年間で掴めた成果は、ほとんど無いに等しい。それはそうだ。相手は文字通りの”幽霊”なのだから。

 

わたしたちが遭遇した不可解な現象も、ただ見えたというだけで、何かに触れることも、物を動かしたわけでもないのだ。

しかし、それが逆説的なヒントになることもある。

 

「この現象には、物質には、質量も相互作用もないのではないか?」と。

 

ホワイトボードの端には、ずっと消さずに残されている”質量がない=速度は無限大(光速以上)”の一文がある。

 

光速以上と定義したことには、明確な理由がある。

 

実数軸上の絶対者であり、時空の限界点と考えられている「光」だが、光速を絶対として幽霊たちに適用してしまえば、彼らが「そうなるかもしれない線」から、「こうなっている線」へ引き寄せられる理由が説明できなくなるのだ。

 

光速とは、時間の進みがゼロになる境界線だ。光速以下の世界では、物事は常に「過去から未来」へ向かってしか流れない。

 

幽霊たちが、0.001秒先の確率の分布という虚数の領域から、現在の実数軸へと時間を逆流して収束してくるためには、時空の壁を飛び越え、因果の方向を反転させる「無限大の速度」が最初から必要なのだ。

 

チームができてから間もない頃の、ある日の議論が脳裏をよぎる。

 

クサィナー氏は、重力との関係性について模索していたし、ピーブリッツ氏は重力と関係があるほど強力な存在ならば、臨界状態でブラックホールになっているはずだと主張する。事象の地平面もなく、靄が”白い”ことにも言及していた。

 

物理学者としては、どちらにも一理あるとは思う。虚数の領域を自由に浮遊する存在など、重力でなければ想像できないからだ。しかし、そうなのだ。もしあの幽霊現象が重力と関係あるのならば、収束すればするほど空間が沈み込み、重たくなり、時間の進み方が遅くならなければおかしいのだ。そして、確率の収束と同期して密度が高くなることにも説明がつかない。

 

クサィナー氏は、「ぐぬぬ……」と言わんばかりの表情で黙り込んだあと、「タキオンだ!」と叫んだ。アサカ女史が吹き出して議論は終了してしまったが……。

 

ちなみに、この「幽霊=タキオン説」にも破綻があると思っている。まあ、重力と同じだ。実数軸から外れて飛び回れるのならば、現在の宇宙で、光という存在はもっと弱々しいものになっていかなければおかしいということになりかねない。際限なく外に漏れ出していくからだ。

 

わたしが椅子を引き、着席する直前に、白い靄が先行して席に着き、その靄にわたしが重なる。もう何度も観測されている事象だ。

 

世の中では、この幽霊たちによる先行現象がどう捉えられているのか…………わたしは考えないようにした。実在の人間は物理学で説明するようなものではないだろう。社会的なパニックが起こっていないのだから、案外「そういうもの」として適応しているのかもしれない。

 

もはや、サイエンスでありながら、テクノロジーの限界を超えている。

 

だからこそ、わたしには試してみたいことがあった。

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