雨の向こうで、ずっと筑摩を見つめていた女が、ついに姿を現します。
第七話「雨の女」、よろしくお願いいたします。
第七話「雨の女」
雨だった。
夜。
ラーメン屋『中花』。
「お婆ちゃん?」
ケイが首を傾げる。
「最近、元気ないですよ?」
「そうかしら。」
「そうですよ。」
コウタも笑う。
「ヒサオさんのこと考えてるんですか?」
筑摩は少しだけ笑った。
「……そうかもしれないねぇ。」
海堂は何も言わず、湯切りをしていた。
しかし筑摩の心には、もう一つ気になることがあった。
店の向かい。
雨の日も。
晴れの日も。
電柱の上。
誰かが見ている。
寂しそうな目で。
◇
閉店後。
「店長さん。」
「あ?」
「少し歩いてきます。」
「おう。」
「傘。」
海堂は一本差し出した。
「ありがとうございます。」
◇
雨の夜道。
筑摩は立ち止まる。
「……いるんでしょう?」
返事はない。
「もう隠れなくてもいいわ。」
静かに。
黒い影が電柱から降りてきた。
黒いコート。
冷たい瞳。
「何。」
「毎日見てるじゃない。」
「見てない。」
「見てるわ。」
沈黙。
「あなた。」
「何者?」
女は目を逸らした。
「……覚えてない?」
「え?」
「病院。」
筑摩の表情が変わる。
「病院……?」
「トラック。」
「!」
「目隠し。」
思い出す。
あの日。
羽音。
赤い瞳。
そして。
暗闇。
「……あなた。」
女は静かに顔を上げた。
「私は。」
赤い瞳が光る。
灰色の外殻が身体を包む。
鋭い翼。
シュライクオルフェノク。
「私は。」
一拍。
「あなたを殺した。」
◇
筑摩は動けなかった。
「……え?」
「通報してた。」
「次は私。」
「だから。」
「殺した。」
その声には怒りよりも、自分を責める響きがあった。
「でも。」
「死ななかった。」
「使徒再生。」
「何で。」
「何で生きてるの。」
筑摩は震える。
「……そう。」
「あなただったの。」
「恨みなさいよ。」
「え?」
「私はあなたを殺した!」
「化け物よ!」
雨音が強くなる。
筑摩は静かに首を振った。
「怖かったんでしょう?」
シュライクが止まる。
「私も。」
「オルフェノクが怖かった。」
「だから。」
「通報した。」
「あなたも。」
「通報されるのが怖かった。」
「だから。」
「私を殺そうとした。」
「……。」
「みんな。」
「怖かっただけ。」
◇
「何言ってるの。」
シュライクは震えていた。
「私を。」
「恨まないの?」
「分からない。」
「でも。」
「ありがとう。」
「……は?」
「生きてるから。」
「ヒサオさんのこと。」
「知ることができた。」
「馬鹿!」
シュライクが叫ぶ。
「私は!」
「あなたを!」
「殺したの!」
その瞬間だった。
筑摩の身体から灰が舞う。
光。
黒い羽。
灰色の外殻。
コルヴスオルフェノク。
シュライクは目を見開く。
「……。」
「あなた。」
「私も。」
「オルフェノク。」
「……。」
「怖い?」
シュライクは笑った。
泣きそうな顔で。
「そんなの。」
「最初から知ってた。」
「え?」
「病院を出た時。」
「変化してた。」
「見てた。」
「でも。」
「どうでもよかった。」
「……何で。」
「知らない。」
「本当に。」
「馬鹿。」
◇
一方その頃。
「……遅ぇな。」
海堂が時計を見る。
「筑摩さん、まだ帰ってきませんね。」
「様子見てきます!」
コウタが飛び出す。
「私も!」
ケイも後を追う。
海堂はため息をついて傘を開いた。
「しょうがねぇ。」
◇
「お婆ちゃん!」
三人の声。
シュライクが身構える。
「……。」
「逃げる。」
「待って!」
筑摩が一歩前へ出る。
「この人は……。」
シュライクが低く言う。
「言うな。」
筑摩はゆっくり首を振った。
「友達です。」
雨音だけが響く。
シュライクは言葉を失った。
「……友達?」
ケイがにこっと笑う。
「じゃあ、お客様ですね。」
「ラーメン食べていきません?」
「は?」
「店長、いいですよね?」
「知らん。」
「余ってる。」
「絶対嘘です。」
コウタが笑う。
「一人くらい増えても大丈夫ですよ!」
シュライクは呆然としていた。
「何なの。」
筑摩が微笑む。
「温かいわよ。」
「……。」
「嫌。」
「本当は?」
少しだけ沈黙。
「……知らない。」
◇
その時。
筑摩は静かに頭を下げた。
「ごめんなさい。」
「黙っていて。」
「私も。」
「オルフェノクなんです。」
沈黙。
雨。
シュライクは苦く笑う。
「ほら。」
「終わり。」
「追い出される。」
「化け物だから。」
海堂が一歩前へ出る。
「だから?」
「え?」
「お婆ちゃんだろ。」
「それ以外に何がある。」
コウタも笑う。
「今さらですよ。」
ケイも頷いた。
「お婆ちゃんは、お婆ちゃんです。」
シュライクの瞳が揺れる。
「何なの。」
「知らん。」
海堂は店の方を向く。
「帰るぞ。」
「ラーメン伸びる。」
筑摩は涙を流しながら笑った。
「はい。」
◇
雨は降り続いていた。
シュライクはその場から動けない。
暖簾の向こうへ消えていく四人。
そして。
一人増えた居場所。
雨なのか。
涙なのか。
シュライク自身にも分からなかった。
「……。」
「本当に。」
「馬鹿ばっかり。」
――第七話「雨の女」終――
次回、第八話「中花」
初めて暖簾をくぐる女。
初めての「いただきます」。
そして初めて知る。
帰る場所というものを――。