『Corvus ―オルフェノクがいるよ―』   作:木崎真帆

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第八話「中花」

「帰ってきていい。」

その一言はありません。

それでも、
誰かを迎える灯りがあり、
湯気の立つ一杯があり、
「いただきます」と言える場所がある。

それだけで、
居場所になることがあります。


第八話「中花」

# 第八話「中花」

 

 朝。

 

 ラーメン屋『中花』。

 

「お婆ちゃん!」

 

「はいはい。」

 

「ネギ!」

 

「切ってるわよ。」

 

「ケイちゃん、味玉!」

 

「できてます!」

 

「コウタ、チャーシュー!」

 

「はい!」

 

「うるせぇ!」

 

 海堂の怒鳴り声。

 

 笑い声。

 

 湯気。

 

 ラーメンの匂い。

 

 いつもの朝だった。

 

 ただ一つ。

 

 変わったことがある。

 

「また見てる。」

 

 筑摩は窓の外を見て笑った。

 

 向かいの電柱。

 

 黒いコートの女。

 

 シュライクオルフェノク。

 

 今日もいる。

 

「見てない。」

 

「見てる。」

 

「見てない。」

 

「そう。」

 

「見てない。」

 

 シュライクは顔を逸らした。

 

 

 昼。

 

 出前から戻ったコウタが笑う。

 

「またいましたよ!」

 

「あ?」

 

「電柱の上!」

 

 海堂が顔を上げる。

 

「……。」

 

「暇なんだな。」

 

「店長!」

 

「呼びます?」

 

「うるせぇ。」

 

「余ってねぇ。」

 

 ケイが笑う。

 

「余ったら呼ぶんですね?」

 

「知らん。」

 

 

 夕方。

 

 閉店後。

 

 筑摩は店の外に出た。

 

「今日も来てたわね。」

 

「来てない。」

 

「見てた。」

 

「見てない。」

 

「じゃあ。」

 

「何してたの?」

 

「……。」

 

「知らない。」

 

 シュライクは空を見る。

 

「帰る場所なんて。」

 

「ないし。」

 

「だから。」

 

「何となく。」

 

 筑摩は微笑んだ。

 

「あるじゃない。」

 

「え?」

 

「中花。」

 

「嫌。」

 

「何で?」

 

「私は。」

 

「オルフェノク。」

 

「うん。」

 

シュライクは視線を落とした。

 

「化け物。」

 

「うん。」

 

雨に濡れた手が小さく震えている。

 

「人殺し。」

 

「……。」

 

「だから。」

 

「入れない。」

 

 筑摩は少し考えて。

 

 優しく笑った。

 

「じゃあ。」

 

「お客様になれば?」

 

「は?」

 

「食べるだけ。」

 

「嫌。」

 

「美味しいのよ?」

 

「いらない。」

 

「本当は?」

 

シュライクは少し黙った。

 

「……知らない。」

 

 

 その夜。

 

 店の裏。

 

「おい。」

 

海堂だった。

 

「!」

 

「何。」

 

海堂はどんぶりを差し出す。

 

「余った。」

 

湯気の立つラーメンだった。

 

「食うか。」

 

「いらない。」

 

「そうか。」

 

海堂はそのまま店へ戻ろうとする。

 

「……。」

 

「待ちなさい。」

 

「何だ。」

 

「……本当に余ったの?」

 

「知らん。」

 

「嘘。」

 

「うるせぇ。」

 

「冷める。」

 

「……。」

 

 シュライクは受け取った。

 

 一口。

 

「……。」

 

「不味いか?」

 

「……。」

 

「変。」

 

「何が。」

 

「温かい。」

 

「当たり前だ。」

 

「そういう意味じゃない。」

 

「知らん。」

 

 海堂は店に戻っていく。

 

「……。」

 

「変。」

 

 シュライクは呟いた。

 

 

 翌日。

 

「店長。」

 

「あ?」

 

「一つ聞いていい?」

 

「何だ。」

 

「ヒサオさん。」

 

「……。」

 

「よくここで食べてた?」

 

海堂は返事をしなかった。

 

鍋だけをかき混ぜている。

 

「……。」

 

「いや。」

 

「何でもねぇ。」

 

 

 夜。

 

 閉店後。

 

 暖簾は下ろされている。

 

「おい。」

 

「何。」

 

海堂は暖簾を親指で指した。

 

「入れ。」

 

「嫌。」

 

「うるせぇ。」

 

「余った。」

 

シュライクは暖簾を見つめた。

 

「嘘。」

 

「本当だ。」

 

「嘘。」

 

「知らん。」

 

「……。」

 

 筑摩が笑う。

 

「一回だけ。」

 

「嫌。」

 

「一回。」

 

「……。」

 

「一回だけ。」

 

その暖簾の向こうから、

 

光。

 

ラーメンの匂い。

 

笑い声。

 

が漏れていた。

 

 怖かった。

 

 入ったら。

 

 失うかもしれない。

 

 でも。

 

「……。」

 

「一回。」

 

 暖簾をくぐる。

 

「お!」

 

コウタが立ち上がった。

 

「いらっしゃい!」

 

「え?」

 

ケイも笑う。

 

「初めまして!」

 

シュライクは店内を見回した。

 

誰も警戒していない。

 

「……。」

 

「お客様です。」

 

筑摩が嬉しそうに笑う。

 

「座って。」

 

「嫌。」

 

海堂が空いた席を顎で示した。

 

「座れ。」

 

そう言いながら、どんぶりを置いた。

 

「ほら。」

 

「……。」

 

「いただきます。」

 

 誰も笑わない。

 

 誰も驚かない。

 

 ただ。

 

 当たり前のように。

 

海堂が箸を取る。

 

「いただきます。」

 

「いただきます!」

 

「いただきます!」

 

「いただきます。」

 

 シュライクは小さく呟いた。

 

「……いただきます。」

 

 一口。

 

「……。」

 

「どう?」

 

筑摩が聞く。

 

シュライクは少しだけ考えてから答えた。

 

「変。」

 

「え?」

 

「温かい。」

 

 コウタが笑う。

 

「店長、褒められてますよ!」

 

「うるせぇ。」

 

 ケイも笑う。

 

「よかったですね!」

 

 海堂は背中を向けたまま。

 

「知らん。」

 

 シュライクは周りを見る。

 

 笑い声。

 

 湯気。

 

 ラーメン。

 

 そして。

 

 壁の写真。

 

 ヒサオ。

 

「……。」

 

「馬鹿。」

 

 小さく呟く。

 

「本当に。」

 

「馬鹿。」

 

 その目から涙が一滴落ちた。

 

 

 帰り道。

 

 赤信号。

 

 筑摩とシュライク。

 

「ねえ。」

 

「何。」

 

信号待ちの風が二人の間を吹き抜ける。

 

「帰る場所。」

 

「……。」

 

シュライクは前を向いたまま小さく笑った。

 

「できちゃった。」

 

「そう。」

 

信号が赤のまま、二人は並んで立っていた。

 

「嫌?」

 

「……。」

 

 シュライクは青に変わりそうな信号を見つめた。

 

「変。」

 

「何が。」

 

「温かい。」

 

 筑摩は笑った。

 

「そうね。」

 

「温かいの。」

 

 信号が青になる。

 

 二人は歩き出す。

 

 その上を。

 

 一匹の蚊が飛んでいく。

 

その姿を見上げて。

 

シュライクが小さく呟く。

 

「……馬鹿。」

 

筑摩は笑う。

 

「そうね。」

 

「本当に。」

 

「馬鹿だったわね。」

 

雨はもう降っていなかった。

 

中花の灯りは、

 

今日も、

 

誰かの居場所を照らしていた。

 

人も。

 

オルフェノクも。

 

分け隔てなく。

 

誰かが帰ってこられる場所として。

 

---

 

**――第八話「中花」終――**

 

次回、最終話。

 

「オルフェノクがいるよ」

 

あの日。

 

一人の青年は、

 

誰にも知られないまま、

 

一人の命を救った。

 

そして今度は、

 

救われた命が、

 

誰かの居場所になろうとしている。

 

「オルフェノクがいるよ」

 

その言葉の意味が、

 

静かに変わる。

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